第28話 本
「シェムルと直接話したいのですか?」
蒼馬が確認すると、ワリナ王女は「よろしければ、是非」と快活に答えた。
蒼馬は自分の肩越しに視線でシェムルへ「どういうこと?」と問いかける。だが、シェムルもまた「私もわからん」とばかりに顔をしかめてみせた。
いったいどういうわけかはわからないが、シェムルに対するワリナ王女の態度は好意的なものに見えた。そのため、特に拒絶する理由はない蒼馬は、困惑しつつも了承する。
すると、ワリナ王女は自分の後ろに控えていた侍女から一冊の本を受け取ると、それを卓の上に置いた。
「これを書かれたのは、シェムル様とお聞きしておりますが、誠でしょうか?」
シェムルはそれを手に取り、ページをパラパラとめくって内容を確認する。
「うむ。私の書いたものに間違いない。字の練習がてらに、大陸中央から取り寄せた戯曲本を複写したものだ」
蒼馬の右筆となったシェムルに、その語学の師であるソロンは様々な言語で書かれた本を与えていた。そして、その大半は英雄が活躍するような内容の戯曲本や伝説を書き記したものだったのである。
「たいていの人にとって、勉学なぞつまらんものよ。何か楽しみでもなければやってられんわ」
それがソロンの弁である。
そして、このソロンの思惑は図に当たった。
もともと氏族のお婆様の語る英雄の物語が大好きだったシェムルである。しかも、与えられたのは彼女が初めて接するゾアン以外の英雄の物語だ。たとえるならば、それは現代日本人にとっての異世界ファンタジー小説になるだろう。
これにシェムルは、はまりにはまった。
蒼馬が執務室で政務を執っているときなど、自分が警護に集中しなくても良く、また自分では蒼馬を助けられることがない時間は、ソロンから借り受けた辞書を片手に本に没頭するようになったのである。
このおかげで、今やシェムルは大陸中央の言葉はほぼ完璧に読み書きできるようになったばかりか、今やこうして戯曲本を西域の言葉に翻訳できるまでになっていたのである。
「しかし、これは確か、誰かにやったものだぞ」
そこでシェムルは顔を蒼馬へ向ける。
「ほら。ソーマもいただろ。この前の王冠とやらを壊したときだ」
しばし自分の記憶を探っていた蒼馬だが、すぐにそのときのことを思い出した。
それは、ホルメア国の戴冠宝器を破壊した後に庭園で懇親の宴を開こうと移動しようとした時の話だ。
そのとき、儀式に立ち会っていた諸侯や騎士の一部が、部屋の隅に集まっていた。彼らは諸侯や騎士の中でも比較的若い者たちである。若さゆえの血気から、彼らは祖国が滅びる姿に義憤を覚えていたのだ。
このような非道を許して善いのか? これから我らは何に忠誠を尽くせばいいのか? このようなまねをする破壊の御子に従って良いものか? では反乱を起こすか? いやいや、それではワリナ王女にご迷惑がかかる……などなど。
そのようなことを言い合っていた諸侯や騎士の中から、ひとりの騎士がすまし顔で次のようなことを言った。
「王家の苦境の折、我らは『ジェムウェンの忍耐』に学ぶべきでしょう」
そのとたん、知り合いの諸侯や騎士らはいっせいに顔をしかめた。
この若い騎士は、ホルメア国でも名うてのキザ男と知られた男であった。身につける衣装や武具は無論のこと、何かにつけても大げさな身振り手振りに加え持って回った言い回しをするなど、とにかく格好をつけたがるのだ。
特に、知り合いの騎士仲間から嫌われていたのは、読んだ本から得た故事や逸話から引用した言葉を使うことだった。
ペンより剣を本より盾を手にする騎士の間では珍しいことに、その男はかなりの読書家でもあった。そして、そうして読んだ本の中から引用した台詞や言い回しを普段の会話の中でも使うのである。
当然、同僚である多くの騎士は、そのような本を読んだことがなく、わかるわけがない。すると、その騎士は「これだから無学な奴は」と言わんばかりの目をするのである。これでは騎士仲間からも好かれるはずもなかった。
このときも仲間の騎士たちは「またわけのわからぬことを言い始めた」と白けきってしまったのである。
