第50話 戦乱を告げる鐘(前)
蒼馬が建国したエルドアは、緩やかに動き始めた――。
今やエルドアと名を変えた国の片隅にある小さな農村。
その中心にある広場は、たくさんの村人たちでごった返していた。彼らは新王から今後の統治についての告知があると聞かされ、この辺り一帯の農村から集まってきた村人たちだ。
そして、そうした村人たちの前に整然と並ぶのは、エルドア国の兵士たちである。
その兵士たちを代表し、適当な木箱を伏せただけの演壇に上がったのは、兜に中隊長を示す赤色の房をつけた男である。いかにも腕っ節ひとつで成り上がったと思われる粗暴な顔つきの中隊長は、ひとつ咳払いをしてから声を張り上げた。
「俺は、この辺りの村々を監督するように派遣されたダグってもんだ。まあ、よろしく頼む!」
集まった村人たちをダグが見回すと、誰もがその視線を避けるように顔を背けた。
そればかりか、見た限りでは女の姿がほとんどない。わずかに見受けられる女性たちも、老女か、それに近い年齢の者ばかりだ。しかも、そうした女性のほとんどが泥や煤などで顔を真っ黒に汚していた。
おそらくは兵士たちの乱暴を恐れてのものだろう。
まあ、それも仕方ない。
ダグは、そう思った。
かつてホルメア国と敵対していたこともあって、破壊の御子の評判はあまりよろしくない。その治政に直接に触れられる王都などの主要な都市ならばともかく、地方ともなると未だに尾ひれどころか背びれや胸びれまでついた悪評がさも真実のように語られている。
その破壊の御子がこれから自分らの支配者になると思えば、不安を覚えるなというのが無理な話だろう。また、その手先と思われる自分らもまた言わずもがなだ。
そうした誤解を払拭するためにも、ダグはできるだけ自分では人なつっこいと思う――実際には引きつった不器用な笑みを浮かべて見せた。
「そう固くならないでくれ。俺も元はホルメアの人間だ。あんたらをどうこうしようとは思ってないし、悪いことにはならねぇようにするつもりだ」
そのダグの言葉には嘘はない。
ダグはボルニスの街近くでの戦いで負け、破壊の御子の捕虜となったホルメア国の元兵士である。捕虜となった後はソルビアント平原開拓の労役に従事させられていたのだが、そのまま自ら志願して破壊の御子の兵士になった。それ以降、ホルメア国との戦いの中でいくつかの手柄を立てたダグは、こうして一個中隊を任されるまでになったのである。
そして、そんな経歴を見込まれ、破壊の御子自身から「民の不安を取り除き、国を豊かにするためにも、あなたに頼みたい」という御言葉まで直接に戴き、こうして意気込んでやってきたのだが、肝心の村人たちの反応が思わしくない。
腕っ節には自信はあるが、口下手を自覚するダグは、ほとほと困り果ててしまった。
そのとき、集まった村人の後ろの方で、大きく両手を振って声を上げる男の姿にダグは気づく。
「おい! ダグ、ダグ!」
そう自分の名前を連呼するその男の顔にダグは見覚えがあった。
「ハンスじゃねぇか!」
それはソルビアント平原の開拓に従事させられていたときに同じところにいた顔見知りであった。村人を掻き分け、自分へと駆け寄ろうとするハンスの前を遮ろうとした部下に、「そいつは俺の知り合いだ。通してやってくれ」とダグは言う。
兵士の間を通り抜けたハンスは、ダグと互いに肩を抱き合って再会を喜んだ。
「労役を終えて故郷に帰ったのは知っていたが、ここがその故郷だったのか!」
思わぬ再会に驚くダグに、ハンスは懐かしさに目を細める。
「そうだよ、ダグ! いやぁ、なつかしいな。しかし、ずいぶんと立派になったもんだ」
そう言ってハンスはダグの頭の先から爪先までジロジロと眺めた。それにダグは襟を正して、気取って見せる。
「そうさ。あれからソーマ様の兵士に志願して手柄を上げてな。今じゃこうして百人からの兵を率いる中隊長様だ」
「そいつは驚きだ!」
そう言うと、ふたりは再び肩を抱き合って再会を喜んだ。
そこに中隊の副長を務める青年が遠慮がちに声をかける。
「ダグ中隊長殿。再会を喜ぶのは結構ですが……」
「おっと、すまねえ。まずは職務を優先させなくっちゃな」
