第24話 賤民
トゥトゥと名乗った男は、やはり足を悪くしているようだった。ダミアという女性に支えられながら、ただ立っているだけだというのに、それだけでも今にも膝が崩れそうな様子である。
これに蒼馬は慌てて椅子に座るように促すとともに、エルフの女官に命じてテーブルと椅子の配置を変えさせ、トゥトゥが手押し車に座ったままでも自分と対面できるようにした。
そうした配慮に改めて感謝の言葉を述べてトゥトゥが椅子に腰を下ろしたのを確認してから、蒼馬はヨアシュに彼が何者であるか尋ねた。
「彼は、いちおうはホルメア国に住んでいる者です」
蒼馬の質問に対するヨアシュの答えは、おかしなことに「いちおうは」などと曖昧な表現のものだった。蒼馬が不審に眉をしかめると、ヨアシュは苦笑とともに告げる。
「王都の南に、河が大きく蛇行したところの河川敷に集落があるんです。彼はそこで集落のとりまとめ役をされている者なんですよ」
これに蒼馬は、ヨアシュの言葉をただありのままに受け取っただけである。そのため、「そうなのか」程度の感想でしかなかった。
ところが、このヨアシュの言葉に強く反応を示す者がいた。
「それは、本当にございましょうか、ヨアシュ様?」
女官長のエラディアである。
しかし、これは普段の彼女からは考えられない言動であった。
女官長として蒼馬を裏から支えるのを旨としているエラディアは、こうした場所では決して表立とうとはしない。たとえ蒼馬が危うい失態を冒しても、「恐れながら、ソーマ様」とまずは蒼馬を立ててから、その了承を得た上で忠言を述べるに留めるのが常である。
そのエラディアが、このようなに蒼馬の了承も得ずに、いきなり客であるヨアシュに声をかけるとは、異常と言っても過言ではない行動であった。
しかも、エラディアはその柳眉を逆立てて、明確な怒りを示している。
そして、それを向けられたヨアシュもまた何か負い目を感じているのか、苦笑を浮かべるだけで何も言い返さない。
これに驚いた蒼馬がエラディアに問う。
「エラディアさん。いったい、どうしたの?」
それにエラディアは柳眉を逆立てたまま、蒼馬へ目を向ける。
「……ソーマ様。普段ならば、とやかくは申しません。ですが、いかに私的とはいえ客人がいらっしゃる場で、女官長ごときを呼ぶのに敬称は不要にございます」
普段から注意されていることを指摘され、蒼馬はうっと言葉に詰まる。それから改めて「いったい、どうしたの?」と尋ねた。
しかし、エラディアは無言で蒼馬を睨み続ける。
蒼馬は戸惑っていたものの、ついに観念すると咳払いをひとつしてから言う。
「エラディア。いったい、どうしたの?」
すると、エラディアは逆立てていた柳眉をへにゃりと垂らし、微笑みを返す。
「はい、ソーマ様。恐れながらお答えいたします」
気のせいかわずかに弾んだ声で前置きしてから、エラディアはトゥトゥへと目を向ける。
「私が記憶する限りでは、今ヨアシュ様がおっしゃられた土地に住んでいるのは、賤民と呼ばれる者たちにございます」
賤民――身分制度においてその最下層に置かれ、差別や迫害を受けている人々のことだ。
彼らは、何らかの理由で領民としての資格を剥奪されたか失った者たちと、その子孫たちである。
領民の資格がないとは、この時代においては人としての権利がないのと同義である。単に権力や法などの庇護を受けられないというだけではない。本当に、存在しないものとして扱われるのだ。
たとえば、賤民に対しての犯罪を取り締まる法はない。なぜならば、領民のような人でもなければ、奴隷のような他人の所有物でもないものを誰がどうしようと罪には問えないからだ。
そのため、危険な鉱山や戦地などの人不足を補うのに賤民狩りをするのは権力者たちの常套手段であった。また、普通の領民らですら鬱憤晴らしに賤民たちの集落を襲撃することも珍しくはない。
そうした行為を正当化するためにも、多くの人々にとって賤民とは人ではない汚らわしい存在とされてきたのである。
そうした差別が根強いこの時代においては、賤民を紹介されるとは汚物を目の前に差し出されて、これと仲良くしてくださいと言われているのに等しかった。
エラディアが蒼馬を侮辱されたと怒りを示すのも当然である。
しかし、蒼馬自身は困惑してはいるものの、それはトゥトゥが賤民であることよりも、エラディアの反応に対するものであった。
