第23話 協賛金
噂をすれば影である。
ちょうど話をしていたところに届いたヨアシュの来訪の報せに、蒼馬は驚いた。しかし、ヨアシュとはボルニスの街の財政について相談を持ちかけるぐらいの懇意の間柄である。すぐさま個人的な来客を迎える部屋に通すように伝えた。
ところが、エルフの女官は驚くべきことを言う。
「それが、ヨアシュ様おひとりではございません。ジェボアの十人委員の方々をともなっていらっしゃいます」
「十人委員の人たちと?!」
蒼馬は素っ頓狂な声を上げた。
西域全土に影響を及ぼすジェボアの商人ギルドの意志決定機関である十人委員。その顔ぶれは、いずれもジェボアの中ですら押しも押されもせぬ大商人たちだ。
当然、商売で多忙な者たちばかりである。そんな十人委員が、顔を揃えて他国にやってくるなど滅多にないことであった。
エルフの女官は小さく頭を下げて肯定を示す。
「御意にございます、ソーマ様。『お伺いも立てずに訪れた非礼はお詫びいたします。何卒私どもにお時間をいただけませんでしょうか?』とヨアシュ様より言付かっております」
自由奔放に見えるヨアシュだが、礼節はわきまえている人だ。そんな彼が自分ひとりならばともかく、他者をともなっての接見を求めるのに事前のお伺いを立てなかったのだから、よほどの用件なのであろう。
そう判断した蒼馬はヨアシュたちに会おうと思った。
すると、それを見透かしたかのように女官長のエラディアが動く。
「すぐに謁見の間の支度をしなさい。支度が整うまでヨアシュ様たちを控えの間にお通しして接客を。衣装番は、すぐにソーマ様のお召し物を見つくろいなさい。シェムル様のものもです」
ひと息に指示を出したエラディアは、その締めに手をひとつ叩いた。すると、まるで事前に打ち合わせしていたかのように、エルフの女官たちがいっせいに動き出す。蒼馬とシェムルは数名のエルフの女官に取り囲まれたかと思うと、そのまま有無を言わさずに連行されてしまう。
「そうそう。――おい、小僧」
周りをエルフの女官に固められたまま衣装部屋へと連れて行かれる蒼馬に、ソロンが声をかける。
「おまえの作った道な。あれは、良いものだ。いくら金がかかろうとも、あの道にはそれ以上の価値があるぞ」
ソロンが言うのは、ローマンコンクリートで作られた「ソーマの道」のことである。
それぐらいはわかるが、今この時になぜそのような話を持ち出してきたかわからず、蒼馬は「はぁ?」と気の抜けた返事をするしかなかった。
ソロンの真意を聞く前に、シェムルとともに衣装部屋へと連行された蒼馬は、エルフの女官らに辻強盗も真っ青の手際で身ぐるみを剥がされると、あれよあれよという間に謁見に相応しい衣装に着替えさせられる。
蒼馬が着せられた衣装は、大陸中央から取り寄せた上質の生地を一流の職人が手がけた一品だ。蒼馬の嗜好を考慮して決して華美ではないが、見る者が見れば感嘆せずにはいられないものである。さらに頭髪は櫛を入れられた後に香油で固められ、顔にも数人がかりで化粧が施された。
そうしてできあがったのは、穏やかながら才気溢れる若き英雄の姿である。
シェムルもまた胴鎧を脱がされ、丁寧に全身の毛をくしけずられた。それから使い込まれた胴鎧の代わりに用意されていた、今まさに染め上げられたばかりと見まがうばかりの色鮮やかな胴鎧を着せられる。そこへ金銀の装飾や羽根飾りで飾り立てられれば、若き英雄を守るに相応しい女戦士の完成だ。
自分らの力作に、エルフの女官たちは満足げにうなずいた。
しかし、その当の作品ふたりは、顔を見合わせてこう言った。
「……なんだかおもちゃにされた気分だよ、シェムル」
「奇遇だな、ソーマ。私もそう思っていたところだ」
◆◇◆◇◆
身支度を終えたふたりは、そのまま謁見の間に向かわされる。
すると、すでに謁見の間は、万全の支度が整えられていた。
謁見の間に漂う鼻孔をくすぐる良い匂いは、大陸中央から取り寄せた香のものである。随所に置かれた調度品も、普段から置かれているものが取り替えられ、大陸中央のものが多く目立っていた。
