第53話 奇行
アドミウスを見送ったピアータは、ロマニア国軍の野営地の中で自分たちに割り当てられた区画に戻ってきた。
そのピアータの姿を見るなり、副官のデメトリアは「これはまずいな」と思った。
眉間にシワを寄せ、キリキリとまなじり吊り上げ、口をへの字に結び、肩を怒らせて足音を荒げて歩くピアータの姿は、完全に機嫌を損ねているときのものだ。
「お帰りなさいませ、姫殿下」
デメトリアは迎えの言葉を述べるが、案の定ピアータはそれを無視して横を通り過ぎてしまった。
ピアータは本気で激怒すると、とたんに口数が少なくなる。口を開けば腹の中の怒りが堰を切って飛び出してしまうとでも思っているのだろうか。いずれにしろ乳姉妹でもあるデメトリアの言葉を無視するとは、かなりの怒り具合だ。
デメトリアの横を通り抜けたピアータは厩舎の馬丁に向かって大声を張り上げる。
「私の馬だ! 私の馬を持ってこいっ!」
これに馬丁は、伺うような目をデメトリアへ向けた。それはデメトリアが破壊の御子の呪いの噂がある内は万が一にも怪我をさせてはならないと、ピアータへ馬を出すのを馬丁たちに堅く禁じていたからである。
どうすれば良いかと目で尋ねる馬丁に、デメトリアはやむなくため息をひとつついてからうなずいて見せた。
すると、しばらくして馬丁はピアータの愛馬を厩舎より連れてくる。
それを待っていたピアータだったが、途中で辛抱たまらなくなった。小走りになって馬に駆け寄ると、愛馬の首筋に腕を回して抱き締める。そして、馬の首筋に顔を押しつけて深呼吸を始めた。
このピアータの奇行に、百狼隊蒼狼兵の隊長アンガスは困惑しつつデメトリアに尋ねる。
「姫殿下は、如何されたのですかな?」
デメトリアは、ひとつ大きくため息をつく。
「姫殿下の癖です」
アンガスが「癖ですか?」とおうむ返しに尋ねるのに、デメトリアは小さくうなずいてから言う。
「もともと姫殿下は癇が強い方なのです。姫殿下もそれを自覚されていて、激しく感情が昂ぶると、ああして大好きな馬と触れ合って、その臭いを嗅ぎ、気を落ち着かせようとされるのです」
それに何と言葉を返せば良いのかさんざん迷ってからアンガスは遠慮がちに言った。
「……面白い方ですな」
「正直に、おかしな方と言っても構いませんよ」
デメトリアの言葉をアンガスは丁重に断った。
デメトリアは小さく笑うと、すぐに心配げな顔になる。
「しかし、いつもより時間がかかっています。これはよほどのことがあったのでしょう」
いつまで経ってもピアータが馬から顔を離そうとしない。次第に愛馬の方が呆れてしまい首を大きく振ってピアータの抱擁を振りほどいてしまった。それから、甘えるなと言わんばかりに鼻をひとつ鳴らすと愛馬は手綱を持つ従者を引きずって去ってしまう。
愛馬から見捨てられ、まるで親に取り残された迷い子のような悲しげな顔をしたピアータは、その場に膝を抱えるようにして座り込む。そして、顔を自分の膝の間に埋めて「う~う~」とうなり声を洩らし始めた。
「これは重症ですね。――誰か、ララとルルを呼んできてください」
しばらくして騎士に連れてこられたララとルルのハーピュアンの姉妹にデメトリアは頼む。
「姫殿下のいつものご病気です。ふたりには悪いが、相手をしてやってください」
ララとルルは苦笑いを浮かべながらも、「お任せ下さい」と答えた。ふたりは小走りにピアータへと駆け寄ると、その翼となった腕を大きく広げる。
「姫殿下、元気を出して下さい」
「ほらほら、姫殿下。ふかふかですよ~」
そう言うとふたりはピアータを左右から挟むようにして自分たちの翼でピアータを包み込んだ。すると、ふたりの翼の内側でピアータがもぞもぞと動き出す。それに合わせ、時折ララとルルは顔を恥ずかしげに赤らめたり、くすぐったげに身をよじったりする。
その光景にアンガスから「あれは何ですか?」とデメトリアへ目で問うた。それにデメトリアはうんざりした顔で答える。
「ピアータ姫殿下は馬だけではなく、毛皮や羽毛の感触も好まれます。馬でダメでも、ああしてハーピュアンの翼に包まれれば、たいていの機嫌は直ります」
そこでデメトリアは遠い目になる。
「ララとルルが来る前は、もっぱら私の髪が対象でした」
デメトリアの言葉に釣られ、アンガスはその光景を思い浮かべる。
幼いデメトリアの銀髪を楽しげに撫でさすっている幼いピアータ。
思い浮かべた光景にアンガスは、ほっこりとした顔になった。
ところが、デメトリアの次の言葉にアンガスはギョッとする。
「おかげで私は幼いながらも女として生きるのを諦め、姫殿下と同様に騎士になろうと思ったものです」
アンガスは、デメトリアが何を言っているかすぐには理解できなかった。髪の毛を撫で回されて、なぜ女として生きるのを諦めることになるのだろうか?
