第35話 消失
メンダックスは、最初その言葉が理解できなかった。
王宮の出入り口は、すでに自分達が押さえているのだ。外敵の侵入を防ぐ強固な王宮は、それだけで内側からも脱け出せない檻ともなる。その中から逃げられようはずがないのだ。また、王宮内で隠れられるような場所も事前に把握しており、捜索する際にはそうした場所を優先的に探す手筈となっていたのである。
それなのに、破壊の御子が見つからないはずがない。
「ふざけたことをぬかすな! ちゃんと探せ!」
おおかた掠奪や陵辱にかまけた兵士達の怠慢だろう。そう思ったメンダックスが叱責すると、兵士は鼻白みながらも言う。
「それが、どうにもおかしく思い、捕まえた女官や官吏らに破壊の御子の行方を問い詰めたのですが――」
兵士は、ここでわずかに言い澱む。
「――夕方ぐらいから破壊の御子の姿をまったく見ていないと、誰もが口を揃えて言うのです」
兵士の真剣な口調と切迫した表情に、さすがのメンダックスも異変を感じた。
「そんなのワリナ王女と部屋に引きこもっていたからに決まっている!」
そう兵士を叱責したメンダックスは自分の主張を確かめるために、ワリナ王女のところへ足早に向かう。
「やめろやめろやめろっ!」
今まさに狼藉を働こうとしていた傭兵とワリナ王女との間に、メンダックスは両手を振り回して割って入った。
せっかく極上の獲物を前にして待ったをかけられた傭兵たちは、露骨に顔をしかめる。
「良いから、おまえたちはちょっと下がっておれ!」
小声で「すぐに用はすむ」と付け加えて傭兵たちの不満を抑えたメンダックスは、自分の指示で辱めようとしていたのをおくびにも出さず、へらへらとへつらうような笑みを浮かべてワリナ王女に問う。
「誠に申し訳ありませんが、姫殿下にお尋ねしたい」
未遂だったとはいえ、先程まで傭兵たちの獣欲にぎらつく目にさらされていたのである。身の危険を感じていたワリナ王女は、顔を青白くさせながら「何でしょうか?」と尋ねる。
「破壊の御子の奴です!」
メンダックスの言葉にワリナ王女は小首をかしげる。
「ソーマ様ですか?」
「そうです! 破壊の御子は、いずこに行かれたかご存じありませぬか?!」
思わぬ質問に目をパチクリとさせてからワリナ王女は答える。
「ソーマ様とは、今日はお会いしておりませんのでわかりかねます」
メンダックスの顎が、かくんっと落ちた。
「会っていない……?」
そんな馬鹿な、とメンダックスは思う。
自分の提案とはいえ、月下の小宴を開いてワリナ王女をもてなすと決め、ワリナ王女を招いたのは破壊の御子である。それが出迎えもしないとはあり得ない話だ。
メンダックスは「本当なのか?!」と詰問の意志を込めてワリナ付きの侍女を睨みつけた。メンダックスの視線に怯えながらも、侍女は答える。
「姫様のおっしゃるとおりでございます。今日、登城すると女官長と名乗るエルフの女が出迎え、破壊の御子は急用で城を出た、と。しばらくすれば戻ってくると言われたのですが、一向に戻ってきません。そればかりか接客していたエルフたちも、少し前から姿を見せなくなり、私どもは姫様をないがしろにするのかと憤慨していたぐらいでございます」
嘘は言っていないようだ。
顔を青くさせながらも憤慨する侍女の様子に、メンダックスはそう判断した。
しかし、それでは破壊の御子はどこにいった?
