第3話 大地に座す(後)
その後、蒼馬は酒宴を開いた。
親睦を深めると言えば、酒宴だ。
現代日本にいたときには、まだ飲酒ができない少年であった蒼馬だが、何かにつけて親睦会や懇親会と銘打って酒を飲みに出かけていた父親の姿は良く覚えている。
そんな安直な現代日本的な発想から催した酒宴だったが、すぐに蒼馬は自分の失敗を悟った。
何しろ、つい先日まで身の程知らずにも反乱を起こした奴隷や人間種の出来損ないである亜人類と見下し、ソルビアント平原のゾアンにいたっては家畜以下の獣と断じて滅ぼそうとしていたホルメア国の人間である。今さら手を取り合って仲良くしましょうと言われても、はいそうですか、と納得できるはずがない。
また、それは差別されてきた人間種以外の種族の側も同様である。
そのため、蒼馬たちと旧ホルメア国側の人で、酒宴の場が真っ二つに割れてしまったのだ。
しかも、お互いに自由に交流できるようにと、この時代のセルデアス大陸の風習にはない特定の席を設けずに自由に動ける立食パーティーの形式にしたのも悪かった。かえって身内だけで固まってしまい、とうてい交友を深める雰囲気ではなくなったのである。
「俺は、こういう陰気な酒は好かん」
酒好きなズーグが不機嫌そうな顔で、こう言い切るのだから、酒宴の雰囲気もわかるというものだろう。
しかし、その中にあって唯一の例外だったのが、あの貧相な男であった。
その男だけが、諸侯たちの集まりからひとり離れ、ゾアンやドワーフたちのところへ杯を片手に足を運んでいたのである。
だが、へらへらとした薄っぺらい笑みを顔に貼りつけ、ひたすらコメツキムシのようにぺこぺこと頭を下げる姿は、蒼馬も眉をひそめるほどの卑屈ぶりだった。それは強者におもねるだけで、とうてい本当の意味での友好を深めようとしている姿には見えない。
今も不機嫌そうなズーグに向けて愛想笑いを振りまいている男の姿を観察していた蒼馬の背中に声がかけられる。
「あの者がいかがされましたか?」
いつの間にか、するりと蒼馬の後ろに立っていたのはエラディアであった。
「ん? あの人がちょっと気になってね」
あの卑屈な態度からは、とうてい地位がある人物には思えなかった。だが、先程の敷布に座る際に皆が従ったところを見れば、決して身分が低いわけではないのだろう。
そんな疑問を覚えていた蒼馬に、すでにホルメア国の重要人物についてはあらかた調べていたエラディアは即答する。
「あの方は、ホルメア国の宰相だったメンダックスでございます」
「あの人が宰相?」
蒼馬は、驚いた。
宰相といえば、国王の代わりに国を取り仕切る重職と聞く。そして、蒼馬が知る宰相といえば、その頭に「元」の一字がつくものの最近面識を得たばかりのポンピウスがそうである。
ポンピウスは、見た目は子供のように身体が小さな老人だ。しかし、それと同時に、一国を取り仕切る人物とは、こういうものかと蒼馬をうならせるだけの威厳を漂わせる人物であった。
それから比べれば、メンダックスが同じ宰相とは、蒼馬にはとうてい思えなかった。
また、これまでホルメア国との交渉の窓口となっていたのはポンピウスである。しかし、宰相がいたのならば、ホルメア国側の交渉の責任者としてとっくに出てこなければならなかったはずだ。
そう訝しがる蒼馬に、エラディアが声を潜めて言う。
「宰相と申しましても、名ばかりだとか。陰では『裾持ち』と揶揄されていると聞き及んでおります」
「裾持ち?」
聞き慣れない言葉に、蒼馬がおうむ返しに問い返すと、エラディアは小さくうなずいてから続けた。
