第44話 へたれ
「というわけで、おまえは王になれ!」
先日に引き続いてワリナ王女とともに優雅に午後の茶会を楽しんでいた蒼馬のところにやってきたシェムルは開口一番にそう言った。
蒼馬を警護するため、常にその身近に控えているシェムルである。そんな彼女が珍しいことに今朝から「大事な用件がある」と言い残して、どこかに行っていたのは蒼馬も気になっていた。
しかし、まさかこのようなことを言われるとは思っても見なかった蒼馬は、しばらく目を瞬かせてから辟易した表情を浮かべる。
「というわけで、って何がどういうわけさ?」
先日も茶会に訪れたポンピウスから、しつこく即位を勧められたのをさんざん断ったばかりである。そして、シェムルもそこに居合わせ、一部始終を見ていたはずだ。
それだけに、よほどの理由があるのかと思って尋ねたが、シェムルは「私にもよくわからん!」と、なぜか得意げに胸を張って開き直られてしまう。
「だが、おまえが王になった方が良いそうだ!」
何の説得にもなっていない。
当然、これで蒼馬が納得できるはずもなかった。
「僕は王になんてならないからね。一度口にした約束を破ったら、次に誰が僕を信用するのさ」
自分はボルニスの街を占拠して奴隷だったみんなを解放したとき、誰もが平等に暮らせる国を作ると明言した。それをみんなは信じ、何も持たないただの貧弱なガキでしかなかった自分についてきてくれたのだ。そして、それからここに至るまでの多くの戦いによって、四肢や目を失うなどの一生の傷を負った者ばかりか、その命を落とした者も決して少なくない。
それを今さらになって、やっぱり自分が王様になりますなどと、あの宣言を反故にできるわけがなかった。
そう蒼馬が拒絶すれば、シェムルもまた食い下がる。
「うむ。信義を守るのは良いことだ。さすが我が『臍下の君』だ。だが、今は我慢しろ。おまえが王になった方が良いらしいんだ」
シェムルとしては、蒼馬の心情もよくわかる。ソロンたちが口にする小難しい理屈よりも、蒼馬の決断の方が納得できるぐらいだ。
だが、ソロンから「主君が破滅へ向かおうとしているのに、それに唯々諾々として従うのが真の忠臣か? 餌をもらって尻尾を振るだけなら、そこらの野良犬でもできるわ」と言われてしまえば、そうも言っていられない。
ソロンの思いどおりになるのは、少し腸がねじ切られ、ちょっと頭から炎が立ち上がるぐらい苛立たしく、心底から不本意なことだが、それでも蒼馬を説得しなければならなかった。
しかし、あまり理屈を良く理解していない上に、このような心情とあっては、シェムルの言葉に説得力はない。これでは蒼馬も納得できるわけがなかった。
「だから、なんでさ?」
もういい加減にしてよと言わんばかりの表情と口調で蒼馬も言い返してくる。
すると、だんだんとシェムルも蒼馬に腹が立ってきた。
「よくわからんが、そういうことらしい! おとなしく王になれ!」
シェムルが牙を剥いて怒鳴りつけるように言えば、蒼馬も負けじと「だから、なんでさ?!」と言い返す。
そうして、ふたりはしばらく押し問答を続けた。
「あの……」
互いに譲らぬ埒の明かない状況に疲れたふたりが口を閉じたところで、それまでふたりの押し問答を傍観していたワリナ王女が声をかけてきた。それにふたりは「何か?」と目を向けると、ワリナ王女は小さく首をかしげながら言う。
「ソーマ様は、玉なしのへたれなのでございましょうか?」
蒼馬とシェムルは、ギョッとした。
まさかワリナ王女の口から、「玉なしのへたれ」などという暴言が出てくるとは思いもしないことだった。ふたりとも自分の聞き間違いではなかったのかと互いの顔を見合わせてしまう。しかし、互いの反応からして、どうも聞き間違いなどではなさそうだ。
「えっと……どういうことかな?」
蒼馬が恐る恐る尋ねると、ワリナ王女は無邪気な笑顔で語り始めた。