それらはいずれもジェボアを介して西域に入るものばかりである。そうしたものをもって歓迎する姿勢は、とりもなおさず自分らはジェボアを重要視しているという意思表示に他ならない。
また、謁見の間の左右の壁際に並ぶのは勇壮な装いのディノサウリアンたちである。それはセルデアス大陸に住まう七種族のうちで最強とも呼ばれる種族の勇士たちが従う姿をもって蒼馬の威を知らしめるものだった。
これには「うちの女官長は、やることにそつがないな」と蒼馬は感心する。
お伺いを立てずに突然謁見を求めたのにも関わらず、このような万全の準備で迎え入れることで、エラディアは「十人委員の来訪などとっくに見抜いていましたよ」、もしくは「突然来てもこの程度の準備など簡単なものです」という余裕と力を示して見せたのだ。
まずはヨアシュの奇襲に対して、エラディアは華麗に反撃を入れたという形であった。
しかし、この程度はすでに予想ずみだったのか、ヨアシュは動揺ひとつ示さずにいつもの底抜けに明るい声を上げる。
「ヨーホー! ご無沙汰をしておりました、ソーマ様」
ヨアシュは大げさな身振りを交えて蒼馬へ挨拶をした。それからアレクシウス王子が率いた「黒壁」の撃破と、ホルメア国を侵略しに来たロマニア国軍の撃退の功績を讃え、ホルメア国の移譲を受けたことを祝福する。
その中にこれでもかと散りばめられた蒼馬を称賛する美辞麗句の数々は、他の者が言えば過剰なものと蒼馬を辟易とさせたであろう。しかし、ヨアシュの軽快な物言いにかかると、それすら不思議と小気味よさすら感じさせるものになる。
挨拶を終えると、ヨアシュは次に十人委員の豪商たちを改めて蒼馬へ紹介した。
十人委員の顔ぶれは、ヤコブやコルネリウスなどの以前ジェボアを訪れたときと変わらぬ者が多い中で、ふたつだけ新しい顔があった。
ひとりはマーマンの少女らを拐かした罪で失脚したジューダの代わりに十人委員になった豪商。そして、もうひとりは先頃引退を表明したメナヘムに代わってシャピロ商会を継いだダニエル・シャピロである。
このダニエルとはシャピロ商会を継ぐ前にヨアシュを介して顔を合わせていた。軽薄な弟のヨアシュとは正反対に謹厳実直だが融通が利かない堅物というのが蒼馬の印象である。
そんなことを蒼馬が思い浮かべているうちにもヨアシュから紹介を受けた十人委員の豪商たちは、それぞれ挨拶の言葉を述べていく。
以前、彼らと顔を合わせたときには蒼馬はまだ辺境の一都市を占拠する反乱奴隷の頭目に過ぎなかった。そのため、友好的でありながらも蒼馬を下に見ていたり、露骨に見下す態度を取ったりする者すらいた。
ところが今や蒼馬は西域の大国ホルメアを征服し、ロマニア国ですら退けた一大勢力を率いる男である。
十人委員の豪商らは挨拶するのに微笑みを浮かべ、その言葉遣いも蒼馬の機嫌を損なわないようにことさら丁寧なものだった。
特に蒼馬との友好関係に否定的な態度を示していたヤコブなどは満面の笑みを浮かべるだけではなく、そこまでしなくてもと思うぐらいへりくだった態度である。これにはかえって蒼馬も困ってしまうほどだった。
しかし、この挨拶の中で十人委員の豪商のいずれもが蒼馬の功績を讃えるばかりか、これより蒼馬によってホルメア国だったところに築かれる新国家の誕生を祝福する言葉が含まれていたことは蒼馬にとって大きな収穫である。
それはとりもなおさず商人ギルドが実質支配するジェボア国が、蒼馬のホルメア国の統治を認めるものだったからだ。
すでにロマニア国から、蒼馬へのホルメア国移譲に非を鳴らされている中で、たとえ言葉だけとは言えジェボアの支持は強い味方である。
そのため十人委員との謁見は、蒼馬の飾り立てない人柄とヨアシュの砕けた態度もあり和やかなものとなった。
その中で、ヨアシュが遭難した船で三人の水夫が一匹の魚をどうやって均等に分けるかもめていると目の前でその魚を海鳥にかっさらわれたという話を面白おかしく語っているときに、ひとりの女官が謁見の間に静かに入ってきた。それを視界の隅に捉えるなり、ヨアシュはわざとらしく手をひとつ打つ。
「そうそう。大事なことをお伝えするのを忘れておりました」
入室した女官がエラディアにそっと耳打ちするのを確認してから、ヨアシュは言葉を続ける。
