第2話 遺書
「いったい、何の騒ぎだ?!」
ロマニア国宰相モンティウスは、屋敷の門前の騒ぎを聞きつけて声を張り上げた。
ドルデア王崩御を報せる七点鐘を聞き、急ぎ登城すべく準備を整えていたところである。これより王城へと向かわねばならないというのに、それを妨げるような騒ぎにモンティウスは苛立った。
「ご主人様。実は、この者が火急の用と申しておりまして」
ところが、屋敷の門衛が連れてきた若者の姿に、モンティウスの苛立ちは不審に取って代わられた。
若者の身なりは飾り気が少ないが、庶民では望めない立派な仕立ての衣服である。家名を示す紋章などがないところから、どこぞの貴族の従者のようであった。だが、今やその立派な衣服は土と泥にまみれているばかりか、当人の額からは赤い血まで垂れている。
何か異常事態が起きたと察したモンティウスは、侍従らを下がらせると男へ直接に尋ねた。
「今は陛下が崩御なされたばかりの大変な時ぞ。速やかに用件を述べよ!」
すると、若者はいかにも必死に駆けてきたばかりというように荒い息づかいの中で答える。
「わ、私はダライオス大将軍閣下の従者にございます」
そこで若者は、その場でガバッと地面に平伏した。
「宰相閣下! 何卒、ご助力を! こちらのお屋敷に向かう途中で、大将軍閣下が怪しい者たちの襲撃を受けたのでございます!」
「な、なんと……!」
モンティウスは異常事態とは覚悟していたが、その覚悟を上回る予想外の事態に驚愕した。
「して、ダライオス大将軍殿はいかがした?!」
若い従者は懐から大事そうに木箱を取り出すと、それをモンティウスへ差し出した。
「ダライオス大将軍閣下は、これだけは奪われてはならない。何としてでも宰相閣下にお届けしろと私めにこれを預けると、敵の囲みを破って私だけを逃がした後に、ご自身は敵を食い止められるために残られたのでございます! 今も大将軍閣下は怪しい者と戦っておられます! 何卒、ご助力を!」
若者が額を地面にすりつけて懇願するのに、モンティウスは決断する。
「これは一大事である! ――急ぎ手勢を集めて、大将軍閣下の救出に向かうぞ!」
ドルデア王が崩御したときは、宰相は何事も差し置いて登城する決まりである。しかし、ことが国の武の主柱たる大将軍への襲撃とあっては、捨てては置けない。
モンティウスは若者の差し出した木箱をとりあえず自分の従者に預けると、若者を案内に立てて騎士たちを引き連れ、ダライオス救出へと向かった。
「なんたることだ……」
襲撃現場に到着したモンティウスは、愕然とそう洩らした。
路上の真ん中には、見間違えようもないダライオスの隻腕の巨体が地面にどす黒い染みを広げながら横たわっていたのだ。流れ出た血の量と、その中で微塵も動かぬ様子を見れば、すでにその肉体からは命の灯火が消え失せているのを確かめるまでもなかった。
ダライオスの遺体にすがりつき、大きな声で泣き叫ぶ若者を見やりながら、モンティウスは茫然としてしまう。
ドルデア王が崩御して、まだ半日と経っていないというのに、今度はロマニア国の武の要とも言うべき大将軍ダライオスが何者かによって暗殺されたのである。
モンティウスは、あたかも大地が崩れ落ちるような衝撃を受けていた。
「宰相閣下。これが大将軍閣下の遺体に突き立っておりました」
モンティウスが茫然としている間にも実況見分を行っていた騎士のひとりが何かを差し出した。
「こ、これは……?!」
差し出されたものにモンティウスは嫌悪の声を洩らした。
それは独特の反りを持つ山刀である。
このような特徴的な武器を使うのは、この西域ではエルドア国のゾアン以外にはあり得ない。
亜人どもの仕業か、とモンティウスは憤慨した。
だが、すぐにモンティウスは冷静さを取り戻すため頭を小さく左右に振るう。
ロマニア国の中枢たる王都ロマルニアにまでゾアンが潜入して大将軍を暗殺したとは、あまりにできすぎた話だ。それに、これ見よがしにゾアンの山刀が残されていたのも怪しい。ゾアンとエルドア国の仕業に見せかけた怨恨によるものか、まったく別の国の仕業やも知れない。