それも無理はない。
日本でもかつては穢多や非人と呼ばれる被差別階級が存在していたし、また部落問題などは現代日本でも今なお容易には触れられない問題として残っている。
しかし、現代日本ではごく普通の高校生にしかすぎなかった蒼馬は、そうした差別問題と直接に触れたことがなかった。そのため、差別問題を知識としては知っていても、実体験としての理解に乏しかったのである。
また、たとえ理解していたとしても、人間種以外の種族を劣等種として淘汰すべしと謳う聖教に反発する蒼馬ならば、きっと変わらぬ態度であっただろう。
だからこそエラディアはヨアシュを強く批難する。
「ヨアシュ様。賤民の者であることをきちんと説明せずに紹介するために呼ぶとは、ソーマ様のご厚意に甘えすぎてはおりませんか?」
これにはヨアシュは平身低頭で蒼馬へ謝罪する。
「女官長のおっしゃられることは、誠にごもっとも。私がソーマ様の寛大な御心に甘えすぎておりました。深くお詫びいたします」
しかし、ヨアシュは「ですが」と続ける。
「このトゥトゥの話を是非ともお聞き下さい。必ずやソーマ様の御為になりましょう」
いつもの軽薄な態度を改めてのヨアシュの深い謝罪に、蒼馬は彼に代わって許しを求めるようにエラディアを見やる。それにエラディアは「ご随意のままに」と胸に手を当て、小さく頭を下げた。
蒼馬はホッと安堵の笑みを浮かべてからヨアシュとトゥトゥへ向きなおる。
「ヨアシュさん、頭を上げて下さい。あと、トゥトゥさん。もし、気を悪くされたのならば謝ります。僕は身分とかは気にしませんので、どうか気軽に話して下さい」
それに「ソーマ様は寛大でいらっしゃる」と褒めちぎるヨアシュに、エラディアは内心で「空々しいまねを」と呟いた。
当然、エラディアも蒼馬がこう言うだろうとは承知していた。しかし、いくら紹介されたとはいえ賤民といきなり接見するようなマネをすれば、周囲の人々から軽率とか汚らわしい行為と蒼馬が批難を浴びてしまう。
そこで、ヨアシュはまずは事実を伏せたまま対面させ、それをエラディアが痛烈に批難してから蒼馬が許しを与えるという流れを作ることで、この対面が蒼馬の寛大な処置という体裁を整えたのである。
しかし、それで蒼馬の名誉は守られても、ヨアシュは軽挙妄動というそしりを免れない。評判を気にする商人であるヨアシュが、そうまでしてでも紹介したかったトゥトゥという男に、エラディアは俄然興味が湧いてきた。
素知らぬ顔を装いながらエラディアが会話に耳をそばだてている中で、改めてヨアシュより紹介されたトゥトゥが蒼馬へ挨拶する。
「まずは、私のようなものとお会いしていただき、こうしてお話をする機会すらお与えいただいたソーマ様の寛大な御心に最大の感謝を申し上げます。――改めまして、私は王都近辺の賤民と呼ばれる者たちのとりまとめ役をしております、トゥトゥと申します」
深く頭を下げたトゥトゥに、まずは頭を上げるようにうながしてから、蒼馬は「取りまとめ役ですか?」と尋ねた。
「はい。私ども賤民とて生きるためには、その日の糧をあがなわなければなりません。そのためには、何でもいたします。死んだ家畜の処分、街の汚物の片付け、死刑の執行役など、普通の方々が汚らわしいと嫌がるものを――」
そこでトゥトゥはわずかに言いよどんでから言葉を続ける。
「ときには、あまり人に言えないことまでです」
これに対する蒼馬の反応は、痛ましげな表情であった。
しかし、その反応が意外だったのか、トゥトゥはかすかに眉を寄せる。それから困惑を表に出してしまったことを誤魔化すように、小さく咳払いをしてから言葉を続けた。
「ですが、野放図にそのようなことを続けていれば、よけいな敵を増やし、かえって自分らを滅ぼしてしまいます。そうならないための調整役のようなことをやっております」
蒼馬は「なるほど」と納得する。
これでトゥトゥという男の立ち位置は把握できた。だが、問題はその先だ。
「それで、僕に何か頼みでもあっていらっしゃったのでしょうか?」
ヨアシュに呼ばれるまでわざわざ王城の外で待つなど賤民としての立場をわきまえているはずのトゥトゥが、こうしてここにやってきたのだから、ただの挨拶だけではないはずだ。
そんな蒼馬の予想は、外れていなかった。
トゥトゥは「ご慧眼に感服いたします」とひとつ頭を下げてから続ける。