「昔、ダリウスおじ様がおっしゃられていました」
兄王子のアレクシウスから嫌われていたため、ホルメア国の王宮では腫れ物扱いされていたワリナ王女を気遣ってくれていたダリウス将軍は、何かにつけてワリナ王女のところへご機嫌伺いという名目で話し相手として訪れてくれていた。
しかし、その根は無骨な武人のダリウス将軍である。年頃の少女が好むような洒落た話などできようはずもない。ワリナ王女とは、もっぱら軍事や政務に関わる話ばかりをしていた。
そうした話の中で、ワリナ王女がいったいどのようの者が王に相応しいのか尋ねたことがある。
それにダリウス将軍は、歴とした王族の一員であるワリナ王女に申し上げるのは、いささか憚られると言いつつも、次のように答えた。
「まず、自らから王になりたいと申す者は、王の権益しか見えておらぬ愚か者か、はたまたよほど自分の才覚に自信がある者にございます。愚か者は無論のこと、しかし才覚に自信がある者とて、たいていはろくなものではございません」
そう語ったダリウスに、ワリナ王女は「では、どのような方が王に相応しいのでしょうか?」と尋ねたのである。すると、ダリウス将軍は次のように答えたという。
「王になってくれと言われて断るぐらいの者がちょうどよろしいでしょう」
ワリナ王女の記憶の中のダリウス将軍は、さらに続けて言った。
「ただし、断るのが二度や三度ぐらいならば、王の責務の重さを知るが故でございましょう。ですが、それをさらに周囲から懇願されてもなお断るような輩は――」
その続きをワリナ王女はダリウスの口調を真似て言った。
「それは玉なしのへたれでしょう、と」
さらにダリウス将軍は「御祖父のサドマ王陛下のへたれっぷりときたらひどいものでした。私とポンピウスのふたりがかりで一日かけて説き伏せ、何とか王位についていただいたものです」と楽しげに語ってくれたとワリナ王女は言った。
それからワリナ王女は不思議そうな顔をして、後ろに控えている侍女に向かって尋ねる。
「ところで、玉なしのへたれとは、いったいどのような意味かしら?」
どうやら意味がわかっていなかったらしい。
王女付きであるだけに貴族の子女らしい侍女は、言葉の意味は知っていたらしくワリナ王女へ顔を赤らめながら耳打ちする。
侍女から言葉の意味を教わったワリナ王女は羞恥と蒼馬への暴言に、頬を赤く染めて慌てふためいた。
そんな慌てふためくワリナ王女の前で、蒼馬は苦虫を十匹ぐらいまとめて噛みつぶしたように顔を盛大にしかめる。
ちらりと目を横に向ければ、案の定というべきだろうか、シェムルが人間にもそれとわかるぐらい意地悪な笑みをニヤニヤと浮かべ、こちらを見下ろしていた。
「おい、ソーマ。みんなから王になってくれと言われて断るような奴は、玉なしのへたれらしいぞ」
蒼馬は、ぐうの音も出なかった。
そんな蒼馬をシェムルはさらになじる。
「いやぁ。もちろん私は我が『臍下の君』が、そのような者ではないと信じているぞ。まさか、玉なしのへたれなわけがない。だが、我が『臍下の君』が周りからそのように言われるなど恥ずかしくてたまらないなぁ。ああ、恥ずかしい恥ずかしい。恥ずかしいなぁ」
シェムルは露骨に蒼馬を煽った。
意味がわからずともワリナ王女から何度も擁立を拒絶するのは「玉なしのへたれ」呼ばわりされたばかりである。それなのに、ここで拒絶しようものならば、自分で自分を「玉なしのへたれです」と言っているようなものだ。とうてい蒼馬に拒絶などできようはずもなかった。
それでも煮えきらずに難しい顔でうなり続ける蒼馬に、シェムルは半目になると、ボソッと言う。
「この玉なしのへたれが……」
蒼馬の胸に、言葉がぐさりっと刺さった。
心に致命傷を負った蒼馬は、ついに観念する。
「……わかった。王になっても良い」
蒼馬は振り絞るような声で言った。