「ソーマ様の戦勝祝いとして、ジェボアの十人委員の方々から進物がございます。そろそろ届いている頃でしょう」
ヨアシュに「そうでしょう?」と言わんばかりの目を向けられたエラディアは肯定する。
「ヨアシュ様のおっしゃられるとおり、ただいま十人委員の方々からの進物を持ってきたという隊商が城門に参りました」
エラディアは顔に微笑みを貼りつけたまま、内心で「これが狙いでしたか」とヨアシュの突然の訪問の理由を理解する。
王都の噂には、エラディアは常に耳をそばだてていた。そんな王都に十人委員が訪れれば、すぐにそれはエラディアの耳に入る。そして、彼らが大量の荷物を運んできたと聞けば、それが蒼馬のご機嫌を取る進物であると推察するのも容易だ。そうなればエラディアは蒼馬へそのことを事前に伝え、対策を練っていただろう。
しかし、それではせっかくの進物の効果も半減である。
そこでヨアシュはお伺いを立てない非礼ぐらいならば蒼馬も気にしないと踏んだ上で、このような不意打ちをかけてきたのだ。
さらにヨアシュは追い打ちとばかりに、進物の目録を読み上げる。
「まずは、カイアファ老から金貨を十樽。小麦を満載した荷車二十両。南方より取り寄せた軍馬が百頭。名工の手による武具が百揃え――」
さすがはジェボアでも屈指の豪商である十人委員たちだ。ひとりひとりが目を見張るような進物を献上してきた。そのすべてを合わせれば、どこかの小国でも買い取ろうかというほどのものだ。
ヨアシュが読み上げる目録を聞いているだけでも、蒼馬は目の前に金貨が山となって積み上がっていく光景が見えてくるようだった。
「――以上となります。このすべてをジェボアの商人ギルドからソーマ様への友好の証として、また今後も良き関係を続けたいという誠意の表れと思し召し、ご笑納いただければ幸いにございます」
そして、目録を読み終えたヨアシュは、最後にニコッと笑って締めくくったのである。
まったく油断がならない御仁ですこと。
そう思ったのは、エラディアである。
ヨアシュは、蒼馬の弱点を的確に突いてきていた。五年前は交渉においてはまったくの素人であった蒼馬も、エラディアの教えを受け、幾度もの実践を経て、今やそれなりの交渉術を身につけていた。特に自分らへの不当な圧力や要求に対しては、エラディアも感心するほど毅然とした態度で迎え撃てるようになっている。
ところが、いまだ他人を過剰に慮る日本人特有の本質は変わっていなかった。
相手がこれだけ良くしてくれたのなら、自分もそれ以上のものを返さなくていけないと思ってしまう。そのため、こうした親切の押し売りのような攻めには、蒼馬は弱かったのである。
そのため、事前にエラディアとジェボアとの交渉の手札として使おうと相談していたものをいきなり切ろうとしてしまう。
「もちろん、これからもジェボアの商人ギルドとは友好でありたいと思います。それに商人ギルドには、僕の統治下での税を――」
すでに蒼馬はボルニスの街と同様に、商人ギルドには旧ホルメア国内での税を免除しようと考えていた。それを口にしようとしたところで蒼馬は、はたと口を閉ざしてしまう。
そうさせたのは、先程ソロンが洩らした「あれは、いいものだ」という一言である。
この時代の道路事情は、現代日本の感覚から言えば劣悪と言ってもいいものだった。主要な街道でも馬車が通れる幅に土が踏み固められただけのものに過ぎない。それが間道ともなれば、もはや獣道と大差ないものである。
これは、この時代の工事技術の未発達だけによるものではない。いつ敵対勢力が攻め込んでくるやもわからない時代である。きれいに道を整備したところ、それを敵対勢力に利用されて一気に国を蹂躙されてしまう恐れがあった。
そのため、あえて道幅を狭くしたり、難所を通らせたりして大軍が利用しにくい状態にしていたのだ。
その中にあって、いつ来るかわからぬ敵よりも今ある経済の振興をと考える蒼馬が、その経済を支える物流の基幹として作ったローマンコンクリート製の道路「ソーマの道」である。
