第5話 酒宴
帰郷令の最中に「黒壁」の将校であったアドミウスから思わぬ嘆願を受けた蒼馬は、何をするつもりなのかと尋ねた。それにアドミウスは、淀みなく答える。
「ソーマ殿の帰郷令は、同じホルメア国人として感謝の念に堪えません。されど、今なおホルメア国中の山野に隠れ潜む者たちが多くおるのをご存じでしょうか?」
そんな人たちがいるのかと驚く蒼馬に、アドミウスは一拍の間を置いてから言葉を続けた。
「主に国軍の精鋭であった将兵らにございます」
アドミウスが言うには、ホルメア国軍の精鋭と呼ばれた者たちの多くは騎士や諸侯らの次男三男坊といった者たちである。そうした者たちは専業軍人であったがために、戦う以外に能がない者たちだ。帰郷したとて、とうてい居場所などない。
また、ホルメア国の精鋭として多くの敵を打ち倒してきた彼らである。敵から買った恨みは、他のホルメア国の兵たちの比ではない。その敵の恨みが親兄弟親族にまで及ぶと思えば、他の兵たちは無事に帰郷できたと知っていても、なかなか帰郷へ踏み切れないものだった。
そうした者たちが、今なおも数多くホルメア国中に潜んでいるとアドミウスは言う。
「もし許可がいただければ、そうした者たちを探し出し、ここに集めて参りましょう」
それは蒼馬にとっては願ってもない提案である。すぐさま快諾すると資金の手配をさせた。そして、その多額の資金を持って、アドミウスは意気揚々と王都ホルメニアを出立したのである。
ところが、その直後にホルメア国の旧臣のひとりが蒼馬へ次のように進言してきた。
「あなた様に遺恨があるであろう『黒壁』の将校ですぞ。仲間は集めるでしょうが、きっとあなた様に刃向かう軍勢を作るつもりです。今からでも遅くはありません。追っ手を放って、首を斬ってしまいましょう」
何のことはない。早い段階から蒼馬に協力的であり、他のホルメア国の人間たちより一歩先んじる形となっていたアドミウスを排するとともに、いかに自分が目端が利き、役に立つのだという売り込みであった。
しかし、蒼馬はそんな讒言には耳を貸さず、一言の下に切り捨てたのである。
「それならその方が助かる」
それは、決して見栄や誇張によるものではなかった。
蒼馬にとってみれば、不穏分子が各地に潜伏してゲリラ戦を繰り広げられた方が悪夢である。
世界最強だったアメリカ軍ですら、ベトナム戦争のベトコンのゲリラ戦にさんざん苦しめられた。また、アフガン・イラク戦争にいたっては、もはや終わりすら見えない悪夢の状況である。
それらを知る蒼馬からしてみれば、どこかに集まって自分に対して反旗を翻してくれた方が、はるかにマシであったのだ。
そんな確信をもって言う蒼馬に、讒言をしたホルメア国の旧臣は慌てて「要らぬことを申しました」と平伏し、蒼馬の前からそそくさと立ち去ったのである。
それからしばらく後に、ホルメア国の旧臣や諸侯らの間に、ある噂がまことしやかに流れた。
それは次のような噂である。
「酒宴で敵対する者たちはまとめて叩き潰してやるという意味のことを言ったのは、どうやら本当らしい」と。
これに多くの旧臣や諸侯らは震え上がったという。
◆◇◆◇◆
そんな一悶着もあったアドミウスの出立だったが、彼はなかなか戻ってこなかった。
十日経っても連絡ひとつない。二十日経っても音沙汰すら聞かない。その頃になると、遅ればせながらミシェナと財務官吏らが王都に到着し、いよいよ国の基盤作りに着手しようとしていたところである。
そのため蒼馬もしなければならない仕事が激増し、その忙しさにアドミウスのことなど失念してしまっていた。
そして、ひと月が経とうとした頃である。ようやくアドミウスが王都ホルメニアに帰還した。
「申し訳ない。少々手こずりました」
