第25話 裏の力
北部諸侯への使者を引き受けたヨアシュは、その後で蒼馬と打ち合わせをした。北部諸侯に提示する条件や交渉の材料となるものを煮詰め合ったのである。
それを終え、ようやく蒼馬のところから辞去したヨアシュは、下城する道すがらトゥトゥへ声をかけた。
「さて、ようやく直接にお目にかかれた破壊の御子の感想は、どうだい?」
ダミアが押す手押し車の振動に揺られながら、トゥトゥはしばし目をつぶって先程の接見を思い浮かべた。それからぽつりと言う。
「……期待外れだね」
生まれながらにして人を虐げる者と虐げられる者、搾取する者と搾取される者に区別する愚かしい身分制度。この社会の秩序ともいうべきものを覆し、粉砕する。
トゥトゥが蒼馬に期待していたのは、そんな自らの夢を現実のものとしようとする者の姿であった。
「あの人は、私が期待していた人間ではない」
破壊の御子がやっていることとその結果を見れば、自分の夢との大きな相違はない。
しかし、トゥトゥは破壊の御子の言動に違和感を覚えていた。
まったくおなじものを見、同じことを語っているはずである。それなのに、どこか掛け違っているような齟齬を感じるのだ。
あれは決して自分が期待していたような存在ではない。
トゥトゥは、そう確信する。
そして、それと同時に直感していた。
「だけど、予想以上でもある」
いくぶんの恐れすら込めてトゥトゥは言った。
破壊の御子は、自分ら賤民を救済するとあっさりと約してくれた。
しかし、賤民とは身分制度の最下層に置かれ、それを支える存在である。それは身分制度の上に立ち、それを支配する王族とは対局に位置する存在だ。
その賤民を廃して他者と同様の権利を与えるとは、王侯貴族などの特権階級を廃するのと同様に、身分制度を転覆させ、完膚なきまでに破壊することである。
また、王侯貴族を廃する場合とは異なり、これまで自分らより下の存在であった賤民が自分らと同等の権利を有するとなれば、多くの領民らからも不満が上がるだろう。蒼馬はまずは賤民に税を納めさせる形を作り、そうした不満を和らげると言っていたが、そんなのはほとんど焼け石に水だ。必ずや大きな不満が噴出する。
そして、それは領民らを自らの支持基盤としている破壊の御子にとっては足許を崩すようなものだ。
それを考慮すれば、これまでの王侯貴族などの一部の特権階級を廃するよりも数倍難儀なものとなるだろう。
しかし、それを破壊の御子は、あっさりと承諾した。
それがさも当たり前のことであるかのように、だ。
トゥトゥは、ぶるっと身体を震わせて言う。
「以前、君はあの方を海魔と評していたね」
かつてヨアシュは蒼馬を海魔と例えたことがある。
蒼馬が行う数々の偉業や革新も、しょせんは海から突き出た触腕の一本に過ぎない。海面の下にはもっと巨大で異質な存在が隠れているだろう、とヨアシュはそのとき語ったのだ。
「今ならばその言葉に、私も大いにうなずける」
トゥトゥは、あのときのヨアシュの言葉を認めた。
王政の転覆と身分制度の破壊。
自分が怒りと憎悪を糧に、命とも言うべき両腕を犠牲にしてでも果たそうとした宿願。
それが、何のことはない。破壊の御子にとってみれば、それすらもただの通過点――いや、ともすれば破壊の御子が真の目的を達成するための手段のひとつにしか過ぎなかったのである。
「あれは間違いなく海魔だ。人も船もすべてを海底の闇の中へと引きずり込む、恐ろしい海魔だ」
トゥトゥは畏怖とともにそう断言した。
そんなトゥトゥに、ヨアシュは悪戯っぽく目を輝かせて問う。
「それじゃあ、取り入るのはやめておくかい? 言っておくが、もらった仲介料は返さないよ?」
答えをわかっているくせに尋ねるヨアシュに、トゥトゥは苦笑を返す。
破壊の御子にとっては通過点や手段に過ぎないにしろ、自分の目的が叶うのならば、もはやトゥトゥには引きずり込まれるしか選択肢はない。
「引き続き仲介を頼むよ。あの方を見極めるためにも、近くにいてもっとよく知らなくてはならないからね」
トゥトゥの答えにヨアシュは両腕を広げて声を上げる。
「ヨーホー! そうでないと私が困る。批判を受けるのも承知して君を強引に紹介したんだからね!」
ヨアシュがトゥトゥを紹介したのは、彼が蒼馬の力になると思ったからだ。
現在の蒼馬の勢力は、ガラムたちの武力に加えてミシェナやソロンなどの文の力も兼ね備え、まさに万全の布陣に見える。
しかし、ヨアシュが見たところ、これより国の政を取り仕切っていく上で蒼馬の勢力に大きく欠けている力があった。
それは、裏の力である。
国の政とは、決して清廉潔白なものではない。名君の誉れや戦場の勲だけではなく、ときには表には出せない裏の力も必要なのだ。