「王侯貴族の方々がまとわれる豪華な衣装の中には、裾が大変長いものがございます。歩く際に、そうした長い裾が地面をこすらないように、それを持って後ろからついて歩く小物を『裾持ち』と呼びます。それより転じて、権力者にこびへつらい、その恩恵に預かろうとする者を『裾持ち』と呼ぶのでございます」
もともとメンダックスは貧乏な下級貴族の出身で、ただ腰が低く、おべんちゃらが得意なだけの小物であったそうだ。
ところが、たまたまそこがワリウス王に気に入られ、小物から近習に抜擢されたかと思えば、さらには大臣へととんとん拍子に出世したばかりか、ワリウス王の妹を下賜されて王家の縁戚にまで成り上がり、ついにはポンピウスが退いて以降は空席となっていた宰相にまでなったのだという。
そんな宰相であれば人望もなければ、交渉をまとめる能力もない。ロマニア国侵攻や蒼馬に降るかどうかの話し合いにおいても、慌てふためくばかりだったという。身を退いていたはずのポンピウスが蒼馬との交渉や降伏を決める会議を取り仕切らねばならなかったのは、それが原因だったのである。
そして、エラディアは次の言葉で締めくくった。
「強者におもねるだけで誇りも能力もない度し難い小人の類いかと思われます」
それに蒼馬は顔を引きつらせる。
汚れを知らぬ乙女のような笑顔のままで、そんな辛辣な言葉を言わないで欲しい。素直に怒りや嫌悪を浮かべられるよりも、もっと怖い。
そんなことを思いながら、蒼馬が乾いた愛想笑いを浮かべていると、エラディアはつと視線を横に向けた。なんとはなしにエラディアの視線の先を追うと、そこには酒宴の場の片隅で固まるホルメア国の旧臣や諸侯らの姿があった。
彼らがどうかしたのだろうと蒼馬が思っていると、エラディアは優雅に一礼してみせる。
「では、私は皆様がお楽しみなられているか確認してまいります。――ソーマ様も、どうぞお楽しみくださいませ」
そう言って立ち去るエラディアの後ろ姿は、ただ歩いているだけなのに、やけになまめかしい。ついつい目でそれを追っていた蒼馬だったが、その脇腹にシェムルが肘を入れられたのに我に返る。
「ど、どうかした? シェムル?」
まるで浮気の現場を押さえられた夫のような慌てぶりで尋ねた蒼馬だったが、シェムルは顔を他に向けていた。
シェムルが見ている方へ目を向けた蒼馬は、そこではズーグにけんもほろろにあしらわれたメンダックスが、今度は豪快に肉を囓っていたジャハーンギルに媚びを売っているところだった。しかし、当のジャハーンギルは食事の邪魔をされたと思ったのか、牙を剥いて威嚇すると、メンダックスは慌てて逃げ出してしまった。
滑稽劇の一幕のような光景だが、しかしシェムルは渋いものでも口にしたような顔で言う。
「嫌な感じがする男だな」
それには蒼馬も異論はなかった。
◆◇◆◇◆
醜態を晒すメンダックスを眺めていた蒼馬だったが、彼にもまた観察している者たちがいた。
それはホルメア国の旧臣や諸侯たちだ。
既得権益を手放さなければならない不満と、せっかくしかけた玉座の罠を回避された失望から、彼らは顔を寄せ合って蒼馬の悪口に興じていたのである。
「死と破壊の女神の御子というからには、どのような恐ろしい奴かと思えば、大した奴ではありませんな」
「左様。あれでは、どこぞの平民のガキの方が立派でしょう」
「目の前の玉座に怯えるなど、何ともみっともないではありませんか」
誰かが蒼馬の悪口を言うと誰もが薄暗い嘲笑を浮かべて賛同し、また他の誰かが悪口を言う。その繰り返しであった。
ここにいる諸侯の多くは、王都周辺に領地を構えていた貴族である。それだけに爵位も高く、それに応じた気位の高さがあった。それは国の中枢である王都で官吏をしていた者たちも同様である。
そのため彼らは奴隷や亜人と見下していた連中――そして、その頭目と呼ばれる蒼馬に従わざるを得ない現状に、強い不満を感じていたのだ。
