第30話 挙兵
「アッピウス侯爵を盟主とした北部諸侯らが王都奪還とワリナ王女の解放を旗印に掲げて兵を挙げました!」
北部諸侯の動向を監視させていた兵からの報告に、蒼馬は不審の声を上げる。
「何で、今さら……?」
すでに蒼馬がホルメア国の移譲を受けてから半年が経過している。先日、アッピウス侯爵との交渉を頼んだヨアシュからは交渉がまとまらなかったと謝罪の言葉とともにアッピウス侯爵が本当に挙兵する恐れがあると警告を受けてはいた。だが、この段になってからの王都奪還と王族解放を旗印に掲げての挙兵の報せである。蒼馬は驚くよりも不審の方が強かった。
いまだ情報伝達を人の足や馬に頼っている時代である。北部諸侯間で連携を取るにも時間はかかったのだろうが、それにしても半年は遅い気がした。
しかし、首をかしげてばかりはいられない。
蒼馬は自分の陣営の主立った者たちに緊急の招集をかけるとともに、鳥将ピピには麾下の部隊「網」を北部へ展開するように伝え、この事態に対処した。
その間にも続報を携えた伝令兵が次々と蒼馬のところへやってくる。
それによるとアッピウス侯爵はラフバンの街で王都奪還と王族救出を高らかに宣言し、それとともにホルメア国諸侯はその義務を果たすべく兵を挙げよと檄を発したという。これに応じたのは北部諸侯を中心とした王都より遠い辺境の領主たちである。彼らは兵を率いてアッピウス侯爵のいるラフバンの街に続々と参集すると、自らを辺境諸侯軍と称し、その総兵力は公称によれば一万とも二万ともいう大兵力になっているという。
しかし、辺境諸侯軍の公称するこの兵力を鵜呑みにするわけにはいかない。この時代、自軍の優勢を誇示して敵を萎縮させ、また勝ち馬に乗ろうとする者たちを味方につけるためにも自軍の総数を何倍にもして吹聴するのはよくある手だ。
そこで蒼馬はまず集まった者たちへ向けて、敵の兵力が予想できる者はいないか問いかけた。
これに応じたのは元ホルメア国軍の精鋭部隊「黒壁」の連隊長であったアドミウスである。
「おそらく、この中では私が北部諸侯を一番知っているでしょう。――お答えしてよろしいか?」
後半の言葉を向けられたのは、人将マルクロニスであった。まだ蒼馬の麾下に加わって間もない新参者が他を押しのけて発言したとあっては不和を招く恐れがある。それを憂慮して、まずは直属の上官となったマルクロニスにお伺いを立てるあたりはアドミウスもただ武力だけの将校ではない。
また、マルクロニスも新しく部下となった者の急激な台頭を良く思わないような狭量でもなく、アドミウスへ当然だとばかりにうなずいてみせた。
了承を得たアドミウスは口を開く。
「以前、ソーマ様を討伐すべしというワリウス王の檄に応じた際には、アッピウス侯爵はおよそ一千の兵を率いたと聞き及んでおります。これも多少の割り増しはあるでしょうが、実際の兵数と大きく違えば王へ虚偽を申し上げたことになってしまいます。そのため、このときの一千という兵数は、その実数とほぼ同じか、それよりもやや上回る程度と考えてよろしいでしょう」
ホルメア国の内情に疎い蒼馬たちに配慮し、自分の推測をアドミウスは順を追って説明した。
「そして、今回の挙兵はアッピウス侯爵からすれば全財産を賭けて賽を投じるが如き戦い。ならば、これより多くの兵を集め、また傭兵なども雇い入れるはずです。ですが、それだけでいきなり兵数が二倍になるとは思えません。そのため、今回のアッピウス侯爵が動員した兵は千から千五百が妥当かと考えられます。そして、他の諸侯も同じように考えれば、それらを合わせた辺境諸侯軍の総数は五千から七千になると思われます」
アドミウスの説明は理路整然としており、信頼できるものだと蒼馬は判断した。蒼馬はひとつうなずいてから、アドミウスに尋ねる。
「それじゃあ、兵の練度は?」
「低いと言ってもよろしいでしょう」
アドミウスは断言した。