特に今の西域は、戦乱の時代の真っ只中である。勝者が敗者の肉を貪るこの時代においては、いかなる手段も問わずにやらなければ、自国の権利すら守れはしない。
他国の内情は百の黄金に匹敵し、一振りの毒刃が百万の兵に勝り、また流布させた噂が盤石と見えた大国すら揺さぶることもあるのだ。
それがわからない清廉潔白な王は自らが毒刃に倒れ、戦で万事を解決しようとする王は多くの将兵を失って国を滅ぼすのである。
一見すると蒼馬は、そうした裏の力を忌避する清廉潔白な人間に思える。
だが、捕虜であったホルメア国兵士の一部を解放し、金銭を与えて密偵代わりに使っていたところを見ても、蒼馬本人は戦場での勝敗のみですべてを解決しようという人間ではない。むしろ権謀術数を巡らして勝利を掴む性質の人間とヨアシュは分析していた。
しかし、現在のところ蒼馬の下には、そうした裏の力を振るえる者がいない。
蒼馬の麾下で裏の力の重要性と危険性を理解しているのも、せいぜい女官長のエラディアぐらいのものである。しかし、そのエラディアですら、その力は宮廷という限られた戦場のものでしかない。
ヨアシュは周囲をはばかるように声を潜めて言う。
「最近、絵狂いの御仁がソーマ様にご執心のようでね」
ヨアシュが言う絵狂いとは、バルジボアの国王セサルのことである。世間では絵画に没頭するあまり国政をないがしろにしている暗君ともっぱらの評判の若い王だった。
しかし、その実は西域最大の諜報組織「根」の総帥として、西域全土の地下に根を張る危険な人物だ。
これまでボルニスの街では蒼馬の周辺にいる人が限られていたためにエラディアも鉄壁の防御を敷いて「根」の間者を排除できた。だが、ホルメア国を取り込んだことによって蒼馬の周辺にも人が増え、それがためにエラディアの鉄壁の防御も揺らいでいる。
そして、そこを狙い、セサル王の命を受けた「根」の間者がこれまでにない規模で活発に動いていたのだ。
当然、そのセサル王の動向は、トゥトゥも承知していた。
「絵画のこと以外には、何事にも執着を見せなかった絵狂いが珍しいこともあるものだね」
トゥトゥの意見に、ヨアシュは小さくうなずいて同意を示す。
「あの絵狂いの御仁が、何を思って宗旨替えをしたかはわからない。だけど、これからの西域は必ずやソーマ様が中心となるはずだ。その中心が、そう簡単に倒れてしまっては私も困る。そんな折りに、君から仲介を頼まれたのは、まさに『帆を上げたら風が吹いた』だったよ」
ヨアシュは「渡りに船」と似た意味を持つジェボアの格言を口にした。
「何しろ、この西域でまがりなりにも『根』に対抗できるのは、君のところぐらいなものだからね」
それにトゥトゥは小さく頭を振る。
「それは買いかぶりだ。いくら私たちでも、西域最大の組織『根』には太刀打ちできないよ」
「ヨーホー! これは《地に落ちた者》の言葉とは思えないね!」
声を上げたヨアシュをトゥトゥはその細目をさらに細めてキッと睨む。それにヨアシュは「これは失礼」と心にもない謝罪を述べてから言う。
「でも、少なくとも王都ホルメニア近郊に限れば、君らに地の利はあるだろう? それに、今まで手許にいなかった種類の知識と技術を持つ君らがいれば、きっとソーマ様はまたとんでもないことをしでかすに決まっているからね!」
蒼馬の蓄えた知識と、何よりもこの世界の常識に縛られない、その発想。
それらは、ヨアシュをもってしても計り知れないものだった。その知識と発想を実現化できる手段さえ与えれば、蒼馬はとてつもないものを次々と生み出すだろう。
そして、今まで蒼馬のところにいなかった力を持つトゥトゥは、間違いなくその手段のひとつとなるはずだ。
蒼馬が最大の顧客であるヨアシュにとってみれば、蒼馬の勢力がより大きく肥え太ってもらった方が自身の利益につながる。
そう思えばこそ、これほど無理してまでトゥトゥを紹介したのだ。
「だが、それだと今回の謁見は失敗じゃないのかい?」
上機嫌となるヨアシュに、トゥトゥは疑問を投げかけた。
本来のトゥトゥの計画では、裏の仕事に従事するのを代償として自分らの権利の保障を得るつもりであった。
そのため「生きるためには何でもする」と暗に非合法な活動をしているのを臭わせたのだ。ところが、破壊の御子が示したのは興味ではなく憐憫である。
気づいていてなお素知らぬふりをしたのか、それとも本当にまったく気づいていなかったのかはわからない。
しかし、いきなり蒼馬から何の代償も求めずに賤民の復権をポンッと投げて寄越したのである。
これにはトゥトゥも困惑した。
結果だけ見れば、こちらの要求に対しての満願回答。しかも、無償ときたのだから、大成功である。