そんな疑問符を浮かべていたアンガスだったが、デメトリアがしきりと自分の髪をいじくっているのに、ハッと気づく。
長い髪を高く結い上げるのが、この時代の貴族の子女の嗜みである。それができないとなれば、貴族の子女としては欠陥と見なされてしまう。当然、欠陥のある娘では婚姻など結べるはずもない。
つまりデメトリアはピアータにさんざん髪をもてあそばれたせいで――。
「……もしや、頭がハ――」
「いっときのものでした」
アンガスの言葉に被せるようにしてデメトリアは強く言い切った。
これは触れてはいけない話題だ。
アンガスは賢明にも口を閉ざした。
それからしばらくしてララとルルの翼の間から、ずぼっと音を立ててピアータが頭を出す。
「ふたりとも手間をかけたな。もう大丈夫だ」
そう言うピアータの口調は穏やかなものに戻り、顔も心なしかツヤツヤと潤っているようにすら見えた。
「ご堪能なされましたか、姫殿下?」
ララとルルを下がらせて、ニコニコ顔になっているピアータへデメトリアが問いかけた。すると、ピアータは鼻息も荒く答える。
「うむ。やっぱりハーピュアンの羽毛はいいな! もふもふだぞ、もふもふ! それに翼も最高だな! 是非、私も欲しい! ――どうだろう、デメトリア? 抜け落ちた羽根を集めて、こう腕全体に貼りつけて腕を振れば、私も飛べないだろうか? ララとルルと一緒に飛べば、さぞ気持ち良いに違いない!」
興奮気味に語るピアータにデメトリアは冷ややかに言う。
「おやめください、姫殿下。それはすでに子供の頃に試して失敗しているではありませんか。崖から飛び降りて足首をくじかれたのをお忘れですか?」
抜け落ちたララとルルの羽根を手にして「あたしも空を飛ぶ!」と言ってピアータが目の前で崖から飛び降りたときには、デメトリアは肝を冷やしたものだ。
子供だったふたりにとっては断崖絶壁だったが、実際には大人の腰ほどの高さしかなく、足をくじいただけですんだのは幸いであった。
過去の失態をあげつらわれ、口を尖らせてふて腐れるピアータにデメトリアは容赦なく追い打ちをかける。
「あらかじめ言っておきますが、私は母のように自害寸前まで追い込まれたくはありません」
ゾアンになりたいと言い出して、ピアータが王宮の庭を狼の毛皮をかぶって四つ足で走り始めたときは、とんでもない大騒動となってしまった。
ドルデア王が溺愛する姫が狂乱したと、その養育を任されていた乳母であったデメトリアの母の責任問題となり、あわや自害を命じられる寸前とまでなったのである。
「すまん。それだけは言わないでくれ。深く反省している」
敬愛していた乳母をあわや自害させかけたのは、ピアータにとっても痛恨事である。
ピアータの謝罪に、デメトリアは疑わしげに「それならばよろしいのですが」とこぼした。
案の定というか、ピアータは舌の根も乾かぬうちにボソッと洩らす。
「まったく、破壊の御子の奴も気が利かない。どうせならハーピュアンと一緒に空を飛べる知恵を出してくれても良いではないか」
まったく、懲りていない。
この辺りの自分の欲望に忠実なところは、父王に甘やかされて育った我が儘な姫である。
いい加減に、それにもなれてしまった自分に辟易し、デメトリアはため息をひとつ洩らす。
