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破壊の御子  作者: 無銘工房
建国の章
283/548

第17話 大角と小角-養女

 王都ホルメニアは、眠りに落ちていた。

 すでに夜半を回った時分である。その日の労働に疲れ果てた庶民はとっくに眠りこけ、夕暮れから賑わう遊郭ですら仮初(かりそ)めの愛の営みを終えた客と遊女が、片や愛欲と片や金銭欲の同床異夢に浸る。

 そんな時間であった。

 それは王城とて例外ではない。蝋燭(ろうそく)などの火の管理をする灯り番や城内の警邏(けいら)をする衛兵などの一部の不寝番たちを除けば、誰もがとっくに臥所(ふしど)に入り、明日に備えて深い眠りについていた。

 しかし、そんな時間にもかかわらず、ミシェナはひとり財務省にこもっていたのである。

 わずかな蝋燭の灯りを頼りにし、彼女は記録や報告書を食い入るように見つめていた。だが、文字を追う目がギョロギョロと動くだけで、ペンを持つ手がほとんど動いていない様は、とうてい仕事がはかどっているようには見えない。そればかりか、その目許に浮かぶ色濃いクマと肉の落ちた頬、そして何よりも堅く引き結ばれた唇を見れば、彼女が行き詰まっていることは明らかだった。

 そこにふらりと現れたのはソロンである。

「遅くまで仕事とは感心、感心――とは、とても言えんな。寝不足と疲れで集中できておらん」

 そう言うなりソロンはミシェナの開いていた書類を一瞥(いちべつ)すると、ひょいひょいと間違いを指摘した。普段の自分ならしでかさないような単純な間違いに、ミシェナは固まってしまう。

 そんなミシェナを前に、ソロンはケラケラと笑って見せた。

「これだから凡人はいかん。ただがむしゃらにやれば良いというものではないわ。がんばっている? 苦労した? それで良い仕事ができれば、誰も世話ないわ」

 これにミシェナは憤慨した。

 確かにソロンの言うことは正論である。そして、今まさにそれを証明するかのように間違いも指摘されたばかりだ。しかし、いくら正論であろうとも、こう面と向かってずけずけと言われれば、さすがのミシェナとてカチンッとくる。

「悪うございました。どうせ私は凡人ですよぉ」

 財務長官という重責から意識してやめていた舌っ足らずな口調で、ミシェナはひねくれた物言いをした。

 それにソロンは慰めるどころか、かえってそのとおりとばかりに大きくうなずいてみせる。

「なぁに。わしから見れば、たいていの者は凡人よ。気にするものではないわ」

 そうぬけぬけと言い放つソロンに、ミシェナは呆れ返ってしまった。それが顔に出たのか、ソロンはおどけた顔で「本当じゃよ」と言う。

「国で一番偉い奴も、わしを天才と大絶賛。わしさえいれば国は安泰とまで言いおった。まあ、それも当然じゃろう。それほどわしは天才じゃからな」

 そして、ソロンは得意満面と言った様子で胸まで張って見せた。

 これにはミシェナは、再び呆れてしまう。

 国で一番偉いといえば、それは国王になる。まさか、たかが辺境の都市であったボルニスでくすぶっていた飲んだくれの老人が国王と面識があるはずがない。

 あからさまなホラを吹くソロンに、ミシェナは皮肉をたっぷりと込めて言う。

「凡人の私にはとうてい理解できませんが、それほど頭が良いのならば何の苦労もございませんでしょう。うらやましい限りでございます」

 面の皮の厚さには定評があるソロンである。この皮肉に対しても、当然とばかりに返してくるのかとミシェナは思っていた。

 ところが、ソロンは肩を落とすと、こう言ったのである。

「いやいや、天才には天才の悩みというものがあるんじゃよ」

 自分を天才と言い切るあたりはソロンらしかったが、その言葉にはふざけた雰囲気は感じられなかった。

「わしは記録や文章を一目観るだけで、たいてい理解できる。物事も一緒よ。何をすれば良いか、どう対処すれば良いか、正道となる道筋がわかってしまう。これの何とつまらんことか」

 ミシェナからすれば「何と贅沢なことを!」と憤慨するような内容であった。だが、それを語るソロンからは偽りとは思えない深い自嘲と諦念の色が感じられ、ミシェナは言葉に詰まってしまう。

「そればかりではない。わずかなりとも考えれば、すぐにも正道を見い出せるはずなのに、情と欲と下らぬ矜持によって人はあえて正道を見失いおる。そして、そういう奴に限って、わしの足を引っ張ろうとする。これの何と苛立たしいことか」

