第43話 王
ソロンの言葉に、ようやく事の重大さを理解して緊張をあらわにした。
ところが、それで終わらない。さらにソロンは鋭く指摘する。
「そして、問題は国の外ばかりにあらず!」
まだ何かあるのかと驚く皆の顔をぐるりと見回してからソロンは問いかける。
「さて。小僧が言う、すべての民が自由と平等の権利を有し、国の主権を民へと委ねられた国というものをどれほど理解しておる者がおりますかな?」
これに、誰もが気まずげに口を閉ざした。
しかし、それにソロンは「さもありなん」と何度もうなずいてから言う。
「小僧が口にする思想は、この西域では初となる壮大にして希有なもの。この天才のわしをして、その全容と神髄を理解できているかと言われれば、首を横に振るしかあるまい。さほどのものよ」
まさか、この天地に理解できぬことはないと思い込んでいた自分が滑稽だとばかりにソロンは苦笑した。
それからソロンは表情を真摯なものへと改める。
すると、そこにいるのはボルニスの街の小汚い世捨て人ではなく、この西域でも屈指の大賢人その人であった。
「そもそも、王とは何ぞや?」
唐突に投げかけられたソロンの問いに、誰もが明確な答えを出せず、互いに互いの顔を見合わせた。
そんな皆に向けて、ソロンは穏やかな口調で語る。
「王とは、国よ。人々は王の姿形から目に見えぬ国というものを見い出す。王の言葉を声なき国の言葉として聞く。王の姿勢から、自我なき国の意志を知る。多くの者にとって、王とはまさに国そのものなのよ」
ここでソロンはため息をひとつ洩らしてから続けて言った。
「ところが、どうも小僧は王の存在を軽く見ておるところがある。それ故に、王侯貴族を廃せると安易に考えてしまっておるのじゃ」
蒼馬とて馬鹿ではない。王侯貴族が存在する意義も、きちんと理解している。
だが、ソロンが見たところ、その言動の端々から蒼馬は血統による支配や個人へ権力が集中する構造に拒否感を覚えているようだった。
おそらく、それは蒼馬の深層に根づいている異世界の常識からくるものなのであろう。
そのため、蒼馬は頭では理解していても、どうしてもそちらに判断が引っ張られてしまう傾向がある。
それは、この世界の常識に囚われないという蒼馬最大の武器だ。そして、それと同時に欠点でもあった。
今回はその欠点の方が大きく出てしまっているのだろう。
そうソロンは考えていた。
「時期尚早なのじゃよ。今はまだ王なかりせば国はまとまらぬ」
ため息とともに語るソロンに、エラディアが疑問を呈する。
「確かに、これまでは王あってこそ国は成り立ちました。しかし、だからこそソーマ様は王に代わって法を第一とする法治なる考えをもって国を打ち立てようとし、またソロン様もそれにご尽力されていたのだと考えておりましたが?」
ソロンは「左様」と力強くうなずいて見せた。
「しかし、それを果たしてどれだけの民が理解できているとお思いか?」
ソロンの指摘に、エラディアは苦笑しか返せなかった。
「わしも小僧も法治の理念を広く知らしめるべく、いくつもの手を打っておる。されど、それだけで法治の理念が周知できたとは思っておらん。どのようにしようと理解されるには時がかかる。こればっかりは仕方あるまい」
ソロンは大いに嘆いた。
「これがボルニスの街だけならば、わしや小僧の目も届こう。しかし、ことは国丸ごとひとつよ。とうてい目など行き届かん。わしらが関知し得ぬところで法治の理念がいかように変節し、取り返しがつかぬ事態になりかねんわ。次は、領地ひとつが吊るされた死体で埋まるぞ?」
ソロンが示唆するのは、誤った法治の考えによって村人同士が私刑を繰り返した挙げ句に開拓村ひとつが離散してしまった事件である。
ソロンの指摘に、ボルニスの街以前から蒼馬に仕えている者たちが一様に渋い顔になった。
「国の礎となるはずの法治の理念も行き届いておらん。周辺諸国は煮えたぎった油。まさに内憂外患と言う奴よ」
ソロンはおどけるように、ひょいと肩をすくめた。
