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破壊の御子  作者: 無銘工房
建国の章
321/533

閑話 解き放たれた悪魔-4

「またかぁっ?!」

 エルドア王宮に蒼馬の怒声が轟いた。

 王が絶対権力者とされるこの時代においては、温厚どころか柔弱と言われても良いぐらい人が良い蒼馬だ。そんな蒼馬が声を荒げることなど滅多にない珍事である。王宮に仕える者たちの多くが、まず自分の耳を疑ったのも当然であろう。

 しかし、蒼馬が怒鳴るのも無理はなかった。

 またもやソロンが騒動を起こしたという報せが飛び込んできたのである。

 最近は、「こんなこともあろうかと思いました」とエラディアが執政を補助できるよう教育しておいたエルフの女官数名をつけてくれたおかげで、多少は蒼馬の負担も軽減していた。

 この配慮には、蒼馬は思わずエラディアの足許で拝礼したくなったほどである。

 だが、エルフの女官らが肩代わりできる政務は決して多くはない。男尊女卑や異種族への偏見がいまだ根強い時代なのである。ミシェナの時ですら、あれだけの反発があったのだ。ましてや過去に性奴隷であったエルフの女官らが、あまり表立っては善からぬ騒動を引き起こしかねない。結局は、相も変わらず蒼馬の激務は続いていたのである。

 そんなところにきて、またもやソロンが騒動を起こしたと聞かされれば、さすがの蒼馬も怒らずにはいられなかった。

「シェムル! 縄を持って一緒に来て!」

 もし、今度もふざけた騒動ならば、もはや容赦はしない。シェムルの希望どおり、縄で縛り上げて平原の狼たちの生き餌にしてやる。

 そんな剣呑な決意とともにソロンがいるところへ向かった蒼馬だったが、実際に目にした騒動の光景は蒼馬の予想とは違うものだった。

「小僧! 助けてくれ! 殺されるぅ~!」

 自分の姿を認めるなり、哀れな声を上げて助けを求めるソロンは想定されたものだ。ところが、そのソロンを追いかけ回しているのはドワーフたちではなかった。

「お義父(とう)様! 逃げないで下さい!」

「逃げるわ! おまえはわしに死ねと言うのか?!」

「そうじゃありません! ですから、お義父様、逃げないでください!」

 ソロンを追いかけ回していたのは、ソロンの養女ミシェナであった。


                  ◆◇◆◇◆


「ソーマ様は、どうやって布を漂白しているか、ご存じでしょうか?」

 取り乱すふたりを何とかなだめて落ち着かせた蒼馬がなぜこのような騒動を起こしたのか問いただすと、ミシェナは唐突にそう切り出した。

 蒼馬はミシェナの質問の意図がわからず、逆に問い返す。

「漂白って、大事な服でも汚してしまったの?」

 しばし、ふたりの間に沈黙が落ちた。

 どうやら最初から説明しないと蒼馬は理解してくれないと思ったミシェナはひとつ咳払いをしてから話し出した。

「ソーマ様は、寡婦(かふ)や負傷された兵士の方々の就労のために、紡績工場と製織工場をお建てになられましたのを覚えていらっしゃいますか?」

 蒼馬は当然とばかりにうなずいて見せた。

 新たな臣民となったホルメア国の人々を慰撫するために蒼馬が真っ先に施行したのが、戦争によって働き手である良人を失った寡婦や重傷を負って労働が(かな)わなくなった元兵士などの社会的弱者の救済策である。

 そして、その救済策のひとつとして、蒼馬は寡婦や元兵士たちの働き口となる大規模な紡績工場と製織工場を建てていた。

 この時代、服や包帯や包装用などと用途が幅広い布は、現代人が思うよりも貴重品である。それは、古代日本において賦役(ふえき)――労働による納税を免除する代わりに布を納めさせていたことからもわかるだろう。

