第3話 パルティス王子
王都ロマルニアの王宮にある神殿。
その祭壇の上には、亡くなったばかりのドルデア王の遺体が横たえられていた。
周囲を美しい花々に取り囲まれ、純白の薄い布一枚を胸までかけたドルデア王の遺体は、これよりひと月に渡っての盛大な国葬を執り行った後に、歴代のロマニア国王たちが眠る王墓へと埋葬されるのだ。
長期の国葬に備え、すでにドルデア王の遺体は神官らの手によって防腐処置が施されていた。腹部に小さな穴を空け、そこから腐りやすい内臓や血を引き抜いた後、その代わりに塩や石灰が詰め込まれている。さらに、それでも防げない腐敗による臭気に備え、祭壇の周囲には強い香気を漂わせる香炉がいくつも配置されていた。
そうした腐敗に対する備えばかりではない。血色を失い、潤いをなくしたドルデア王の遺体の肌には香油を擦り込んだ上で死に化粧を施し、仮初めの色艶と血色を取り戻していた。そのため、ドルデア王の遺体は、あたかも安らかに眠っているだけのようにしか見えない。今にも穏やかな寝息が聞こえてきそうな、そんな状態である。
そのドルデア王の遺体の前で、半ば喪神したように立ち尽くすのは、ゴルディア王子であった。
その胸に去来するのは、父王ドルデアへの複雑な想いである。
ゴルディアにとって、ドルデア王は厳格すぎる父親であった。ゴルディアの言動ばかりか一挙手一投足にいたるまで目を光らせ、指ひとつでも王らしからぬ動きをすれば烈火のごとく怒り、叱責を浴びせかけてきたものだ。
かつてはそんな父王を恐れ、そして憎んだことすらある。父王ドルデアは、ゴルディアにとって常に自分へ重圧をかける重く冷たい鉄の塊のような存在であった。
しかし、そんな父親が亡くなったのにゴルディアは解放感どころか、自身の根底がすっぱりと消え失せたような喪失感を覚えていた。
王とは国の威信すべてを背負う存在である。その過ちひとつが国の浮沈に関わり、ときには数千数万の民を犠牲にしてしまう。
王の補佐として父王ドルデアの姿を間近にしていくうちに、そうした王の責務の大きさを肌でひしひしと感じるようになった。それにともない父王の厳格すぎると思っていた指導も、自身が背負う重責を受け継がねばならない息子への期待と不安の現れだったのだろうと思うようになっていたのである。
しかし、そう思ってはいても、どうしても胸中に恨み言が洩れ出てしまう。
「せめて、わずかなりとも意識を取り戻され、御遺志を残してもらいたかったと言うのに……」
これより起こるであろう国の混乱を思い、ゴルディアは暗澹とした気持ちになった。
父王ドルデアが自身の後継を明確にしていなかったために、あくまでゴルディアは複数いる王位継承権者の筆頭に過ぎない。しかも、先の征西におけるガッツェンの街退去時の行動が将軍諸侯らの顰蹙を買い、今やその筆頭の地位すら危ぶまれている始末だ。
それだけでも頭が痛い問題だというのに、そこへきて国の柱石たるダライオス大将軍とブルーセス侍従長の両名の死である。
それを報せてきたモンティウス宰相と同様に、ゴルディアも「この国は呪われているのか?」と思わず嘆いたものだ。
すでにブルーセス侍従長の屋敷が火災に遭ったのは周知の事実である。それを隠すことができないため、ブルーセス侍従長の死は表向きには自ら屋敷に火を放ってのドルデア王への殉死と公表していた。