「それらに対処するためには、このように悠長に人を集めて話し合いをしてはいられまい。火種が大火となって燃え上がる前に消すには、即断即決が求められる。そのためにも誰かひとりに決定権を委ねねばならん。――では、それを誰に委ねる?」
その問いに誰もが脳裏に思い浮かべた答えをソロンは言葉にする。
「小僧しかおるまい」
決して大きな声ではなかったが、ずしっとした重い衝撃をともなって聞く者に届いた。
「結局は、小僧が人々を率い、国を動かす。では、そのとき、小僧は何と名乗る? 指導者か、首長か、執政官か? しかし、いかように小僧が名乗ろうと、ここに居る者たちを含めて多くの民たちは、それを王の別名としか思わん。王と呼ばれぬ王が生まれるだけにすぎん」
ソロンは「やれやれ」と言わんばかりに首を左右に振った。
「それでは小僧が目指す民に主権を委ねるという理想に、かえって禍根を残す結果となろう」
しばし沈黙が舞い降りた。
さすがに誰もがソロンの語ったことすべてを理解したわけではない。しかし、それでもこのままでは大きな問題が生じてしまうという認識だけは共有できた。それは途中まで退屈そうに大あくびをしていたジャハーンギルですら、自身でもそうとは気づかぬまま居住まいを正しているところからも明らかである。
その中でガラムは胸の内の不安と困惑を言葉に乗せて言う。
「正直なところ、俺には話が大きすぎて全部はわからん。だが、このままではまずいということはわかった。――では、どうすれば良いのだ? 何か良い解決策はあるのか?」
ガラムの真剣な問いに、皆も釣られるようにソロンへと目を向ける。そうして皆の注視を集めながらソロンは椅子に座り直すと、腰に吊していた酒瓶に口をつけ、舌を湿らせてから、事も無げに答えた。
「簡単なことよ。小僧が王になれば良い」
ソロンは断言した。
「もはや元ホルメア国の諸侯や民たちは、小僧を王に等しいと認めておる。今さら小僧が王となるのに異を唱える者はおるまい。
国外からはロマニア国がヴリタスを押し立てて簒奪だと文句をつけてこよう。しかし、何をどうしようとロマニア国はいちゃもんをつけてくるので無視すれば良い。後は他の諸国じゃが、奴らは内心はどうあれ小僧を王として認め建国を受け入れるであろう。何の問題もない」
蕩々と語るソロンに圧されて呆気に取られていた皆の中で、いち早く我に返ったピピが声を上げる。
「ですが、ソーマ様は身分がない国をお作りになられるとおっしゃっていました。それでは、あの宣言に反するのではないですか?」
その言葉に、かつては奴隷に落とされた者たちはそろってうなずいて同意を示した。
「無論、最終的にはそうなる。小僧が王となるのは、あくまで一時のことよ」
そう念を押してからソロンは続けて言う。
「これよりは反乱を起こしたわしらと国との戦いではない。国と国との戦いよ。なれば、わしらを率いる小僧には、他国と対等に渡り合うために名分だけでも王になった方がやりやすい。
その上で近隣諸国と戦で決着をつけるなり、対話をもって和を結ぶなりすればよいのじゃ。そうして国の基盤を固めつつ、国内では民らに小僧の思想を学ばせる。そして、頃合いを見計らって小僧は民へと国の主権を移譲して退位するのじゃよ」
ここでソロンはずいっと身を乗り出して言う。
「良いか。この小僧が王になってから主権を民へと移譲する。ここが肝要よ」
これに「どういうことか?」と皆に目で問われたソロンは、ゆっくりと噛み砕くように説明する。
「現状、このホルメア国の終焉と新国家建設の一連の出来事を西域にいる大半の者は、奴隷や野蛮な異種族どもを率いた小僧による国盗りであり、王位の簒奪だと見ておる。それなのに、ここでいきなり国の主権を民へと渡してみよ。それでは山賊か野盗の頭が奪った宝物を手下に分配するのと変わりゃせん。何のありがたみもないわ」
ソロンは小馬鹿にするように小さく鼻を鳴らした。それから真剣な面持ちを作って言う。
「しかし、あえてここで小僧が王になる。それ自体は、やはり王位の簒奪だったと今よりも激しく誹られよう。ところが、そうして一度は手にした至尊の地位と権力を時が至ればすべてを民へと移譲するんじゃ」