 ソロンは立ち上がると、袖を鳴らして両腕を開くと天を仰いだ。

「わしは幼年の頃より、百巻を読破し、数多(あまた)の賢人とまみえて、この(けん)を磨いてきた。それは、何のためぞ?! (けん)(けん)とし、その一剣のみをもってこの世すべてに挑まんがため! 我が剣は些事(さじ)を切り払うためにあらず! 神よ、我が剣を振るうに足る場を与えよ! 我が剣を振るうに足る一大難事を与えよ!」

 あたかも主人公が己の不遇を嘆く舞台劇の一幕のような展開に呆気に取られてミシェナが見つめていると、ソロンは痛切な表情を照れ笑いに変えて自分の額をぴしゃりと叩く。

「と、まあ、若い頃は(いき)がっておった。ところが、老いてからは少し考えが変わってのう」

 ソロンは椅子に腰を下ろすと穏やかな口調で続ける。

「わしから見れば、何と無駄なことをして愚かなことに悩むのかと思う凡人が、時折わしですら考えもつかなかった答えを出す。思いもしなかった道筋を見出す。それでも、たいていは取るに足らぬものじゃ。しかし、ごくまれにわしが正答と思っていたもの以上の珠玉を生み出すことがある」

 ソロンは、そこで自分の膝をひとつ打つ。

「それが、まっこと面白い!」

 高齢の老人だというのに、ソロンは子供のようなキラキラとした目で言った。

「最近のお気に入りは、ソーマじゃな。あの小僧は、特に面白い。あの小僧の中から、次に何が飛び出してくるかとワクワクしておるわ」

 そう言ってカラカラと笑うソロンに、ミシェナは小首をかしげる。

「ですが、ソーマ様は凡人ではないですよ?」

 ミシェナには蒼馬がソロンの言う凡人には当たるとは、とうてい思えなかった。

 蒼馬は単身からわずか数年で西域の雄と呼ばれたホルメア国を手に入れたのだ。端的に見ても凡人がなしえるものではない。まさに英傑や英雄と評しても良い人物である。

 ところが、ソロンは首を横に振った。

「いやいや。わしが知る限り、あれほど足掻(あが)き悩み苦しんでおる凡人は、そうはおらんぞ」

 ソロンは白く長い髭を生やした顎に手を当てると、ニヤニヤと笑いながらひとりごちる。

「はてさて、あの小僧はこれからどうなることやら。最後までその重みを背負い続けられるのか? それとも道半ばで重みに潰されるのか? はたまた、何かに成り果ててしまうのやら……」

 しばし自分の考えにふけっていたソロンだったが、ミシェナが自分を驚いた顔で注視しているのに気づくと、その顔を上げて悪戯めいた笑みを浮かべてみせる。

「小僧も面白いが、お嬢ちゃんもなかなかに面白いぞ」

「わたしが、ですか?」

 ミシェナは素っ頓狂な声を上げた。

 ミシェナも自分自身を凡人だと思っている。しかし、ソロンが言うような面白い凡人に当たるとは思えなかった。

 だが、そんなミシェナにソロンはひとつうなずいて見せる。

「そうよ。嬢ちゃんの面白さは、そのクソ生真面目なところじゃな」

 何だか褒められているようには思えない。むしろ馬鹿にすらされていそうなソロンの口振りに、ミシェナはムッとする。

 その素直な反応を愛でるように目を細めてソロンは言う。

「そうさな。石積みに例えれば、わしがひょいひょいと十個、二十個と石を積み上げられるというのに、お嬢ちゃんはその横でひとつひとつをそろ~りそろ~りと積み上げている」

 ソロンはことさらゆっくりと慎重な手つきで石を積み上げる仕草をしてみせる。

「何とちんたらやっておるのかとイライラすることもあろう。しかし、石が千個、万個と積み上がったときじゃ。わしが積み上げた石はそれとは気づかぬぐらいの傾きが表れ、それ以上は積み上げられなくなってしまっても、お嬢ちゃんのはひたすらまっすぐに、さらに上へ上へと積み上げられる。そんな可能性を秘めておる。わしは、それが見たいのよ」