しかし、だからといって蒼馬が言うように、いきなり独立しようとは思わなかった。独立したはいいが、それが自分ひとりだけでは大国の中で孤立してしまうことになる。少なくとも他の諸侯の動向を確認した上でなければ決断できるものではなかった。
この蒼馬への悪口もまた「おまえも破壊の御子に服従できないだろ。どうするのだ?」という共同歩調を取ろうという呼びかけでもあったのだ。
だが、そうしてお互いの腹を探り合いながら、決して自分からは言い出さない。自分が発起人となっては、後で責任を問われかねないからだ。誰もが自分以外の者が言い出すのを待っていたのである。
そのため、蒼馬への悪口は留まることを知らなかった。しだいに悪口のネタも乏しくなると、ついにはわずかな仕草や話し方まであげつらい始めたのである。
「皆様、お楽しみいただけておりますでしょうか?」
そこへやってきたのは妖しい美貌のエルフ――エラディアであった。
特に何かをしているわけではないのに、その仕草ひとつひとつが男の劣情を煽る。それに諸侯らの数人は、思わず咽喉を鳴らして生唾を呑み込んだ。
「楽しませてもらっている。――なあ、貴公らもそうだろう?」
エラディアの美しさにあてられた男がやに下がった顔でそう言うと、他の諸侯も鼻の下を伸ばして同意した。
それにエラディアは「それはよろしゅうございました」と言ってから、やや声を潜めて言う。
「先程は皆様がソーマ様の御真意にお気づきになられ、私も安堵いたしました」
諸侯らの顔に、一様に訝しげな表情が浮かぶ。
破壊の御子の真意とは、いったい何のことだ?
エラディアの言っている意味がわからず、旧臣と諸侯らは困惑した。そんな彼らを前に、エラディアは周囲を気にする素振りを見せてから、言葉を続ける。
「ソーマ様は、ホルメア国の由緒ある玉座に腰を下ろすのを恥辱とし、あえて庭に――いえ、このセルデアスの大地へ座すことをお選びになられました」
そこでエラディアは、言葉を切った。
諸侯らはあえて言葉を切ったそこに、いかなる意味があったのかと誘われるように考える。そして、もしやと気づいた。
庭に座する。そう思えば野蛮な行為だと思う。だが、それが庭ではなくセルデアスの大地に座すると言われれば意味は変わる。
すなわち、それはこの西域――いや、下手をすれば大陸全土も征服し、その上に君臨してやろうという野心の表れではないだろうか?
また、そう考えれば、確かにいかに由緒あるとはいえ西域の一国に過ぎないホルメア国の玉座に座らされるのを恥辱と言ったのにも納得がいく。
その推測に諸侯らが驚愕の表情を浮かべたのに、エラディアは酷薄な笑みを浮かべた。
「ですが、本当によろしゅうございました。己が座した大地の玉座をともにする。すなわち、ソーマ様の覇業の一端を担う御覚悟を示されたことと存じます。もし、あの場でそれを拒絶していたらと思うと……」
エラディアは、考えるだに恐ろしいと言わんばかりに身体を小さく震わせた。
それに、またもや旧臣と諸侯らは、アッと驚く。
この大地を玉座として君臨しようという破壊の御子とともにあることはできないというのであれば、残された道はふたつのみ。すなわち破壊の御子と敵対して自らの力でこの大地に居場所を勝ち取るか、さもなくばこの大地以外の場所――すなわち冥府へ赴くしかない。
旧臣と諸侯らは、今まさに自分らが生死の瀬戸際に立たされていたと気づき、ひとり残らず顔を青くした。
「もし、まだ悩まれていらっしゃるのでしたなら――」
エラディアは大輪の華が開くようなあでやかな笑みを満面に浮かべると、とどめの言葉を放つ。
「――皆様とよくご相談の上でお決めになられてください。ソーマ様もそれを望んでいらっしゃいます」