「実はソーマ様へ嘆願の議がございまして、こうして失礼を承知でまかり越しました。それは――」
トゥトゥはあえてここで言葉を切り、ためを作ってから次の言葉を口にした。
「私たち賤民の領民権の復権にございます」
領民権の復権――すなわち賤民を廃し、普通の領民にして欲しいという嘆願である。
「一口に賤民と申しましても、私のところには様々な人がおります。中には多くの領民の方々が言うように、罪を犯したがために領民権を取り上げられた自業自得という者もおります。
しかし、その大半は、領主が課せる重税を納められずに土地から追い出された者、何かの理由でその土地にいられなくなった者、口減らしのために捨てられた者、単に親が賤民であっただけで賤民にならねばならなかった者など、やむにやまれぬ理由から賤民にならざるを得なかった弱い者たちなのです。
ですが、そうした弱い者たちまで賤民とひとくくりにされ、不当な扱いを受け、虐げられているのです」
賤民の中には、当然そうした境遇から抜け出したい人もいる。
しかし、賤民というだけで差別され、能力はあってもまともな職には就けない。仮に働かせてもらえたとしても、当初の約束を反故にされて不当に安い賃金しか支払われなかったり、ただ働きにさせられたりするのも当たり前だという。
「何卒、私どもをお救い下さい! もはや私どもは、ソーマ様のご慈悲にすがるしかないのでございます!」
そう言って床に額を打ち付けかねない勢いで頭を下げるトゥトゥに、蒼馬は驚きとともに困惑する。
かつてのホルメア国ならばともかく、すでに新たな法を発布した自分の支配域で、そのような非道な差別が残っているのが、にわかに信じられなかったからだ。
そうした蒼馬の困惑を察したエラディアが、そっと耳打ちする。
「賤民は、法の外に追いやられた者たちにございます。おそらくは、ソーマ様の法のご慈悲からも外されたものとして扱われていたのではないでしょうか?」
蒼馬は「なるほど」と納得した。
つい今し方まで蒼馬は賤民の存在を知らなかったのだ。当然だが蒼馬は法の中で一字一句たりとも賤民に言及していない。そのため、多くの者たちは賤民については従来どおりの対応を取っていたのだった。
これは自分の失態だったな、と蒼馬は自分の額をぴしゃりと叩くと、トゥトゥへ頭を上げるように促した。
そして、トゥトゥに蒼馬は断言する。
「今ここで賤民の制度を廃止し、そうだった者たちに他の領民と同様の権利と保護をお約束しましょう」
「……ほ、本当にございますか?」
あまりに蒼馬があっさりと承諾したのに、かえってトゥトゥは困惑しているようだった。
「もちろんです! この僕の名にかけて誓いましょう!」
蒼馬は自分の胸を叩いて請け負った。
しかし、すぐに申し訳なさそうな顔になる。
「ですが、いきなり無条件というわけにはいきませんよ」
これにトゥトゥは承知しているとばかりに、小さく苦笑いを浮かべた。ところが、それも次の蒼馬の言葉にあっさりと崩れ去る。
「まずは近々大規模な道の建設工事を行うので、そこで働いてもらいたいです」
「道の建設工事……でございますか?」
困惑のあまりおうむ返しに尋ねるトゥトゥに、蒼馬は力強くうなずいて見せる。
「はい! 男性なら力仕事。女性なら炊事場で食事の準備や洗い物。子供なら簡単な石拾いだけでも良いです。とにかく働いたと言う実績を作り、その一部を賦役として国に税を納めたという形にしましょう」
晴れるどころか、さらに深まる困惑にトゥトゥが押し黙ってしまったのに、これまでのようにただ働きさせられると思っているものと勘違いした蒼馬は大慌てで説明を加える。
「もちろん、全部を賦役にしろってわけじゃないですよ。本当に、ごく一部だけです。だって、工事が終わった後は賃金を元手に普通の領民として暮らせるだけの生活基盤を整えてもらわなくっちゃいけませんからね。当然、賃金も他の領民と同じです。
僕が欲しいのは、他の領民と同じく税を納めたという形なんです。
いきなり賤民だった人たちを領民と同じに扱えば不満が出ると思うんだ。それならまずは領民の人たちと同じように税を納めた。だから、その人たちも領民と同じように扱うって方が不満も出にくいし、領民と賤民だった人たちとの確執も、多少は軽減されるんじゃないかな?」