 また、農村の女性たちは副業として麻や綿花や獣毛などから糸を(つむ)ぎ、それを織った布を売って収入を得るなど馴染みが深い労働であった。

 就労させる対象が主に寡婦だったこともあり、彼女らにも抵抗感が少なく、さらに商品としても十分に需要が見込める紡績と製織は、まさに就労対策として最適のものだったのだ。

 脱穀機の普及によって困窮した寡婦が脱穀機を壊して村人たちによって私刑に遭った事件の反省から、蒼馬がボルニス統治時代から寡婦たちの就労対策として始めた紡績と製織をこのエルドア国でさらに規模を大きくして行っていたのである。

 また、既存の農村の副業と競合させないように、蒼馬はヨアシュを通じてわざわざ外国から取り寄せた高級布の素材となる亜麻のような植物を原材料とし、さらに生産された布の大半を国外へ輸出していたため、今や布は石鹸やウイスキーと並ぶ重要なエルドア国の輸出品としての地位を固めつつあったのだ。

「できたばかりの布は、素材となった繊維そのものの様々な色が混じり合った汚いまだらなものです。庶民ならば、そうした布のままで使っておりますが、商人へと卸される品となれば必ず漂白しなければなりません」

 ミシェナの説明に、蒼馬は「なるほど」と理解した。

 布を服などに加工するには、染色しなければならない。しかし、素材となる糸そのものに色が着いていれば染色がむずかしくなるぐらいは蒼馬にも想像がついた。

「そして、その漂白の方法ですが、まず布をたっぷりの水につけます。それから、そこへ灰をどばーっと入れます」

「灰を?!」

 いきなり予想もしていなかった漂白方法に、蒼馬は()頓狂(とんきょう)な声を上げた。それにミシェナはコクッとうなずいて見せる。

「そうです。何の灰を使い、それをどう配合するかなどは職人の秘密ですが、とにかく灰を入れて何日も放置するそうです」

 灰を入れて何になるんだと蒼馬は首をかしげた。

 そういえば、酸性土壌の中和に使うように、灰はアルカリ性だという話を聞いた覚えがある。もしかしたら、それが何かの効果をもたらすのかもしれないと蒼馬は自分を納得させた。

 しかし、ミシェナの次の言葉に再び驚きの声を上げる。

「次に、十分に水洗いをした後で木の棒で叩きます」

「叩くの?!」

 木の棒で叩いたら、せっかくの繊維が傷んでしまうではないか。

 そんな疑問符を頭に浮かべる蒼馬にミシェナは説明する。

「はい。そうすることで細かなゴミとかが取れるそうです。さらにきれいな水で何度も何度も洗って細かいゴミを取り除きます」

 繊維に絡まったゴミを細かく砕きつつ、衝撃でそれを叩き出すのだろう。それならば理解できると蒼馬はホッとした。

 だが、それも束の間である。

「それから腐った牛の乳に漬けます」

「く、腐った牛乳?!」

 灰や棒で叩くのは、何とか理解できる。

 しかし、さすがに腐った牛乳は予想外だ。せっかくの布を臭くして、どうするというのだ?

 蒼馬が困惑するのもかまわず、さらにミシェナの説明を続ける。

「その後は、水で洗います。何度も何度も洗います。色が落ちるまで、ひたすら洗います」

 あまりの工程の多さに蒼馬は頭がくらくらとしてきた。

「そうか。そんな手間をかけているんだ……」

「いえ。一番手間なのは、これからです」

 蒼馬は「え?」と口を(ほう)けたように開いた。

「次は、天日に晒します」

「天日に?」と、蒼馬はおうむ返しに尋ねる。

「はい。時折、乾かないように水をやりながら、ひたすら天日に晒します」

「えっと……どれぐらい?」

 嫌な予感を覚えつつも蒼馬が尋ねると、ミシェナは顔をしかめて答える。

「それは天候によります。日差しが弱くなる冬の時期は、当然それだけ時間がかかります。そもそも天日に晒すわけですから、晴れていなければダメです。雨天や曇天が続けば、さらに時間がかかってしまいます。満足できる漂白に達するまで、こうした一連の作業を何度も何度も繰り返すそうです」

