第33話 月下の小宴
「月下の小宴?」
登城したメンダックスから上奏された言葉を蒼馬はおうむ返しに口にした。
「左様にございます」
平蜘蛛のように平伏しながらメンダックスは答えた。
「五代前のホルメア国王の時代の話でございます。王が深く愛する妃の父親である候が、王家に反旗を翻して兵を挙げたことがございました。
通常ならば、いかに愛していようとも妃もまた父に連座し、妃の位から廃されて処刑されるところです。
ところが、妃を深く愛していた王は義父となる候へ鎮圧の軍を差し向けはしましたが、妃を廃しはいたしませんでした。そればかりか、余人を交えずに妃とたったふたりで月を眺めながら酒を酌み交わし、その親密さを周囲に知らしめました。これを月下の小宴と申します」
照明器具などが発達していない時代である。月下といっても夜の酒宴ともなれば、相手の手許すらおぼつかないだろう。それではいつ酒杯に毒を盛られてもわからないし、短刀を突き出されても避けようがない。
そんな酒宴で余人を交えずに酒を酌み交わすのだ。王の妃への愛情と、妃の王への忠誠を示すには、これほどないものだった。
メンダックスは続けて言う。
「先日、辺境諸侯軍を称して兵を挙げた者どもは、国土奪還及びにワリナ元王女殿下の解放を大義名分としております。
しかし、正当なる手続きを踏まえてホルメア国の移譲をお受けになられたソーマ様に対し、国土を奪還するなどとは妄言に過ぎません。ソーマ様が彼らを反乱者と断じたのも当然でありましょう。
また、同じく大義名分とされたワリナ元王女殿下の解放もまた然り。
ですが、まがりなりにもワリナ元王女殿下は挙兵の大義名分とされてしまわれたのです。反乱の首謀者の疑いありと幽閉されても当然のところをあくまでそれは反乱者の勝手な言い分と断じ、ワリナ元王女殿下には一切お構いなしとソーマ様は明言されました。これには旧ホルメア国の臣下たる我らは、深い感謝の念を禁じ得ないものでありました」
メンダックスは「されど――」と言って言葉を続けた。
「浅慮なる者どもの中には、それでもなおワリナ元王女殿下へ疑惑の目を向ける者がおります。また、疑惑を抱かずとも、これをきっかけとしてソーマ様とワリナ元王女殿下が不仲になるのではないかと危惧いたす者もいるのです」
メンダックスは平伏したまま顔だけを上げて言う。
「そこでソーマ様とワリナ元王女殿下の親密さを示すために、故事に倣い月下の小宴を開かれてはいかがかでしょうか?」
蒼馬は「なるほどね」と言いつつ、その目を近くで控えていたエラディアへと向けた。すると、エラディアは小さくうなずいてから蒼馬に言う。
「ソーマ様に言上いたします。メンダックス様のご提案は、大変素晴らしいものと私も考えまする」
エラディアはメンダックスへとにこやかな笑みを投げかける。
「メンダックス様のおっしゃられるように、ここはおふたりが親密なところをお示しになれば、辺境諸侯軍の名分も失い、また民草らも安心するというもの。ここは月下の小宴を開かれるべきものと、私も考えます」
エラディアの意見を聞いた蒼馬は、しっかりとうなずいてみせた。
「そうだね。――じゃあ、その手配はお任せしていいかな?」
言葉の後半は自分の前に平伏するメンダックスに向けられたものだった。それにメンダックスはわずかに驚いてみせる。
「私めにお任せいただけるのでしょうか?」
もともと任せてもらうつもりではいたのだが、それを蒼馬の方から言い出してくるとは思わなかった。あまりにうまくいきすぎる展開に念を押して確認してくるメンダックスに、エラディアがおかしそうにコロコロと笑いながら言う。
「当然でございましょ。月下の小宴については私どもは無知。ここはご提案されたメンダックス様にお任せした方が万事よろしゅうございましょう」
