第15話 狂言
王都ロマルニアの郊外に、ロマニア国軍の正規の兵装に身を包んだ兵たちが集められていた。
それは先頃ゴルディア王子へ反旗を翻したパルティス王子を討伐するために集められた兵である。主にロマニア国軍を中心に、そこへゴルディア王子を擁立する将軍諸侯たちの兵を合わせた、およそ六千あまりの軍勢であった。
しかし、その兵たちの顔は優れない。パルティスの非を唱え、これを反乱討伐と声高に謳ってはいるものの、所詮はロマニア国人同士の争いである。つい先日まで槍の穂先を並べていた戦友と殺し合うと思えば、兵たちばかりか彼らを率いる将校までもが顔を曇らせるのも致し方ないであろう。
そのため、出陣を前にして気勢を上げんと先程から盛んに叫ばれる声も、どこかやけっぱちに聞こえてくるのだった。
そんな声が遠くに聞こえてくる王宮の謁見の間で、座る者がいなくなった空の玉座をゴルディアはジッと見つめていた。
その目には今なき父王ドルデアの面影を映しているのだろうか。ゴルディアの表情は柔らかく、何かをやり遂げたような充足感すら湛えていたのである。
そこへ甲冑を身にまとい兜を小脇に抱えた壮年の騎士が軍靴を鳴らしてやってきた。
「ゴルディア殿下。出陣の準備が整いましてございます」
片膝をついて頭を垂れてゴルディアへそう告げたのは、討伐軍の指揮を任されたセルティウス侯爵である。
セルティウス侯爵は、ゴルディア派の筆頭とも言うべき人物だった。
ドルデア王とアウレリウスがそうであったように、ゴルディアとセルティウスもまた幼少の頃には机を並べて勉学に励み、木剣を打ち合わせて武芸を学んだ幼なじみだ。年を経て国の継承権者と国内有数の侯爵家の当主という間柄になった今なおも、ゴルディアにとっては公私ともに厚い信頼を置く、主従の関係を越えた莫逆の友であった。
「そうか。――おまえには苦労をかけるが頼むぞ」
玉座を見やったままのゴルディアの言葉に、頭を垂れたままのセルティウス侯爵の肩が小さく揺れた。
それだけでいつまで経っても返事がないのに、ゴルディアは振り返る。
「どうした? セルティウス卿」
ゴルディアの声に、セルティウスはたまらず顔を上げる。
「ゴルディア殿下! やはり思い直されては……!」
セルティウスの訴えは、しかしあくまで穏やかなゴルディアの表情を前に尻つぼみに消えていった。
「セル。これは、おまえにしか頼めぬことなのだ」
ゴルディアの言葉に、セルティウスは泣き出しそうに顔をゆがめた。
セルとは、セルティウスがいまだ公子だった頃の愛称である。すなわち主従としてではなく、友として頼むとゴルディアは言っているのだ。
「すまぬ。おまえたちが捧げてくれた忠誠に、私は泥を投げ返すようなまねをしているのは承知している。だが、私はこれがロマニア国のためと信じているのだ」
ゴルディアは「心配するな」と穏やかに微笑んで見せる。
「おまえたちが不当に扱われぬよう強く伝えてある。パルティスは、ああいう性格だ。決しておまえたちを粗略に扱うまい」
ここに来てまで自分らのことに配慮するゴルディアに、セルティウスは押さえつけていた激情に突き上げられて立ち上がる。
「我らはよろしいのです! ですが、ゴルディア殿下は――!」
しかし、再びセルティウスは言葉を失ってしまった。
ゴルディアがセルティウスへと頭を下げたのだ。
「頼む。すべてはロマニア国のためなのだ」
たとえ己に非があろうとも王族が臣下に頭を下げることなどあり得ない話だ。それだけにゴルディアの決意の固さが伝わってくる。セルティウスは唇を噛み締めると、再び片膝をついて頭を垂れる恭順の姿勢を取る。
「承知いたしました。――すべてはロマニア国。いえ、殿下の御為に」
そう言うとセルティウスは未練を断ち切るように勢いよく立ち上がると踵を返した。軍靴を音高く鳴らしながらセルティウスが謁見の間から出て行くと、ゴルディアはその目を再び空の玉座へと向ける。