「北部諸侯の盟主と呼ばれたアッピウス侯爵とて、その麾下にいる騎士は十人あまりしかおりません。さらに騎士の習いとして、騎士ひとりにつき従士がふたりから五人つきます。これらの者が部隊長となって兵を動かすのですが、その動かされる兵の大半は徴兵された農民です。とうてい高度な軍事行動は望めません。それは他の諸侯も同様でしょう」
そこでアドミウスは自分の胸をひとつ叩いてから、自信たっぷりに言う。
「そのような寄せ集めの軍勢が七千いても恐るべきものではありません。我らが『黒壁』を基幹とし、兵の三千ばかりもお預けいただければ、簡単に蹴散らしてごらんにいれましょう」
さすがはホルメア国最強の軍団と呼ばれた「黒壁」の将校である。強い自負とともに、そう言い切った。
ところが、すぐにアドミウスは苦笑いを浮かべる。
「――と、言いたいところですが、いささか気にかかります」
蒼馬に「何が?」と尋ねられたアドミウスは答えた。
「辺境諸侯軍と称する連中の動きの悪さです」
アドミウスは自分らの会話に耳を傾けているガラムへ視線を転じる。「現在、ソーマ様の主力であるゾアンの戦士らの多くは平原に帰還していると聞き及んでおりますが?」
それにガラムは重くうなずいてから答える。
「そうだ。この王都には五百人ほどを残し、他の戦士らは帰郷させている」
蒼馬の主力ともなるゾアンの戦士だったが、彼らとて自分たちの生活がある。戦いが終わり、蒼馬の治政が順調に滑り出した今、大半のゾアンの戦士たちはソルビアント平原へ戻っていたのだ。
「無論、招集をかければ今は平原にいるゾアンの戦士たちも大挙して王都に応援に駆けつけるのでしょうな」
このアドミウスの言葉に「当然だ」と自分の胸を叩いて請け負ったのはズーグである。
「すでに招集の太鼓は叩いた。今頃、平原にいる戦士らの耳にも届いていよう。早い者ならば五日。遅くとも十日後には五千人からの戦士が集まるだろう」
これにアドミウスは驚いた。
これがホルメア国ならば、まず伝令兵が各地の領主たちのところを回って徴兵の命令を伝えねばならない。それから領主が領内の村々から兵を集め始める。そして、兵の徴募がすべて終わってから旅装を整えて、ようやく指定の場所へと向かう。当然ながらその行軍は一番足の遅い歩兵に合わせなければならないので遅々たるものだ。
そのため、すべての兵が集まるまでには一ヶ月以上かかってしまうのもざらである。
それに比べればゾアンの戦士の集まる早さは驚愕と言っても良い。
「驚くのは無理もない。しかし、ゾアンにとっては、それが当然なのだよ」
アドミウスをそう諭すマルクロニスもまた、当初は驚かされたひとりである。
太鼓の伝達速度の速さもさることながら、武器は山刀一振り、寝具や雨具は毛皮一枚、食い物も干し肉がなければ途中で狩れば問題ないと言い切って案内もなく指定された場所へ各自で続々と集まってくるゾアンの戦士たちの姿には呆気に取られたものだ。
ようやく我に返ったアドミウスは咳払いをひとつしてから続けて言う。
「このように時間とともに、こちらの戦力は整えられていきます。豊かなホルメア国北部とはいえ、あくまで国の一部にしか過ぎません。その他大半を掌握している我らとは動員できる兵力が違うのです。それは時間とともに明確になって現れるでしょう」
アドミウスは蒼馬に向けて断言する。
「アッピウス侯爵は目先の利害に囚われがちで腰の定まらぬ御仁ではありますが、決して馬鹿ではありません。少なくとも彼我の戦力差が読めぬほどの愚将ではなかったはずです」
そこまで言われれば蒼馬もアドミウスの疑念を理解できた。
「確かに、それだと辺境諸侯軍の動きが悪すぎるね」
こちらから譲歩を引き出すためだが、すでに北部諸侯はいつでも挙兵できる態勢を整えていたはずだ。それならばアッピウス侯爵が檄を発するとともに各自でいっせいに王都へ向けて進軍した方が良い。