まさに自分が言おうとした口実そのままである。
それを何の疑いもない乙女の笑顔で言われたメンダックスは、思わず口が笑みに吊り上がりそうになった。それを誤魔化すために、慌ててメンダックスは顔を伏せる。
「ありがたき幸せ。このメンダックス。必ずやご期待に添いましょう」
殊勝な言葉を口にしながら、メンダックスの顔にはほくそ笑みが浮かんでいた。
しかし、顔を伏せていたためにメンダックスは知らない。
「うん。期待してますね」
そう言う蒼馬と、傍に控えるエラディアの口許にもまた同じような笑みが浮かんでいたことを。
◆◇◆◇◆
緊急の呼集に応じたゾアンの戦士たちがそろったところで、蒼馬は王都の広場で盛大な出陣式を執り行ったのである。
これは自分らがホルメア国の移譲を受けたのに一切の後ろ暗いことはなく、むしろ北部諸侯の言い分こそが難癖にすぎないと明らかにするものであった。また、その出陣式に臨んだ蒼馬もロマニア国軍を撃退したのは自分らと王都の人々の協力があればこそであり、北部諸侯はその危難に際して傍観していただけだったと指摘。そして、今になってから国土奪還と王族解放を旗印に挙兵するなど盗人猛々しいと批難し、さらに国中が戦災復興と新国家建設のために尽力している今この時に無益な反乱を起こすことこそ卑劣な裏切りに他ならないと激しく痛罵した。そして、この反乱を看過することはできず、討伐するために兵を出すと宣言したのである。
当然、同じ国民である辺境諸侯軍と戦うのに釈然としないものを感じる人もいた。しかし、大半の王都の人々は蒼馬の声明に歓呼で答えたのである。
これは蒼馬が指摘したように、もっとも王都が危なかったときにそれを傍観した北部諸侯への王都の人々の根強い不信と不満が原因であった。もっとも、それも戦災復興に尽力した蒼馬の統治が受け入れられればこそである。
こうして王都の人々の歓呼をもって送り出されたのは、ゾアンの戦士らを中心とした総勢七千の軍勢であった。
その総大将は、今や大将軍として知られる黒毛の勇者ファグル・ガルグズ・ガラムその人である。
総大将が徒歩では格好がつかぬと周囲の強い勧めもあって、騎乗して軍勢を率いて先頭を行くガラムの顔は盛大な仏頂面であった。質実剛健を旨とする彼としては、このようなお祭り騒ぎの出陣式は必要とは理解していても、どうにも見世物になっているような気がするのだ。
そんな不機嫌そうなガラムとは対照的なのは、今回の討伐軍においては副将を任じられた獣将クラガ・ビガナ・ズーグである。
ズーグは悠然とした態度でガラムと馬を並べ、時折自分らの名を呼ぶ民衆たちには、その太い腕を振って応じる余裕すらあった。
「おい、ガラムよ。岩でもあるまいし、もうちっと愛想良くできんのか?」
今も沿道にいる人間の子供らに向け、ズーグはその太い腕に力こぶを作って見せて愛嬌を振りまきながらガラムに声をかけた。
「……俺の性分だ」
仏頂面をさらに渋くして言うガラムに、ズーグの副官である〈たてがみの氏族〉の若者メヌイン・バララク・バヌカは「さすが《猛き牙》は飾らぬ方だ」と感心し、同じく副官であり今はガラムに代わり〈牙の氏族〉を束ねるファグル・ジャガタ・グルカカは苦笑を浮かべる。
この会話に、ズーグと同じくガラムの副将に任じられた人将マルクロニスが口を挟む。
「性分なのは致し方ありませんが、余裕ある態度で民衆の期待に応え、不安を取り除くのも大将軍の務めですな」
そこでマルクロニスは、ちらっと後ろを振り返る。
「あそこまで羽目を外せとは言いませんが、もう少し余裕を見せてもよろしいかと」
マルクロニスの視線の先にいるのは、竜将ジャハーンギル・ヘサーム・ジャルージである。