「ところで、いったい何がございました?」
その途端、自分がララとルルとともに空を飛ぶ光景を思い浮かべ、うっとりと空を見上げていたピアータの目が、キリリッと吊り上がる。
「おのれ! 今、思い出しても腹立たしい! 全身から火が噴き上がりそうだぞ!」
ピアータは、その場で足を高く振り上げて地団駄を踏みながら、一部始終をデメトリアに語って聞かせた。
「兄弟子とはいえ、許せん! 私の百狼隊でギタギタに叩きのめして、どちらがダリウス閣下の弟子を名乗るに相応しいか思い知らせてやる!」
そこでピアータはアンガスへと顔を向ける。
「喜べ、アンガス! すでに兄上から『黒壁』と相対する許可をいただいた! おまえたちの本願を達するときだぞ!」
「それは、ありがたい! ピアータ姫殿下に感謝を!」
ダライオス大将軍によって打倒「黒壁」のために創設された蒼騎隊にとっては、まさに本願達成のときである。
ピアータとアンガスは、ふたりして「わははは」と笑い声を上げた。
しかし、そこへデメトリアが心配げな顔で問う。
「よろしいのですか、姫殿下? 聞く限りでは、相手はこちらを誘っているのは明らか。それに軽々に乗ってしまっては……」
それにピアータも、はたと我に返る。
すっかり頭に血が上って失念していたが、「黒壁」の後ろにいるのは、あの破壊の御子である。奴が何も考えずに、自分たちと「黒壁」をぶつけるわけがない。何らかの策があればこそのはず。
ピアータは慌てて首を左右へ振る。
「い、いや。しかし、この百狼隊の力は私が思った以上のものだ。それを簡単に打ち破れる策などあるはずがない。あるはずがないのだ……」
そう自分に言い聞かせはしたものの、ピアータはその背筋に冷たい汗がひとつ流れるのを感じていた。
ハーピュアンの胸の羽毛の感触をリアルに書くため、数年前に北海道のダチョウ牧場で「胸に触っちゃダメですか?」と聞いたら、「危険なのでご遠慮ください」と言われた(´・ω・`)ショボーン
きっとモフモフしていると思うんだけどなぁ。
~ネタ~
ジャハーンギル「……」
蒼馬「ジャハーンギルさんたち、最近元気ないね」
シェムル「何でもディノサウリアンは寒いのが苦手だそうだ」
蒼馬「そっか。それじゃあジャハーンギルさんたちのために、温かい服でもつくろうか。――そうだ! ダウンコートなんていいかも!」
シェムル「だうんこと?」
蒼馬「ダウンコート。鳥の柔らかい羽毛を詰めた服だよ。温かいんだよ~」
ジャハーンギル「(ピクッ! むくり。のそのそ……)」
蒼馬「軍事訓練もかねて、盛大に鴨狩りでもしようか。そうすればみんなも楽しめるね」
シェムル「それは楽しそうだな。――ところで、ジャハーンギルはどこへ行った?」
蒼馬「あれ? どこに行ったんだろう?」
(どこか遠くから)ピピ「きゃぁ~~~!!」
寝台に寝込むピピ「うぅぅ……。私はだうんじゃない。だうんじゃない……」
ピピの部下「鳥将殿は、『だうん、だうん』と言いながら胸の羽毛をむしろうとする怪物に襲われたそうです。そのショックで、寝込んでしまい……」
蒼馬&シェムル「「ごめん。本当にごめん」」
~後で鴨狩りもやりました~
ジャハーンギル「我、だうん装着!」
蒼馬「羽毛恐竜?!」




