第40話 貧血
ついに激昂したメンダックスが凶刃を振り上げて襲いかかろうとした。
まさに、そのときである。
突如、部屋の扉が蹴り開けられた。
そして、そこから部屋へと飛び込んできたのは、明るい栗色の毛をしたゾアンの女戦士である。
それはゾアンの姿形など見分けがつかないメンダックスにも見覚えがある、常に破壊の御子の傍らに控えていたゾアンの娘――シェムルであった。
勢いよく部屋の中に飛び込んできたシェムルは素早く周囲へ目を配る。
すると、そこにあったのは、顔を蒼白にしながらも毅然と立つワリナ王女と、その王女を押しとどめようと取りすがる侍女たち。そして、そんな彼女らの前で抜き身の短刀を見せつけるようにして持つメンダックスの姿である。
一瞬でそれらのことを見て取ったシェムルは、次の瞬間にはメンダックスへと飛びかかった。そして、山刀を抜き放ち様に短刀を握るメンダックスの手へと振り下ろす。
メンダックスの口から絶叫がほとばしった。
シェムルの山刀の一撃は、短刀を握るメンダックスの指を数本まとめて叩き切ったのだ。メンダックスが握っていた短刀とともに、切り落とされた指が床に転がり落ちる。それを見届ける余裕もなく、メンダックスは切られた手から伝わる焼けつくような激痛に、手を抱えるように身体を丸めようとした。そこへシェムルは山刀を返すと、その柄頭をメンダックスの顎へと叩き込む。
顎を強打されたメンダックスは、くぐもった苦鳴を上げながら床に倒れた。
さらにメンダックスに止めを刺そうと、シェムルは山刀を振り上げて飛びかかる。
「やめて、シェムル! 殺さないで!」
あわやのところでシェムルを制止したのは、蒼馬であった。
すんでのところで蒼馬の制止に山刀を止めたシェムルは、メンダックスの止めを刺せなかったのに不満げに鼻を鳴らす。それから、その不満をぶつけるように、床を這いずるメンダックスをその背中を踏みつけて動きを押さえ込んだ。
踏み潰された蛙のような悲鳴を上げたメンダックスは、自分を踏みつけるシェムルと、彼女が蹴り破った扉から兵士を連れて部屋に入ってきた蒼馬を交互に見やりながら疑問の声を上げる。
「な、な、なぜ?! もうここにいる?!」
つい先程、その軍勢が姿を現したばかりである。いかに民が王都に招き入れたとしても、堅く門を閉ざした王城の中――特にワリナ王女の居室がある後宮にやってくるには、まだまだ時間がかかるはずだ。それなのに城門が破られたとの報せすらないというのに、こうして目の前に蒼馬たちがいるのにメンダックスは混乱していた。
「おまえは、馬鹿か?」
錯乱するメンダックスへシェムルは呆れ返った顔で言う。
「人に見つからず城から抜け出せたのならば、同じく人に見つからず城に入ることもできるだろう」
メンダックスは、あっと小さく声を上げた。
蒼馬とシェムルたちが、こうして王宮の奥深くにある後宮まで侵入できたのは、もちろん脱出の際に利用した抜け穴を侵入口として逆利用したからである。悠然と軍勢を王都へと進ませ、メンダックスの私兵らの注意を外へ向けさせ、警備が緩んだところで抜け穴を使って少数の兵を王城の内側へ侵入させたのだ。
もとより士気はガタ落ちであったメンダックスの私兵たちである。早くも城内に侵入してきた敵の姿を見ただけで、抵抗らしい抵抗もせずに早々と投降してしまい、ほぼ素通りで蒼馬たちはここまでやってこられたのである。
部屋に入ってきた蒼馬は室内の様子からおおよそのことを察した。
最初に驚いた顔になり、次いで顔に怒りの色を浮かべた蒼馬は、シェムルに踏みつけられたメンダックスの鼻先に荒々しく足を落とした。
「ど、どうかご慈悲を! 命ばかりは……!」