そうした仲間の反応にも「無学な連中だ」とばかりに鼻で笑っていた騎士だったが、そこに思わぬ声がかけられる。
「おい、おまえ」
その声に振り向けば、そこにいたのは破壊の御子の隣に侍っていたゾアンの娘――シェムルである。
野蛮なゾアンごときにおまえ呼ばわりされたのに不快になる騎士に向け、シェムルは平然と言った。
「姫を逃がしたいときは、あらかじめソーマに伝えてくれ。無用な騒動を起こさず、ちゃんと旅立ちの手配をして送り出してくれるぞ」
突然のシェムルの言葉に、周囲にいた騎士たちはきょとんとした。
その中にあって、声をかけられた騎士ひとりだけが青い顔になる。
「……いったい、何のことだろうか?」
何とか誤魔化そうとわからぬ振りをすると、シェムルは不思議そうに首をかしげて見せた。
「ん? ジェムウェンとは『亡国の姫と裏切りの騎士』の主人公ではないのか?」
それは大陸中央の王侯貴族らの間で流行っている王や騎士たちを題材にした戯曲本で、蛮族に攻め落とされた国の姫と、それに仕えていた騎士の物語である。
征服者である蛮族王の求愛を頑なに拒み、無理強いすれば命を絶つとまで言う姫。
敗色が濃厚と見るや否や故国を裏切り、真っ先に降伏したばかりか、その後もかつての僚友らを手にかけてまで蛮族王の歓心を買おうとする裏切り者の騎士。
しかし、蛮族王がついに姫の強情に業を煮やして力尽くでものにしようとしたとき、裏切り者の騎士は突然反旗を翻す。すっかり信用して油断していた蛮族王の裏をかき、囚われていた姫を救い出して他国へと逃がした騎士は、自身は蛮族王の追っ手を食い止めるため踏み止まり、奮戦の末に命を落としてしまう。
実は、姫が蛮族王の求愛を頑なに拒んでいたのも、騎士が裏切り者の汚名をかぶってまで姫を救ったのも、ふたりが密かな想い人同士であったという結末の物語であった。
そして、その主人公の騎士の名前が、ジェムウェンなのである。
騎士は恐る恐ると言った様子でシェムルに尋ねた。
「あの……『亡国の姫と裏切りの騎士』を知っているか?」
「ああ。あれは面白いな!」
それにシェムルは、人間ならば喜色満面といった態度で応じた。
シェムルもまた本の内容を語り合う相手に飢えていたのである。
しかし、自分の身近で戯曲本を読んでいるのは、せいぜいソロンかエラディアぐらいなものである。毛嫌いしているソロンと楽しく話せるはずもなく、エラディアへ本の話題を振るのは何だか悔しい気がしてできない。
そんなときに同じ戯曲を読んだ同好の士の発見である。喜びに興奮したシェムルは相手の反応も構わずに本の内容について熱く語り始めた。
「どうかしたの、シェムル?」
そこに蒼馬もやってきた。すぐに戻ると言って自分のところから離れたまま、なかなか戻ってこないシェムルを心配して来たのである。
シェムルは振り返るとうれしそうに言う。
「ああ。こいつが、ジェムウェンの忍耐に習うべきだと言っていたので、姫を逃がすときはおまえに一言伝えてくれと言っていたのだ。ジェムウェンだ。ソーマも知っているだろ?」
蒼馬は記憶の中から、すぐにその名を拾い上げた。
「……ああ。『亡国の姫と裏切りの騎士』の主人公?」
そう言う蒼馬は、わずかに顔にゆがめていた。
実は、シェムルが戯曲本にはまったために蒼馬は迷惑を被っていたのだ。
蒼馬を深く敬愛するシェムルである。蒼馬ともその面白さを共有したいと思うのは当然だ。ましてや他に本について語り合う相手がいない。そうなると、自ずとシェムルの欲求の矛先が蒼馬へ向けられたのである。
シェムルはことあるごとに、自分が面白いと思った本を蒼馬へ読み聞かせようとするのだ。
だが、自分の感情に素直なシェムルである。お世辞にも上手な語り手とは言えなかった。せっかくの話の山場でも「ここからが、すごいぞ!」とか「どうだ?! この台詞かっこいいとは思わないか?!」などと自分の感想を差し挟んでくるのだ。これではせっかくの山場も台無しである。