そう謝罪するアドミウスの顔に青痣がいくつも残っていれば、事は少々どころの問題ではないと蒼馬にも察せられた。
しかし、男がそう言うのである。蒼馬はあえてそれについては問いたださなかった。
それよりも気になるのが、アドミウスが連れてきた男たちである。
その数は、およそ三百人あまり。いずれも、見るからに歴戦の勇士と言わんばかりの屈強な男たちである。
しかも、その大半が黒い鎧を身につけていた。
ホルメア国において黒い鎧の着用を許されていたのは、ただひとつ。ホルメア最強と名高かった「黒壁」だけである。
蒼馬の前で彼らが身につけている黒い鎧は、ひと月も山野に潜伏していたとは思えぬほど、ぴかぴかに磨かれ、泥ひとつついていなかった。
もはや絶対的な強者となった蒼馬と面会するのに、あえて磨き抜かれた鎧を身につけることで、彼らがどれだけその鎧に誇りを持ち、さらには「自分らの心は折れてはいないのだぞ!」と言葉よりも雄弁に語っていたのである。
また、彼ら自身も誰もが渋い顔だった。いかにも不承不承やってきたのだと言わんばかりの態度である。中にはアドミウスを指差し、「こいつがどうしてもと言うので話を聞きにきただけだ」と明言する者すらいた。
この態度に、「敗残兵のくせに、何たる無礼な態度」と批難する者もいた。
しかし、よけいなまでに他人の状況を慮るので知られる現代日本人の蒼馬である。「黒壁」の態度も「負けた相手のところへ顔を出せと言われれば不機嫌にもなるだろう」と、かえって恐縮してしまう。
シェムルもまた「なかなか気骨のある連中じゃないか」と楽しげであった。
そんなふたりの態度が気にくわなかったのか、アドミウスと同じ将校だった男が、ずいっと前に出る。
「貴様が、破壊の御子か……」
そう言ってから、値踏みするように蒼馬の頭の先から爪先までジロジロと眺める。それから、ふんっと鳴らした。
「先の戦いは、たまたま貴様に運が味方しただけのこと。ダリウス閣下のことは無論、我らとておまえに負けたとは思っておらん」
それに他の「黒壁」の将校らも力強くうなずいて見せた。
実際にダリウス将軍は、破壊の御子の策を予見し、スノムタと呼ばれることになる地での戦いを回避せよと伝えていたのである。それを思えばダリウス将軍が指揮する完全なる「黒壁」ならば、あのような大敗はあり得なかったのだ。
それが「黒壁」の将校らの共通した想いであった。
しかし、戦の勝敗に「もし」や「仮に」や「ならば」はあり得ない。数多の戦場をくぐり抜けた猛者である彼らは、それを熟知している。そのため、蒼馬に負けていないと言い放ったのも、いわば負け惜しみにすぎなかった。
本来ならば、しょせんは負け犬の遠吠えと、にべもなくあしらわれるところである。
だが、蒼馬の反応は違った。
「ええ。僕もそう思います」
蒼馬はしみじみと同意したのである。自己謙遜が過ぎると言われた日本人の真骨頂の発揮であった。
そうなると困ったのは、「黒壁」の将校らである。
強き敵こそ称賛せよ。怒りや憎しみに目を曇らせ、強敵を強敵と認められぬ愚か者は、決して勝つことなどできぬ。
そうダリウス将軍から強く薫陶を受けている者たちだ。蒼馬が卑下すれば卑下するほど、かえっていたたまれなくなる。
「……しかし、我らが負けたのも事実だ」
口ごもりながらも、自分らの負けを認めざるを得なくなってしまった。
しかし、それで和解できたわけではない。
何しろ、ダリウス将軍の失脚の要因となり、その後も生涯最強の宿敵と目されてきた蒼馬と、そのダリウス将軍を崇敬する「黒壁」の将校たちである。
その後もお互いにどう接すれば良いかわからず、ギクシャクしてしまった。
だが、このまま顔を見合わせていても埒が明かない。そこで蒼馬は、とりあえずせっかくやってきてくれたのだから歓待の宴を開くことにした。
