第16話 大角と小角-いじめ
王都ホルメニアの中央にそびえ立つ巨大な王城。古王朝より引き継がれるこの王城は、その大きさひとつ取ってみても西域随一である。
そこには王が政務を執る前宮と、王と王族が起居する後宮ばかりではなく、官吏たちが国の政務を司る執政府、騎士らが軍事を担う衛府といった国の中枢機関がすべて収められている。さらには小さいながらも主に王族の食卓に供される野菜や穀物を育てる農地に豚や鶏を飼う家畜舎、軍馬を養う馬場、機織り場、鍛冶場と様々な施設までもが備わっていた。
それは、さながらひとつの街である。
しかし、それも当然であった。王城はかつては街であったものだ。
元は外敵からの侵略を避けるために平野のただ中にあった小さな山に築かれた街だった。それが都市へと発展し、さらに王都と呼ばれるようになったとき、小さな街だったものは幾度もの増改築を経て王城へと変わり、その周囲に広がっていた都市は王都と呼ばれるようになったのである。
そんな王城の一角に、財務省があった。
財務省とは文字通り、国中から集められる租税や宝物庫の財宝を記録管理し、予算を案じ、費用を配分する重要な機関である。
かつては上質の官吏服に身を包んだ高級官吏らが帳簿を手にせわしなく働いていた財務省であったが、今やそこに昔日の面影は見られない。
きらびやかな王城の内部の装いからしてみれば貧相とも言える質素な服を着た下級官吏ばかりが息も詰まるような暗澹とした空気の中で深刻な表情で顔を突き合わせていた。
彼らは蒼馬によって王都へ呼び寄せられたボルニスの街の財務官吏たちである。
ボルニスの街で蒼馬のハチャメチャともいえる行動を財政の面から支えてきた優秀な人材たちであるが、今や彼らの顔からはかつて浮かべていた過酷だが重要な職務に従事しているという誇らしげな表情は消え失せていた。
ひとりが手にした帳簿や書類を指差しては何かを言うが、誰もが互いの顔を見合わせるばかりで何も答えが返ってこない。そして、しばらくして誰かが暗い顔を横に振れば、みんながいっせいにため息を洩らすといった光景を繰り返していたのである。
端から見ても埒が明いていない状況に財務官吏のひとりが意を決して言う。
「これは私たちだけの手に負えるものではありません。やはり、ここは……」
その財務官吏が濁した言葉の続きは、その場にいる誰もが承知していた。しかし、それと同時に決して口にはできないものであることも理解していたのである。
そのため、しばし沈痛な沈黙がその場に舞い降りた。
「それは、最初からわかっていたことです」
その沈黙を破ったのは、財務長官であるミシェナであった。
貧しい平民の娘で財務官吏の下働きのようなことをしていたところを蒼馬に大抜擢され、今や氷血の女長官とまで呼ばれているミシェナであったが、彼女の顔はこの場にいる誰よりも濃い疲労と埒の明かないこの状況に曇っていた。
「大変なのはわかっています。だけど、とにかく今はわかるところから着手して、少しでも前に進まないといけません。みんな、がんばりましょう」
当然、ミシェナも自分が口にした言葉のむなしさに気づいていた。
しかし、それでもそう言うしかなかったのだ。
そして、それはミシェナとは彼女の父親のときから付き合いがある財務官吏たちも言われずともわかっていた。それだけに誰もが無理とは思いつつも「はい」と短く答え、また帳面を手に話し合いを始めたのである。
再び仕事に戻った彼らの姿に申し訳なさとわずかな安堵を覚えていたミシェナであったが、それもすぐに消し飛ばされてしまう。
その部屋に通じる廊下の先から、ガヤガヤと騒々しい音が聞こえてきたのである。
そのとたん、ミシェナはビクッと身体を震わせた。ペンを握る手が震えるのが止まらない。自分でも全身に嫌な汗がにじみ出すのが感じられた。
そんな悲痛な様子のミシェナに、財務官吏のひとりが声をかける。
「ミシェナさん。いかがいたしましょうか?」
その気遣わしげな言葉に、ミシェナは即答できなかった。
しばらくためらってからミシェナは咽喉を鳴らして唾をひとつ飲み込むと、意を決して言う。
「私が対応します。みんなは作業を続けて下さい」
◆◇◆◇◆