この期に及んでも命乞いをするメンダックスを見下ろしながら、蒼馬は吐き捨てるように言う。
「言っておくが、今ここでおまえを殺さないのは助けたからじゃない。ことの真相を明らかにし、それをもっておまえを法で裁くためだ!」
そして、それ以上の命乞いなど一顧だにせず、蒼馬はメンダックスを地下牢へと叩き込むように兵に命じた。
兵に引きずられて部屋を出るメンダックスとは入れ違いに、蒼馬たちとともに兵を連れて城へ侵入していたセティウスがやってくる。
「メンダックスの私兵の大半が投降してきました。息子のパダックスはどこかへ逃げたようですが、すでに城門は押さえてあります。王城の外へは逃げられません。すぐに見つかるでしょう」
セティウスの言葉のとおり、程なくしてパダックスは捕縛された。
その際、パダックスは女装であった。武具を脱ぎ捨て女官の服を着て蒼馬の兵の目を誤魔化し、混乱に乗じて城門を出ようとしたのである。ところが、女にしてはあまりに大柄なパダックスの姿はかえって目立ち、それを不審に思った兵に呼び止められた結果、捕縛に至ったという。
そのため、パダックスは似合わない女装のまま縄をかけられて蒼馬の前に引き出されるという恥辱を味わうことになるのである。
「まだ抵抗する兵が隠れているかも知れない。徹底的に捜索して下さい。あと、被害状況の確認もお願いね」
蒼馬の指示にセティウスは「了解いたしました」と短く答えると、指示を実行すべく踵を返した。
そうしてセティウスが部屋から出て行くと、ようやく蒼馬はホッと安堵の吐息を吐いて肩から力を抜く。それからできるだけ優しく微笑みながら、ワリナ王女に向かって言う。
「間に合って良かった。ご無事で何よりです」
蒼馬の言葉に、ワリナ王女らはようやく窮地を脱したことを実感した。気の抜けた侍女の中には、そのまま失神してしまう者も出る。
その中で、ワリナ王女もまた必死にこらえていた恐怖が一挙に襲いかかってきたように身体をガクガクと震わせた。その目尻には涙の粒が盛り上がり、瞬く間にそれは瞼の堰を切って頬へと流れ落ちる。
「あああ……!」
言葉にならない声がワリナ王女の口から洩れた。
そして、ワリナ王女は蒼馬に向かって衣装の裾を翻し、小走りになって駆け出した。
蒼馬は、少し驚いた顔になる。
しかし、すぐに柔和な笑顔を浮かべると、ワリナ王女をその胸に迎え入れるように、両腕を開いた。
飛び込んできたワリナ王女をたくましい腕が、優しく抱き留める。
「怖かった! 怖かったんです……!」
絶叫とともに泣きじゃくるワリナ王女の頭を優しく撫でながら、穏やかな口調でなだめた。
「そうか。おまえはがんばったんだな」
その言葉に、感極まって言葉も返せないワリナ王女は胸に顔をこすりつけるようにして何度も何度もうなずいて見せる。そのいじらしい姿に、もはや言葉はいらないと抱き締める腕の力を増した。
「……ねえ、シェムル――」
その光景を隣で見ていた蒼馬は、ワリナ王女に素通りされてしまった両腕を無意味に開いたまま、なじるように言う。
「――ここは僕の役割だと思うんだけど?」
「うむ。私もそう思うんだが……」
その胸にワリナ王女を抱いたまま、シェムルは困り果てたように言った。
◆◇◆◇◆
ようやく気も落ち着いたワリナ王女は、自分が蒼馬を無視してしまったことに気づき、大慌てで謝罪した。それに対して蒼馬もまたワリナ王女へ謝罪を返す。
「まさか、メンダックスがあなたに危害を加えるとは思っていませんでした」
これは完全に蒼馬の盲点であった。エラディアですら、その可能性はあっても、まずあり得ない事態と考えていたぐらいである。
何しろ、仮にメンダックスとアッピウス侯爵の反逆が成功していたとしても、その後ふたりには国内をまとめなければならないという難事が待ち構えているのだ。
