第32話 秘事
「おやめくだされ、エラディア殿。すでに私はとっくに職を辞した者。いまさら大宰相などと、面映ゆい」
エラディアの賛辞に、ポンピウスは照れくさそうに自分の禿頭を撫でながら言う。それからエラディアに椅子を勧めると、自分も彼女の正面に腰を下ろした。
エラディアはまず他愛もない世間話から入ろうと口を開くが、それを早々にポンピウスは軽く手を上げて留める。
「貴女程の方が先触れもなく訪れたのですから、よほど火急の用向きなのでしょう」
そこでポンピウスは顔を窓から眺められる外の景色へと向けた。そこからは庭園に植えられた庭木が、強い風にあおられて激しく枝を揺すぶられている姿が見える。
「この季節になると、ホルメア国は激しい北風に見舞われます。最近、その風に乗って、この王都にまできな臭いものが運ばれている様子。無駄話をしている時間も惜しいのではございませんか?」
ポンピウスの物言いに、エラディアは「さすがは大宰相と呼ばれた方」と感心した。すでに北部諸侯の挙兵ばかりか、王都に潜む内通者の存在まである程度は察していたような口振りである。
しかし、エラディアは「はて、何のことでしょう?」と空惚けると、目の前に置かれた器を手に取り、優雅に香草茶を口にした。焦っているはずなのに、あえて間を取るエラディアの様子に、ポンピウスはすぐに部屋の壁際に控えていた侍女や侍従らに退出するように促した。
侍女や侍従らが立ち去り、客間には自分とポンピウスしか残っていないのを確認したエラディアは、ポンピウスへと頭を下げる。
「ありがとうございます。――実は、本日は閣下に教えていただきたいことがあり、こうして非礼を承知で伺わさせていただきました」
「ほう。いったい何ですかな? この老骨でわかることならば、お教えいたしましょう」
人払いをしてまでの話となれば、よほどの内容なのだろう。
そう承知していたポンピウスだったが、「それでは」とエラディアが尋ねたことにわずかに眉間にしわを寄せた。それからエラディアの心底を探るように、ジッと彼女の目の奥を見つめながら落ち着いた口調でポンピウスは尋ねる。
「それは、王家の秘事とも言うべきもの。なぜ、それを私が知っていると?」
その答えに、エラディアは「やはり知っていた!」とわずかに拳を握った。
もし、本当に知らなければポンピウスの人柄では正直に知らないと答えただろう。知っていると思った理由を尋ねたと言うことは、とりもなおさずポンピウスがそれについて知っていると言ったのと同義である。
しかし、ポンピウスが本当に知っているかどうかを確認できたのは、最初の一歩にすぎない。問題は、それがどこにあるのか、またどういったものなのかをポンピウスから聞き出すことである。それができなければ、何の意味もない。
だが、相手は大宰相と呼ばれたポンピウスである。
その子供のように小さな身体に納められた胆力は本物だ。黙すると決めたら、いかなる暴力や脅しや買収を用いても、その口を割ることは不可能だろう。また、その覚悟があればこそ、ポンピウスは知っているということをあえて隠さなかったのだ。
それだけに、これより口にする言葉ひとつでも誤れば、すべてはご破算である。
断崖絶壁の峡谷に渡された一本の縄の上を命綱なしで渡るかのような緊張と覚悟とともに、エラディアは言う。
「ホルメア国の前王サドマ陛下は、名君と誉れ高いお方と聞き及んでおります」
「確かに、そのように称されておられますな」
気のないポンピウスの反応にめげることなく、エラディアは言葉を続ける。
「その治世の間に仇敵ロマニア国を退けること七度。これだけでも名君と呼ばれるにふさわしい戦功と言えましょうが、サドマ王陛下の功績はそれだけではございません。
税を引き下げて民の生活を安んじ、ジェボアの商人ギルドと関係を深めて商業を発展させ、他国より優秀な職人を多く招き入れて産業を興しました。
また、治安についても言うに及びません。その徳によって野盗や山賊などは消え失せ、横暴な領主ですら鳴りを潜めたと聞き及んでおります。
まさに黄金期と呼ぶに相応しい時代であったのでございましょう」