だが、それを万々歳と受け入れられるほどトゥトゥは甘い人生を送っていない。
無償の好意ほど当てにならないものはないのだ。与えたのと同じ気軽さで、それを取り上げられるかもしれないと考えてしまう。それが陽の届かぬ裏街道を歩く者たちの思考である。
むしろトゥトゥにしてみれば計画通りに裏の仕事を請け負う代わりに復権を保障された方が安心できた。少なくとも、そうした仕事を続ける限りは自分らの権利は守られるからだ。
だが、あの後で「では、お礼に裏の仕事は任せて下さい」とは自分からは言い出しづらかった。
蒼馬の言葉が本当にただの好意からのものだった場合、その代償に裏の仕事をしましょうと提案すれば逆効果になる恐れがある。哀れみからの好意だったものが、かえって危険な力を持つ集団という認識からの警戒へ変わり、権利の保障がさらなる迫害へと向けられてしまう可能性があったからだ。
何とか蒼馬から裏の仕事を任せるような言質を引き出そうとしたのを止めたヨアシュをなじるようにトゥトゥが横目で睨む。すると、ヨアシュはひょいっと肩をすくめてみせる。
「問題はないさ。ちょっと予想外ではあったが、決して悪くはないよ。今回は顔を覚えていただいただけで善しとしようよ。むしろ、あそこでいきなり重用されでもしていたら、よけいにややこしくなっていたからね」
それにトゥトゥが「なぜだい?」と尋ねるのに、ヨアシュは苦笑とともに返す。
「破壊の御子の近くには、裏の者が近づくのを警戒されている人がいるじゃないか」
ヨアシュの言葉に、トゥトゥは妖しい美貌のエルフの面影を思い浮かべる。
「なるほど。私もあの人を敵に回したくはないな」
あのエルフの女官長は、わずかでも主君の障害となるようなものは見逃さない。ましてやそれがもっとも懸念している蒼馬の暗殺につながるような裏の者というのならば、なおさらだ。それが何であろうと誰であろうと徹底的に叩き、潰し、容赦なく排除しようとするだろう。
そんな女官長が掌握する蒼馬の周囲に、いきなりトゥトゥのような裏の者が入り込めば、結果がどうなるかは言うまでもない。
「だろ? 急いで破壊の御子の信を得ようとするより、ここはまずはあの方の信を得るところから始めるのが得策だろう」
まずはエラディアに取り入るところから始めるべきだというヨアシュに、トゥトゥはうなずいて賛意を示す。
「確かに、そのとおりだ。――では、今度は女官長様のところへご挨拶に伺えばいいのかな?」
先程の無礼をお詫びするという名目でならば、すぐにでもエラディアと会うことができるだろう。
そんなことを考えていたトゥトゥに、ヨアシュは首を横に振る。
「それは不要だよ」
ヨアシュの答えにトゥトゥは「なぜ?」と言う目を向けた。それにヨアシュは自信たっぷりに答える。
「すでに、あの方へは十分な挨拶はすませてある」
そう言って自分らの行く手へ目を向けたヨアシュは「おっ」と小さく声を上げた。それに何かあったのかとトゥトゥが視線を追うと、そこには自分らを待ち受けるようにたたずむエルフの女官がいた。
「ヨアシュ様、よろしゅうございましょうか?」
エルフの女官は優雅に一礼すると、ヨアシュへ声をかけてきた。
「我らが女官長様より、これより北部に向かわれるヨアシュ様を激励するために私的な茶会を催すので、是非とも招待をお受けいただきたいとの伝言にございます。――それと」
そこでエルフの女官は目をトゥトゥへと向ける。
「よろしければ、ご友人の方もご一緒に、と」
今や蒼馬はホルメア国を滅ぼし、ロマニア国すら退けるほどの勢力を有していた。そんな蒼馬を武力でもって打倒するのは、もはや困難である。
ならばこそ、蒼馬に敵対する者たちは、必ずや暗殺という手段を考慮に入れてくるだろう。
そうした暗殺から蒼馬を守らんとするエラディアにとって、もっとも欲しいのは暗殺を防ぐための知識であった。
そして、そうした暗殺の手段を一番良く知るのは暗殺に長けた者――すなわち暗殺者自身である。
ヨアシュはエルフの女官に向けて大げさな手振りを交えて声を上げた。
「ヨーホー! それは大変うれしいお誘いです。――君も良いだろ?」
言葉の後半はトゥトゥに向けられたものだ。
当然、トゥトゥも茶会の誘いに快諾したのである。
エラディア「うふふふふ(どうやってこの者を利用しようかしら)」
トゥトゥ「あはははは(この女から、どうやって破壊の御子に取り入ろうかな)」
ヨアシュ「ヨーホー!(このふたりを使って、どう儲けようかな)」
エーリカ「見た目は和やかな茶会なのに、怖い! 怖すぎる!」
イルザ、ニーナ、パウラ「(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル」