自分の話に聞き入る者たちの顔をぐるりと見回してから、ソロンは力を込めて言う。
「結果は変わらん。しかし、その行為の重みはまったく違うものとなろう」
喩えは悪かったが、これに皆は「なるほど」と納得した。
頼んでもいない国の主権をいきなり投げ渡されても、民はありがた迷惑に違いない。しかし、一度は手にした至尊の地位と権力を捨ててまで国の主権を移譲されるとあっては、それを多くの民は私利私欲を捨てた高貴な行為と受け取るだろう。
すべてを語り終えたソロンは疲れたとばかりに椅子の背もたれによりかかった。ギシッと背もたれを鳴らした後、ソロンはつまらなそうな顔で言う。
「おおかた、そこの大宰相様もそのような意図で小僧に即位を勧めたんじゃろう?」
ソロンの言葉にポンピウスは声に出しては何も言わなかったが、小さく頭を下げて肯定した。
しばし瞑目してソロンの話を頭の中で咀嚼していたガラムは、胸の中に湧き上がる熱を吐息に乗せてゆっくりと吐き出した。
「なるほど。理解した。無学な俺だが、話を聞く限りでは、ソーマが王となるのが正しいように思える」
ガラムが「皆はどう思う?」と皆の顔を見回すが、いずれも同意を示すうなずきを返すだけだった。誰も異論がないと見たガラムはポンピウスに問いかける。
「しかし、ソーマはそれを拒絶したというわけだな」
「左様にございます」
ポンピウスは苦笑とともに答えた。
「いくら私が説きましても、王にはならないの一点張りでお受けいただけませんでした」
これにガラムは意外に感じた。
ガラムが知る限り、蒼馬は他人の意見にも素直に耳を傾け、それが正しいと思えばそれまでの自分の主張を曲げても受け入れるだけの度量がある。それどころか、むしろ他人の意見に耳を傾けすぎて、周囲からはあまりに気弱すぎるのではないかと心配されている程だ。それだというのに、これほど理に適ったポンピウスの提案を拒絶するとは思えなかったからである。
それほどまでに蒼馬が拒絶している理由を知るべく、もっともそれを知っていそうな者にガラムは声をかけた。
「《気高き牙》よ。おまえは、そこに居合わせたのだろう。なぜソーマは、そこまで王とやらになるのを嫌がっているのだ?」
シェムルは自他ともに認める蒼馬の第一の臣である。また、蒼馬がこの世界にやってきてからは片時も離れずに傍に侍り、常に蒼馬のことを第一に考えてきた。ここで一番蒼馬の心情を理解しているのは、間違いなく彼女だろう。そのシェムルに、蒼馬が王になるのを拒絶している理由をガラムは尋ねた。
すると、シェムルはしかめっ面を作って答える。
「うむ。あれは意固地になっているだけだな」
思いもかけない答えに皆が異口同音に「意固地に?」と言うと、シェムルは「そうだ」とばかりにうなずいてから言葉を続けた。
「ソーマは自分で皆が平等となる国にすると口にしたのだ。それを今さらになって自分が王になるのは、みんなとの約を破ることになってしまう。ましてや、これまでに少なからぬ同胞が命を落としているのだ。そうした犠牲となった者たちの手前、その方が都合が良いからと王になることはできない。おおかた、そんなことを考えているのだろう」
シェムルはほとほと呆れると言わんばかりに、大きなため息をひとつついた。
「完全に意固地になっているな、あれは。ああなると、もうダメだ。我が『臍下の君』ながら、困ったものだ」
シェムルがしみじみと語ると、それにガラムが険しい顔で同意を示した。
「まったくだ。くだらぬ意地を張った奴ほど手に負えぬものはない」
驚くほど実感がこもった兄の言葉に、シェムルは驚きの声を上げる。
「おお! わかってくれるか、《猛き牙》」
「ああ。わかるとも」
ガラムはしっかりとうなずいて言った。
「本当は自分でも違うと気づいているくせに、素直になれん。何のかんのと理由をつけて我を通そうとする。なまじっか周囲から気高いとか言われているだけに始末に負えん。皆は知らんのだ。これは気高いのではなく、ただの頑固な馬鹿というものだ、と」