「父上。ふがいない息子ではありますが、このロマニア国だけは必ずや守って見せましょう」
ゴルディアの言葉は、誰もいない謁見の間に虚しく消えていった。
それから間もなく、出陣を告げる太鼓が王都ロマルニアの空に轟いたのである。
◆◇◆◇◆
王都ロマルニアを出立したセルティウス侯爵率いる討伐軍は、パルティスがいるロマニア国西部へ向けて進軍した。
しかし、意気の上がらぬ進軍の歩みは遅い。それは西に近づけば近づくほど顕著になっていった。
本来ならば、そうした将兵らを叱咤しなければならない総大将のセルティウスであったが、彼もまた終始顔を苦渋にゆがめて固く口を閉ざすばかりである。
そのため、誰もがそのときを少しでも遅らせようとするかのように、進軍は遅々として進まなかった。
しかし、それでも終わりは訪れる。
ついにセルティウス率いる討伐軍は、パルティス派の軍勢の支配地域の手前までやってきた。そして、いよいよパルティス派の支配地域に入ろうかという前日の夜に、セルティウスは軍議を開くと言って討伐軍の主立った将軍諸侯らを呼び集めたのである。
程なくして天幕にはゴルディア派の将軍諸侯らが全員顔を揃えた。ところが、肝心のセルティウス当人の姿がない。セルティウスは用があると言い残し、どこかに行ったまままだ戻っていなかったのだ。そのため軍議が始まらずに集まった将軍諸侯らは雑談に興じるしかなかった。
「いよいよ明日。遅くとも明後日には、パルティス殿下の軍と衝突するでしょう」
将軍のひとりがそう切り出せば、別の将軍が応じる。
「敵は一万余の軍勢を集めたと聞く。正面からぶつかり合うのは得策ではありませんな」
「左様。しかも、それを率いるのがパルティス殿下とあっては厳しい戦いとなりましょう」
単純に数を比べても、パルティス派の軍勢は自分らゴルディア派のおよそ二倍近い。しかも、将兵からの人気の高いパルティス王子に率いられているだけに、その士気はこちらよりも高いだろう。また、パルティスに味方している将軍諸侯らは武闘派と呼ばれるだけあって、いずれも勇猛果敢な武将である。彼我の戦力の差は、兵数以上にあると見なければならなかった。
しかし、将軍諸侯らの顔は決して暗くない。
「だが、我が軍の兵糧の備えは十分だ。これならばやりようもあろう」
さすがは内政の手腕にかけては定評のあるゴルディアである。糧食は無論のこと武具や飼い葉に至るまで、すべての軍事物資が潤沢に用意されていた。また、それらを運搬する牛や馬や荷車の手配も抜かりなく、それこそ今の倍以上の軍勢であろうと長期にわたって支え続けられるという用意の良さだ。
兵力ではパルティス派に劣っているものの、物資とその補給に関しては自分らの方が圧倒的に勝っている。
これならば無理に正面から戦うよりかは城や砦を使って持久戦に持ち込めば、いつしかパルティスの方が先に音を上げるであろう。
そう提言する将軍に他の者たちもまた賛意を示したのである。
そこに入り口を覆っていた掛け布を腕で払い退け、セルティウスが天幕に入ってきた。セルティウスは天幕の中をぐるりと見回して全員がそろっているのを確認してから口を開く。
「諸卿ら、待たせてしまって申し訳なかった」
そう遅参を詫びるセルティウスに、将軍諸侯らは訝しげな顔になった。
セルティウスの形相は、まさに鬼気迫るような苦渋に満ちあふれていたのである。
ゴルディア派の将軍諸侯らも、ここに来るまでの行軍の間に尋常ならないセルティウスの態度を気にしてはいた。だが、いくらこちらより優勢な敵を前にしたとは言え、これはさすが異常である。
「如何された、セルティウス卿?」
心配げな顔で声をかける将軍を無視し、セルティウスは自分が入ってきた天幕の入り口へと振り返る。
「どうぞ、お入り下さい」
その声に応えて、入り口の掛け布が外側から払いのけられる。
そのとたん、将軍諸侯らは驚愕の表情を浮かべた。
しばらく呆けたように口を開いていた将軍諸侯たちだったが、我に返ると異口同音に声を上げる。