いや。単純に、エルドア国の示威行為という可能性もある。
モンティウスは様々な可能性を推測するが、手の内にあるのは本物かどうかすらわからないゾアンの山刀一振りのみ。これだけでは確信を得るには、あまりに不足である。
しかし、そう思ってはいても、確たる証拠として残されたゾアンの山刀の存在は無視できない。
エルドア国に大将軍暗殺の濡れ衣を着せるための陰謀の可能性を考慮する自分ですらそう思うのだから、これが血の気の多い連中に知られれば間違いなくエルドア国の凶行だと決めつけ、血気に逸らないとも限らなかった。
「皆の者。このことは他言無用だ。もし、外に洩れるようなことがあれば、それが誰によるものであれ、この場にいる全員を処罰する。――よいな?」
早くもこれをエルドア国の仕業と決めつけ、それをなぜ隠す必要があるのかと不審の目を向ける騎士たちへ、モンティウスはさらに念を押して他言せぬように言いつけた。
それからモンティウスは、今なおダライオスの遺骸にすがりつき、すすり泣く若者に声をかける。
「大将軍殿を救えず、辛かろう。私も力が及ばず無念である。――しかし、なぜ大将軍殿は私の屋敷に来られようとしたのか?」
それがモンティウスには不思議でならなかった。
お互いに大将軍と宰相という国の重職にある身である。ドルデア王が崩御されたときには、何をも差し置いて、まずは登城して国の安定に努めなければならない決まりだった。だからこそ王城に行けば程なく顔を合わせられるというのに、こうして相手の屋敷にわざわざ出向く必要はない。
「従者に過ぎない私にはわかりかねます」
涙を拭いながら若者は答える。
「ただ、先程お渡ししました木箱をお持ちになり、宰相閣下と登城前に協議したいことがあるとおっしゃっておられました」
それにモンティウスは、この若者から渡された木箱の存在を思い出した。すぐに自分の従者を呼び寄せると、預けておいた木箱を持ってこさせる。そして、その場で封を切って箱の蓋を取ったモンティウスは、ギョッと目を剥いた。
「こ、これは……?!」
次の瞬間、モンティウスはこの世すべての災厄が詰め込まれた箱を開けてしまったかのように、血相を変えて木箱の蓋を閉じた。そのあまりの反応に驚く自分の従者の様子にも気づく余裕もなくモンティウスは若者を問いただす。
「お、おまえはこれに何が入っていたか聞いているか?」
「いえ。大事な預かり物だとしか」
若者が頭を左右に振って答えるのに、モンティウスはホッと安堵した。
「そ、そうか……!」
安堵したことでわずかに生まれた余裕に、これまでの自分の反応に気づいたモンティウスは慌てて表情を改める。そして、その場を取り繕うように咳払いをひとつした。
「いや。これは私が大将軍殿にお預けしていたもの。まさか、これを私に返すために命を落とされてしまうとは申し訳なかった」
そう言うとモンティウスは騎士と従者へ、若者とともにダライオスとその騎士たちの遺体を人目に触れぬようにダライオスの屋敷へ送り届けるように命じた。そして、自身はわずかな護衛とともに、いったん自分の屋敷へと戻ったのである。
屋敷に戻ったモンティウスは、しばらくは誰も近づくなと固く言い伝えてから自分の書斎に引きこもってしまった。
扉に厳重に鍵をかけ、窓もすべて窓板を下ろして書斎を密室にしたモンティウスは、さらに書斎の中をひっくり返す。寝台の下や天井裏、書棚の陰、果ては人が入れるはずもない大きさの壺の中まで覗き込んで書斎の中に自分以外の者が誰もいないのを確認してから、モンティウスは若者から渡された箱を開いた。
箱の中に入っていたのは、紫色の房でまとめられた一巻の羊皮紙である。
モンティウスは、ごくりっと唾を飲んだ。
それからモンティウスは、机の引き出しの鍵を開けると中から小さな手文庫を取り出した。そして、震える指先で手文庫の封を剥がしたモンティウスは、あたかも爆発物でも扱っているような慎重な手つきで手文庫の蓋を開ける。