たっぷりと実感のこもったガラムの言葉に、同意するようにうなずいていたシェムルだが、最後の言葉が引っかかった。
「ちょっと待て、《猛き牙》。それはソーマのことを言っているのか?」
ガラムは、ついっと顔を背けた。
「……そのつもりだが?」
「おい、《猛き牙》。こっちを見て言え!」
シェムルは、くわっと牙を剥いて怒鳴った。
「族長に《気高き牙》も、そういうことは天幕の内でやってくれ。同じ氏族として恥ずかしい」
あわや兄妹喧嘩が始まりかけたところへ割って入ったのは、グルカカだった。ふたりの父親のガルグズとは親友であったグルカカである。ふたりとは親と子の間柄ほど親しい彼は、ふたりをたしなめるのはなれたものであった。
兄妹喧嘩を制止したグルカカは、いまだに剣呑な目つきで兄を睨みつけるシェムルに尋ねる。
「《気高き牙》よ。私には人間にとって王がどれほどのものであるかはわからんが、ソーマ殿は族王となったときは問題なく受け入れたと記憶しているが?」
グルカカの問いに、シェムルはわずかに困惑を浮かべながら言う。
「私もよくわからんのだが、族王は名ばかりの称号だから良いのだそうだ」
これにセティウスやアドミウスといった人間の武将がそろって驚いた顔になった。
彼らにとって戦場で戦うのも名を上げるのも、基本的に褒賞として下される金銀や領地を得るためのものである。それを名ばかりのものの方が良いというのは理解しがたいものであった。
「ソーマ様も男というわけですな。他者には理解できないこだわりがあるのでしょう」
そう理解を示したのは、マルクロニスである。
長らく下級兵士のとりまとめ役を務めていた古参兵である彼は、これまで多くの新兵たちを見てきたが、そうした新兵の中にはやけに正々堂々とした戦いにこだわったり、仲間を助けるのにこだわったりする者たちがいた。
おそらくは、いつ自分が死ぬかもわからぬ極限状態の中にあって自己を保つため、決して譲れない一分を自分の中に設け、それをよすがにしていたのだろう。
マルクロニスは、ふっと苦笑を浮かべる。
「だが、そうしたこだわりによって、かえって死んでしまう兵を私はこれまで多く見てきたものです」
正々堂々とした戦いにこだわったがために敵の卑怯な手によって討ち取られてしまった新兵。自分の制止を振り切ってまで仲間を助けようとした挙げ句に自分ばかりか他の仲間まで死なせてしまった若い小隊長。
いずれもマルクロニスの苦い思い出である。
「それがソーマ様の話ともなれば、巻き添えになるのは国でしょう。死ぬのはひとりやふたりですむ話ではない。ここはソーマ様にこだわりを曲げていただいても、即位していただくのが最上と考えるがね」
古強者の実感のこもった発言に、誰もがうなずいて同意を示した。
しかし、次のドヴァーリンの言葉に、場が固まってしまう。
「だが、問題は誰がソーマ殿を説得するんじゃ?」
気が弱いので知られる蒼馬だが、それと同時に決して譲れないと思ったことに関しては異様に頑固なところがあるのも皆が知るところであった。
特に今回の問題となっているのは、すべての人々を平等にするという蒼馬の揺るがせない建国の理念にも関わるものである。いかに国のためとはいえ、それを蒼馬に受け入れさせるのは誰が見ても困難なことなのは明らかだった。
誰も彼もが難しい顔でうなってしまう中で、ひとりだけニヤニヤとした笑みを浮かべていたソロンが事も無げに言う。
「そりゃ、小僧の第一の臣しかおらんではないか?」
皆は、いっせいに視線を同じ方向へと向ける。
そうした視線の先で、シェムルはひとりで目をパチクリとさせていた。
エタってないよ! 本当に仕事が忙しいだけだからね!
同僚2名が長期療養に入っちゃったので死ぬほど忙しいだけだよ!
4年前に椎骨動脈解離で長期療養に入っちゃった私は文句も言えない orz
先月末の残業&休日出勤禁止のサービス期間中に書いたのをとりあえず放出!
建国の章は、あと数話! もうちょっと付き合ってね!