ソロンからミシェナがマズい状況にあると言われた蒼馬は、まず疑問符を浮かべた。
「いったいミシェナさんに何が起きているんですか?」
ボルニスの街から呼び寄せたミシェナたち財務官たちには、ホルメア国の財務状況の把握と管理を一任していた。
もちろん、蒼馬もミシェナに投げっぱなしにしていたわけではない。日に一度は必ずミシェナからの報告を受けるようにし、情報の共有を欠かさないようにしていた。
しかし、これまでミシェナからは一度として大きな問題は報告されていなかったのだ。
確かに、最近のミシェナの顔には濃い疲労の色が浮かんでいた。だが、それを蒼馬が気遣うと、慣れない作業に手間取っているだけで、しばらくすればそれも落ち着くと言っていたのである。
いきなり国規模の財務状況の把握と管理を任されたのだから、それも当然だろう。
そう納得していた蒼馬なだけに、ソロンの言葉は意外なものだったのだ。
「一口に言ってしまえば、いじめじゃな」
ソロンの言葉に蒼馬は驚いた。
ミシェナは突出した才能がなく、ややおっちょこちょいなところはあるものの、その謹厳実直な働きぶりを高く評価していた蒼馬は、彼女に財務長官という重職ばかりか様々な権利を与えていたのである。
そんな彼女をいじめられる人がいたのかと、本気で訝しむ蒼馬にソロンは酸っぱくなった酒でも吐き出すように言う。
「ホルメア国で財務をしておった官吏たちが、出仕しとらん」
つまりサボタージュである。
この時代、書類の様式や書式は現代のような共通したものは存在せず、様々な記録はそれを管理する者たちの裁量に任せられていた。おかげで、同じ財務をやっていた人でも、余所にいけば勝手が違い、思うようにできなくなってしまう。
それにホルメア国は西域の雄と呼ばれるほどの大国であったのだ。それだけ財務や資産に関する記録は多い。そこに加えて王都ホルメニアは、ホルメア国の前身ともなった古代王朝の王都でもあったところである。その頃からの記録も含めれば、それは莫大といって良いものであった。
ところが、本来ならばそれらを管理し把握していたホルメア国の財務官吏たちが体調不良などを理由に出仕を拒んでいたのである。そのため、ミシェナたちは手探りで莫大な資料の捜索と整理に当たっているのだという。
そうした莫大な量の資料をひとつひとつ確認し、必要なものを見つけるだけでも、とてつもない作業である。いかに優秀な人であろうとも、とうてい一朝一夕に片付けられるものではない。
「それに加えて、王都近郊の領主どもまで結託しておってな。領内の帳簿や人別帳を申し合わせていっせいにミシェナ嬢ちゃんのところに持ち込んでおる」
ソロンは言葉に侮蔑を乗せて言った。
「日々の業務に記録の捜索だけでも大変だというのに、そこにさらに大量の資料をいっせいに持ち込んでは、やれ早くしろ、やれ平民はこれだからダメだと言いたい放題よ」
さばき切れない量の仕事を持ち込まれた上で、身分を持ち出しての罵詈雑言を浴びせかけられ、ミシェナはそうとう参ってきているらしい。
それにシェムルは疑問を口にする。
「何だ、それは? いったい何の得があってそんなことをする?」
今、起きていることはわかった。しかし、シェムルにしてみれば、そこに何の意味があるのか理解できなかったのである。
「かつての自分らの権力を取り戻すためよ」
ソロンは嫌悪とともに吐き捨てた。
「必要な書類がどこにあるか教えて欲しければ、自分らに頭を下げろ。面倒な領地の記録を持ち込まれたくなければ、今までどおり自分らにすべてを任せろ。――ミシェナ嬢ちゃんに音を上げさせ、かつての権益を取り戻そうとしておるわけよ」
ソロンの説明に、シェムルは憤慨した。
「文句があれば、ソーマに言えば良いだろ!」
ミシェナを財務長官にしたのも、領地の内情を報告させているのも蒼馬なのだ。シェムルの言葉は、まったくもってもっともな話である。
それにソロンは、財務官吏や諸侯の意図を口にするのも馬鹿馬鹿しいとばかりに鼻で笑って見せた。
「ホルメアを滅ぼした小僧へなど怖くて言えんわ。もし、機嫌を損ねて――」
ソロンは自分の首を掻き切るマネをして「ギャッ!」と言う。
「――こうなったら、たまったものではないからのう。じゃから、ミシェナ嬢ちゃんたちへ矛先を向けているというわけよ」