そのため、自分が政務をしている脇で本を読み耽っているシェムルが、感動と興奮で全身の毛を逆立てたら、蒼馬は急用を思い出したふりをして距離を置くようにしていたぐらいである。
「ああ。そうだ! ソーマも面白いと言ってたな」
喜色満面のシェムルだが、蒼馬がボソッと「いくら面白くても、ああ何度も読み聞かされちゃね」と苦い顔になったのには気づかない。
しかし、騎士だけは顔面蒼白となった。
姫のために蛮族王を騙して裏切った主人公の忍耐に習うべきとは、まさに蒼馬に向かって「おまえをいつか裏切ってやるぞ」と公言したようなものだ。そして、目の前にいる蒼馬の不快そうな顔。
そのため、蒼馬が自分へと目を転じたときは、その騎士は本気で死を覚悟した。
ところが、蒼馬はあっけらかんと告げる。
「逃がすまでもなく、ワリナ王女が他国へ行きたいというのならちゃんと見送ってあげますから、変な騒動を起こす前に僕に言ってくださいね」
そう言うと、もはや用件は終わったとばかりにエラディアが宴席の準備をする中庭へ向けて足を動かしていったのである。
その蒼馬の後を追いかけようとしたシェムルだったが、何かを思いついた顔になると、茫然自失となっている騎士のところに駆け戻ってきた。
「おい、おまえ。『王子と獣の剣闘士』を知っているか?」
おそらくは戯曲本の題名だとは思うが、それは騎士の知らないものであった。
「いえ。寡聞にして、存じません」
正直にそれを言うと、シェムルは人間でもそれとわかるぐらい満面の笑みになった。
「そうか! なら、私が字の練習がてらに写本したものがある。後で届けてやろう」
そう言い残すと、自分を待っている蒼馬のところへ駆け戻ったのである。
そして、このときの約束どおり、後日その騎士のところへシェムルの書いた写本が一冊届けられた。おっかなびっくり写本を開いたその騎士は、再び敗北感を覚えることになる。
なぜならば、そこに書かれた文字の美しさときたら、どこぞの美姫がしたためたと聞かされれば「道理で」と納得してしまうほど美麗なものだったからだ。
この一件を機に、その騎士は一八〇度宗旨替えをした。
「これまでゾアンなど文字すら持たない野蛮で無学な亜人と見下していた自分が恥ずかしい。教養とは学び身につけるものであり、そこには種族の差などないのだと、私はあの方に教わったのだ」
そう言うと、その騎士は自ら率先してゾアンたちと交わるようになったのである。
そして、そのきっかけとなった写本がワリナ王女の手にあるのは、その騎士が「これを見てゾアンへの偏見を払拭していただきたい」とワリナ王女へ献上したためであった。
まさか、そのような経緯で自分の写本と再会するとは思わなかったシェムルは素直に驚いていた。
「おまえ、これを読んだのか?」
シェムルがそう尋ねると、ワリナ王女は褒められた子供のような笑顔でうなずいた。
「はい。――とても面白くて、一気に読んでしまいました」
「そうか。女なのに、これを面白いとは珍しいな」
シェムルが写本した「王子と獣の剣闘士」の内容は、その題名のとおり人間の王子と彼に命を助けられたゾアンの剣闘士が、ともに失われた王国を求めて旅をする冒険譚である。
氏族のお婆様が聞かせてくれる英雄譚が好きだったシェムルだが、一緒に英雄譚を聞くのが男の子たちばかりだったのに、普通の女の子はこうした話はあまり好きではないと知っていた。ましてやワリナ王女は人間の偉い王様の娘だ。とうてい、こうした話を好むとは思いもしなかったことである。
ワリナ王女は嘘偽りない笑顔で言う。
「私は、こういう話が大好きなのです。例えば、他には――」
ワリナ王女が指折り数えて上げた本の題名のいくつかは、シェムルも知っているものだった。そして、それはいずれも英雄譚や冒険譚といった類いのものである。
このワリナ王女の嗜好はダリウス将軍の影響だった。
兄王子に疎まれたがために王宮の人から敬遠されていたワリナ王女を唯一気に懸けていたのが、あのダリウス将軍である。ダリウス将軍は、病弱で外出もままならないワリナ王女のせめてもの慰みとなればと、各地から取り寄せた珍しい本を度々献上していた。