手文庫の中にあったのは、ダライオスの持っていたのとまったく同じ紫色の房でまとめられた一巻の羊皮紙であった。
モンティウスは二巻の羊皮紙を並べて開くと、中身を確かめる。
「……間違いない。これは陛下のご遺書だ」
モンティウスは震える声で、そう洩らした。
西域統一の夢を追い続け、年老いてなお玉座に座り続けていたドルデア王だったが、やはり自らの老いを懸念していた。
そこで自らの死に備えてまったく同じ内容の遺書を三巻用意し、それぞれをダライオス大将軍とブルーセス侍従長、そして宰相であるモンティウスに預けていたのである。もし自分が急逝するようなことがあれば、これを自分の遺志として公表し、三人で遺志を遂行するようにという保険であった。
その遺書の中で、真っ先に書かれているのはゴルディア王子に王位を継承させ、すべての臣下は新王ゴルディアへ忠誠を尽くすべしという一文である。
それから遺書はいくつかの重要な事項に続いて、ゴルディア王子以外の王族の処遇について言及されていく。
その中にあるゴルディア王子に次ぐ第二王位継承権者パルティス王子を大公として臣籍に下すという一文に、モンティウスの目許がわずかに引きつった。
このパルティス王子の正妻は、モンティウスの娘である。つまりモンティウスは、パルティス王子の義理の父親であるのだ。
官僚気質のゴルディアに、ロマニア国の武の要である大将軍ダライオスの娘を妻とさせたように、武将気質のパルティスには宰相モンティウスの娘を妻とさせ、文武のバランスを図ろうとしたドルデア王の采配によるものであった。
第一王位継承権者であるゴルディアが健在である限りはあり得ないとは思いつつも、自身が王の義父となるという淡い夢。それを完全に潰えさせる内容に、改めてモンティウスは落胆のため息を洩らした。
そこへ扉を荒々しく叩く音がした。
「な、な、な、な、何事だ?! ここにはしばらく近寄るなと命じたはずだぞ!」
慌てて遺書を引き出しにしまい込みながら声を張り上げると、扉越しに返ってきたのは侍従の声である。
「宰相閣下! 一大事にございます!」
何が一大事なものか。
モンティウスは、そう胸の内で吐き捨てた。
ドルデア王崩御に続いて大将軍ダライオスが暗殺されたのだ。これ以上の大事があるはずがない。
しかし、次の侍従の言葉に、モンティウスは声にならない悲鳴を上げることになる。
「ブルーセス侍従長様のお屋敷から火の手が上がったそうにございます!」
◆◇◆◇◆
翌朝、ようやく火が消し止められた侍従長の屋敷の焼け跡に、モンティウスは呆然とした様子でたたずんでいた。
温厚篤実で知られたブルーセス侍従長の人柄を表すように、華美ではないがしっかりとした造りであった屋敷も無残に焼け落ち、今や焼け焦げた瓦礫の山と成り果ててしまっている。いまだ焼け焦げた木材からは白い煙が上がり、辺りにはきな臭い空気が立ちこめていた。
屋敷の主人であったブルーセス侍従長の消息は不明である。
ここ最近は、ドルデア王の容態が思わしくなかったため、ブルーセス侍従長は意識が戻らぬ王に昼夜を問わず付き添い、その最期を看取るために寝所の隣室で寝泊まりしていた。だが、その勤めを果たし終えたため大将軍や宰相が登城してくる前に身なりを整えたいと言い、いったん屋敷に下がっていたところへ火の手が上がったらしい。
そして、燃え落ちた屋敷の書斎があった辺りから、良く似た背格好の男性の焼死体がひとつ見つかっていた。
おそらくはそれがブルーセス侍従長なのだろう。
モンティウスは暗澹とした面持ちのまま、空を見上げた。
ドルデア王とダライオス大将軍に続いて、今度はブルーセス侍従長の事故とも殉死ともつかない火災による焼死である。思わずロマニア国は呪われたのかと嘆かざるを得ない。
しかし、いつまでも嘆いてばかりはいられない。