当然、蒼馬と友好的な西部の諸侯らはメンダックスらに反発するだろうし、他の地域の諸侯とて「はい、そうですか」とふたりに従うとはとうてい思えなかった。
そうした諸侯をまとめあげてホルメア国を再興させるのは、並大抵のことではない。しかも、その混乱が長引けば長引くほどロマニア国をはじめとした隣国からの介入の恐れが出てくるのだ。下手をすれば、国を再興するのは反逆を成功させるより何倍も難事となるだろう。
それだけに、ワリナ王女の存在は重要だ。
国内に残った唯一人の王統を受け継いでいる彼女を女王に即位させられれば、大半の諸侯は内心はどうあれ異は唱えられない。その上でメンダックスとアッピウス侯爵のふたりで国の実権を握るのが、国をまとめるもっとも簡便かつ確実な手段であるのだ。
無論、メンダックスの息子のパダックスに王族の血は流れているとは蒼馬も聞いていた。
しかし、パダックスは、あくまで王族から降嫁したワリウス王の妹の息子である。家督の継承を男系にしか認められていないこの時代においては、パダックスはとうてい正統な王族とは言いがたい。
また、パダックスをホルメア王に即位させた場合、ロマニア国にいるワリウス王の弟ヴリタスの存在が問題となる。
仮にも前王の息子であるヴリタスは血筋の正統性から言えば、パダックスよりも分がある。また、蒼馬が正統なホルメア王として遇して送り出し、それをやむを得ずとはいえ受け入れたロマニア国だ。災い転じて福と成すとばかりにヴリタスをホルメア王として担ぎ出し、パダックスの即位に異を唱えてくるに決まっている。そして、それにメンダックスやアッピウス侯爵を快く思わない国内の勢力が同調すれば、まとまるものもまとまらなくなるだろう。
それらを考慮すれば、メンダックスがワリナ王女を害してパダックスを王位につけようとするとは、とうてい考えられなかったのだ。
そのため、次期女王となるワリナ王女をメンダックスが無下には扱わないだろうと、蒼馬をはじめ誰もがそう思い込んでいたのである。
ところが、アッピウス侯爵を討ってから改めて王都の情勢を調べた蒼馬は、自分がワリナ王女を害したがために挙兵したというメンダックスの言い分に、びっくり仰天した。
さらに「だから小人という奴は、目先の欲に囚われ、何をしでかすかわからんと言ったろうが」とソロンの叱責を受けた蒼馬は、大慌てでワリナ王女の救出のために本来は秘匿しておくべき抜け穴まで使って兵を王城へと入れたのである。
また、戦闘に関してはまったくの無能どころか足手まといにしかならない蒼馬が、当然あった皆の制止を振り切ってまでシェムルとともにワリナ王女救出のために城に乗り込んだのも、メンダックスの暴挙を見落とした自責の念からでもあったのだ。
そうした蒼馬の謝罪に対して、ワリナ王女はむしろ困惑を示した。
たとえ冷遇され、らしくはないと言われていても、ワリナ王女もまた時にはその身命すら政の道具として扱われる王女のひとりである。敵ではないにしろ、明確な味方でもない自分を策のために危険な目に遭わせてしまったと謝罪する蒼馬の方が奇異に思えたのだった。
「だから、おまえはいつもどこか抜けていると言うんだ!」
その代わりに蒼馬の失態をなじったのは、シェムルである。
また、今回のことについては彼女自身にも憤慨する理由があった。
「それに、だ! 聞けば、私は戦装束で決闘に立ち会わせられていたというではないか!?」
戦装束で決闘に立ち会うとは、本来ならば一対一の決闘を見届けるだけの立会人があえて戦装束になることで相手を威圧し、決闘を仲間の有利なものにしようとするところから、良くない企みや悪事に荷担するといった意味のゾアンの言い回しである。