 どうやら本気で自分を称賛しているらしいのに、ミシェナは目を丸くして驚いた。

 そんな彼女の様子に、ソロンは意地悪な笑みを浮かべてみせる。

「まあ、お嬢ちゃんの場合は、途中でドジをして自分で石積みを倒す可能性の方がはるかに高いがな。まあ、それも一興よ」

 再びカラカラと笑い始めたソロンだった。

 だが、不意にその目がギラリッと剣呑に輝く。

「それだというのに、その楽しみを邪魔する奴がおる。しかも、そいつらは自分は賢いと思っている馬鹿者どもよ。これほど腹立たしいことはないわ」

 それまでとは打って変わって刃のような鋭さを秘めたソロンの口調に、ミシェナは意味もわからず身体をブルッと震わせた。

 しかし、それもわずかな間であった。すぐにソロンはいつもの飲んだくれの老人に戻ると、ミシェナに目を向ける。

「ところで、嬢ちゃんよ。おまえは、家を継ぐのか?」

 突然の話の転換についていけずに困惑しながらもミシェナは苦笑を返す。

「まさか、そんなわけないですよ」

 財務長官に任命されたものの、別に爵位などの地位を与えられたわけではない。ミシェナには、家を継ぐどころか継ぐべき家名や姓すらなかった。

「そうか、そうか。――なら、母御の面倒を見なければならんのか?」

 確かに少し前までは亡くなった父に代わり、年老いた母や幼い弟たちの面倒を見なければならなかった。しかし、幼かった弟たちもすでに働き始めていて、もうミシェナがいなくても生活に困るようなことはない。また、彼女が母親の面倒を見なければならないわけではなく、むしろこれまで面倒をかけ続けたのを申し訳なく思っている母親からは、早く嫁に行って欲しいと事あるごとに言われているぐらいである。

 それに何やら納得するかのようにうんうんとうなずいていたソロンだったが、不意にその場にうずくまった。そして、自分の胸に手を当てて小さくうめく。

「む、胸が、苦しい……!」

 これにミシェナは椅子を蹴立てて立ち上がると、血相を変えて叫ぶ。

「ソロンさん、大丈夫ですかっ?!」

 普段は若者にも負けない生気に満ちあふれているものの、ソロンは高齢の老人である。いつ何時(なんどき)急逝してもおかしくはない。ましてやミシェナは、父親が若くして急死していた。それだけにミシェナが慌てふためくのも無理はない。

 すぐさま容態を見ようとソロンの傍らに膝を突いたミシェナであったが、呆気に取られてしまう。

 胸を押さえて苦しんでいたはずのソロンの目が笑っていた。しかも、胸を押さえながらも、チラチラとミシェナの反応をうかがっているのである。

 明らかな詐病であった。

 ソロンは下手くそな病気の芝居を続ける。

「ああ、苦しい。胸が苦しい。わしも、よぼよぼのジジイじゃ。このまま死ぬやもしれん。ああ、さびしいのぉ。養女でもいればのぉ。誰か養女になって、寂しい老人を助けてくれんかのぉ」

 ミシェナに養女になれとのあからさまな要求である。

 これにはミシェナもほとほと呆れ返ってしまった。

 それでも、ソロンはしつこく三文芝居を続ける。

「どこかに心優しい娘はおらんかのぉ。家を継ぐ必要も母御を養う必要もなくなった娘はおらんかのぉ。養女になってくれる娘はおらんかのぉ。ああ、ひとりは寂しいのぉ! のぉ、のぉ!」

 下手くそな演技を続けながらチラチラと向けてくる視線が、とにかくうざったい。

 ミシェナが無視し続けると、ついにはソロンは床の上に寝転がると駄々っ子のように手足をバタバタとばたつかせ始めた。

「ジジィは寂しいと死んじまうんじゃぞ! いたわれ~! やさしくしろ~! 老人をうやまえ~! 養女になれぇ~!」

 これが老齢とも言うべき年齢の人がやることか。

 ここまで来ると呆れるのを通り越して、よくぞここまでやれるものだと感心してしまう。

 しかし、このまま放っておいたら、いつまでもやりかねない。

 これでは仕事も何もできないと思ったミシェナは、胸の奥底から深いため息をひとつ洩らした。

「わかりましたよぉ。養女になればいいんですね?」

 女でありながら財務長官という重職を務めるミシェナは、どうしても同世代の異性から敬遠されてしまう。そのため母親が望むような嫁に行く先もなく、また弟たちが大きくなればいつかは家を出なければならない立場である。