 蒼馬は唖然としてしまった。

 てっきり植物から繊維を取り出せば、後はそれを糸にして、布を織るぐらいとしか思っていなかったのだ。

 ミシェナは机の上のさらし粉と次亜塩素酸ナトリウムを指差しながら、蒼馬へズイッと迫る。

「ですが、これを使えばあっという間です」

「あっという間なの?」

 気迫に押されながらも蒼馬が確認すると、ミシェナは肯定した。

「はい。――今は職人たちが、どの工程でこれを使い、またどの工程を省くことができるか研究段階ですが、とにかくものすごい効果と工程の短縮です。これを使えば、倉庫に今たまりにたまっている漂白を待っている布が一気に片付きます」

 この時代、植物から繊維を取り出して紡績し、その糸で布を織るのは一軒の農家や専門の布職人が行う一連の作業である。

 ところが、エルドア国の紡績と製織は、力の弱い寡婦や四肢を欠損しているのも珍しくはない傷痍軍人の救済策であったため、自ずと作業の分業化が行われ、結果として大規模な工業化を実現していたのである。さらに、そこへ蒼馬が推奨する水車や牛馬などを動力とした機械化が拍車をかけ、エルドア国の布の生産量は他国を圧倒するほどのものだったのだ。

 ところが、そうして大量生産された布も出荷するには漂白しなければらない。しかし、その漂白に先程ミシェナがいうように手間と時間がかかってしまうため、漂白を待つ布が大量にたまり、それが倉庫を圧迫していたのである。

 さらにミシェナは言葉に熱を込めて言う。

「それに布は白ければ白いほど価値が高くなります」

 これは白が清廉潔白や清潔さや高貴さを示す色と思われていたせいである。また、白い布を傷口に当てるだけでも化膿を防ぎ、白い服を着れば病魔を退けられるとさえ考えられていた。そのため、大陸中央では身分の高い者ほど純白の布を珍重していたのである。

「そして、これを使えばこれまでとは比べものにならないくらい真っ白になります。それも、驚きの白さです」

 ミシェナは、まるでどこかの洗濯用漂白剤のコマーシャルのようなことまで言い出した。

 すぐに蒼馬はミシェナが言わんとしていることに気づく。

「……つまり高く売れるの?」

 ミシェナは、しっかりとうなずいた。

「はい。これまでの何倍もの高値で売れます。がっぽがっぽと儲かります。倉庫代も節約でき、高く売れるとあれば良いことずくめです」

 しばし見つめ合っていた蒼馬とミシェナだったが、ふたりは示し合わせたようにニヤリッと笑うとソロンへ顔を向けた。

「ちょっと待て、小僧。あれは毒気なんじゃろ? 吸ったら死ぬんじゃろ? それを作れと言わんじゃろうな?!」

 身の危険を感じたソロンは慌てた。逃げ道を探そうと視線をさまよわせるが、蒼馬とミシェナが巧みに連携してその逃げ道を塞ぐ。そして、ふたりはソロンを壁際へとジリジリと追い詰めた。

「お義父(とう)様」とミシェナ。

「ソロンさん」と蒼馬。

 逃げ道を閉ざされ顔色を失うソロンへふたりはニッコリと微笑みかけると、異口同音に言った。

「「これを作って下さい」」

                  ◆◇◆◇◆


 この後、ソロンの研究と試行錯誤を経て、エルドア国にセルデアス大陸初となるさらし粉と次亜塩素酸ナトリウムの製造工場が建造されることになる。

 そこで造られたさらし粉と次亜塩素酸ナトリウムを用いて漂白された真っ白なエルドア国の布は、最高級品として珍重され、西域のみならず大陸全土にまで広まるのであった。

 また、後年には腐った牛乳の代わりに硫酸を用いれば、さらに効率的であることが判明すると、エルドア国の紡績と製織は飛躍的に発展する。そうした紡績業と製織業の発展は、布の輸出による莫大な富をエルドア国へもたらすことになるのだ。