しかし、その直前に義父であるダライオス大将軍が何者かの手によって暗殺されている。それを考慮すれば、ブルーセス侍従長の死もその疑いが強いとゴルディアは考えていた。
また、暗殺されたダライオス大将軍の死はしばらく伏せておき、大将軍はドルデア王崩御の心痛から病を発し、床に伏していることにしている。
父王と侍従長が相次いで亡くなったところに、さらに大将軍まで死んだとあってはロマニア国が揺るぎかねないからだ。妻とその実家には申し訳ないが、国が落ち着いたのを見計らってから、病死として死を公表する手筈となっていた。
もちろん、卑劣な暗殺者たちを見逃すつもりはない。
すでにモンティウス宰相に命じて、両名を殺害した暗殺者の捜索を行わせている。
しかし、ことがことだけにそれを公にできないため、その捜索は難航するだろうことは想像に難くなかった。
自分を我が子のように慈しんでくれたブルーセス侍従長と、義父であり個人的にも大恩があるダライオス大将軍の両名の仇を討つよりも、国の安定を優先させる。
ゴルディアはそれが王子として最善の判断とは理解しつつも、自身の不甲斐なさを笑わずにはいられなかった。
自嘲を浮かべていたゴルディアの唇が、一瞬固く引き結ばれる。
「……エルドア国か」
ゴルディアは、モンティウス宰相よりダライオス大将軍の遺体にゾアンの山刀が突き立っていたという報告を内々に受けていた。
しかし、ゴルディアもモンティウス宰相と同じく、それだけをもってエルドア国の仕業とは思ってはいない。
この三年の間にあった幾度もの交渉を通じて、ゴルディアも破壊の御子のおおよその為人は掴んでいる。
基本的に破壊の御子は領土拡張の野心は持っていない。破壊の御子がホルメア国を征服したのも、あくまで自衛のためである。ホルメア国が侵略の意図さえ見せなければ、おそらくは今なおも破壊の御子はソルビアント平原に引きこもっていたであろう。
そこでゴルディアは、今は亡きホルメア国王ワリウスに「まったく余計なことをしてくれたものだ」と苛立ちすら覚えた。
また、仮にロマニア国侵略を目論んだとしても、臆病な程に慎重を期す破壊の御子ならば、それはエルドア国の力がロマニア国を圧倒したときである。
しかし、今の両国の力は拮抗している――先のホルメア戦役において戦場であり、もっとも被害が大きかったホルメア国を併呑し、今なおも復興に注力していることを考慮すれば、ややロマニア国側が優勢というところだ。
そんな状況にあって、エルドア国への報復を叫ぶ将軍諸侯らを押さえている自分の後見であったダライオス大将軍を暗殺するとは考えられない。
むしろロマニア国とエルドア国の確執を煽るために残された偽の証拠だという見方が正しいとゴルディアは考えていた。
しかし、それもまた推測に過ぎない。
ダライオス大将軍の死とそこへ残されていたゾアンの山刀の存在が洩れれば、必ずやエルドア国への報復を叫ぶ将軍諸侯らの突き上げが、さらに激しくなるだろう。そして、ゴルディアにはそんな彼らを思い止まらせるだけの示せる根拠を持ち合わせていなかった。
自分へと詰め寄る将軍諸侯らの姿を思い浮かべ、ゴルディアは深い嘆息を洩らした。
これよりロマニア国はどうなるのだろうか?
