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破壊の御子  作者: 無銘工房
建国の章
315/551

第49話 凶兆

 露台(バルコニー)は、シンッと静寂に包まれた。

 それは、あたかも風すらも息を殺しているような張り詰めた静寂である。

 その中で、どこからともなく小さな笑い声が聞こえてきた。

 それは幼い少女の声のようであり、また古い獣のうなり声のようにも聞こえる不気味な笑い声。

 その笑い声とともに露台の隅にある暗がりから姿を現したのは、ひとりの少女であった。

 ワンピースのような袖の無い純白の貫頭衣を身にまとい、これまた純白の長い髪を垂らす見た目は愛らしい少女である。

 しかし、蒼馬の本能が激しい警鐘を鳴らしていた。

 これは、とてつもなく古いものだ。

 これは、とてつもなく恐ろしいものだ、と。

 それを証明するかのように少女の額には、数字の8と∞を組み合わせたようであり、二匹の蛇が身体を絡めてのたうちもだえるようにも見える刻印がギラギラと赤い光を放っていた。

 それは蒼馬の額にあるものと同じ、死と破壊の女神アウラの刻印である。

「いったい何をしに現れた、アウラ……」

 自身が気圧されるのを覚えながらも蒼馬はアウラに問いかけた。

 すると、アウラは無邪気な少女の外見のままに不思議なことを言われたとばかりに小首をかしげて見せる。

「愛しい私の蒼馬。私が、なぜ現れたかですって? もちろん、あなたの即位と建国に祝福と賛辞を伝えにきたに決まっているじゃない」

 アウラは素晴らしい舞台劇を見たばかりの少女のように、頬を紅潮させて目を潤(うる)ませながら歌うように言葉を紡(つむ)ぐ。

「今日というこの日に、あなたの理想という名の火種が炎となった! きっとその炎は燃え上がり、この大陸すべてを燃やし尽くすほどの大火となるわ!

 今日というこの日に、あなたの国という名の種子が、ついに芽を伸ばした! きっとその芽は大きく育ち、その枝葉で大陸全土を覆い尽くし、その根で大陸全土を飲み込むほどの大樹となるわ!」

 その身の奥底から湧き上がる感動に打ち震えるように、アウラは自身の小さな肩を抱き締めた。そして、恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべて熱い吐息とともに感嘆の言葉を洩らす。

「ああ、何て素晴らしいのでしょう。何て喜ばしいのでしょう! そして、何て恐ろしいのでしょう! 蒼馬、蒼馬、私の蒼馬。私の愛しい蒼馬ぁ!」

 それに蒼馬の脳裏がカッと怒りに燃え上がった。

 数多(あまた)の苦難を乗り越え、長い年月を費やし、数え切れない犠牲を払い、シェムルをはじめとしたたくさんの人たちの協力を得て、ようやく今日の建国にまでたどり着いたのだ。

 それをアウラに口にされるだけでも、大切な宝物を汚れた手で撫で回され、土足で踏みにじられるような不快感を蒼馬は覚えた。

 この時ばかりは蒼馬の中で、アウラへの怒りが恐怖を圧倒する。

「黙れ、アウラッ!」

 蒼馬は鋭く突き刺すように、その指先をアウラへと突きつけた。

「そうして人をもてあそび! コケにして! 人を追い詰めて操るのが、そんなに楽しいのか、アウラ?!」 

 蒼馬の激しい糾弾に、しかしアウラは楽しげにその目を細めるだけであった。それがさらに蒼馬の怒りを煽る。

「そうやって人を見くびり、驕(おご)っていろ、アウラ! 確かに私は、おまえが言ったように猛毒かも知れない! 私はこれからも多くの人を死なせるだろう! 私はこれからもいろんなものをメチャクチャに破壊してしまうだろう! だがな――」

 蒼馬は自分を奮い立たせるように、いったん言葉を切ると、奥歯を堅く噛み締めてから言い放つ。

「それならば、私は死なせた人以上に、もっと多くの人を救ってみせる! 破壊した以上に、もっともっと多くのものを守ってみせる!」

 さらに蒼馬は大きく息を吸うと、それを固い決意とともに言葉に変えて吐き出した。

「私は決して、おまえの思いどおりにはならない!」

 それはアウラへの絶縁であった。

 そして、それはアウラへの宣戦布告でもあった。

 しかし、それに対するアウラの反応は――。

「……ふふふ。私の思いどおりにならないですって?」

 嘲笑(ちょうしょう)である。

「ああ! 何て物覚えが悪いのでしょう、私の愚かな蒼馬。わたしがいつあなたを思いどおりにしようとしたのかしら? 何て滑稽(こっけい)なんでしょう、私の哀れな蒼馬。勝手に私を敵と見定めて、ひとりで哀れな滑稽芝居」

