第2話 大地に座す(前)
後世では喜々として戴冠宝器を破壊したとされる蒼馬だったが、このときの感想は、次のようなものであった。
「もったいないよなぁ……」
戴冠宝器を破棄した祭祀場から、ホルメア国の旧臣や諸侯らに自分の方針を伝える場となる謁見の間へ移動する途中の通路である。そこで蒼馬は先程からしみじみとそう洩らしていた。
蒼馬は王位継承や戴冠やらには縁が遠い現代日本人である。それでも蒼馬が知るものの中で類似するものを挙げるとするならば、真っ先に思い浮かぶのが歴代の天皇が伝えてきたという三種の神器だろう。三種の神器といえば、いずれも古代から受け継がれてきたこの世にふたつとない宝ばかりである。それは天皇の象徴としての価値だけではなく、それ自身が経てきた歴史的価値も計り知れないものだ。
それと同じようなものと思えば、ホルメア国の戴冠宝器も決しておろそかにできないものだというぐらいは蒼馬にも想像がつく。
だからこそ、いくらひとつの国の終焉を示す儀礼とはいえ、それを破壊するのをもったいないと思ってしまうのだ。
壊すぐらいならば、博物館のような施設を作って多くの人が鑑賞できるようにしてみたらどうだろうか?
蒼馬は、そう提案してみた。
現代日本ではエジプトや中国などの古代王朝の遺物を博物館で展示し、それを一般の人々が鑑賞するのも当たり前だ。滅びた王朝の遺産と言われれば、そこはかとなくロマンを感じさせると、密かに蒼馬も興奮していた。
「それはご遠慮いただきたい」
ところが、元宰相のポンピウスから思いとどまるようにやんわりと言われた。
「滅んだ国の戴冠宝器とは、いわば国の遺体。それを衆目に晒すのだけはご寛恕を願います」
とっくに滅びた古代王朝ならばともかく、つい先日までは存在し、ましてや自分が滅ぼした国の戴冠宝器を衆目に晒すのは辱めと言われてしまえば、それを否定するのは難しい。
蒼馬も平謝りして撤回したという経緯があった。
それでも、やはりもったいないと蒼馬が愚痴っていると、シェムルが呆れ顔で言う。
「それほど言うのなら、皆が言うようにおまえがもらえばよかったではないのか?」
シェムルが言うとおり、ホルメア国の旧臣や諸侯からは何かにつけて、婉曲的または直接的に戴冠宝器を受け取られてはどうだろうかと提案があったのだ。
「それは絶対にダメ」
蒼馬は即座に否定した。
「僕が戴冠宝器を受け取ったら、これまでのことが無意味になる」
ホルメア国の戴冠宝器を受け取るということは、ホルメア国そのものの継承を意味するぐらいは、蒼馬にも想像がついた。そして、そうした方がホルメア国を今後統治していく上では、もっとも混乱が少ない妥当な手段だとも理解している。
しかし、それでは血統による支配や既存の国を否定していた自分の主張が揺らいでしまう。それは蒼馬にとって断固として受け入れられない提案であったのだ。
「それならば割り切れ。ぐちぐちと男らしくないぞ」
シェムルの的確な指摘に、その自覚がある蒼馬はうっと言葉を詰まらせた。それからわずかに目を泳がせてから、口早に言う。
「ほ、ほら。みんなが待っているから、急ごう」
それからそそくさと通路を歩き出した蒼馬の背中に向けて、シェムルは大きなため息をひとつ洩らしてから自らも足を速めた。
そうしてシェムルを連れ立って謁見の間に入った蒼馬だったが、そこではたと足を止めた。
蒼馬の足を止めさせたのは、ホルメア国の旧臣や諸侯だった者たちである。彼らが自分を迎え入れるための準備をするといって先に謁見の間に入ったのは聞かされてはいた。だが、彼らが謁見の間の入り口からまっすぐ奥へと敷かれた赤い絨毯の両脇に整然と居並び、自分を迎えるとは思ってもみなかった。