 それならばボルニスの街で財務長官に成り立ての頃に、何くれとなく助言をしてくれたソロンの余生を見届けるぐらいはしてやっても良いだろう。

 そう思うぐらいミシェナは、この我が儘好き勝手放題だが、どこか憎めない老人に好意を持っていた。

「本当じゃな!」

 先程まで苦しがっていたのはどこへやら、ソロンがすっくと立ち上がった。

 胸が苦しいと言っていたのはどうしたのだとミシェナが突っ込んでも、ソロンはけろりと「心優しい娘の言葉で治った!」と開き直って悪びれもしない。

「よし、よし。では、この場で父と娘の契りを結ぶとしようか」

 ソロンに急かされるままに、ミシェナはその場で膝を突いた。その肩に手を乗せたソロンは厳かに継げる。

「良いか、ミシェナ。これよりわしを実の父と思い、孝養を尽くすのじゃぞ」

「はい、はい。ソロン様を実の父と思い、孝養をつくさせていただきます」

 ミシェナは投げ遣りに答えるが、それにもソロンは満足げに何度もうなずいてみせる。

「うむうむ。よろしい。――では、おまえはエルバジゾの家名を名乗るが良い。これよりおまえは、ミシェナ・エルバジゾじゃ」


                  ◆◇◆◇◆


 ソロンとミシェナが父娘の契りを結んだ翌日。

 その日もまたミシェナたち財務官吏たちは、莫大な資料や記録を相手に先の見えぬ戦いを続けていた。

 ひとつの記録を確認したくとも、それと照らし合わせるべき記録がどこにあるかがわからない。それを探し出そうとすれば、あまりに莫大な記録の山を前に心を折られそうになる。それでも心を奮わせて取りかかっても、それは砂丘の中から砂粒ひとつを見つけるようなものだ。とうてい目当ての記録は見つからず、徒労に心を削られるばかりである。

 もはや、誰の目から見てもミシェナたちは限界に近かった。

 そんな部下の様子に、誰よりも心痛と疲労を抱えているであろうミシェナは手を止めると、近くにいた者に声をかけた。

「やはり他の官吏の方々は今日も出仕されないのでしょうか?」

 ミシェナが声を向けたのは、ワリウス王の下で宰相を務めていたメンダックスであった。

 財務官吏をはじめとした多くの官吏たちが出仕して来ない中で、このメンダックスだけはこうして毎日のようにミシェナたちの手伝いに財務省に足を運んでいたのである。

「皆様には大変申し訳なく思っております」

 メンダックスは平身低頭でミシェナたちに謝罪した。

 元は貧乏な下級貴族の出身だったせいだろうか。大国ホルメアの宰相まで務めた人間とは思えない腰の低さである。平民ばかりのボルニスの街の財務官吏たちに対して、卑屈とも思える態度であった。

「しかし、何とぞご容赦ください。何しろ、盤石と思っていたホルメア国が滅び、皆も困惑しておるのです。その心痛から病にかかっておる者も多く、それがために出仕できないのございます。――代わりに私が誠心誠意お手伝いさせていただきます、はい」

 メンダックスの言葉に、ミシェナたちは苦笑を返した。

 おべんちゃらだけで宰相になったと言われるメンダックスである。その財務処理の能力は、お世辞にも高いとは言えない。むしろ何をやってもらうにしろ一から教示しなくてはならず、かえって忙しいミシェナたちの足を引っ張っている始末であった。

 しかし、それでも元宰相という経歴に加え、他の財務官吏たちが出仕を拒んでいる中で唯一手を貸してくれようとしている人だっただけに、ミシェナたちも無碍(むげ)には扱えなかったのである。

 メンダックスの答えに、ミシェナはため息を洩らさずにはいられなかった。

「メンダックス様には感謝しております。財務官吏の方々には、できるだけ早く出仕していただけるようにお伝えしてください」

 そのミシェナの言葉にメンダックスはヘコヘコと頭を下げると、そそくさとその場を立ち去ったのである。

 メンダックスが立ち去った後も、ミシェナは手を止めたまま天井を振り仰いでいた。

「もうダメかも知れない」

 そんな弱音が胸の内で首をもたげてくる。

 生活に困窮していた自分を引き上げてくれた蒼馬への恩顧を返そうと奮起してきたが、それもこれまでだった。仲間の財務官吏たちの気力も、おそらくは今日で尽きてしまう。

 そして、何よりも自分自身に限界を感じていた。

 少しでも手を動かさなくてはいけないと思っていても、もはや手が動かない。目で文字を追っていても、それが頭に入らない。そして、もう何もかも投げ捨て、泣き叫び、この場から逃げ出してしまいたい自分がいるのだ。

「ミシェナさん、大丈夫ですか……?」

 ミシェナの様子に不安を覚えた財務官吏のひとりが声をかけてきたが、それにミシェナはもはや返事を返す余力すらなくなっている。

 もうダメだ。

 ついにミシェナの心が完全に折れてしまう。

 そんなときだった。

「おお、我が娘ミシェナよ。この義父(ちち)が、娘の仕事ぶりを見に来てやったぞ」

 ソロンがひょっこりと顔を出したのである。

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