「「パ、パルティス殿下っ?!」」
その声に鷹揚にうなずいて見せたのは、間違いなくパルティス王子その人だった。
思わず片膝をついて恭順の姿勢を取ろうとした将軍諸侯たちだったが、自分らがパルティス王子の討伐に来たのを思い出し、中途半端な中腰のまま固まってしまう。
そんな将軍諸侯らの前で、パルティスに続いてパルティス派の将軍諸侯たちと、さらにはピアータ姫までもがぞろぞろと天幕に入ってきた。
「パルティス殿下、こちらへ」
本来ならばセルティウスが討伐軍の総大将として自身が立つべき天幕の一番奥へとパルティスを誘うのに、ゴルディア派の将軍諸侯が声を上げる。
「セルティウス卿! 貴公、ゴルディア殿下を裏切るかっ?!」
「まさか、反逆者に荷担するおつもりか?!」
口々に批難の声を上げるゴルディア派の将軍諸侯に、セルティウスは鬼の形相で吠えた。
「黙れっ!」
まさに火を吐くような叱責の声である。しかも、その中に感じられた痛切な想いに、ゴルディア派の将軍諸侯らは口を閉ざさざるを得なかった。
そんな将軍諸侯らを前に、セルティウスは血を吐くような声を上げる。
「これはすべてゴルディア殿下の御差配によるものぞっ!」
ゴルディア派の将軍諸侯らは驚愕のあまり、またもや言葉を失う。
そんな彼らに向けて、パルティスは「まことだ」とセルティウスの言を認めた。
「私と兄上との対立は、すべては憎きエルドア国を欺かんがための狂言である!」
しかし、如何にパルティスの言葉とはいえ、ゴルディア派の将軍諸侯らはにわかには信じられなかった。何しろ国を割っての王位継承権争いをして見せたのである。いくら狂言でしたと言われても、はいそうですかと納得できるものではない。
それにパルティスもまた、そうであろうと将軍諸侯らの困惑を認めた。
「諸卿らが困惑するのも無理はない。されど、そうせざるを得ないと兄上は判断なされたのだ」
パルティスは天幕の中央に置かれた机の上に広げられる地図に描かれたラビアン河を指し示した。
「征西の最初の難関は、如何にしてこのラビアン河を渡るかである」
ゴルディア派の将軍諸侯らもパルティスの言を認めざるを得なかった。
ロマニア国がその国力においてホルメア国を上回っていながらも、長きにわたり征西に失敗し続けたのは、ラビアン河という難攻不落の大河が眼前に横たわっていたからに他ならない。
この大河こそが征西の最初の関門と言っても過言ではなかった。
パルティスの指がラビアン河を横断するように地図の上を滑り、対岸に描かれた砦の絵へと移る。
「先の征西において対岸のマサルカ関門砦を得た今ならば渡河も容易である。されど、我が国が征西の意図をもって動けば、エルドア国は必ずや我らの渡河より先んじてマサルカ関門砦へと攻め寄せてくるであろう」
今はロマニア国を刺激しないようにマサルカ関門砦を遠巻きにして静観しているエルドア国だが、ロマニア国が征西の意図を見せれば、その橋頭堡たるマサルカ関門砦を奪うべく攻め寄せてくるのは当然であった。
そうなったとき、ラビアン河を挟んだ対岸の敵地のど真ん中にある飛び地にすぎないマサルカ関門砦を守り抜くのは難しい。また、そうだからこそ講和の条件とはいえエルドア国側もマサルカ関門砦の割譲を認めたのであろう。
「マサルカ関門砦を奪われれば、我らは三年より前の状況に戻されてしまう。そうならぬためにも、エルドア国に気づかれぬように征西の準備を整え、大軍をもって一挙に渡河を行わねばならないのだ」
「つまりは、そのための狂言であったと?」
ゴルディア派の将軍のひとりが洩らした言葉に、パルティスは力強くうなずいて見せた。
「そうだ! エルドア国の破壊の御子は、その権謀術数によって大国ホルメアを滅ぼし、我らがロマニアの先の征西を阻んだ狡猾な王である。その破壊の御子の目を欺くためには、まずはロマニア国すべてを欺かねばならぬ! そう考えられた兄上の策である!」
パルティスは、そう断言した。