父親の遺体を前に、そうして国の行く末を憂えていたゴルディアの耳に、神殿の静謐な雰囲気を打ち破るような喧噪が飛び込んできた。
「父上ぇー!!」
野太い大声を張り上げたのは、簡易の鎧の上に旅塵にまみれたままの外套をはおった男性であった。滂沱と溢れる涙を拭いもしないその男の顔は、ゴルディアと似通った顔立ちながらも野性味を感じさせる無骨なものである。
その男の姿に、ゴルディアはぽつりと洩らす。
「パルティスか……」
その男は、ロマニア国第二王子パルティスであった。
パルティスは王子でありながら、国軍を率いる将軍でもある。普段はロマニア国東部で八王諸国連合の動きに目を光らせ、国境を固めているパルティスだったが、ドルデア王の容態が思わしくなくなったのに、兄のゴルディア王子がひそかに王都へ呼び寄せていたのだ。
よほど大慌てで王都にやってきたのだろう。旅装も解かぬまま神殿にやってきたパルティスは、兄のゴルディアの姿も目に入らぬ様子で脇を駆け抜け、祭壇の上に寝かされた父王の遺体にすがりつくと人目もはばからず号泣し始めた。
「父上ぇー! なぜ、なぜお亡くなりになられたのです! ああ! 私は何という親不孝者だ! もっと早く馬を走らせていれば! もっと早く駆けていれば、父上の死に目に間に合ったやも知れぬのに! 父上! 父上! このパルティスをお許し下さい! うあぁぁぁー!」
四十歳を超えたパルティスでは醜態とも言うべき行動だったが、その場に居合わせた多くの将軍諸侯たちの目には「おいたわしや」という同情の念が溢れていた。
これにゴルディアは、ひそかに嘆息を洩らした。
パルティスの醜態が将軍諸侯らの歓心を得るための演技であればゴルディアも「よくやるものだ」と感心しただろう。
ところが、このパルティスの言動はまぎれもなく素のものなのである。
このパルティスは、良くも悪くも素直な人間であった。場所や状況を考慮せず、泣きたければ泣き、喜びたければ喜び、笑いたければ笑い、そして怒りたければ怒る。己の感情をありのままに表に出す人間なのだ。
王宮に渦巻く権謀術数のただ中に立つ王族には似つかわしくない、このパルティスの気質に、生前のドルデア王も「王宮で飼い殺しになるより、野で自由にさせた方が良いだろう」と、あえて東部の国軍のところへ行かせていたぐらいである。
また、このパルティスの為人を物語る有名な逸話があった。
それは、パルティスがドルデア王の命により国内を荒らす大規模な野盗の討伐をしたときの話である。
野盗たちはただ人数が多いだけではなく、それ以上に狡猾であった。至るところに手下たちを忍び込ませて討伐軍の裏を掻き、その姿すらようとして掴ませなかったのである。
そのため、国軍の精鋭と言えどもなかなか野盗たちを捕捉できず、パルティスたちは大いに苦労した。
そうして探せども一向に野盗たちの影すら見つけられずに無為な日が何日か続いた、ある日のことである。
その日の探索を諦めたパルティスが、野営を張って翌日の探索に備えて寝ようとしていたときであった。
たまたま本隊からはぐれ、道に迷っていた兵士が偶然にも野盗たちが夜陰に乗じて遠くに逃げようとしているところを目撃したと野営地に飛び込んできたのである。
この報せを聞いたパルティスは寝所から飛び起きた。そして、何の躊躇もなく自ら槍を手にして愛馬に跨がると「我に続け!」と一声叫ぶなり、わずかな従者だけを引き連れて駆け出したのである。
これに将兵らは大いに慌てた。
護衛もつけずに野盗を討ちに行ったパルティスが、万が一にも返り討たれでもしたら一大事である。たとえ後から野盗を討ち果たしても将兵らの面目は丸つぶれになってしまう。それどころか、ドルデア王に死をもって償わされる可能性が高い。
誰も彼もが泡を食ってパルティスを追いかけた。
そうしてようやく追いついてみると、すでにパルティスはわずかな従者たちとともに野盗たちへと斬り込み、縦横無尽に槍を振るっていたのである。しかも、この予想外の奇襲に野盗たちも大混乱に陥っていた。
これぞ好機とみた将軍らも、パルティス殿下に続けとばかりに突撃し、多くの野盗たちを討ち取り、捕縛したのである。
その後、調べてみるとまさに野盗たちは夜陰に紛れて高飛びしようとしていたところであった。もし、パルティスが強襲を仕掛けなければ取り逃がしていたかも知れなかったのである。
しかし、いかに急を要したとはいえ王子たる者がわずかな手勢だけで敵に斬り込むなど、もっての外。その軽挙妄動を諫めようとした将軍たちは、パルティスの姿を改めてみて驚いた。