馬車が悠々とすれ違えるぐらい広い道幅。雨が降っても泥濘にならない固い路面。それが、起伏のある土地を避けられているためにどこまでも平坦な道として続くのだ。
これによって蒼馬の統治下では、物流が飛躍的に向上していた。
しかし、「ソーマの道」を作るには通常の道を整備するよりもはるかに高い工事費がかかるだけではなく、その利便性の高さゆえに敵対勢力に利用されるのを懸念する声もいまだ根強い。
そんな中にあって、「ソーマの道」の建設を支持している少数の人々がソロンであり、またヨアシュであったのだ。
取り分けてヨアシュは商人として「ソーマの道」を利用するせいもあってか、ソロンよりも熱意をもって「あの道は国全土に広げるべきです」と訴えていたのである。
そんなことを思い出していた蒼馬は閃いた。
突然、黙り込んでしまった自分へみんなが訝しげな目を向けているのに、蒼馬は咳払いをひとつして誤魔化してから口を開く。
「現在、ロマニア国に壊された道の復旧を行っているんですが、僕はこの復旧と同時に『ソーマの道』を建設しようとしています」
突然の話の転換に戸惑いつつも、ヨアシュに取ってみれば「ソーマの道」が伸びるのは大歓迎である。ヨアシュは「それは大変喜ばしいことです」と賛意を示した。
それに我が意を得たりとばかりに蒼馬はうなずいてから言う。
「ですが、いまだ復旧できていない道は多く、そんなところを商人ギルドの方に使わさせてしまっては申し訳ない。それに、そのせいで問題があっては大変。――そこで、どうでしょう?」
蒼馬はあえてここで言葉を句切って、みんなの注意を集めてから次の言葉を言った。
「ジェボアの商人ギルドには税を免除しますが、それは『ソーマの道』が及ぶところまでというのは?」
十人委員の間から、どよめく声があがった。
彼らがもっとも求める商売の自由と税の免除が「ソーマの道」が及ぶところまでという蒼馬の言葉は、それの裏を返せば商売の自由と免税が欲しければ「ソーマの道」の建設に協力しろということだ。
すでに十人委員の豪商たちは「ソーマの道」の利便性を知っていた。だが、それと同時にその建設には莫大な費用がかかるのも承知していた。しかも、それはさすがの十人委員の豪商らも二の足を踏むほどのものということもだ。
さすがの十人委員の豪商らも即答できず、無言のまま目配せで互いの出方を窺う。
そんな中で、満面の笑みを浮かべたヨアシュが、大きく手を打った。
「ヨーホー! それは素晴らしいお考えです。――ジェボアの商人ギルドをあげてご協力されてはいかがでしょうか?」
ヨアシュの言葉の後半は十人委員たちに向けられたものである。
十人委員の豪商らは、この「ジェボアの商人ギルドをあげて」という言葉にピンッときた。
ヨアシュが暗に示唆するのは、ギルドの協賛金のことだ。
ジェボアの商人ギルドは、加盟した商人たちから毎年一定額の協賛金を徴収していた。
この協賛金は、商人ギルド全体のためにしか使えない金である。これまではせいぜいジェボアの祭事や公共工事に出資するぐらいの使い道しかなく、貯まる一方のものであった。
そのため、十人委員の誰もが眠らせておくにはもったいないと思いつつも動かせない埋蔵金であったのだ。
しかし、ギルドの商人らの無税となる道の建設となれば、十分に協賛金を動かす名目になる。
もちろん協賛金だけではなく、ギルドを代表する豪商である彼らもまたそれなりの出資はしなくてはならない。だが、その出資金とは比べものにならない大金が動くのだ。
何しろ、これほど大規模な工事ともなれば、大勢の人夫を集めなくてはいけない。
それだけの人夫が集まれば、彼らが飲み食いする食べ物や酒が必要となる。そして、そこで消費されるのは、食材や酒だけではない。料理するための調理器具や燃料に、提供するときに使う食器、そしてそれらを製造修理する工具や素材も必要となる。
また、人夫となるのが若くたくましい男たちともなれば、娼館も欠かせない。娼婦たちが着飾る衣服や装飾品に、人夫たちが娼婦たちの気を引くために贈る小物も売れるだろう。
さらに、賃金を貯めた人夫たちが帰郷する際には、家族への土産もいる。それにはジェボアが輸入している、異国の珍しいものなども売れるだろう。