エラディアはわずかに言葉を切ってポンピウスの反応を確かめつつ、慎重に次の言葉を言った。
「そして、そのサドマ王陛下の治世を支えたのが、ポンピウス大宰相閣下とダリウス大将軍閣下。
この文武の両輪なかりせば、名君サドマ王陛下といえど、あの黄金時代は築き得なかった。そして、サドマ王陛下とお二方との絆は君臣の情を超え、まさに一心同体であったと、そう聞き及んでおります」
「とんでもない。臣下には過ぎた言葉でしょう」
そう言いつつもポンピウスの目は、エラディアの言葉に思い起こされた郷愁にわずかに緩んでいた。
それを見届けてからエラディアは、鋭く斬り込んだ。
「私がお尋ねしたものは、まさに王家の秘中の秘。たとえ王位継承者である王子にすらごく一部しか教えず、その大半を王は自らの死まで秘匿するほどのもの」
エラディアはわずかに身を乗り出して言う。
「されど、真に一心同体とすら認められるほどの家臣がいたならば、王は大事に備えて教えていたのではございませんか?」
しかし、それに対するポンピウスの答えは、ことさらゆったりと香草茶をすすることであった。
「エラディア殿。あなたは、私をあまりに買いかぶっておられるようですね」
いくら自分を持ち上げても無駄だと言わんばかりのポンピウスの態度に、エラディアはやや自分が焦りすぎていたと気づいた。乗り出していた身を引き起こすと、自らの気を落ち着けるように深く息を吐いてから、エラディアは一音一音を切るように明確に言葉を口にする。
「民あっての国。臣下あっての王」
ポンピウスの指が、ぴくっと震えた。
エラディアはさらに言う。
「この言葉はサドマ陛下が常日頃から口にしていたものと聞き及んでおります。そして、この言葉はルオマ街の領主であられたミュトス・ボロン閣下へ、あなた様が伝えたものでもございます」
「そうでしたかな?」
空惚けるポンピウスに構わず、エラディアは言う。
「わずか半年ばかりではありますが、閣下はソーマ様の治世をご覧になられたはずです。それと比べ、私利私欲にまみれて無益な戦いをしかけようとするアッピウス侯爵と、それに力を貸して甘い汁を吸おうとする王都に潜む卑劣な輩ども」
エラディアの言葉に、しだいに熱がこもる。
「果たして、両者のいずれが国の上に立つ者として民にとって幸せか、大宰相とまで呼ばれたポンピウス閣下ならばおわかりになるはずではございませんか?」
エラディアの熱い言葉に、ポンピウスは目をつぶって自らの思考の中に没頭した。
そして、その中でどうしても思い浮かぶのは、今は亡きサドマ王の姿である。
今では大宰相ポンピウスと大将軍ダリウスを使いこなした名君と誉れ高いサドマ王だが、ポンピウスが知るサドマ王その人はワリウス王よりも無能な人だった。
何をしても要領が悪く、物覚えも悪い。感情を隠すのが下手で、すぐに内心の焦りや動揺を表に出してしまう。即位して間もない頃などは、多くの臣下が「これから大国ホルメアも、どうなることやら」と大いに嘆いたものである。
そんなサドマ王だったが、ワリウス王にはない美点がひとつだけあった。
それは王の責務を果たそうという気概である。
そして、そんな気概を持ちながらも自らを無能と知るサドマ王がしたのは、できる人に任せるというものだった。
「おまえたちが良いと思うことをやれ。後は私が責任を負う」
そう言うとサドマ王は、当時ようやく頭角を現しつつあったダリウスとポンピウスのふたりにほぼ全権を与えたのである。
臣下には分不相応な権限を付託されたふたりに懸念を抱く者も多かった。事実、ポンピウスとダリウスのいずれかがサドマ王へ反旗を翻せば、その日のうちに国を乗っ取られていただろう。それほどの権限をサドマ王はふたりに与えていたのだ。
それを危惧し、または嫉妬した臣下が、事ある度にサドマ王へふたりに対する讒言を上げたものである。
それに対してサドマ王は次の言葉で、その讒言を退けたという。
「あのふたりが私を廃した方が良いと思うのならば、それはそうなのだろう。仕方があるまい」
これを毅然とした態度で言ったのならば、「さすがは名君」と思えたかも知れない。ところが、実際のサドマ王は押し殺しきれない不安と恐怖に身体を小刻みに震わせ、それでもなお必死に虚勢を張りながら言うのである。