 アウラは小さく握った拳を口許に当てると、クスクスと笑う。

「忘れたのなら、何度でも教えて上げる。あなたは猛毒。人を殺し、世界の理(ことわり)を冒(おか)し、秩序を破壊する恐ろしい猛毒。そして――」

 アウラの白い額の中で、その刻印がギラギラと輝いた。

「猛毒(あなた)は猛毒(あなた)であればいいの」

 絶句する蒼馬に、アウラは物わかりの悪い子供に言い聞かせるような優しげな声で語る。

「私の賢い蒼馬。きっと、あなたの理想は多くの人々を救うでしょう。たとえそれがいかなる種族の者であれ、たとえそれがいかなる生まれの者であれ、誰もが平等で誰もが自由。ああ、何て美しくて優しい理想なのでしょう。

 私の優しい蒼馬。きっと、あなたの国は多くのものを守るでしょう。たとえそれがいかなる思想であれ、たとえそれがいかなる信仰であれ、すべてが平等ですべてが自由。ああ、何て寛容で暖かな国なのでしょう」

 慈愛に満ちていたアウラの表情が一転し、狂気が顔に浮かび上がる。赤い瞳の目が限界にまで見開き、その唇が引き裂かれたように耳元まで吊り上がった。

「それがいかなる出自であろうとも! それが何者であろうとも! 何を考えようとも! 何を言おうとも! 何を信じようとも! 誰もが平等! 誰もが自由! 誰もが迫害されず、誰もがありのままでいられる! 誰もが、誰もがっ、誰もがっ! そう――」

 額の刻印をギラギラと輝かせながら、アウラの血走った目がぎょろりと動いて蒼馬を捕らえる。

「――あなたすらも!」

 アウラの言葉が鋭い矢となって蒼馬の胸を打った。

 その衝撃に押され、蒼馬はよろよろと後じさる。すると、その踵(かかと)がわずかに浮いていた敷石の角に引っかかり、蒼馬はその場にぺたんと腰を落としてしまった。

「あ……な……それ……!」

 尻餅をついたまま、恐怖と驚愕に目を見開く蒼馬の口から、意味不明な声が洩れた。

 自分の洩らした声に驚いた蒼馬は、とっさに自分の口を押さえる。

 そうしなければ、決して取り返しのつかないことを自分が口走ってしまうとでも言うかのように、頬に指を食い込ませてまで手で口を押さえた。

 そんな蒼馬の姿を哀れむように、蔑(さげす)むように、愛おしむようにアウラは見下ろす。

「ああ! 何てあさましいのでしょう、私のか弱い蒼馬。本当は自分の本心に気づいているくせに、それには見て見ぬ振り。あなたは無邪気な子供を演じ、心優しい善人を気取り、公明正大な英雄を騙(かた)る。そうして自分を騙(だま)し、みんなを騙し、彼女すら騙してやっていることは、みんな自分のため。みんな、みんな自分が自分であるため!」

 アウラが「彼女すら」と言ったとたん、蒼馬の顔が苦痛に歪んだ。

 座り込む蒼馬の目の前に音もなく立ったアウラは腰をかがめると、その白く小さな手で蒼馬の顔を両頬から押さえ込んだ。そして、捕まえた虫の足をちぎり取る子供のような無邪気な笑みを浮かべながら、蒼馬の怯える目を覗き込む。

「それなのに、なんで苦しそうな顔をしているのかしら? 誰も彼もがあなたの名を讃え、歓喜のままに理想の炎に身を投じる。誰もが彼もがあなたの名を謳い、歓喜のままに国という大樹に身を捧げる。すべてはあなたの思惑どおり。すべてがすべてがあなたの望んだとおり。――そうじゃなくて、私の愛しい蒼馬?」

 そう言うとアウラは小さな舌を伸ばして、蒼馬の眼球をぺろりと舐めた。

 悲鳴を上げ、自分の顔を拘束していたアウラの手を振り払った蒼馬は、尻をこすりつけるようにして後ろへ逃げる。

 その滑稽な姿に、アウラはクスクスと笑いを洩らした。

「ダメじゃない、私の蒼馬。この程度で動揺しちゃ。せっかくかぶった仮面が取れかかっているわよ? せっかく衣の下に隠した本心が見えてしまうわよ? 本当のあなたが、ばれたら大変。とてもとても大変だわ」

 アウラは災いを告げる凶鳥が翼を広げるように、両腕を大きく開いて見せた。

「だって、あなたは英雄の仮面をかぶる臆病者。博愛の衣をまとう自己偏愛の塊。無私を気取る利己主義者。罪科を積み上げる贖罪者。慈悲を語る虐殺者。仁愛を掲げる暴君。理念なき変革者。そして、私の愛しい猛毒」