ただでさえドルデア王の崩御に王宮がてんやわんやとなっているところに、王宮で働く者たちを取り仕切っていたブルーセス侍従長が亡くなったのである。侍従や女官らは何をすれば良いかわからず右往左往し、これに重臣や女官長などからは、モンティウスに王宮へ速やかに上がってもらい事態の終息に当たって欲しいと矢の催促が届けられているのだ。
だが、このまま火事場のきな臭さが染みついた衣服で登城するわけにはいかない。
そう思ったモンティウスは、いったん自分の屋敷に戻ったのである。
侍従が用意した濡れた布で手や顔を拭い、宰相の服に袖を通して登城の準備をしていくうちに、モンティウスの気もだいぶ落ち着いてきた。
今やロマニア国はいまだかってない危難の時である。
これを乗り越えるためにも、急ぎゴルディア殿下にお会いして亡き陛下のご遺命をお伝えせねばならない。そして、ゴルディア王子には速やかに即位していただき、新王の名のもとで諸侯をまとめ、一刻も早く国を安んじるのだ。
そう思ったモンティウスは遺書の入った手文庫を引っ掴むと、登城するため書斎を出ようとした。
ところが、扉を前にしてモンティウスの足が止まる。
モンティウスは手の平にじっとりとした汗がにじむのを感じながら、その手にした手文庫を見下ろした。
このドルデア王のご遺書を公にすれば、当然ゴルディア王子がロマニア国の次の王となる。そして、義理の息子である第二王子のパルティス王子は臣籍へと降らなければならなくなってしまう。
しかし、先のガッツェンの街における退去の騒動以降、ゴルディア王子の評判はすこぶる悪い。今やロマニア国宮廷ではパルティス王子を推す勢力が優勢で、パルティス王子こそを王へという声さえ聞かれる。
そこへきて、ここでゴルディア王子の後見であったダライオス大将軍が亡くなった影響は大きい。戦神と讃えられ、末端の兵士にいたるまで羨望するダライオス大将軍が後見だからこそゴルディア王子を支持していた者たちも多いのだ。ダライオスの死によって、そうした者たちのうちから少なからぬ人がゴルディア王子支持から離れていくだろう。
そうなればパルティス王子がゴルディア王子になりかわって、このロマニア国の国王になるのも夢ではない!
手文庫から取り出した二巻の遺書を両手にそれぞれ持ち、それを見つめるモンティウスの目が、狂おしい色に染まる。
このとき、モンティウスの心に悪魔がささやいた。
「もし、これがなければ……」
モンティウスの目が、書斎の壁にある暖炉へとそそがれる。
暖炉の中では、火が赤々と燃えていた。その火に誘われたモンティウスは、まるで海に出没するという女妖魔の歌声に魅入られた船乗りのように半ば放心したまま暖炉の前に立った。
これから自分が犯す大罪への恐れか、それとも未来に手にするであろう栄達への興奮ゆえか、全身をおこりのように震わせながらモンティウスはしばらく固まったように動かなかった。
「え、えいっ!」
自分を鼓舞するようなかけ声とともに、ついにモンティウスは二巻の遺書を暖炉の火へと投じた。
しばし暖炉の火に抵抗していた羊皮紙であったが、わずかに黒く焦げてきたかと思うと、それから一気に全体が燃え上がる。モンティウスが見つめる前で、二巻の遺書は瞬く間に真っ黒な炭へと変わってしまった。
モンティウスは遺書だった炭を火かき棒でみじんに砕いてしまう。さらにそれを暖炉の灰と混ぜた上で、召使いに命じて暖炉の灰をすべて裏庭に埋めるように指示した。
そして、自身はその場から逃げるように王宮へと登城したのである。
しかし、このときモンティウスは知らなかった。
自分が灰を埋めるように命じた召使いが、裏庭で人目をはばかりながら灰の中から数本の金属の針を見つけ出していたことを。
その針はダライオスが所有していた遺書にこっそりと打ち込まれていたものであるということを。
その召使いが焼け焦げた紫色の房をひとつ、灰とともに土の中に埋めたことを。
そして、その召使いも立ち去り、誰もいなくなったモンティウスの屋敷の裏庭では、茂みから一匹の小さな蛇が這い出してきた。その蛇は、愚かな人間を嘲笑うかのように、舌をちろちろと動かすのであった。