十人委員の豪商は、そろって生唾を飲み込んだ。
まったく手つかずの巨大な市場ができるのだ。しかも、そこには今まで指をくわえて見ていることしかできなかった莫大な金が落とされるのである。
そして、十人委員に名を連ねる彼らは、自分の手腕にかければ出資した以上の収益を得られるという自負があった。
これに黙っていられるわけがない。
まず、シャピロ商会のダニエルが口火を切った。
「素晴らしいお考えでございます。私も是非とも出資させていただきましょう」
建設工事は出資した額が大きければ大きいほど、建設に関われる区画も大きくなる。そして、それは自分が独占できる市場の広さと直結するのだ。
出資は大きくなるが、ジェボアの商人ギルドの協賛金という莫大な金が落とされる市場が手に入ると思えば安いものである。
ダニエルの発言に触発され、他の十人委員たちも慌てて口を開く。
「待て待て。私も喜んで出資させていただこう」
「私は資金だけではなく、資材や馬をご用意させていただきましょう」
「ならば、私は食料を提供させていただこう」
「では、わたしは工事人夫の手配をお任せいただきたい」
十人委員らは競い合うようにして出資を申し出たのであった。
◆◇◆◇◆
「ヨーホー! さすがは、ソーマ様。素晴らしいお考えでしたね」
出資について、いったんジェボアに戻って詳細を決めたいという十人委員たちが帰った後、個人的な来客のために用意された部屋に通されたヨアシュは、開口一番にそう称賛した。
「ソーマ様は、道を建設する莫大な資金が手に入り、ロマニアに焼き出されたホルメアの民たちには働き口ができた。そして、ジェボアには税がかからぬ手つかずの市場! ソーマ様も幸せ! 民も幸せ! 私たちも幸せ! いやぁ、素晴らしい!」
手放しの大絶賛であった。何しろ絶賛するだけならばタダである。タダならば出し惜しみしないのがヨアシュであった。
「――ところで、このような良案をどのようにして思いつかれたのですか?」
さんざん褒め殺された蒼馬は恥じらい混じりに、ソロンからの一言が思いついたきっかけだったと語ると、ヨアシュは顔には笑みを貼りつけたまま目を冷たく輝かせた。
「ほう、あのご老人がですか……」
蒼馬に並々ならぬ関心を抱くヨアシュである。当然、蒼馬が重用しているソロンについてもとっくに調べ上げ、その素性を把握していた。それだけに驚きはない。
その代わりにヨアシュは胸の内で呟いた。
「やっぱり、ちょっとおしいかな」
それは、ソロンが持つ知識や見識ばかりにではない。ソロンがアウレリウスであった若い頃に交遊のあった者たちの中には、今では賢人や各地の有力者となった者も数多くいる。そうした者たちへの影響力も含めれば、ソロンを味方にする価値は計り知れないのだ。
これは是非とも商会の顧問に迎え入れたい。
以前、そう思ったヨアシュは、いまだ正式に蒼馬へ臣従していなかったソロンをシャピロ商会の顧問に引き入れようと画策したことがある。
しかし、それを止めたのは父のメナヘムであった。
「あれは決して人になれぬ悍馬である。しかも、従順な振りをして崖へと乗り手を誘い出しから、そこで振り落とそうとする性悪ときている。下手に関わるものではない」と。
あまりに実感のこもった言葉に「実体験でしょうか?」とヨアシュが尋ねると、メナヘムは苦い顔を作ったもののその是非は明らかにせずに続けて言った。
「もしあれを使いこなせる者がいるとすれば、それはあれをも上回る大賢か、さもなくば大愚であろう。おまえのような小賢しい手合いは、あれのもっとも嫌うところ。近寄らぬのが賢明だ」と。
その父の言葉を思い出しながら、ヨアシュは考える。
今のところ蒼馬はソロンをうまく使いこなしているようだった。それができるのは、父のメナヘムの言葉によれば二種類の人間のみ。
「ソーマ様は、いったいどちらなのでしょうね?」
ヨアシュは、つい胸のうちの声を洩らしてしまった。
しかし、それはあまりに小さな声だったため、良く聞き取れなかった蒼馬は不思議そうな顔で何と言ったか聞き返す。ヨアシュは「単なる独り言にございます」と笑顔でかわしてから、話を変える。