自分の立場を思い出したダグは、まじめな顔つきを作った。しかし、すぐにハンスへ親しみのこもった笑みを投げかける。
「だが、ハンスがいたのは助かる。ソーマ様は、平原でやっていたことをこちらでも広めるおつもりだ。経験者が村側にいてくれるのは、正直ありがてぇ」
それにハンスは照れくさそうに頭を掻く。
「そいつは、こっちも助かるよ。実は、俺もこっちで同じ事をやろうとしたんだが、うまくいかなくてな……」
ハンスもまた、ソルビアント平原の開拓に従事しながら覚えたことを故郷の村でも実践しようとしたのである。ところが、農村では兵士に駆り出された貧農の三男坊でしかないハンスの話に耳を傾けてくれる者などいなかった。それどころか、村長や年配者からは「これまで問題がないのだから、余計なことはしなくてよい」と注意を受ける始末である。
そんな途方に暮れていたところへ顔見知りのダグがやってきたのは、ハンスにとってもまさに僥倖であった。
「さあ、ダグ――いや、ダグ中隊長様! 俺たちは何をやれば良いんだ?」
そう勢い込んで尋ねるハンスに、ダグは照れくさそうな顔で小さく手を振る。
「中隊長様はやめてくれ。背中がむず痒くてたまらねぇ。それにソーマ様からは、民と仲良くなるのが一番の仕事だときつく言われている。まずは親睦の宴って奴だ。――おい、準備だ」
最後の言葉を向けられたのは副長だった。副長はわかっていますとばかりに部下の兵士に命じると、兵士たちは運んできた荷車から酒や干し肉などの飲食物を下ろし、宴の準備を始める。
「村には迷惑をかけねぇように、一応はこっちで用意しておいた。だが、保存が利かねえものは持ってこれなかったので、そっちは村から出してもらえると、ありがてぇ」
ダグの言葉にハンスはうなずいて見せる。
「わかった。村長たちに頼んでみる。――しかし、変わらねぇな」
それに「何がだ?」と尋ねるダグに、ハンスは笑って答える。
「ソーマ様さ。開拓村とかで問題があると、あの人はすぐに『仲良くなるには宴だ』と毎回やってたじゃねぇか」
酒を酌み交わすのが親睦を深める最良の手段というのが故郷の風習だと言って、自分ではまったく飲めないくせにゾアンやドワーフを連れてわざわざ開拓村まで酒盛りをしにやってきていた、今や自分らの王になった少年の姿を思い浮かべ、ハンスは目を細めた。
同じ光景を思い浮かべたダグも笑みを浮かべる。
「ああ。あの人は、まったく変わらねぇ。――まあ、その辺りの積もる話は酒を飲みながらにしようや」
呆れ顔になる副官の青年と、戸惑う村人らの見守る中で、ダグとハンスは再び笑い合った。
◆◇◆◇◆
うまくいかないものだ。
聖教の神官ミケイロスは金鎚を手にしたまま、そう嘆息した。
ミケイロスの目の前にあるのは、教会の窓である。信教の自由を保障され、弾圧や迫害などはされなかったものの、すべての種族に平等な権利の保障を謳うエルドア国の首都では、やはり聖教はあまり快く思われていない。
遠退いた信者の足も戻らず、喜捨の集まりも思わしくない状況では、風雨に傷んだ教会の板窓の補修費すらままならなかった。そのためミケイロスは自身の手で板窓を補修しなければならなかったのである。
当初、ミケイロスはただ釘で板を打ち付けるだけと高をくくっていた。
ところが、これがなかなかうまくいかない。
ただ釘を叩くだけだというのに、すぐ釘があらぬ方へと曲がってしまうのだ。それを直そうとすれば、今度は逆の方へと大きく曲がってしまう。
それでも何とか苦労して釘を打ち終えて出来映えを確かめてみれば、何とも見栄えが悪い。どうにか穴はふさがってはいるものの打ち付けられた板は斜めに傾いており、そこにくの字に曲がったまま打ち付けられた釘の姿がみっともなかった。その上、板窓の裏を見ればいくつもの釘先が剣山のように飛び出している始末である。
どうしたものかとミケイロスが途方に暮れていると、不意に後ろから声がかけられた。
「まったく。見ちゃおれんわい」
誰かと思って振り返れば、それは近所でたまに見かけるドワーフの老人であった。
亜人類を劣等種族と見なす聖教の教義から、思わず顔をしかめてしまうミケイロスの手から、そのドワーフは問答無用ばかりに板窓を奪い取る。それからドワーフは近くに置かれていた釘抜きを手に取ると、それを使っていとも簡単に釘を引き抜いていった。