いずれにしろ何か自分の計画にはない異常事態が起きているのだけは間違いない。それがいったい何なのか明らかになるまでは、身柄を確保できたワリナ王女は重要な手札のひとつである。ここで下手に手札を切るわけにはいかなかった。
メンダックスは、まだかまだかと後ろで待ち構える傭兵たちに向かって言う。
「と、とにかく、ワリナ王女殿下に何かあっては一大事! 以前のお部屋にご案内し、そこでしっかりとお守りするのだ! よいか! 絶対に、絶対に粗相などするなよ! いいか! 絶対だぞ!」
繰り返し念を押すのに、傭兵たちも予定が変わったことをようやく理解したようだ。困惑を浮かべながらも、メンダックスの命令に受諾の意を示した。
さらに傭兵らの万が一の暴走も懸念したメンダックスは、息子のパダックスへ伝令を走らせると、私兵とともにワリナ王女の警護を命じ、くれぐれも間違いを起こさないようにと言い伝える。
兵士にともなわれてワリナ王女がいなくなると、メンダックスは苛立たしげに床を蹴って罵り声を上げる。
「くそっ! 破壊の御子め、どこにいったっ?!」
◆◇◆◇◆
「破壊の御子は、とっくに王都を出立していたというのか?!」
メンダックスが蒼馬の行動を掴んだのは、すでに朝日も昇った頃である。まんじりともせず破壊の御子発見の報せを待っていたメンダックスのところにもたらされたのは、発見どころか破壊の御子がすでに王都の外に出ていたというものだった。
「御意にございます。昨日、破壊の御子は例のゾアンの娘とわずかな警護の兵だけをともなって王都の正門より出立したと門衛は申しております」
破壊の御子は門衛に対し、月下の小宴でワリナ王女をもてなすため、小宴に供する獲物を自らの手で狩りに行くと言っていたという。そのため門衛もワリナ王女を大切に思って下さると快く送り出したそうだ。
しかも、そのとき破壊の御子はわざわざ馬から下り、門衛ひとりひとりに労いの言葉をかけ、居合わせた民たちへも愛想を振りまいていたという。
こうしたことが今までメンダックスの耳に届かなかったのは、メンダックスが王城と王都の情報を遮断していたためだった。万が一にも反乱が事前に洩れるのを防ぐためにとった処置が、かえって破壊の御子が王都から逃げ出していたという情報まで遮ってしまっていたのである。
「待て待て待て! 城の門衛は、何をしていた?! 破壊の御子が出て行ったのをなぜ報せなかった?!」
城門の門衛は、金と地位を確約して抱き込んだ者たちを配置し、何かあればメンダックスの屋敷に一報が入る手筈になっていた。また、反乱を起こす直前には、こちらから人をやって何も問題がないのを確認した上で事を起こしたのである。
その兵士は「それが……」とわずかに言いよどんでから続けた。
「破壊の御子ばかりか、そのような亜人の一匹も城門をくぐっていないと門衛たちは口を揃えて言っております」
メンダックスは激昂する。
「王城の門を通らずに、どうやって城下に行き、そこから王都の正門へと向かったというのだ?!」
激しい怒声に、その答えを持たない兵士は怒りの矛先をかわすように平伏した。
それにメンダックスは苛立たしげに舌打ちを洩らす。
「では、エルフどもだ! ワリナが登城したとき、エルフの女が出迎えたのだ。少なくともそいつらは城のどこかにいるはずだ!」
メンダックスの詰問に、兵士は困り顔をさらにしかめて言う。
「それが、王城をくまなく探させましたが、いまだに亜人の一匹も見つかっておりません」
これはいったいどういうことだ?
メンダックスは混乱した。
破壊の御子ひとりだけならば、ただの偶然と片付けられるかも知れない。だが、あれほどいた亜人類どもまで一匹も残らず消え失せたとなると話は違う。これは事前の綿密なる計画による行動としか思えない。
そこで、メンダックスはハッと気づく。
破壊の御子は王都を出る際に、わざわざ下馬してまで民衆に愛想を振りまいていたらしい。それはまるで自分が王都を出たのを見せつけるようなものではないだろうか?