「そうそう。突然ではありますが、実は私の友人をひとり紹介させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
信頼するヨアシュからの紹介である。蒼馬はそれを快諾した。
ところが、ヨアシュは自分で紹介すると言っておきながら、困り顔を作る。
「私が言い出したことで恐縮でございますが、その友人はいささか問題のある境遇にいらっしゃる方でして、本当にここに連れてきて良いものか迷ってしまいます」
「問題のある境遇と言いますと?」
蒼馬がそう尋ねると、ヨアシュは渋い顔で答える。
「有り体に言ってしまえば、身分が低すぎるのです」
その答えに蒼馬は納得した。
通常、王に目通りが許されるには、それなりの身分や格式が求められる。仮に平民が拝謁の栄に浴しても、まず直答は許されない。後見となった貴族を介して行われるのが普通であった。それを踏まえれば、このような私的な部屋に招いて紹介したいと提案するだけでも不敬と言われても仕方が無い。
しかし、それはあくまで他国での話だ。
蒼馬はあっさりと告げる。
「身分が低すぎるって、そもそも僕の身分が高くもないですよ」
これにはヨアシュも苦笑するしかなかった。
他国で言えば蒼馬は王である。そのような立場にいるものが、何の気負いもなく、さも当然とばかりに自分の身分は高くないと言い放つのだ。
まったく、この人は変わりませんね。
ヨアシュはそう胸の内で呟いてから、「それでは」と言う。
「ソーマ様のご厚意に甘え、ここへ呼ばせていただきます。――ただ、当人が自らの身分の低さを気にしておりまして、城内ではなくあえて城門の外で待っております。しばしお時間をいただきたい」
そう告げてからヨアシュは自分の従者に、その者を呼んでくるように命じた。
しかし、それから待てど暮らせどヨアシュの友人とやらはやってこない。いくら城門の外にいたからといっても、さすがに時間がかかりすぎる。
途中で何か問題でも生じたかと蒼馬が心配していると、ヨアシュには「ここは階段や坂道が多うございますから」とよくわからないことを言われてしまう。
さすがに自分の方からも誰か迎えに出した方が良いのではないかと蒼馬が考え出した頃、ようやくヨアシュの友人が部屋の前まで来たという報せが届けられた。
そこでもさらに改めて入室の許しを乞うているというヨアシュの友人に、何をそこまで気にしているのかと疑問に思いつつ蒼馬は遠慮なく部屋に入るように伝える。
そうしてやっと対面できたヨアシュの友人の姿に、蒼馬はどうしてこれほど遅くなったか理解した。
扉から入ってきたのは、ふたりの人間である。
ひとりは、燃えるような赤毛の大柄な女性であった。男装しているため、一見すると凜々しい若者に見えた。だが、その胸は大きく膨らみ彼女の性別を訴えている。しかし、彼女は同行者の妻や侍女には見えなかった。それは服装や体格ばかりからではない。その目の動き、所作などから明らかに戦う者である。その立ち位置などから考えれば、もうひとりの護衛と考えるのが正しいだろう。
そして、もうひとりは少年のような容姿の男であった。
見た目だけならば、貴族のご婦人方が飼われる男娼と言われても納得してしまうような紅顔の美少年である。しかし、糸のような細目から窺える怜悧な輝きと落ち着いた態度から、とうてい見た目どおりの年齢には見えなかった。
その男は足が不自由なのであろう。女性が押す木製の手押し車に座っていた。確かにこれでは城門からここまで来るのに、これほど時間がかかったこともうなずける。
そして、何よりも目を引くのは、彼の衣服の両袖であった。
力なく垂れた袖は、明らかに中にあるはずの両の腕がないことを示していたのである。
「ヨーホー! ソーマ様の寛大な御心に感謝を。彼が私がご紹介したい友人です」
ヨアシュの紹介に、その両腕のない男は手押し車を押していた女性へ「ダミア」と声をかけて手を借りると、よろめくように立ち上がった。
そして、その糸目をさらに細めて笑みを作ると名を名乗る。
「トゥトゥと申します。以後、何卒お見知りおき下さい」