これに蒼馬は驚いた。
「え……? いったい何のこと?」
「とぼけるなっ!」
シェムルは、カッと牙を剥く。
「おまえたちふたりが食べると言うので、私がわざわざ料理の腕を振るったというのに、それはワリナをイジメるためだったと聞いたぞ!」
シェムルの厳しい糾弾に、しかし蒼馬は驚きに丸くした目を瞬かせるだけだった。その様子に、蒼馬が本当に何のことかわからずに驚いているだけだと察したシェムルは、いったん怒りの矛を収めると、眉間にシワを寄せて尋ねる。
「ソーマ。おまえは私に血の腸詰めを作るように言ったよな?」
ワリナ王女との茶会の後、シェムルが蒼馬に頼まれて作ったのは、細かくした臓物や軟骨とたっぷりの香辛料を入れて作る血の腸詰め――ブラッドソーセージであった。
ゾアンの大祭ボロロのために巫女頭のところを訪ねた際に食べて以来の蒼馬の好物であり、これを作ることに関しては料理人マルコよりもシェムルが得意とする唯一の料理である。
「うん。言ったよ。あれはおいしかったなぁ……」
つい先日も食べた血の腸詰めの味を思い出し、蒼馬は恍惚とした顔になった。それに「私が作ったのだから当然だ」と得意げに胸を張ったシェムルだが、すぐに我に返る。
「そういうことではない! それをおまえは嫌がるワリナに食べるように強要し、イジメていたと聞いたぞ?!」
これに蒼馬は、きょとんとした顔になった。それから憤慨したように眉間にシワを寄せて言う。
「なんで、僕がイジメなくっちゃいけないんだ。確かに無理して食べてもらったけど、それもワリナさんのことを思ってなんだよ」
心外だとばかりに言う蒼馬に、シェムルは小首をかしげて見せた。
「それは、いったいどういう意味だ?」
シェムルの問いに、蒼馬は「やれやれ。しょうがないなぁ」と言わんばかりの表情で語る。
「ワリナさんの虚弱な体質に、『蟲姫』と呼ばれる理由となった土を食べてしまうという行動――」
あえて、そこで言葉を切り、もったいぶってから蒼馬は言った。
「たぶん、これらは貧血の症状だと思うんだ」
聞き慣れない単語に、シェムルとワリナ王女は異口同音に「貧血?」とおうむ返しに言った。
貧血とは何らかの理由から血液中の赤血球の数か、含まれているヘモグロビンの量が減少することで身体に十分な栄養や酸素が供給されなくなる病気だ。そのため、顔色が悪かったり少し動いただけで立ちくらみを起こしたり、頭痛やめまいといった症状を生じる。
また、貧血の患者の中には、身体が不足するミネラルを欲するのか、土や石などの食べ物ではない異物を食べたくなる症状――異食症を示すことがあるという。
蒼馬の母親もまた幼い頃に貧血を患っており、その際にやはり本来は食べ物ではない土や粘土を食べてしまう異食症を引き起こしていたという話を聞いていた蒼馬は、ワリナ王女の話に「もしや貧血では?」と疑ったのだ。
そこで母親が語っていた他の貧血の症状である爪の変形や瞼の裏側の血色の不足などを確認してみたところ、まさに貧血の症状を示していたのである。
「遺伝性とかだったら僕じゃどうにもならない。だけど、ワリナさんの偏食を考えれば、鉄分の不足が原因の可能性が高い」
貧血の原因で一番多いのは、赤血球を作るために必要な鉄などのミネラルの不足である。鉄分の不足は成長期などに多く見受けられ、特にワリナ王女ぐらいの年頃の女性では月経によって血液が損失するために起きやすい。
蒼馬の母親の場合もまた鉄分の不足が原因であり、病院で処方された鉄剤を服用して症状が改善されたと聞かされていた。
それならば同様に鉄分を補ってやればワリナ王女の体質も改善されるはずだ。
そう考えた蒼馬だが、当然ながら鉄分を補給するための鉄剤はこのセルデアス大陸には存在しない。