メンダックスは嫌な予感を覚えながら声を張り上げる。
「破壊の御子の奴が王都を出たのはいつだ?! もちろん、ワリナが登城してからだろうな?!」
それはメンダックスの希望であった。ワリナ王女が登城してからならば、破壊の御子が凶行に及んだ後になって自らの行いを恐れて王都から逃げ出したと強弁できるからだ。
しかし、問われた兵士の答えは、メンダックスの期待したものではなかった。
「ワリナ王女が登城する前にございます」
◆◇◆◇◆
まずいぞ、まずいぞ。
メンダックスは、ひたすら焦った。
本来の予定では、破壊の御子の首を城門に掲げ、アッピウス侯爵が兵を率いてやってくるのをのんびりと待っているはずだった。
ところが、討ち取るはずの破壊の御子はいずこに消えたのか、その消息はまったくわからない。それどころか、どうやって王城の門を通らずに王都へ下りたかすらも、いまだにわかっていなかった。
そして、問題は破壊の御子の行方ばかりではない。
おそらくは破壊の御子の手の者が王都に潜んでいたのだろう。ワリナ王女が登城したときには、すでに破壊の御子は王都を出ていたという話が出回っているのだ。それを目撃していた門衛や多数の住民の証言もあり、破壊の御子がワリナ王女を陵辱して殺したというメンダックスの言い分を信じるものは、もはやほとんどいなくなっていた。
そのためメンダックスは慌てて王都に箝口令を敷かねばならず、しかし、それがかえってメンダックスへ不審をさらに募らせる結果となっていたのである。
さらには雇い入れていた傭兵たちの中でも目端が利く者たちは、メンダックスに否定的な王都の住民の空気を察して早々に逃げ出し始めていた。そのような目端が利く者たちは、傭兵たちの中心的な者が多い。そのため、気づけば部隊ひとつが一夜にしてごっそりと消え失せたこともある。
こうした手勢の不足によって、せっかく制圧した王城も今や重荷にすらなってしまっていた。
しかし、だからといって王城を捨てるわけにはいかない。まがりなりにも王権の象徴でもある王城と王位継承者であるワリナ王女という二枚の手札があればこそ、旧ホルメア諸侯に決起を促す檄文を送れるのだ。これで王城を放棄すれば、もはやどこの諸侯もメンダックスの檄になど見向きもしなくなるだろう。
とはいえ、いまだにメンダックスの檄に応じるという諸侯からの返事はひとつとしてない。
もはや王城を捨ててワリナ王女だけを連れ去り、別の地で再起を図るべきではとも思いつつも、明日になれば檄に応じた諸侯が駆けつけてくれるのではないかという、あるかないかの希望を捨てきれずメンダックスは王城を手放すに手放せなかった。
もはやメンダックスの唯一の頼みは、アッピウス侯爵だけである。アッピウス侯爵が率いる辺境諸侯軍が破壊の御子の軍勢を打ち破ってくれるのをメンダックスはわざわざ据え直した謁見室の玉座の上で震えながら祈り続けることしかできなかった。
そうしている間にも事態はどんどんと悪化していく。
破壊の御子の反撃を恐れて王都の門を固く閉ざしたために、物流が滞り、それがために王都の民の間では不満が高まり、門の開放と一連の出来事の説明を求める声が公然と上がり始めた。手勢の中からは傭兵ばかりか長年仕えていた私兵からもメンダックスを見限って姿をくらます者が相次いだ。
しかし、そうした事態にも何ら対処せず、わずかでも玉座から離れればそれを誰かに奪われてしまうという妄執にでも取り憑かれたのか、メンダックスは一時も玉座から離れようともせず謁見の間に引きこもってしまった。
この父の様子に息子のパダックスですら腫れ物に触るようになり、誰もがメンダックスに関わらないように遠ざかってしまったのである。
そんな誰も訪れなくなった謁見の間に、久しぶりに兵士が飛び込んできた。
「閣下! 一大事、一大事にございます!」
ここ数日はほとんどまんじりともせず、食事すらまともに咽喉を通らず、さながら死人のような形相となったメンダックスは、兵士の叫びに落ちくぼんだ眼窩の中で目をぎょろりと動かした。
「辺境諸侯軍からだな?! 討伐に向かった亜人類どもを打ち破ったという報せなんだな?!」
そうであってくれ、というメンダックスの願望のこもった問いに、その兵士は一瞬鼻白む。しかし、すぐにメンダックスの視線から逃れるように、その場に膝を突いて顔を伏せると持っていた布の塊を捧げるように差し出した。
「先程、ハーピュアンらしきものがこれを王城の庭へ落としていきました」
嫌な予感を覚えつつも無視するわけにはいかないメンダックスはそれを受け取ると、震える指でゆっくりと布を広げた。
広げた布をまじまじと見つめたメンダックスは小さく目を見張ると、その唇から押し殺した悲鳴を洩らす。
「ヒイィ!」
それは、血泥にまみれたアッピウス侯爵の軍旗であった。