蒼馬に大敗して以降、ずっと山野に隠れて飢えや渇きに堪え忍んできた彼らは、その招きを断れるわけがない。このときばかりは過去の遺恨を一時忘れ、招かれようということになった。
そうして開かれた歓迎の宴だが、その中での話題はもっぱらダリウス将軍のことについてであった。
酒精によって舌がなめらかになった「黒壁」の将校たちがダリウス将軍について語るのは酒宴の定番である。
そして、それは蒼馬にとってもうれしいことでもあった。
ダリウス将軍とは、必ずや雌雄を決せずにはいられない。
そう五年も前から覚悟を決めていた蒼馬である。それだけにダリウス将軍へ強い関心と興味を覚えていた。これまでにも様々な手段を講じ、ダリウス将軍の戦歴や行跡はつぶさに調べ上げてきたが、この場にいる「黒壁」の将校らは、実際にその場に居合わせた者たちだ。人づてにしかダリウス将軍を知らない蒼馬が知り得ようもなかった事実や裏話が次々と飛び出してくる。これが面白くないわけがなかった。
また、「黒壁」の将校らはいずれもダリウス将軍に心酔していた者たちである。そのダリウス将軍の偉業を語り合うほど楽しいものはない。ましてや、その聞き手となる蒼馬が話ひとつひとつに素直に感嘆を示すとなれば、これに勝る喜びはなかった。
当初のギクシャクとしたものはどこへやら、宴は和やかな雰囲気で勧められた。
ところが、酒にはめっぽう弱い蒼馬である。
その場の空気を悪くしない程度に飲むのを控えていたのだが、一緒に飲んでいたのは「黒壁」の将校たちだ。「黒壁」といえば、ホルメア国を代表とする猛者たちで、いずれも水の代わりに酒を飲むような酒豪ばかりである。
それに付き合っていたのだから、いくら控えめにしていても、あっという間に蒼馬の許容量を超えてしまう。すぐに蒼馬は耳も顔も真っ赤にし、ただ座っているだけでも上体をフラフラと揺らし始めた。
そのうちに「黒壁」の将校らからダリウス将軍の武勇伝を聞くたびに「すげー! すげー!」と意味もわからずひたすら連呼し始め、ついには一緒になって「ダリウス将軍、万歳! 破壊の御子なんて大したことないぞ!」と唱和する始末である。
もはや誰の目から見ても完全な酔っ払いでしかなかった。
これにはシェムルも呆れ返り、早々に酒宴の席から蒼馬は連れ出されてしまった。
そんな情けない蒼馬の有様に「黒壁」の将校らは笑い合うと、「酒の飲み比べならば、我らの大勝であったな」と口々に言い、祝杯を挙げ始めたのである。
ところが、それを聞きとがめる者がいた。
「それは聞き捨てならんな。なあ、大地の同胞よ」
「左様。酒でもわしらの敵ではないと教えてやらねばならんぞ、獣の同胞よ」
ズーグとドヴァーリンである。
何のことはない。どこからともなくタダ酒の匂いを嗅ぎつけてきただけである。ふたりは、それぞれの同胞を引き連れて「それならば俺たちが相手だ」とばかりに酒宴に乗り込んできた。
ドワーフと言えば、生まれ落ちて乳より前にエールをねだるとまで言われた酒豪の種族である。また、ズーグと彼が引き連れてきたゾアンの戦士たちも、いずれもドワーフにも劣らぬ酒豪ぞろいであった。
しかし、いかなる難敵に際しても、「ただ前進し、粉砕するのみ」と言われた「黒壁」の将校らに撤退の二文字はない。望むところとばかりに、飲み比べが始まった。
そうして始まった飲み比べだが、やはりドワーフとゾアンを相手では「黒壁」の将校も分が悪い。次々と酔いつぶれる者が出た。しかし、それでもさすがは「黒壁」の剛の者である。さしものドワーフとゾアンの酒豪らからも酔いつぶれる者が出た。
空となった酒樽が至る所に転がり、その間には、人間ばかりかドワーフやゾアンたちまでもが酔いつぶれて陸に挙げられた魚のような醜態を晒す。
そんな混沌とした酒宴に、ひょっこりと姿を現したのがジャハーンギルであった。




