第34話 反逆
ガラムが率いた討伐軍が出陣してから二日後。
王都ホルメニアでは、北の山々から吹き下ろしてくる季節風がその勢いをいよいよ強めていた。そして、その風に乗って届けられたのは、自分らに討伐軍が差し向けられたのに応じてアッピウス侯爵を盟主とする北部諸侯らが辺境諸侯軍を率いて南下を始めたという報せである。
このまま何事もなければ、さらに数日後には両軍が衝突し、その雌雄を決するだろう。
そのため、王都のそこかしこで人々は寄ると触ると討伐軍と辺境諸侯軍のいずれが勝つのかとささやいたのである。
そうした人々の大半は、討伐軍の勝利を疑ってはいなかった。
何しろ今回の討伐軍となった蒼馬の軍勢は、これまで何度となく自軍を兵数で圧倒する敵を打ち破ってきた実績がある。それを思えば、今回の敵はほぼ同数――しかも、その内情は農民や傭兵をかき集めた寄せ集めの軍である。これでは辺境諸侯軍など討伐軍の相手にすらならないという意見が大勢を占めていた。
しかし、戦巧者と呼ばれたアッピウス侯爵が、それでもなお挙兵に踏み切ったのである。そこに王都の人々はどこか不安を感じずにはいられなかった。
そんな折である。元宰相であったメンダックスによって、蒼馬が月下の小宴を開き、そこにワリナ元王女を招くと告知されたのだった。
それは辺境諸侯軍の反乱によって、どこか陰鬱な空気が漂っていた王都の人々にとっては、久々の朗報であった。
これまで国というものをほとんど意識していなかった人々にとっても、実際に自国が終焉を迎えるとあっては、そこに郷愁を覚えずにはいられないのが人情である。
それは王族に対しても同様だ。特にか弱い少女であるワリナ元王女の行く末は、昨今の王都ホルメニアの人々にとっても最大の関心事のひとつであった。
そして、その中でも特に最近になって注目されているのは、蒼馬との関係である。
すでにワリナ元王女に対しては、住居の改修などが済み次第、王家の陵墓の管理へ向かわされると告知されてはいた。しかし、しばらく前より蒼馬がワリナ元王女を頻繁に茶会や食事に誘うようになり、そしてそこに来て月下の小宴である。
これはついにワリナ姫様を妻に娶るのか?
そう王都の人々が期待と関心を寄せたのも当然であった。
そして、そうした人々の見守る中、夕刻が差し迫る頃に月下の小宴に招かれたワリナ元王女が離宮より王城へと入ったのである。
その後、夕闇が訪れた王都では自分の家や酒場で人々は、今頃おふたりはどのような親密なお話をされているのだろうと話題の花を咲かせたのだった。
そんな久しぶりの穏やかな雰囲気に包まれた王都において、メンダックスの屋敷だけは物々しい気配を漂わせていたのである。
固く閉ざされた門扉の内側では、いくつものかがり火が焚かれて庭を赤々と染めていた。
その庭にひしめくのは、手には槍を身体には鎧を身につけた完全武装の兵士たちである。それはメンダックスの私兵と、この日のために密かに集められていた傭兵たちだった。こうした兵は、他の協力者の屋敷にも集められており、その総勢はおよそ二百人に及ぶ。
この王都全域を制圧するには、あまりに少ない。だが、ほとんどすべての戦力が辺境諸侯軍の討伐へ差し向けられた今、王都の中枢たる王城を制圧するだけならば十分な数である。
かがり火に照らされただけではなく、これから始まる大事に際しての期待と興奮に顔を赤く染めた兵士の前に、従者らを引き連れたメンダックスが姿を現した。
メンダックスもまた鎧を身につけ腰に剣を佩いてはいるものの、いかんせん似合っていない。どう見ても武具に着られている感が否めなかった。それでも威厳を見せようと胸を張って歩く姿は、かえって滑稽ですらある。
「皆の者、良く聞け!」
メンダックスは自分では威厳のあると思っている、そして実際にはうわずって甲高くなっただけの声を張り上げた。
「今、王城より急使が来た! それによれば月下の小宴を開くといって招いたワリナ姫に対し、破壊の御子はついにその本性を現して暴虐を働こうとした! しかし、気高きホルメア国の王族であらせられるワリナ姫は、亜人類の頭目ごときに身を任せるのを恥辱とし、それを拒んだ! すると、あろうことか破壊の御子はワリナ姫を力尽くで辱めたばかりか、あまつさえ殺害したというのだ!」
これに集められた兵たちは、「おお!」と声を上げた。
しかし、その声はどこか空々しい。何しろ、彼らは以前からこの日に集められるのが決まっていたのだ。そこにきて今さら王城より急使が来たと言われても、とうてい信じられるものではない。
だが、兵たちも心得たもので、それを指摘する者はいなかった。
そんな兵たちを前に、いかにも義憤に駆られたといった顔でメンダックスは続ける。