そうなると不足する鉄分は、食事によって摂取しなくてはならなかった。
基礎的な食事の重要性を教える学校教育によって、蒼馬はほうれん草やプルーンなど鉄分を多く含む食材をいくつか知ってはいた。
しかし、ここは地球ではなく異世界のセルデアス大陸である。
蒼馬が知る食材はいまだ見つかっておらず、また仮に見つかったとしても果たしてそれが地球上のものと同じとは限らない。
そこで蒼馬が思いついたのが、血の腸詰めであった。
血そのものが食材なのだから、血の腸詰めには身体で血を作るために必要な栄養素がすべて含まれているのは間違いない。あるかないかわからない食材を探すよりも、血の腸詰めを食べてもらった方が確実に鉄分を補給できると蒼馬は考えたのである。
「そう思ったからシェムルに頼んで作ってもらって、ワリナさんには無理してでも食べてもらったんだよ」
そのようなことを蒼馬はシェムルとワリナ王女を前に得々と語った。
それを聞き終えたシェムルは、まるで頭痛をこらえるように自分のこめかみを指でもみほぐしながら顔をしかめて蒼馬に問う。
「つまり、ワリナは病気で、おまえはそれを治そうとして血の腸詰めを食べさせていた、というわけか……?」
「うん。そうだよ」
蒼馬は、あっけらかんと答えた。
自分が良いことをしていたと思って疑っていない得意げな顔の蒼馬を前に、シェムルは頭痛がひどくなったように、さらに顔をしかめる。
「それで、おまえはそれをワリナに説明したか?」
蒼馬はしばし自分の記憶を探るように視線を宙に向ける。
「いや。言ってないかな? うん。言ってないな」
蒼馬の言葉に、シェムルの全身の毛が、ゆっくりと起き始め。
それにともない蒼馬はシェムルの周囲の空気が陽炎のように揺らめいているような気がした。
「ほう……。なぜ言わなかったのだ?」
なぜか不穏な空気をまとい始めたシェムルの言葉に、蒼馬は困惑しながら答える。
「うん? だって、僕は医者じゃないし間違っているかも知れないからね。病気が治るんだと変に期待させて失望させるのも悪いから――」
シェムルの口許から、ギリギリと歯ぎしりする音が鳴り始めた。
まずい。何か、とてもまずい。
そうは思いつつも、一度動き出した蒼馬の舌は、残りの言葉をつむぐ。
「――そ、それに、貧血だっていうのも勘違いだったら僕も恥ずかしいじゃないか……」
シェムルの身体が爆発するかのように、全身の毛がいっせいに逆立った。
「この馬鹿がっ!」
シェムルは怒声とともに握り締めた拳を蒼馬の頭に叩き落とした。
人の頭からは出てはいけない激しい音が部屋に鳴り響く。
目玉が飛び出るかと思うような衝撃と激痛に、蒼馬は意味不明なうめき声を上げながら殴られた頭を抱え込んで座り込む。
特大の拳骨を落としてもまだ怒りが収まらないシェムルは、座り込んだ蒼馬の胸元を掴んで引き起こすと、その身体を力任せに揺さぶりながら吠える。
「私がいつも言っているだろ! その勝手に暴走して、周囲に迷惑をかけるようなマネはやめろ、と! だいたい、貴様は――」
もはや抵抗する力も気力もないのか、首振り人形のようにシェムルのなすがままに首を前後に揺する蒼馬と、それでもなお怒りが収まらないシェムル。
臣下が主に非を唱えるだけでも言語道断だと言われてもおかしくないというのに、非を唱えるどころかその手を上げ、今なお激しく糾弾する。
この光景に、ワリナ王女は茫然自失としてしまった。
生粋の王族であるワリナ王女からしてみれば、とうていあり得ない光景である。それだというのに、周囲にいる蒼馬の兵たちは「またか」と言わんばかりの呆れ顔だ。
私はメンダックスに命を奪われて死ぬ直前の夢を見ているのだろうか?