 怯えた目で自分を見上げる蒼馬をアウラは軽蔑の眼差しで見下ろしながら、軽く握った右手を掲げて見せた。

「本当のあなたを知ったら、みんなはどうするかしら? 今はあなたを讃える人々の声が、罵声へと変わるかもしれない。あなたを尊敬の眼差しで見ていた目が憎悪に染まるかもしれない。捧げられた剣はあなたへと刃を向け、決意に固められた拳はあなたを殴打するものとなるでしょう。あなたが座る玉座は絞首台へと変わる。あなたを玉座へ押し上げてくれた手は絞首台へとあなたを突き出すものへと変わる!」

 アウラが掲げた右手をパッと開いた。

 蒼馬は悲鳴にならない声を上げる。

 アウラの開いた手から落ちたのは、黒い毛糸の髪と墨で乱雑に目鼻を画かれた一体の人形。

 その首とアウラの指とで結ばれ細い一本の紐によって、人形が蒼馬の鼻先でぶらりぶらりと左右に揺れていた。

「こうはなりたくないでしょ、私の可愛い蒼馬?」

 アウラは、その白い咽喉を反らしてゲラゲラと笑い声を上げた。

 恐怖に怯える蒼馬の前でひとしきり笑ったアウラが小さく手首を返すと吊されていた人形が手品のように消え失せる。

「お小言は、これで終わりにしてあげるわ、私の蒼馬。だって、今日はあなたの即位と建国のおめでたい日。とってもとってもおめでたい日なんですもの!」

 アウラは再び恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべる。

「だから、ご褒美にひとつだけ良いことを教えて上げる」

 アウラは、すうっと人差し指を一本だけ立てた右手を持ち上げる。その指先を向けられた蒼馬は、毒矢を向けられたかのように身を固くした。

 しかし、すぐにアウラの指先が向けられたのは自分ではなく、背後となる東の方角を指し示していることに気づく。

「はるか東の果て――」

 アウラの言葉に釣られ、蒼馬は東の方へと振り返る。露台の欄干(らんかん)越しに見えるのは、真っ暗な大地と薄明るい星空との境――黒い地平線だけだ。

 黒い地平線を凝視する蒼馬の耳に、後ろからアウラのささやく声が這(は)い寄る。

「はるか東の果てで、あなたを打ち倒さんとする敵意が生まれる。はるか東の果てで、あなたを滅ぼさんとする悪意が育つ! はるか東の果てから、あなたを呑み込まんとする狂気がやってくるっ!!」

 見えているものは先程と変わらない夜の黒い地平線だ。

 だが、蒼馬はその彼方(かなた)から何かが沸き立つ光景を覚えた。

 それは、言いしれようもないおぞましい気配である。

 沼地から湧く瘴気(しょうき)のように腐臭を帯び、火山から噴き出す毒気のように焼けつくような熱気を放ち、そして何をも狂わせる狂気をはらんだ、おぞましい気配であった。

 その気配が堤防を切って溢れ出した濁流のように、地平線の彼方からこちらへと向けて押し寄せて来る。

 その幻の光景に、蒼馬は慌てて顔を背けた。

 そして、蒼馬は我が目を疑った。

 先程までいたアウラが忽然(こつぜん)と姿を消していたのだ。そして、その代わりにアウラがいた場所に立っていたのは、ひとりの若い女性である。

 年の頃は、自分と同じかやや下だろうか。すらりとした長身に、メリハリのある体型。その身体を包むのは、白いワンピースのような貫頭衣である。一切の色素を抜かれたような白く長い髪を腰の辺りまで伸ばし、その血のように赤い瞳をこの世の悲劇を一身に背負ったかのような深い悲しみと憂慮(ゆうりょ)に暗く沈ませていた。

 そして、その白い額に赤く輝くのは、間違いなく自分のものと同じアウラの刻印である。

 突然現れたこの正体不明の女性に驚き、目を見開いて凝視する蒼馬の前で、彼女は深い悲しみを込めた声で言う。

「気をつけなさい、か弱き蒼馬。それは、代償。か弱いあなたがこの過酷な世界で生きんがために成したものへの代償。弱い者が強くあらんとすれば、世界はその代償を求める。弱ければ弱いほどに、強くあらんとすれば強くあらんとするほどに、その代償は大きく重くなる」

 誰だ、こいつは?!

 蒼馬は激しく困惑する。

 驚愕に見開かれたままの目で、蒼馬は周囲を見た。

 しかし、アウラの姿はどこにもない。今この露台にいるのは、自分と目の前の女性だけである。

 アウラはどこに行った? この目の前の女は誰なんだ?!