いくら見栄えが悪いとはいえ、せっかく苦労して打ち付けた釘である。それをあれよあれよという間に引き抜かれ、板が取り外されていくのにミケイロスは怒鳴りつけようと口を開こうとした。
しかし、それよりわずかに早く、そのドワーフが芋虫のようなぶっとい指をした手をミケイロスへ突き出す。
「ほれ。そこの板きれと鋸を貸せ」
機先を制されたミケイロスは、思わずドワーフの言うとおりに板きれと鋸を渡してしまった。
すると、ドワーフは完全にばらした板窓の板材と板きれの長さを合わせる。それから板きれに鋸を当てたかと思うと、あっという間に板きれを切ってしまった。そうしてできた板材を元板窓だったものときれいに揃えてから横木を当てたドワーフは、次に金鎚と釘を手に取る。そして、まず横木に立てた釘の頭にカンッと軽く金槌を当て、釘の先をめり込ませた。次いで、ガツンッと叩けば釘はまっすぐに打ち込まれていた。
そうしてミケイロスが見守る中で、あれよあれよという間に板窓はきれいに補修されてしまった。取り替えたばかりの板が他のものと色が違うのを除けば、もともとそのように造られたと見まがうばかりの出来映えである。
修繕された板窓を窓に取りつけたドワーフは、「まあ、こんなものだろう」と自分の仕事に満足したようだった。
そんなドワーフに、ミケイロスはさんざん迷ってから頭を下げる。
「ありがとうございます。助かりました」
いかにも不満そうだが、それでも礼を言ったミケイロスに、ドワーフは大げさに驚いてみせる。
「こりゃ、驚いた。ご立派な聖教の神官様から礼を言われるとは思っても見なかったわ」
腹立たしい物言いだが否定できない。ミケイロスは渋面のまま答える。
「それが亜人類とはいえ、施された善行には感謝を示さねば、それはその亜人類以下となってしまいます」
せめてもの嫌がらせとばかりに、ミケイロスはことさら丁寧に礼を述べる。
「ドワーフなのは残念ですが、あなたは善き人でしょう。あなたに感謝を」
それにドワーフは髭を振るわせ、ガハハと笑った。
「聖教なんぞというのには虫酸が走る。だが、罵声を浴びせられようが、怒声を投げつけられようが毎日欠かさずに布教を続けるおまえの根性だけは認めてやる」
それからドワーフはミケイロスの口調を真似て言う。
「聖教の神官なのは残念だが、良い根性をした奴だな、おまえは」
まさか亜人類であるドワーフから褒められるとは思ってもいなかったミケイロスは、さらに渋面を深くする。
「さて、感謝はいたしました。ですが、ここは神聖なる聖教の土地です。亜人類は早々に立ち去っていただきたい」
すると、ドワーフはケッと吐き捨てる。
「けったくそ悪いわ。この程度なら、小遣い程度の金をもってこい。そうすりゃこの亜人様が修繕ぐらいはしてやるわい」
ミケイロスとドワーフはしばらく互いの顔を見つめ合わせた後、示し合わせたようにふたり同時にフンッと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
◆◇◆◇◆
そして、エルドア建国より三年の月日が流れた。
その間には、いくつもの騒動が起きていた。急激な農業改革に抵抗を示す農民たち。既存の権力に固執し、蒼馬の新たな治政に難癖をつける元諸侯や貴族。聖教によって植えつけられた人間種の異種族への偏見は、いまだ根強い。それと同じくらい異種族から人間種への不信もまた、そう容易に消えるものではなかった。
しかし、すでにボルニスの街で同様の問題に直面していた蒼馬たちは、そのいずれの問題も経験したものである。蒼馬たちは決して焦らず、根気よく彼らを説き、その意見をくみ取りつつ改革を進めたのだった。
そして、それはわずかだが、それでいて確実にエルドア国を発展させていったのである。
ダグは2章14話「農民(後)」で登場した元ホルメア国の兵士です。50話「産声」で兵士になると言っていたとおり蒼馬の兵士となっていました。
創作の神が舞い降りたのか、アウラ様が降臨されたのかは不明ですが、やけに筆が進んだため後編もすでに書き上がりチェック待ちの状態です。チェック完了次第、明日か明後日には更新する予定。