その可能性を真剣に検討し始めていたワリナ王女が我に返ると、自分の目の前で蒼馬が土下座をしていた。
「僕の配慮が足らず、本当に申し訳ございませんでした」
土下座をしたまま震える声で謝罪する蒼馬に、その後ろで今なお怒りに毛を逆立てているシェムルが「声に誠意が足りん!」と吠えていた。
衆人環視の下で主を殴りつける臣下。
その暴虐に怒るどころか、恐縮する主。
そして、被征服者の姫である自分に平伏して謝罪する征服者。
これまでのワリナ王女の世界ではあり得なかった光景。
それを前にしたワリナ王女は、くすっと笑った。
その笑いを皮切りに、ワリナ王女はクスクスと笑い続けた。これまでの自分からは考えられない行動に、侍女らが目を丸くして驚いているのに気づいたが、それでもワリナ王女は自分の胸の奥底から突き上げてくる笑いの衝動をこらえきれずに笑い続けたのである。
ひとしきり笑ってから、ようやく笑いの衝動が収まってきたワリナ王女は目尻に浮かぶ涙を指先で拭いながら、自分をきょとんとした顔で見上げる蒼馬へ言う。
「ソーマ様。この私の悪癖は、血の腸詰めを食べれば治るのでしょうか?」
蒼馬は目をパチクリとさせながら答える。
「えっと……保証はできないけど、たぶん。あ、でも、それだけじゃダメかも。偏らずに、いろんなものを満遍なく食べた方が良いと思うよ」
ワリナ王女は少し難しそうな顔をしてから、こくりとうなずいた。
「わかりました。私もがんばって好き嫌いなく色んなものを食べるよう努力いたします」
「うん。それが良いと思う!」
蒼馬は自分の後ろに立つシェムルを見上げて「どうだ、彼女は理解してくれたぞ」と得意げな顔を作った。それにシェムルは、くわっと牙を剥く。
「おまえが得意げになることかっ!」
シェムルの叱責に、蒼馬は身体を小さくした。
そのふたりの姿に、ようやく収まりかけていた笑いの衝動がぶり返したワリナ王女は、再び笑い声を上げたのである。
後世に「アッピウスとメンダックスの乱」と呼ばれる内乱は、こうしてワリナ王女の笑い声で終わりを迎えたのであった。
◆◇◆◇◆
この「アッピウスとメンダックスの乱」において、破壊の御子ソーマ・キサキがあまりにも正確に反乱計画を掴み、それを逆手にとってメンダックスとアッピウス侯爵を簡単に打ち破ったところから、これはホルメア国の旧勢力を一掃するための破壊の御子の陰謀であったという説がある。
特に破壊の御子が諸悪の根源とされていた中世から前近代においては、それは定説ともなっていた。
しかし、実際に破壊の御子がそのような手段を取る必要性も少なく、またわずかに残る貴重な資料のすべてにおいて陰謀を裏付けるものも見つかっていない。そのため現代では、メンダックスとアッピウス侯爵の杜撰な反乱計画が破壊の御子の適切な対処により早期に終結しただけという説が有力視されている。
また、それを裏付けるように近年になって発見された「シェムルの覚書」には、この内乱について次のように書かれている。
「馬鹿が馬鹿をやって周囲に迷惑をかけただけの騒動」
何とも辛辣な批評である。
しかし、それを記したシェムルの気質を考慮すれば、メンダックスとアッピウス侯爵の反乱は、その失敗が馬鹿をやったと言われてもやむを得ないほど杜撰かつ場当たり的なものであったことに間違いない。
だが、それと同時にこの一文にはひとつの疑問がある。
それはこの一文の頭につけられた、次の単語のせいである。
「お互いに――」
この言葉が意味するところは、今なおわかっていない。
貧血による異食症なんてものが本当にあるかと思った方。これは本当にあります。
というか、私がそうでした!
私の場合は土や粘土ではなく、漆喰の壁でした。今思うと、なぜあのようなものを無性に食べたくなったのか謎ですが、当時は家族で悩んだものです。
その後、病院で同年齢の人の半分ぐらいしか赤血球がないと言われ、鉄剤を処方されてからは、ピタリと止まりました。なお、蒼馬のやった診断は実際に私が医者にやられたのを参考にしています。
これでめでたしめでたしと言いたいところですが、私は貧血だから常に鉄剤を飲もう!と貧血が完治した後も飲み続けた結果、気づくと肩から肘にかけて焦げ茶色のシミが……。鉄剤を飲みすぎると、皮膚に色素が沈着してしまうらしいです orz
みなさんは薬の用法・用量はお守りください。
今月はとうとう残業と休日出勤禁止!という上司命令が出たので、次話はあまり待たせず投稿できそうだよ!ヽ(`д´)ノ