ジャハーンギルは手にした「ソーマの黒旗」と呼ばれる大旗とともに尻尾をぶんぶんと振り回し、沿道から自分の名が呼ばれれば、そちらに向けて両腕を広げて吠えて見せるなど王都の人々の期待に応えることに余念がない。そのたびに行軍の足が止まってしまうのに先程から三人の息子が必死にジャハーンギルの背中を押している。
普段は親衛隊として蒼馬の傍にいるジャハーンギルが討伐軍に加わっているのは、王都に残る蒼馬の代わりとして討伐軍に預けた「ソーマの黒旗」の護衛であるとともに、親衛隊を差し向けるだけ今回の討伐に蒼馬が本気であると言うことを示すためのものだった。
「いやいや。あの御仁は、あれでよろしい」
そう言ったのは、マルクロニスの副官となっている元「黒壁」の連隊長アドミウスである。
「意外と思われるやも知れませぬが、あれであの御仁は王都の民たちに慕われております。――なあ、ご同輩」
最後の言葉を向けられたのは、同じくマルクロニスの副官であるセティウスである。
自分よりも年配で、しかも経歴やホルメア国での階級を思えば、口を利くのもはばかれるアドミウスから同輩扱いされたセティウスは、しかめっ面をさらにしかめながらも、うなずいて見せた。
東部での戦災復興の進捗状況などを報告するかたわらで、王都に戻ってきたときはマルクロニスを手伝って王都の治安状況の確認もしているのだが、その警邏の際には、昼寝に飽きたジャハーンギルが王都をのし歩くその後ろを歓声を上げる子供たちがついて回る姿をよく見かける。
ジャハーンギル曰く「人間のガキだが、我に進物を捧げる殊勝な奴ら」だそうだ。
そう言われてみれば、散歩の途中で暖かそうな陽だまりを見つけてジャハーンギルがそこで丸くなると、子供たちは手に手に食べ物を持って集まり、それを食べさせていた。
だが、その光景にセティウスは「子供たちは動物に餌を与えている感覚なんじゃないか?」と思っているのだが、当人には絶対に口にはできないことだ。
そんなみんなの会話を耳にしながらも、ガラムは釈然としない顔で言う。
「だが、今回の出陣は……」
そう渋るガラムの隣にズーグは馬を寄せた。そして、その太い腕をガラムの肩へと回す。
「だからこそだ。俺たちは、これから今回は辺境諸侯軍とか言う連中を全軍を以て蹴散らしに行くのだ」
その低い背丈のためにそこからは姿が見えないが、ジャハーンギルの近くにはドワーフたちを率いる地将ドヴァーリンとその副官のノルズリがいるはずだ。そして、頭上の空には鳥将ピピ・トット・ギギたちハーピュアンがいる。
これで蒼馬が率いるほぼすべての戦力が、この討伐軍に注がれていた。
「ならば、大将軍は余裕を見せろ。これから雑魚どもを蹴散らし、圧倒的な勝利を手にするのを欠片も疑っていないと示すのだ」
そうズーグに言われたガラムは、しばし口をへの字にして考え込む。それから、ひとつため息をついてからガラムは言った。
「確かに、おまえの言うとおりだな」
そう口にはしたものの「俺様の言うとおりだろ」と言わんばかりの得意げなズーグの顔が癪に障ったので、しかつめらしい顔でガラムは言う。
「……この暑苦しい腕を放せ。大将軍に無礼だぞ」
これにズーグは一瞬だけ目を丸くした。それからかしこまった様子で「これは、大将軍殿にご無礼いたした」と慇懃な口調で言うが、すぐに痛快そうな笑みを浮かべてゲラゲラと笑い出した。
◆◇◆◇◆
「馬鹿な亜人どもめ……」
そうして王都より北部へと進軍する討伐軍を楼門の上から見下ろしていたのは、メンダックスである。
「すでに辺境諸侯軍に勝ったつもりで浮かれているわ。数日後には戻るべきところも飼い主もなくし、右往左往するとも知らずにな」
嫌らしい笑みを浮かべるメンダックスは、クツクツと忍び笑いを洩らしたのである。
そして、これより二日後。
王都にて、メンダックスは反乱を起こしたのである。