それなのにわざわざいったんラフバンの街へ集まってからでは無駄足になる。それに軍が大きくなればなるだけ、その足は遅くなるものだ。それを思えば、アドミウスの言うとおり何か怪しく思えてくる。
そこに自分の長い顎ひげをなでさすりながら地将のドヴァーリンが言う。
「強固な城壁がある王都をわしらが守っているとあれば攻めたくはなかろう。むしろ、こちらを挑発して、攻めてこさせようとしているのではなかろうか?」
籠城戦のうまさには定評があるドワーフらしい発言である。
そして、辺境諸侯軍がいるラフバンの街は高い街壁があり、守りも堅い城塞都市だ。そこに五千を超える辺境諸侯軍が立て籠もれば、これを攻め落とすのは難しいだろう。
しかし、それにズーグが異を唱える。
「巣穴にこもった狼を狩るのに、わざわざ巣穴に入る必要はあるまい。俺なら煙で燻して追い出すか、腹を空かせて出てくるのをのんびりと待つわ。アッピウスとやらがよほどの馬鹿でもない限り、それぐらいはわかろう」
わざわざ守りの堅いラフバンの街を直接に攻める必要はない。糧道を断ち兵糧攻めにでもして、後は根を上げて討って出たところを迎え撃てば良いだけの話である。
それをゾアン風に例えたズーグの意見に皆はうなずいた。
さらにアドミウスが籠城の可能性を否定する。
「アッピウス侯爵は自分の領地が傷つくのをひどく嫌がります。ワリウス王の檄に応じて討伐軍の総大将に任じられたときも、やはりソーマ様に領地を襲われる可能性を言い立てて真っ先に陣払いを願い出たほどです。そのアッピウス侯爵が自分の領土を戦場にしようとしているとは、とうてい思えません」
そうした意見を聞いた蒼馬もアッピウス侯爵が籠城戦を仕掛けてこようとしているとは思えなかった。
だが、それと同時にアッピウス侯爵の動きはドヴァーリンが言うように、こちらを挑発して攻めてこさせようとしているように見える。
そうなるとアッピウス侯爵の狙いは、こちらを王城から引きずり出した上での平野での会戦?
そう思った蒼馬は、ホルメア国の地図を用意させた。そして、まず辺境諸侯軍がいるラフバンの街の位置に想定される最大兵力となる七千の駒を置く。それから自分たちがいる王都には、少し考えてから蒼馬は同じく七千の駒を置いた。
先のホルメア戦役の後に「黒壁」をはじめとしたホルメア国軍の敗残兵を吸収して兵数を大きく増やした蒼馬の軍であったが、工房で働くドワーフたちを中心とした既存の兵の一部をボルニスの街に戻していた。また、増えた人間の兵の大半は主にホルメア国東部の戦災復興と治安維持に当ててしまっている。
それらを今から呼び集めても良いのだが、それには時間がかかってしまう。また、吸収した旧ホルメア国軍の兵では、やはり同国人である辺境諸侯軍とは戦いづらいだろう。また、その中には北部諸侯に同調する者が出ないとも限らなかった。
そうなると実際に蒼馬がすぐに動かせるのは、これから集まるゾアンの戦士五千と人間種二千あまりに、エルフ、ドワーフ、ディノサウリアン、ハーピュアンたちを加えたおよそ七千から八千となる計算になる。
しばらく地図を見下ろしていた蒼馬だったが、まず王都に置いた七千の駒の大半をずいっと北部へ押しやった。
アドミウスによれば練度の低い辺境諸侯軍ならば三千でも打ち勝てると言う話だが、だからといって馬鹿正直に三千で戦おうとは思わなかった。確実に勝利し、こちらの被害を最小限に留めるためにも、持てる戦力すべてをぶつけるべきだ。
しかし、そうなると気になるのが辺境諸侯軍と向かい合うこちらの兵の駒の周囲と、そして何よりも駒がほとんどなくなった王都である。
すなわち、アッピウス侯爵と向かい合うこちらの軍の背後や側面からの挟撃、もしくはがら空きとなった王都への奇襲の恐れだ。
だが、そのいずれにしろ実行するにはそれなりの軍勢が必要である。
ところが、その軍勢が見当たらない。
蒼馬は地図から顔を上げると、もはや仏頂面が顔に張りついてしまっているセティウスに声をかける。
「ねえ、セティウスさん。東部で何か不穏な動きはある?」