 また、そうした発展の影響は、それだけに留まらない。

 大量生産される布は、これまで庶民には一生のものとされていた衣服を安価なものとし、エルドア国内ではあまり裕福ではない庶民ですら季節に合わせた数着の衣服を所有するのも当たり前のものとなったのである。

 そうした衣服のゆとりは、これまで庶民にとっては寒冷や日常のささいな危険から肌を守るための防具としての役割でしかなかった服に、美しさという観点を与えることになった。

 これによってエルドア国では、他国では類を見ない服飾文化が爆発的に発展し、それは後に大陸全土を席巻していくのである。

 そんな未来の予兆に湧き、活気溢れる紡績工場と製織工場の視察を終えて王宮に戻ってきた蒼馬は、気まぐれに化学実験室へ足を運んだ。

 ソロンがさらし粉や次亜塩素酸ナトリウムの大量生産に忙殺されているため、室内は塩素ガス発生事故の片付けもままならず放置され、数ヶ月前と変わらぬ有様である。

 窓板やガラスの破片が散らばったままの化学実験室の中で、同じく片付け忘れられていた壺を覗き込めば、底には水分が蒸発して残された白い結晶がわずかに残っていた。それに鼻を近づければ、かすかに塩素臭がする。

「次亜塩素酸ナトリウムに、塩酸か……」

 なんとはなしに、蒼馬はぽつりとこぼした。

 脳裏に浮かぶのは、現代日本にいた頃にテレビで見かけた家庭での死亡事故のニュース。

 しかし、すぐにハッとした顔になると首を左右に振った。それから苦笑を浮かべる。

「まったく。私はいったい何を考えているんだか」

 そうぼやいた蒼馬は、まるでその考えから逃げるように実験室から立ち去っていった。

 そして、誰もいなくなった実験室。

 どこからともなく、クスクスと少女が忍び笑うような声が聞こえてきた。


                  ◆◇◆◇◆


 後世の化学者マーク・ランディは、この一連の出来事を自身の著書「セルデアス大陸の化学史」において次のように書いている。

「この日、破壊の御子ソーマ・キサキは、眠っていれば母なる海の素であり、また動物たちの命を支える重要な要素であったのに、一度(ひとたび)それを解き放てば金属を腐食し、生物の命を奪う恐ろしい悪魔を解き放ってしまった」と。

 ようやくここまで来た。ようやく、ここまで来られた!(感涙) ( TДT)

 読者からの「ガラスや石鹸や蒸留酒なんて他のなろう作品で使い古され、手垢にまみれたようなチープなものを出してやがるぜwww」(被害妄想)という恥辱に耐え、それでも出したのはここに至るため!

 酸や塩素の腐食に耐えうるガラス! 蒸留のノウハウ! 素材となるナトリウムや塩酸や二酸化マンガンなどなど!

 すべては、この漂白チートのため!ヽ(`д´)ノ

 これで純白の服を愛用されているアウラ様も大喜び!

 混ぜるな危険? 何のことかわかりません。


 ちなみに、高濃度の次亜塩素酸ナトリウムをある一定の温度の下で乾燥させて得た結晶を炭と硫黄と混ぜるようなまねはいたしません。

 ただ、次亜塩素酸ナトリウムは簡単に手に入るし、それを脱脂綿にでも染みこませた後、電気乾燥機で五十度ぐらいで乾燥させるぐらいの実験は、簡単にできそうなんだよなぁ。

 それすら摩擦だけでも簡単にイッちゃうらしいのと、どれぐらいの威力があるか不明なので、怖くて本当にはやりませんけどね。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 廃液の処理で川が汚染されて戦争が起こりそう
[一言] >すべては、この漂白チートのため! 毒ガスチートも知れ渡ってしまったから、裏ではそっちも展開にかかわって来そうな伏線っぽいのもありますが……
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