そこでソロンはひょいと肩をすくめてみせる。
「そして、その根底にあるのは、ただ気に食わんからよ」
ソロンは、ばっさりと斬り捨てた。
「財政とは、国の要よ。小僧が信頼するミシェナ嬢ちゃんを送り込んだのは、その要を押さえんがため。至極当然よな。――まあ、それがわかっとる者の方は少ない。たいていは金勘定と馬鹿にしとるものばかりじゃがな」
いまだ個人の武勇がもてはやされ、政務などが低く見られている時代であった。そうした武を偏重する者たちからしてみれば、富とは力で奪い取るものである。そのため財務を金勘定と見下し、卑賤な職とする風潮すらあったのである。
「そんな奴らに取ってみれば、ただでさえ自分らが好き勝手にやっていた領地の内情を金勘定ごときに探られるだけでも腹立たしいというのに、それが平民のしかも女子ときた。そりゃ、頭にくるじゃろう。それは元からいた財務官吏たちも、似たようなものよ」
ソロンの言葉に、シェムルはさらに憤慨した。
「何だ、その根性の腐りきった連中は?!」
立場を利用して弱者をいたぶるようなまねは、シェムルがもっとも嫌うところである。蒼馬もまた、そのような卑劣な行為は許せない性格であった。蒼馬は椅子を蹴立てて立ち上がる。
「すぐにポンピウスさんに相談して対処を決めよう」
ホルメア国の旧臣や諸侯が原因ならば、大宰相とまで呼ばれたポンピウスが力になってくれるだろう。そう思って、早速ポンピウスの屋敷へ行こうとした蒼馬をソロンが止める。
「やめておけ、やめておけ」
ソロンは渋い顔をして手をヒラヒラと振るう。
「問題は、ミシェナ嬢ちゃんが女だということよ。この騒動の根っこも、それを複雑にしているのも、そこにある」
ソロンの言葉に、シェムルは首をかしげる。
「女なのが、何の問題になるのだ?」
女性でも力があれば戦士として戦うゾアンらしいシェムルの意見であった。しかし、それはゾアンの社会だからこそ通じるものである。「まったくそのとおり」とケラケラと笑うソロンの方が、人間の社会では少数派であり異端者なのだ。
「ところが、馬鹿者にとってはミシェナ嬢ちゃんと小僧が未婚の若い男女というのを問題とする」
どういうことかとそろって首をかしげる蒼馬とシェムルに向けて、ソロンはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて言った。
「ミシェナ嬢ちゃんが自分の女を使って小僧を籠絡し、今の地位に就いたと悪評を立てられておるわけよ」
蒼馬とシェムルは、唖然としてしまう。
まさか、そのようなことを言われているとはふたりとも思っても見なかった。
しばらくして、ようやく言われたことを理解したシェムルが、ソロンに食ってかかる。
「ソーマが、そのようなことをするわけがないだろ!」
絶対の信頼を置く忠臣の言葉に、「まったくだ」といわんばかりの表情でうなずく蒼馬を指差してシェムルは続けて言う。
「これに、それだけの根性や甲斐性があるわけがないっ!」
シェムルの断言に蒼馬は「え?」という顔になる。そこへさらにエラディアが追い打ちをかける。
「シェムル様のおっしゃるとおりです。そのようなまねができる方ならば、とっくに私の妹たちの何人かはお手つきになっているはずです」
エラディアの確信に満ちた言葉に、蒼馬はさらに「ええっ?!」という顔になった。
ふたりは自分を擁護してくれているはずだ。それなのに、なぜか蒼馬は自分の男としての尊厳が著しく貶められているような気がした。
これはソロンにも馬鹿にされる。
そう思ってソロンを見やった蒼馬だったが、意外なことにソロンは眉根を寄せて真剣な憂いの表情を浮かべていた。
「小僧。……まさか何かの病気か、ナニに欠陥でもあるのか?」
本気で心配されていた。
「僕のことは良いの!」
蒼馬は羞恥に顔を赤く染めながら、机をバンバンと叩きながら言う。
「そ、れ、よ、り、も、今はミシェナさんのことでしょ!」
慌てふためく蒼馬の様子に、ソロンはカラカラと笑ってから言う。
「冗談はさておき、ミシェナ嬢ちゃんが小僧に何も言わんで頑張っておるのもそれが原因よ」
しょせんは蒼馬を恐れてミシェナへ矛先を向けている連中である。蒼馬が矢面に立ち、その強権を振りかざせば一発で消し飛ぶような小物ばかりだ。