「一度は破壊の御子に降伏した私だが、かつてのホルメア国の恩顧を鑑みれば、この暴挙は見過ごせん! ゆえに私はホルメア国への恩顧に報いるために、ここに破壊の御子を討つべく兵を挙げる!」
そう高らかに反旗を翻すのを宣言したメンダックスは、侍従の手を借りて用意してあった馬にまたがった。
すると、その脇にメンダックスに良く似た男が馬を並べる。
彼の名前はパダックス。メンダックスの長子である。
「父上。いつでもよろしいですぞ」
出陣の準備が整ったのを告げる息子に、メンダックスはひとつうなずいてから言う。
「良いか、息子よ。ワリナ姫はおまえの従妹。その仇を討つための挙兵である。おまえの手で破壊の御子を討つのだ」
「心得ました、父上」
そう言うとパダックスは馬上で剣を抜いた。それを高々と掲げると、号令をかける。
「暴君、破壊の御子を討つべし! ――出陣!」
パダックスを先頭にメンダックスの兵らは開かれた門よりいっせいに王都へ飛び出していった。
この突如巻き起こった騒々しい軍靴と武具が触れ合う音と夜陰を震わせる馬蹄の轟きに、夜の王都は騒然となる。
いったい何が起きたのかと人々は家々や酒場から飛び出し、または逆に難を恐れて扉を固く閉ざす。
そんな王都の中を駆け回って声を張り上げるのは、メンダックスに仕える侍従や小物たちである。彼らは破壊の御子のワリナ王女への暴挙を糾弾し、それがために兵を挙げたのだというメンダックスの正当性を声高に訴えた。
王都の各所に分散させていた兵と合流して、その数を増やしながらメンダックスらが王城へとたどり着くと、本来ならば夜間は上げられているはずの堀にかけられた橋が下ろされ、堅く閉ざされているはずの門まで大きく開いていた。
もちろん、それはメンダックスによって買収された門衛の仕業である。この正門のみならず、使用人らが使う小さな門に至るまで、すべての王城の出入り口にはメンダックスの息のかかった兵士たちが配されていたのだ。
王城は外敵からの侵入に備えて騎馬では乗り込めない構造となっているため、メンダックスは城門をくぐったところで下馬する。
「息子よ。おまえは城を制圧しなさい。私はワリナ姫を救出しに参る」
すでに殺害されたとの報せから兵を挙げたはずなのに、今さら救出に行くなどとメンダックスの発言の矛盾を指摘するものはいない。指示に従ってパダックスが兵を連れて王城の要所を押さえるために向かうと、メンダックスは腹心の兵らを連れて王宮へまっしぐらに向かう。
その途中、遠くから聞こえる怒号や破壊音、そして女官や下働きらしき女性らの悲鳴にメンダックスは耳をそばだてた。
「ずいぶんと派手にやっているようだな」
「兵どもにも、おいしい思いをさせねばなりません。戦場の習いにございます」
悪びれもせず笑みすら浮かべながら言う兵士に、メンダックスは小さく鼻を鳴らす。
「ほどほどにしておけ。ここは明日より私のものとなるのだ。――して、破壊の御子とワリナ王女は?」
その問いに、また別の兵が答える。
「夕刻よりずっと客間にてふたりで引きこもっております」
その兵が言うには、破壊の御子が誰も近寄るなと厳命したとエルフの女官から言われたという。反乱を起こす直前に、いらぬ騒動を起こすのはよろしくないと考え、言われたとおり部屋には近づいていないために部屋の中の様子はまったくわからない。しかし、少なくとも王宮からふたりが出ていないのは間違いないという。
それを説明してからその兵は下卑た笑みを浮かべて言う。
「ふたりで部屋に引きこもり、いったい何をしているやら……」
暗に、ふたりが淫行に及んでいるのではと言う兵に、メンダックスは「それならばそれで手間はなくなる」と、これまた下卑た笑みで応じた。
普段ならば足音ひとつ立てても、塵ひとつ落としても叱責される王宮の通路を足音を荒げ、泥のついた軍靴で踏みにじりながらメンダックスらは客間にたどり着くと、問答無用とばかりに扉を蹴破った。
「いったい、何の騒動です?!」
メンダックスを迎えたのは、ワリナ王女の叱責の声であった。すでに王宮の外の喧噪に気づき、異変に気づいていたワリナ王女は顔を蒼白にしながらも必死に王族の矜持を張る。また、彼女付きの侍女らも健気に主人を守ろうと、その前に両腕を開いて立ちはだかる。
そんな王女らの反応に優越感を覚えるメンダックスは、ことさら慇懃無礼に一礼して見せた。
「これはこれは、ワリナ姫。とっくに寝所に連れ込まれておられはしないかと心配しておりましたぞ」
下卑た物言いにワリナ王女と侍女らを屈辱と羞恥に絶句させながら、メンダックスは部屋の中をぐるりと見回して眉をひそめた。
破壊の御子がいない。