悩むとは、破壊の御子への恭順を渋るということだ。それをみんなと相談とは、恭順を不服とする者たちで共謀し、破壊の御子へ反旗を翻せという意味ではないだろうか。そして、それを破壊の御子が望んでいるということは、つまりは――。
「私に従えないというのならば、みんなまとめてかかってくるがいい」
諸侯らの耳に、聞いたこともないそんな蒼馬の声が聞こえてきた。
一様に顔色を失った旧臣や諸侯らを前に、エラディアは上品に手の甲で口許を隠しながら、コロコロと笑う。
「あのようにお優しく見えても、あのお方は間違いなく死と破壊の女神の御子。あの方を侮って無礼を働いた女官などは、いきなり泡を吹いて倒れたかと思うと、そのまま……」
エラディアは、あえて最後まで語らなかった。
しかし、それがかえってその女官の無残な死を思い起こさせる。
そして、誰もがその哀れな女官の姿に自分の姿を重ね、ゾッとした。
そんな彼らに向けて、エラディアはことさら優雅に一礼して見せる。
「では、皆様。どうぞご納得がいくまで、ごゆるりと相談なされますように」
その言葉は旧臣や諸侯らの耳には、「破壊の御子へ逆らうような無駄な相談など好きなだけすると良いわ」と聞こえた。
驚愕と恐怖にかたまる旧臣と諸侯らを残し、エラディアは男ならば思わず目で追わざるを得ない、あでやかな後ろ姿を見せてその場を立ち去っていった。
しかし、残された諸侯らには、もはやエラディアの後ろ姿を鑑賞する余裕はなくなっていたのである。
◆◇◆◇◆
諸侯らの心胆を寒からしめたエラディアのところへ、ひとりのエルフの女官が歩み寄ると声を潜めて尋ねる。
「お姉様。ソーマ様を侮られて、お怒りですか?」
エルフは人間よりはるかに優れた聴力を有しているのは、よく知られた話である。
当然、ホルメア国の旧臣や諸侯らが蒼馬を嘲笑っていたのは、エラディアたちエルフには筒抜けだったのだ。
大陸の中央にある帝国などで「エルフの前で内緒話」というと、無駄なあがきや愚かな行為という意味の格言である。しかし、もともとエルフが少ない西域では、そうした言葉は知っていてもエルフの耳の良さは実感としては薄かった。旧臣や諸侯らも、まさか会場の片隅での内緒話まで聞かれているとは思ってもみなかったのだろう。
しかし、だからといって自分らの恩人をああも悪し様に言うのを聞かされれば怒りを感じずにはいられない。
それはエラディアも同様だろう。そうでもなければ、破壊の御子がセルデアス大陸全土に君臨する野望を持っているなどと言って、旧臣や諸侯らを驚かせる理由がない。
何しろ肝心の当の本人である蒼馬は、領主の仕事が多忙となると決まって誰かに領主を譲って自分は平原で気ままに暮らしたいと愚痴るのが常である。セルデアス大陸全土に君臨する野望などとうてい持ち合わせてはいないのは、蒼馬の近くで働くエルフの女官ならば、誰もが知っていることだ。
しかし、女官の問いに、エラディアは笑顔で答える。
「あら? 何のことかしら?」
本当に何も知らない無邪気な少女を思わせる笑顔である。
だが、なぜだか怖い。
「私の見当違いの詮索でございました」
その女官はすぐに謝罪した。
しかし、これだけは言っておかねばならない。
確かに、入ったばかりの女官が、みすぼらしい格好の蒼馬をそうとは知らずに執務室から叩き出し、その後になってそれが蒼馬だと知って卒倒したのは事実である。
だが――。
「お姉様。私は死んではおりませんよ」
当の本人の抗議に、エラディアはこう言った。
「ええ。私も、死んだとは一言も言っていませんよ」と。
最後の女官さんは、龍驤の章の第85話羊羹で、ちょこっと話に出た方です。
ネタ
女官「(ソーマ様よりエラディアお姉様が怖くて卒倒したなんて、言えないわ……)」