これにシェムルは、パッと顔を輝かせる。
「そうか、そうか! さすがは我が『臍下の君』だ。素晴らしい決断だぞ」
シェムルは、これで自分を蒼馬の説得へ送り出した皆に対しても顔が立つとばかりに安堵した。
ところが、今度は蒼馬が意地の悪い笑みを浮かべる。
「だけど、条件がある」
◆◇◆◇◆
「どうだった?」
蒼馬を説得させに送り出したシェムルが戻ってくると、まずはガラムが開口一番に成果を訊いた。
このガラムの問いかけに、シェムルは何だか妙な表情を作る。
ひどく困惑しているようでいて、どこか嬉しげでもあり、なぜか呆れ返っているようにも見える、妙な表情だ。
もしや説得に失敗したのではないかと落胆しかけたガラムたちに、シェムルはボソッと言う。
「ソーマは、王になってもいいそうだ」
シェムルの報告に、その場にいた誰もがホッと胸を撫で下ろした。
蒼馬を王に即位させるには、まだまだ様々な手続きや根回しが必要である。だが、まずは最初の難題を乗り越えられたのだ。
それにみんなが安堵したところへ、次のシェムルの言葉が水をかける。
「だが、条件を出された」
ざわっと、その場がざわめいた。
あれほど渋っていた王への即位を受け入れる代わりに出された条件である。いかなる無理難題を提示されたのかと警戒する者たちを代表してガラムが「それは何だ?」とシェムルに話を促した。
すると、シェムルはひとつうなずいてから話し出す。
「まず、あくまで王位につくのはソーマの意志ではなく、みんなに強く推されたためだと明確にして欲しいそうだ」
ガラムたちは、そんなことかと拍子抜けしてしまった。
実際にそうなのだから、それは大した問題ではない。
皆の顔を見回して異論などがないのを確認してからガラムは大きくうなずいて承諾を示した。
それを受け、シェムルは続けて言う。
「それを明らかにするために、形だけでも良いので各種族の者たちの代表による合議を行い、その上で自分を王に推すという手順を踏んで欲しいそうだ」
これも簡単なことである。実際にこの場に集っているのは各種族の有力者たちだ。この場で採決を取るだけでも良いだろう。そして、当然、ここに蒼馬の即位を推す者はいても反対する者などいはしない。
それも問題ないとガラムたちは承諾した。
さらにシェムルは次の条件を口にする。
「蒼馬は、自分はあくまで一時的に即位するのであって、将来的には自分が退位して主権を民へ移譲することを明確にして欲しいそうだ」
これもまた当然の要求だろう。面倒がないからと、なし崩しに蒼馬が玉座についたまま蒼馬王朝が生まれてしまっては、それこそ本末転倒である。それに、主権を移譲されることが事前にわかっていれば、民たちも実際にそのときが来たときの心構えができるというものだ。
ガラムたちは承諾すると、次の条件をシェムルが言うのを待った。
ところが、なぜかシェムルはそれっきり黙ってしまう。ならば、これで蒼馬が出した条件はすべてなのかと思いきや、どういうわけかシェムルは言葉にしては出さないものの、その口を中途半端にムニムニと動かして、何か言いたそうであった。
これにガラムが眉間にシワを寄せて尋ねる。
「これでソーマが出した条件は終わりなのか?」
ガラムに発言を促されたシェムルは、口を堅く引き結んだ。それから困惑の表情を浮かべていたが、しばらくすると観念したように大きなため息をもつく。
「あと、もうひとつだけある」
これにガラムたちは再び緊張した。
即決即行を旨とするシェムルが、これだけ言い渋ったのだ。蒼馬がよほどの無理難題を言い出したのだろうと警戒する。
そんな皆を前にして、シェムルは先程のひどく困惑しているようでいて、どこか嬉しげでもあり、なぜか呆れ返っているようにも見える、妙な表情を浮かべる。
「ソーマは自分が王になるにあたり、ひとつの役職を作って欲しいそうだ」