これにダリウスなどは、次のように言っていた。
「あのような陛下を裏切れば、私は極悪非道な冷血漢になってしまうではないか」
すでに忠臣や名臣と呼ばれるだけの実績は十分に挙げていた。それに今でも十分に好き勝手にやらせてもらっている。それなのに、そのすべてを棒に振ってまで得た代価が、極悪非道な冷血漢と言う呼び名では割に合わない。
そう言うダリウスに向けて、ポンピウスも「まったくそのとおりだ」と返し、ふたりして笑い合ったものだ。
「陛下のお姿を拝見するに、私たちには玉座が良いものとはとうてい思えません。何卒、そのまま陛下にお座りいただきたい」
そう自分らが言上すると、サドマ王はホッとしたようでいて、どこか困り果てたような顔をしたのをポンピウスは良く覚えている。
そんな情けないサドマ王の姿に、当時はポンピウスとダリウスのふたりがいれば、誰だろうと名君になれると悪く言う者もいた。
だが、それは違う。
そうポンピウスは確信する。
サドマ王が、自分とダリウスを臣下という鳥籠に閉じ込めずに大空へ解き放ってくれたからこそ、ふたりとも大宰相や最高の将軍などという分不相応な呼び名を得られたのだ。
ポンピウスは熱くなった目頭を押さえる。
「……まさに、あの方は名君であらせられた」
ダリウスとともにサドマ王に仕え、ただがむしゃらにホルメア国のために尽くしたあの日々の光景は、決して薄れぬ黄金の輝きとともにポンピウスの胸に深く刻み込まれている。
その黄金の輝きの中にあるサドマ王の姿は、皆が語る威厳のある名君ではなく、自信なげに気弱な笑みを浮かべる凡人であった。
そのサドマ王の姿に、同じく気弱な笑みを浮かべてゾアンの娘を従える青年の姿が重なる。
何たる運命の皮肉なのだろうか。血を分けた実の子であるワリウス王よりも、ホルメア国を滅ぼした者にサドマ王陛下の面影を見出すとは。
そう苦笑を浮かべるポンピウスの耳には、サドマ王が自分へ向けて良く言っていた言葉が今もなお鮮明に残っている。
『おまえが良いと思うようにせよ。それが最善であろう』
その言葉に背中を押され、ポンピウスは決断する。
「サドマ王陛下には、冥府でお詫びすることになりそうですな……」
そのポンピウスの独り言に、エラディアは「では!」と身を乗り出した。
「お教えいたしましょう、エラディア殿。ホルメア国王家の秘事を。しかし、私がサドマ陛下よりお教えいただいたのは、あくまでそのごくほんの一部。それでよろしければ」
◆◇◆◇◆
「やった! やったぞ!」
メンダックスは自分の屋敷にある私室で、ひとり小躍りして喜んでいた。
先程、王城において破壊の御子が、北部で挙兵した辺境諸侯軍と称する反乱者に対して討伐の令を発布したのである。
それによれば、ゾアンの戦士と人間の兵士を中心とした総勢七千の軍勢を討伐軍として編成するらしい。そして、それを指揮するのは大将軍と名乗る黒毛のゾアンだった。破壊の御子自身は他の変事に備えて王都に残り、大将軍からの勝利の報を待つという。
また、その解放を旗印として掲げられたワリナ王女への処遇も注目されていたが、破壊の御子は辺境諸侯軍が勝手に彼女を旗印に祭り上げただけとし、特に拘束したり監視したりはしないと言い切った。
これによって破壊の御子の軍勢は、その大半が北部へと進軍してしまい、王都にはほとんど残らない。そして、その手薄となった王都には破壊の御子とワリナ王女がそろって残ることになる。
「破壊の御子が自ら討伐に向かったり、ワリナ王女が討伐へ向かわされたりといろいろな状況を想定していたが、一番期待していた展開になるとは。いよいよもって私へと流れがきているぞ……」
メンダックスは、くつくつと笑いをこぼした。
ひとしきり含み笑いを続けたメンダックスは、ネズミを思わせるその貧相な顔にニタリッと嫌らしい笑みを浮かべる。
「さて、次なる手を打ちに行こうか。――誰かある?! 私はこれより登城するぞ! 急ぎ準備をいたせ!」
召使いに命じるメンダックスの声は、隠しきれない興奮に打ち震えていた。