 そのとき、蒼馬の目が乾きに耐えかねて一瞬だけまばたきした。

 すると、若い女性が現れたときと同様に忽然(こつぜん)と消え失せる。

 そして、代わりにそこにいたのは、ひとりの老女であった。

 シミが浮き、シワが刻み込まれたその顔に果てしない苦悩と諦念(ていねん)を浮かべる老女は、アウラや先程の女性のものと良く似た白い貫頭衣を着、その額にはやはりアウラの刻印が輝いている。

 老女は手にした杖で露台に敷かれた敷石をひとつ叩くとしわがれた声で言う。

「警戒せよ。英雄の仮面をかぶる凡夫、蒼馬よ。たとえ偽りであろうとも英雄とは、この世界を変え得る強き者。そして、おまえはただの英雄よりも大きく急激に世界を変えんとし、それを成しつつある。それ故におまえは真なる英雄ですら受け止め切れんほどの大きな代償を求められるであろう。しかし、凡夫たるおまえに、それを受け止め切れようか?」

 次の瞬間、老女と入れ替わるように少女の姿をしたアウラが再び姿を現した。

「私の愛しい蒼馬。あなたは猛毒。人を殺し、世界の理を冒し、秩序を破壊する恐ろしい猛毒。毒は強ければ強いほど、痛みを与える。毒は異質であればあるほど苦しみをもたらす! そして、人と世界はその苦しみから逃れるために狂気と狂喜に身を委ねる!」

 自分自身こそが狂ったような笑みを浮かべる少女の姿が消え、そこに再び姿を現した女性は深い悲しみをたたえた表情で告げる。

「恐れなさい、心優しき蒼馬。それはあなたという猛毒に苦しめられた世界がもたらす狂気そのもの。あなたを討ち滅ぼさんとする人の狂喜そのもの。それはあなたばかりか、あなたの大切なものすべてを呑み込まんとして、必ずやってくるでしょう」

 女性と入れ替わるように姿を現した老女が、深いため息とともに語る。

「悔やむが良い。賢者の言を語る愚者、蒼馬よ。すべては、おまえがおまえであらんとしたがための代償。それ故に、これは避けられぬ運命。それ故に、これは定められた宿命。ならばこそ、これより起きることは必然であろう」

 立て続けに目の前に突きつけられる異常な状況に混乱する蒼馬の前で、少女と女性と老女は語り続ける。 

「そのとき、きっとあなたはすべての人を殺すでしょう」と、少女は言う。

「そのとき、きっとあなたは世界を壊してしまうでしょう」と、女性は言う。

「そのとき、きっとおまえは神々すらも滅ぼすであろう」と、老女は言う。

 このとき、蒼馬のはるか頭上に黒い雲が風に乗って流れてきた。それはゆっくりと煌々(こうこう)と輝く月へとかかっていく。

 そして、月光を黒雲に遮られた露台に訪れた薄闇が蒼馬たちを覆った。

 その中で蒼馬の前に立つのは、もはや少女とも女性とも老女ともつかない得体の知れない影法師(シルエット)。

 もはや蒼馬には、目の前にいるものが何なのかわからなくなる。

 それは少女の声で「だけど」と言った。

 それは女性の声で「でも」と言った。

 それは老女の声で「されど」と言った。

 そして、それは言う。

「「「それこそが、私の願いなのだから」」」

 ――と。

 何なんだ?

 何なんだ、これは?!

 あまりの恐怖に蒼馬の脳裏が真っ白に染まる。

 そして、しばらくしてようやく我を取り戻した蒼馬の視界からは、アウラの姿は忽然と消え失せていた。

 安堵とともに恐ろしいほどの疲労が押し寄せ、蒼馬の顔に気持ちの悪い脂汗がどっと湧いた。

「な……何なんだ、あれは……?」

 いまだ残る恐怖の残滓(ざんし)に打ち合う歯の間から絞り出された蒼馬の疑問に答えられる者は誰もいなかった。

 どこからともなく、狂ったような少女の笑い声が聞こえてきたような気がした。

蒼馬の隠された核心に迫る内容の回でした。

次話もちょっと長くなりそうなので2話に分割予定。

その後、ちょっとした閑話を1話だけ入れて、今章は終わりとなる予定です。

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― 新着の感想 ―
[一言] アウラしゃべりすぎかな。言葉が多いとどうしても小物感が出る。実際小物なのだろうか?
[一言]  時代遅れのババアが、野次馬になって、孫をイジメてるように見える
[一言]  未来まで見える詐欺師みたいなもんだろ。
感想一覧
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