当然、それらの本は姫に献上するものなのでダリウス将軍本人が吟味したものである。その結果、それらの本にはダリウス個人の嗜好が入ってしまい、女子が読むにはいささか荒っぽい内容の作品ばかりであったのだ。
そして、敬愛するダリウス将軍のお勧めの本ならばと読んでいるうちに、ワリナ王女の趣味もしだいにそうしたものとなってしまったのである。
「大陸の中央より取り寄せる本も、最近では聖教のありがたいお話か、人間種以外の種族の方が悪人のお話ばかり」
ワリナ王女は寂しげに小さくため息をつく。それからパッと顔を明るくさせる。
「ですから、このようなお話が久しぶりに読めて、本当にうれしかったのです。――ああ。そういえば、私は『王子と獣の剣闘士』の奴隷となったゾアンの方が使われていたのは、大剣だと記憶しているのですが?」
蒼馬と話しているときとは比べものにならないくらい弾んだ声でワリナ王女が問えば、シェムルもまた満面の笑みで答えを返す。
「うむ。私の読んだ原書では、そうだったな。しかし、ゾアンの私からすれば大剣など背負って走れるものではないから、そこは変えた」
「やっぱり、そうでしたか! いくつかの台詞も私の記憶するものとは違うのですが、そこがかえってゾアンらしいと申しますか、もっと活き活きと感じられました!」
「そうか! そう言ってもらえると、私もうれしいぞ!」
「それに、ソーマ様とシェムル様のご関係は、まさに『王子と獣の剣闘士』のよう! だからこそ、こんなに物語の中の人たちが活き活きと書けるのでしょうね!」
「いやぁ~。そうか? そう面と向かって言われると、私も照れくさいぞ。はははははっ!」
蒼馬をそっちのけでワリナ王女とシェムルは和気藹々と歓談し始めてしまった。
ふたりから完全に蚊帳の外に置かれた形の蒼馬は、手持ち無沙汰にしきりとお茶を口にする。当然、それではあっという間に自分のお茶だけが空となってしまう。
すると、すかさずエラディアが用意されていた新しいお茶をもって現れた。
「ソーマ様。お茶はお代わりいかがでしょうか?」
蒼馬は自分の手にした空の器と、楽しげに語り合うワリナとシェムルの姿を交互に見やる。
これは当分終わりそうもないな。
蒼馬はため息をひとつ洩らす。
「うん。もう一杯ちょうだい」
◆◇◆◇◆
同性でしかも同じ趣味を持つ相手に初めて巡り会ったワリナ王女とシェムルのふたりは、一気に意気投合した。同じ本の感想を語り合ったり、おすすめの本を紹介しあったり、最後には本の貸し借りを約束するまでの仲になっていたのである。
そろそろ離宮へ戻らねばならない刻限となったのに王女付きの侍女が声をかけなければ、ふたりはいまだに話し続けていただろう。
「ソーマ様には、大変ご無礼なことを……」
ようやく自分が蒼馬をほったらかしにして、シェムルと話し込んでしまっていたのに気づいたワリナ王女は顔を蒼白にして謝罪した。
しかし、それを蒼馬は笑って許した。
むしろ人間の王族であるワリナ王女と異種族であるゾアンの娘シェムルが仲良くしてくれるのは良いことである。今後すべての種族に平等な権利を与えるという自分の政策を鑑みれば、王女が自分と話すよりも有意義であったとすら蒼馬は考えていた。
それを考慮すれば自分がちょっとだけ寂しかったのは大した問題ではない。
「そうだ、そうだ。私はソーマの半身だ。私と話すことは、すなわちソーマと話すことでもあるのだぞ」
だから、見るからにご機嫌でそう言うシェムルを恨みがましく睨むぐらいは許されるだろうと蒼馬は思う。
想定外のものとなってしまったが、初のワリナ王女との茶会もこうして無事に終えた。
やれやれと肩の荷を下ろした気になっていた蒼馬だったが、しかし安堵するには早すぎた。
「そうだ。気になっていたことがあるんだ」
ふと思い出した顔になったシェムルが、席を立とうと腰を浮かしかけたワリナ王女へ爆弾発言を投げつける。
「おまえは蟲に取り憑かれていると人から聞いたのだが、本当なのか?」
ワリナ王女の笑顔がピシッと凍りついた。