だが、自力で問題を解決せずに蒼馬へ頼ったミシェナの姿に、周囲の人々は噂が本当であったと思うかも知れない。
生活に困窮していたところを財務長官にまで大抜擢し、家族ともども救ってくれた蒼馬へ深い恩義を感じているミシェナからすれば、その恩義に後ろ足で砂をかけるようなまねはできなかったのである。
「そこにおる女官長様もとっくに気づいているのに、小僧へ何も言わんのもその辺りを配慮しておるんじゃろう」
ソロンが顎をしゃくって示すのに蒼馬とシェムルがそろって目を向けると、エラディアは優雅に一礼して見せた。
「勝手ながら、私の一存でソーマ様のお耳に入れるのを止めておりました」
エラディアの言葉に、蒼馬はムッと顔をしかめた。
情報と価値観の共有は、いかなる組織にとっても大原則だ。これを怠れば、いかな組織とてまとまるわけがない。
それぐらいのことはわかっているはずのエラディアの判断に、蒼馬は批難の目を向ける。
すると、エラディアは顔を曇らせて言う。
「ミシェナ様の苦境を知れば、心優しいソーマ様ならば必ずや何とかしようとされるでしょう。ですが、ことは何の根拠もない誹謗中傷にございます。それだけにそれを否定する証拠も根拠もございません。
しかし、だからといってソーマ様は黙ってはいられませんでしょう。
ですが、それではかえってたったひとり堪え忍ばれているミシェナ様の忍耐と苦労を無駄にするばかりか、さらに苦境に陥らせてしまいかねます。
そう判断した上で、ソーマ様のお耳に入れるのを差し控えておりました」
さらにエラディアは自らの独断を謝罪した上で罪に服すると言った。
しかし、こうまで言われては、逆に「はい。そうですか」と罰するわけにはいかない。蒼馬は軽く注意した上で、今後は些細なことでも必ず自分に伝えて欲しいと念を押すに留めた。
蒼馬に注意されて殊勝な様子を見せるエラディアをソロンはニヤニヤと笑う。
「おっかない女官長様のことよ。どうせ、とっくに奴らを締め上げるネタは掴んでおろう。いざとなれば自らが介入する気でいたんじゃろう」
それにエラディアは何も知らない無垢な乙女の微笑みで「ソロン老の買いかぶりですわ」と否定した。
しかし、それに蒼馬とシェムルは同時に、「そんなわけがない!」と思った。
蒼馬とシェムルは、すでにエラディアとはそれなりに長い付き合いだ。その生い立ちからエラディアは、女性が男性から非道な仕打ちを受けるのを激しく嫌悪しているのを知っている。そんなエラディアが、ただ手をこまねいて見ていたとは思えない。おそらくは、後は止めを刺すだけで片付く手配は済ませているのだろう。
ふたりがそう思っているぐらいは承知しているはずのエラディアだったが、こちらも礼儀正しく気づかぬふりのまま、さらに言う。
「ここで強権をもって解決するのは容易なことにございます。ですが、それでは一時しのぎにしかなりません。今、ミシェナ様に必要なのは、ご自身の力を示されることでございます。ですが、肝心なその機会と場を奪われており、それもままならないのです」
それに、そもそもミシェナは誠実さと堅実な仕事ぶりを評価されてはいるが、誰もが驚く実績を上げるような才覚の持ち主ではない。そんな彼女の真価を周囲の人に知らしめるには、とうてい一朝一夕では足りないのだ。
どうやってこの問題を解決したものかと蒼馬が頭を必死にひねっていると、残っていた酒を一気に呷ったソロンが空となった酒杯を音高く机に置いた。
その音に驚いて自分を注視する蒼馬たちに向かってソロンは言う。
「この一件は、わしに任せてもらおうかい」
これに蒼馬たちは驚いた。
いつもは何事にも斜に構え、飄々とした態度を取るソロンが、このように自ら率先して動こうと言うのは珍しいことだ。
自分の発言に驚く蒼馬たちに向けて、ソロンはニィッと笑ってみせる。
「なぁに。今回は、わしもちょいと頭にきておるでな」
感想欄より
>誤字報告機能は、利用されないのでしょうか?
・・・・・(; ゜Д゜)? いつの間にそんな機能が?
昨年は、ほとんどまともになろうを見てなかったから今まで気づいてなかった!
というわけで、誤字報告機能をつけました!