「……おっしゃられていること、誠にごもっともと思います。ですが、本当によろしいのでしょうか?」
眉間にシワを寄せて疑わしそうなトゥトゥに対し、蒼馬は断言する。
「僕は聖教に人として扱われない人間種以外の種族を平等に――すべての種族を同じ人にしようとしているんです。それなら、これまで人とはされなかった賤民の人たちも同じ人として扱うのも、当然じゃないですか!」
そう言った蒼馬は、自分の後ろでシェムルが胸の前で腕組みをして「さすがは我が『臍下の君』」と、さも誇らしげに何度もうなずいているのに、さらなる自信を深めて胸を張った。
しかし、それでもトゥトゥの顔は冴えない。むしろ困惑と疑惑に、さらに顔を曇らせる。それから言うべきか言わざるべきかさんざん迷った挙げ句、トゥトゥは意を決して何かを蒼馬へ告げようとした。
ところが、その寸前でトゥトゥの長い衣服の上から膝を掴まれる。
「ヨーホー! さすがはソーマ様だ。慈悲深いご英断じゃないか!」
トゥトゥの膝を掴んだまま、ヨアシュは陽気な声を上げて蒼馬を誉め称える。ヨアシュの同意を求める声と目に、トゥトゥは口にしかけた言葉を飲み込み、前のめりになっていた身体を背もたれへと預けた。
いささか自分が興奮しすぎていたのを自覚させられたトゥトゥは小さく息を吐いて興奮を沈めると、改めて賤民救済を決定してくれた蒼馬へ感謝の言葉を述べた。
トゥトゥの感謝を受けて照れくさそうにする蒼馬へヨアシュは別の話題を振る。
「ところで、ソーマ様。旧ホルメア国の北部諸侯とは、いかがなっておりますでしょうか?」
それに蒼馬は顔を曇らせた。
アッピウス侯爵を盟主とする北部諸侯たちは、蒼馬の悩みのタネであった。
すでに、後世ではホルメア戦役と呼ばれている戦いが終結してから早半年が経とうとしている。その間に蒼馬は戦災復興の処理を進めつつ、新たに建設される国家の基盤の構築にも着手していた。
ところが、アッピウス侯爵ら北部諸侯は、今なおも蒼馬を反乱奴隷の頭目と罵倒するばかりか、ワリナ王女のホルメア国の移譲をも力による無法な行為であると断じ、この無法な侵略者からの国土奪還と王族の救出を御旗に掲げて檄を飛ばし、兵を募っていたのだ。
もちろん、これまで蒼馬は北部諸侯を放置していたわけではない。
自身に降伏したホルメア国の旧臣や領主らを通じ、北部諸侯と交渉の席を設けようと腐心してきた。
しかし、使者として立てたホルメア国の旧臣や領主らも、北部諸侯から侵略者におもねる不忠者とか謀叛者と罵られ、とりつく島もなく追い返されて交渉すらままならないらしい。
ならば、蒼馬が知る最高の論客であるソロンを使者に立て、説き落とそうと考えたこともある。
だが、ミシェナの一件もあって、いまやソロンは蒼馬の内政の要のような存在だ。ただソロンが王都にいるだけでも、いまだに面従腹背といった者たちへの牽制となっていた。
そんなソロンを北部諸侯へ使者に使わした挙げ句、まかり間違って殺されでもしたら一大事である。
そのため蒼馬は北部諸侯と交渉を持ちたくとも、適当な使者となる人材がなく、手詰まりになっていたのであった。
そんな現状を蒼馬は包み隠さずに明かすと、ヨアシュは顎に手を当てて小さく何度かうなずいてみせる。
それから蒼馬の目をひたりと見据えてから、こう言った。
「いかがでございましょう。私が北部諸侯への使者をお引き受けいたしましょうか?」
これに蒼馬は顔をパッと明るくさせる。
このヨアシュの提案は、まさに渡りに船だった。
まずヨアシュならば、その交渉能力は折り紙付きである。また、蒼馬との取引が商売の大半を占めている現状で、利に聡いヨアシュが裏切るような心配もなかった
さらに蒼馬の使者として赴いても、ヨアシュがアッピウス侯爵に害される恐れも少ない。何しろ表向きはジェボアの商人ギルドから脱退したヨアシュだが、その兄のダニエルは十人委員のひとりである。彼を害すれば最悪ジェボア国と商人ギルドが敵に回ってしまう。すでに蒼馬と敵対しているアッピウス侯爵が、さらにジェボアまで敵に回すような愚を冒すとは思えなかった。
そうしたことを考慮すると、ヨアシュに使者を頼むのが最適に思える。
「そうだね。――じゃあ、ヨアシュさんに北部諸侯への使者をお願いします」
蒼馬の言葉に、自分の胸をひとつ叩いてからヨアシュは陽気な声を上げる。
「ヨーホー! お任せください、ソーマ様」




