第4話 帰郷令
戴冠宝器の破壊によってホルメア国の終焉を告げた蒼馬は、早速動き出した。
まずは、新たな国の基盤作りである。
この時代のセルデアス大陸において国の基盤といえば、それは武力である。自分の武力を内外に示すことで、隣国からの侵略を牽制し、民衆を服従させ、国として安定させるのだ。
ところが、現代日本人であった蒼馬の認識は違っていた。
蒼馬にとって、国の基盤とは経済である。
いくら強兵を揃えようとも、その身にまとう武具がなければ戦えない。その腹を満たす糧食がなければ動かせない。そして、民が飢えれば国が乱れるのだ。
今回の戦いが始まる以前から、蒼馬はホルメア国を征服した場合も想定して施策の案をすでにいくつか考えてはいた。
しかし、それらはあくまで想定のものにすぎない。実際に施行するには、まずは自分が手に入れた国に、何があり、何が残り、何が使えるかを知らなければならなかった。
だが、それらを知るには出納帳や人別帳などの記録を調べる必要がある。また、ロマニア国侵攻時の損害や混乱における物資の盗難を考えれば、記録と実物を照らし合わせなければならない。それが国ひとつ分ともなれば、いかに莫大な作業量となるかは容易に想像できるだろう。
それは、ボルニスの街での五年分の経験があるとはいえ、もともとはただの現代日本の高校生に過ぎない蒼馬ひとりには、とうてい手に負えないものだった。
また、そうした記録を一番理解し、力となってくれるはずのホルメア国の旧臣らは臣従を示しているが、その内心となるとわからない。表面上は協力的に見せておいて、その陰で邪魔をしてくるという可能性も十分にあり得た。
そこで蒼馬が最初に行ったのは、ボルニスの街からミシェナたち財務官たちを呼び寄せることだった。
ボルニスの街の財務官たちは、ボルニスの街における蒼馬の施策を理解しているのみならず、この五年を通じて信頼を積み上げた者たちである。取り分け彼らの筆頭であるミシェナは、才覚こそ乏しいもののその謹厳実直な働きぶりは蒼馬も高く評価していた。
彼女たちがいなければホルメア国の改革はできないとすら蒼馬は確信していたのだ。
だが、今回の戦いにおける当初の計画にはなかったホルメア国の統治である。彼女たちがボルニスの街を離れて王都へ来る準備ができていなかったのだ。新国家建設は急務とはいえ、蒼馬の勢力にとっては基盤ともいえるソルビアント平原を確保する上で、ボルニスの街は決しておろそかにすることはできない。ミシェナたちが王都へやってくるには、しばらく時間が必要であった。
しかし、だからといって、蒼馬はその間の時を無為にするわけにはいかない。
すでに蒼馬は身分制度の撤廃を公のものとしている。そして、それは既存の身分制度を使った支配体制の否定でもあり、そのため蒼馬は身分制度に代わる新たな統治の形を早急に示さねばならなかった。
それは、絶対的な王権に代わり、法をもって国を治める法治国家である。
だが、この時代のセルデアス大陸では馴染みのない法治の考えだ。そう簡単には理解されないであろう。実際に、今なお法治主義の先駆者であるボルニスの街でも、民衆が本当に法治を理解しているとはとうてい言えないのが実情である。
それでもこれまでの国ならば、王の強権をもって国内の有力者や豪族を使い、法を強制させれば良かった。だが、身分制度を廃して旧来の統治機構を否定していた蒼馬は、広い民衆の支持を得なければならなかったのである。
ところが、ホルメア国での蒼馬の評判は悪い。
何しろ五年もの間、ホルメア国の支配階級からは凶暴な亜人類の頭目や天に逆らう大逆人と悪し様に罵られ続けてきたのである。ともにロマニア国軍と戦った王都ホルメニアの住民らは、おおむね好意的ではあったが、その他の土地ではいまなお残虐非道な侵略者扱いであったのだ。また、いまだ情報の伝達が人の口に頼っている時代においては、その悪評を払拭するのもままならなかったのである。
そこで蒼馬は、まずホルメア国の人々を安心させ、自分を新たな統治者として受け入れさせるためにも、民衆を慰撫する方策を次々と打ち出した。
そのひとつが、帰郷令である。
この時代、諸侯と呼ばれる領地持ちの貴族は、それぞれが一軍を率いる将だ。そして、その兵となるのは、わずかな騎士と従兵を除けば、労役などで徴兵された農民たちである。
後世においては「スノムタの戦い」もしくは「スノムタの屈辱」と呼ばれる戦いに参戦した諸侯らも、やはり多くの農民たちを兵として連れてきていた。