ワリナ王女と一緒にいるとばかり思っていた破壊の御子の姿が、そこになかった。しかし、おおかた騒動を聞いてワリナ王女を置いて自分だけどこかへ逃げ出したのだろうとすぐに思い直す。
だが、すでに城門を押さえた今、この王城から逃げる道はない。どこに逃げようともすぐに自分の前に首となって連れてこられるはずだ。
「メンダックス卿! 答えなさい! これは何の騒ぎなのかと問うているのです?!」
たかが亜人の頭目のくせに自分を平伏させた生意気な小僧が首だけになって自分の前に連れてこられる光景を思い浮かべて悦に入っていたメンダックスは、ワリナの詰問の声に眉をしかめる。
しかし、すぐにうすら笑みを浮かべて言う。
「これは王女殿下のお言葉とは思われません。これはすべて破壊の御子を打ち倒し、ホルメア国を復興せんがための義挙にございます」
「何を今さら……!」
異を唱えようとしたワリナ王女を無視して、メンダックスは連れてきた兵に向けて言う。
「ワリナ王女殿下に何かあっては一大事。王宮の奥へお隠れいただこう。おまえたち、ワリナ姫を奥のお部屋にお連れして、丁重にもてなせ」
それに見るからに粗野な五人の男たちが、ニヤニヤとした嫌な笑みを浮かべながら承諾した。
彼らは事前に、ワリナ王女を殺害するように命令を受けた傭兵たちである。
メンダックスにとって主筋にあたるワリナ王女を殺害するのは、天地を逆するような大罪だ。その片棒を担がせるために、彼らには口止め料代わりに殺す前にワリナ王女を好きなようにして良いと言い含めていた。彼らによって陵辱させた上でワリナ王女を殺害し、それをすべて破壊の御子の凶行として報しめるのがメンダックスの計画である。
多額の報奨金に加え、いつも自分らが買っている銅貨数枚の場末の娼婦ではなく王女という極上の餌に釣られて弑逆に荷担した傭兵たちであったが、メンダックスは彼らには近いうちに不慮の事故に遭ってもらうつもりであった。
哀れな生贄となった王女と、自分らが殺されるとも知らずに目の前の欲に惑わされた愚かな傭兵たちを見送ったメンダックスは、他の兵に破壊の御子捜索を命じておき、自分ひとり軽い足取りで謁見の間に向かう。
すべては自分の計画どおりである。
メンダックスは、ほくそ笑んだ。
破壊の御子の評判を落とそうとした画策はすべて失敗してしまったが、さすがに王都の民たちもワリナ王女が陵辱された上で殺されたとあっては破壊の御子を見限るだろう。
そうした上で、悪逆非道なる破壊の御子を倒した自分が新たなホルメア国の英雄となるのだ。
アッピウス侯爵には彼の息子と救出したワリナ王女を娶せ、女王の義父として国を掌握しようと持ちかけてはいたが、肝心な王女が不慮の事態により破壊の御子に殺害されてしまったのでは、それも白紙である。
王位継承権を持つ唯一の王族であるワリナ王女が亡くなれば、浮かび上がるのは自分の息子のパダックスだ。
降嫁したとはいえワリウス王の妹を母とする血筋に加え、この度の破壊の御子打倒の功績を加えれば、息子のパダックスが次代のホルメア国王である。その後になってアッピウス侯爵が、ガタガタと何と言おうと手遅れだ。
メンダックスは、くつくつと笑い声を洩らした。
明日の食事にすら事欠いていた貧乏貴族の自分の血が、王族を乗っ取るのである。これほど痛快なことはない。
謁見の間に入ったメンダックスは、かつて玉座が置かれた壇に上がり、そこから謁見の間を見渡した。そのときメンダックスの目には、誰も居ない謁見の間に、自分をこれまでさんざん蔑んでいた傲慢な諸侯らが、かつての自分のように恥も外聞もなく平伏する姿が映っていた。
それの何と素晴らしい光景なのだろうか!
全身の血が沸き立つような興奮を覚えながら、メンダックスは息子ではなく自らが王になっても良いのではないだろうかと思いついた。すると、それはとても妙案に思えてくる。いや、そうでなくてはならないとすら思えた。
メンダックスはキョロキョロと見回して誰も居ないことを確認すると、ひとつ咳払いをする。それから身につけてもいないマントを翻すような仕草をしてから声を張り上げた。
「余……余がホルメア国王メンダックスであるぞよ!」
自らの言葉の余韻に浸る間もなく、いきなり謁見の間の扉が開け放たれた。
「メンダックス様、一大事にございます!」
そう叫びながら駆け込んできた兵に、メンダックスは今のを聞かれてはしないかと羞恥に顔を赤らめながら問いただす。
「ええい! せっかく気分が良いところに、一大事とは何事だ?!」
すべては自分の計画どおりなのだ。失敗などあろうはずがない。
どうせ自分らの労苦を強調するために大げさに言っているのだろう。
その程度に考えていたメンダックスは、次の兵士の一言に唖然としてしまう。
「破壊の御子の姿が、どこにもございません!」