何とパルティスは寝間着のままだったのである。
鎧すら着けずに野盗へと斬り込んだパルティスに、何と無茶なことをされると将軍らが諫めたのも当然であった。
すると、パルティスはやにわに自分の身体を手でまさぐってから、こう言った。
「しまった! 鎧を着けるのをすっかり忘れていた」と。
何ともおっちょこちょいな王子である。
ところが、このパルティスは国軍の将軍や諸侯からは絶大な人気を誇っていた。
身分のある将軍や諸侯といえども、戦いとなれば部隊の指揮官として時には自ら前線に出て敵と斬り結ばねばならない時代である。そうした戦場で白刃の下に己が命を晒す者たちが信頼するのは、はるか後方で的確な指示を出す人ではない。たとえ馬鹿でも一緒に危険を冒してくれる人なのだ。
そして、自身の感情を素直に表現するパルティスの気質は、策を卑怯なものとし、己の武勇で戦局を切り開くのを尊ぶ武人たちが好むものであった。また、パルティスの拙速とも言える行動の速さも、刻一刻と移ろう戦況の中で即断即決を求められる武将の素質とも言える。
そのため、多くの将軍や諸侯らがパルティスを愛おしみ、そのおっちょこちょいなところまで愛でていたのである。
そんな弟をゴルディアはうらやましく思っていた。
パルティスの人望は、ゴルディアにとっては望んでも得られないものである。また、早くも今後の国の行く末ばかり案じている自分に比べ、ただ父王の死を心の底から嘆ける弟の素直さは、ゴルディアにとってまぶしくすらあった。
そんな想いでゴルディアが見つめていると、その嘆きぶりを見るに見かねた様子で義父であるモンティウス宰相がパルティスのところへやってきた。モンティウス宰相は励ますように声をかけてから、まともに立つこともできないパルティスに肩を貸して立ち上がらせる。
その光景を何とはなしに眺めていたゴルディアだったが、今も泣きじゃくるパルティスを神殿の外へと連れて行くモンティウス宰相と不意に目が合った。
すると、モンティウス宰相は表情をこわばらせて目を背ける。
それにゴルディアは、はてと首をかしげた。
モンティウス宰相とは父王が人事不省となってからは、ともに力を合わせてロマニア国の政務を回していた仲である。王子と臣下という立場の違えはあれど、気心の知れた仲といっても過言ではない。
それがあのように怯えたように目を背けられるとは思いもしなかった。
しかし、すぐにゴルディアは、それも仕方ないと納得する。
父王ドルデアが崩御したことにより、これより自分と弟パルティスの間で王位を巡る争いが始まるだろう。そのときモンティウス宰相は義父としてパルティスに加勢しなければならない。昨日まで互いに手を取り合って政務を回していた自分の手前、それに罪悪感を抱いているのだろう。
そう考えたゴルディアは、これからのロマニア国の混迷を思い、深いため息をついたのである。
◆◇◆◇◆
この日、ロマニア国王宮から正式にドルデア王の崩御が告げられた。
この老いたずるがしこい狼と評されたドルデア王の死の報せは、瞬く間にロマニア国内ばかりか隣国、そして西域全土へと伝わっていくのである。
そして、それは当然、隣国のエルドアの若き王のところへも届けられた。
「ドルデア王が亡くなったって?」
この西域では珍しい黒髪の若い王は驚きの声を上げた。それからすぐに我に返ると、自分の傍らに控えるゾアンの娘へと声をかける。
「急いでみんなを集めて。すぐに対策を考えなくっちゃ」
「わかった。すぐに皆を集めてこよう!」
そう言うとゾアンの娘――王佐たるファグル・ガルグズ・シェムルは皆を集めるために四つ足となって駆け出して行った。
駆け去る自分の王佐の後ろ姿を見やっていた若き王だったが、その姿が見えなくなると、視線を東の空へと向ける。
「……嫌な予感がする」
この時、一陣の風が吹き抜け、若き王の前髪をもてあそんだ。
そうしてあらわになった若い王の額に刻まれていたのは、数字の8と∞を重ね合わせたようでもあり、まるで二匹の蛇が身体を絡ませ、互いの尻尾に食らいつき、のたうつようにも見える、不気味な刻印であった
それは死と破壊の女神アウラの刻印である。
そして、このセルデアス大陸においてアウラの刻印を持つ者は、ただひとり。
「また戦いになるのか……?」
このとき、弱冠二十四歳。エルドア国の王となった木崎蒼馬の新たな戦いが始まろうとしていた。