そして、蒼馬に敗れて敗残兵となった農民の多くは、いまだ帰郷せずにホルメア国各地に潜伏していたのである。
それは、勝者となった蒼馬に刃を向けた事に対する報復を恐れてのものだった。
また、いまだ土地に縛られて生きる民が征服者にこびへつらうのは当たり前の時代である。昨日までの支配者を狩り、新たな征服者へ恭順の姿勢を示し、安堵を得ようというのも珍しくはない。それに、戦で田畑を荒らされ、家財を奪われた民たちにとってみれば、敗残兵から武具を奪って売り飛ばして損害の補填に充てるのも当然のことだった。
そうしたかつての同国人の敗残兵狩りもあり、敗残兵となった農民らは山野などに潜み、ジッと息を潜めていたのである。
それを知った蒼馬はすぐさま敗残兵の免罪を確約し、速やかに帰郷すべしと令を発した。また、それとともに農民らの敗残兵狩りを固く禁じたのである。
有り体に言ってしまえば「逃げたり隠れたりする人をいちいち探し出して捕らえるのは面倒。かといって放置しておけば食うに困って野盗にでもなられたら大変。それよりも、さっさと帰郷して畑を耕して欲しい」というわけである。
しかし、これには以前から蒼馬に付き従っていた者たちから不満の声が上がった。
ホルメア国との戦いは圧勝だったとはいえ、蒼馬たちもそれなりの被害を負っている。それは自身が傷を負わされたばかりではなく、戦いの中で戦友や兄弟を失った者も多い。そうした者たちからしてみると、敗残兵の中に戦友や兄弟の仇がいるのではないかと思えば、それを簡単に許せるわけがなかったのだ。
だが、そうした不満に対して、蒼馬は奥の手があった。
「ねえ、シェムル。敗残兵となった人たちを狩り出して処罰するべきだって意見があるんだけど、どう思う?」
蒼馬は自らの半身とさえ呼ぶ、ゾアンの気高き娘シェムルにそう問いかけた。
この蒼馬の問いに、シェムルは即答する。
「戦の遺恨は戦の結果で晴らすものだ。それを戦が終えてから晴らそうとは潔くはないぞ」
まったくもって彼女は蒼馬の期待を裏切らない。
シェムルは全ゾアンが自分らの創造神として崇拝する獣の神によって認められた御子である。しかも、その授けられた恩寵は、その気高き誇りを保証するというものだ
そんな彼女に敗者を叩くのは潔くないと言い切られてしまえば、ゾアンならばそれを否定することはできない。その心中はどうあれ、誰もが「我ら誇り高きゾアンの戦士である」と言い、帰郷令に対して主だった反対はしなかったのである。
また、それを蒼馬が「さすがゾアンの戦士だ」と誉め称えてから、他の種族の者に対して「他の種族の人たちは、どうかな?」と問われれば、これまた否定はできない。
父祖の土地であるソルビアント平原を奪われたのみならず、根絶やしにされる寸前まで追い込まれたゾアンらのホルメア国に対する恨みは、骨髄に至るといっても過言ではない。そのゾアンらにそう言われ、そこに奴隷から解放された恩義も加われば何も言えなくなってしまう。
しかし、そうして発令された帰郷令であったが、当初これは信じてもらえなかった。
凶悪な亜人類の頭目であり、死と破壊の女神の御子として恐れられている蒼馬である。そのような温情ある処置とは思われず、敗残兵たちが免罪されると信じ、のこのこと帰郷したところを捕らえて死刑にするつもりだと思われてしまったのだ。
そのため、敗残兵となった人々はなかなか帰郷しなかったのである。
だが、それも長くは続かなかった。
山野にこもっていても食い物がなければ腹が減る。友人知人にかくまってもらっていても、隠れているだけでタダ飯を食っていれば肩身も狭い。
とうとうダメで元々と思った人から、ひとり、またひとりと帰郷し始めたのである。
そして、当然、蒼馬は帰郷令を反故にするようなマネはなかった。
すると、そうした先に帰郷した者たちが本当に何の咎めも受けないと広まるにつれ、それまで踏ん切りがつかずにいた多くの敗残兵たちも次々と帰郷を始めたのである。
こうして死んだと思われていた父親や息子や兄弟たちとの涙の再会が、ホルメア国の各地で繰り広げられた。そして、当然その再会の場では慈悲深い新たな統治者への感謝の言葉が口にされたのは言うまでもない。
また、そうした帰郷令の中で、蒼馬はある人物から思わぬ嘆願を受けた。
「資金と時間をいただきたい」
そう蒼馬に切り出したのは、ホルメア国最強と呼ばれた軍団「黒壁」の将校であったアドミウスであった。