人将マルクロニスの副官であるセティウスは、主にホルメア国軍の敗残兵だった者たちとともにロマニア国軍の被害が大きかった東部の復興に従事していた。そのため、この場でもっとも東部の状況に詳しい人間である。
「東部は、今も復興で手一杯です。辺境諸侯軍に合流するには糧食はもちろん武具や騎馬と何もかも足りていません。仮に足りていたとしても、いまだロマニア国軍の蛮行を忘れがたい民が、兵が北部へ行くのを拒否するでしょう」
今は戦災復興に従事している兵だが、彼らは同時にロマニア国軍の再侵攻に対する備えでもある。蒼馬の大反攻によって痛手を負ったロマニア国軍はすぐには再侵攻してこないだろうが、それでも万が一を考えれば動けるものではなかった。
そうなると次に目が行くのはホルメア国西部だが、そこにはルオマの街の領主ミュトス元伯爵など蒼馬に対して友好的な領主が多い。彼らが今さら兵を起こすとは思えなかった。
最後に残った南部だが、北部と南部の諸侯が連携を取るには中間にある王都を経由せねばならず、時間も手間もかかってしまう。そればかりか、反乱を起こすだけの重要な連絡を取り合おうと思えば、よほど頻繁に使者を行き来せねばならない。それでは秘密の保持すら難しくなる。それなのに、これまで蒼馬の耳に一度としてそうした噂が届かなかったというのは考えられない話だ。
それならばとホルメア国の外に蒼馬は目を向けてみる。
だが、西の海洋国家ジェボアは先日さらなる友好を約したばかりか、そもそもジェボア自体に他国を侵略する気がない。逆に東のロマニア国はこちらを侵略する気は満々だが、ホルメア戦役の痛手が癒えていない今、その無理を押してでも兵を挙げてくるとは思えなかった。
しかし、そうなるとアッピウス侯爵に同調する軍勢がどこにも見当たらない。
蒼馬は心底から困惑しながら言う。
「これで、なんでアッピウス侯爵は挙兵したの?」
アッピウス侯爵がいったい何を考えているのか、蒼馬はさっぱりわからなかった。
時間を稼いでも辺境諸侯軍に同調するような勢力がなく、かえって時間とともに兵力も開く一方だと言うのに、あえて時間を稼ぐようなマネをしている。かといって、こちらの譲歩を引き出すにしては過激すぎる手だ。そこまで檄を飛ばして兵を動かされれば、こちらもそれなりに対処しなければならない。そうなれば、あとは兵同士をぶつけ合うしかなくなってしまう。
「それで僕らに勝てると思っているのかな?」
そう苦笑とともにぼやいた蒼馬だったが、その慢心を諫める声が上がる。
「おまえが私たちを率いて戦いの声を上げたとき、ホルメア国の連中もそう思っただろうな」
それは、シェムルであった。
彼女の的確な指摘に、蒼馬はうっと言葉を詰まらせる。
振り返ってみれば、これまで蒼馬は常に自分よりも強く、そして大勢の敵を相手に戦ってきた。しかし、今回は初めて自分たちよりも兵の練度も低く、数も少ない相手である。そのため、無意識のうちに相手を甘くみてしまっていたのだ。
それに気づいた蒼馬は恥ずかしそうに自分の頬を掻きながら言う。
「そうだね。敵を甘く見て良いことはない」
蒼馬は気を引き締め直すと、「それでこそ、我が『臍下の君』」と満足げに何度もうなずくシェムルを背にしながら、みんなの顔を見回した。
「ここはアッピウス侯爵が何か秘策をもって挙兵したというのを前提に考えよう。――じゃあ、それはいったい何だろう? ささいなことでもいい。何か気づいたら遠慮なく言ってね」
蒼馬の問いかけに、みんなが難しい顔でうなっていると、鈴を鳴らすような美しい声が上がる。
「よろしゅうございましょうか?」
そう言って発言の許しを求めたのは、エラディアである。それに蒼馬が「何か?」と尋ねると、エラディアは「気になることがございます」と前置きしてから切り出した。
「最近、この王都でソーマ様がワリナ王女をいたぶっているといった善からぬ噂が流布しております」