左右から投げかけられる彼らの視線にたじろぐ蒼馬に、入り口脇に控えていた侍従らしき男が声をかける。
「どうぞ、前へお進みください」
そう言われれば立ち止まってはいられない。左右から浴びせかけられる視線にうろたえながらも足を動かした蒼馬は、きょろきょろと視線を左右にさまよわせる。
身分制度や地位の撤廃をすでに告げていた蒼馬は、ホルメア国の旧臣や諸侯らと対面で話し合うつもりでいたのだ。
ところが、相手は左右に居並んでしまっている。これでは自分らが立つ場所がない。とにかく空いている場所はないかと前へ進んでいけば、すぐに玉座の前に着いてしまう。
ワリウス王が死に、世継ぎであるアレクシウスが行方知れずとなった今、この玉座に座る権利を有するのはワリナ王女だけである。しかし、そのワリナ王女も、今この場にはいない。自らの手で戴冠宝器を破棄する精神的負担からか立っているのもやっとという有様で、見るに見かねた蒼馬が無理矢理に休ませたからだ。
そのため目の前にある玉座は、今は誰も座る者がいない。
そんな玉座の前に来させられたということは、自分にここへ座れということだろうか。
そう思って蒼馬が後ろを振り返れば、ホルメア国の旧臣や諸侯らは止めようとするどころか「早く座れ」と言わんばかりの表情であった。
実は、これは罠だったのである。
ホルメア国では戴冠宝器としては数えられていないものの、玉座もまた王位を象徴するものだ。他国では戴冠宝器としても扱われる場合すらある。
その玉座に座ったとたん、旧臣と諸侯らがいっせいに「ホルメア国新王、万歳!」と大声で唱和し、蒼馬を強引にホルメア国王へ祭り上げる算段であった。
たとえ蒼馬自身がそれと認めなくとも、その既成事実を作ってしまえば、こちらのものだ。あなたはホルメア国を継承したのだから、ホルメア国の流儀に従ってもらうと蒼馬のやろうとしている改革を潰してしまおうという腹づもりなのである。
何のことはない。ホルメア国の旧臣と諸侯らは、ロマニア国の暴虐から逃れるために地位や身分や領地などの既得権益を放棄する条件を呑んだ上で蒼馬に降伏したというのに、喉元過ぎれば熱さ忘れるの喩えのとおり、その難が過ぎた今や放棄するはずの既得権益が惜しくなっていたのだ。
そんな旧臣や諸侯らが期待を込めて見つめていたが、どういうわけか蒼馬は玉座に座ろうとしない。
まさか、こちらの思惑が見透かされたか?!
ホルメア国の旧臣や諸侯らの間に緊張が走る。
そんな中で、玉座を目の前に難しい顔をしていた蒼馬は、ぽつりとこぼした。
「……恥ずかしいな」
このとき、蒼馬が思い浮かべていたのは玉座に座る自分の姿であった。
外交の場ともなる謁見の間は、大国の威信を示すためにも豪華な装飾品が飾られ、天井や壁などは埋め尽くすように素晴らしい壁画が描かれている。そうしたものは意図的に謁見の間の一番奥にある玉座を引き立てるように構成され、玉座もまたそれに見合うだけの豪華絢爛さであった。
そんな玉座に、ちょこんと座る自分の姿。
それを想像した蒼馬は、羞恥のあまり身震いする。
ホルメア国の旧臣や諸侯の勢揃いで迎え入れられただけでも、分不相応もいいところだと縮み上がっているのだ。それなのに、このような立派な玉座にふんぞり返って彼らを見下ろすなど、あり得なかった。
その中でも取り分けて蒼馬の羞恥心を煽るのが、想像の中のシェムルの目だった。
かわいそうなものを見るような哀れみのこもった目で自分を見つめる彼女の姿が容易に想像でき、蒼馬をいたたまれなくさせる。
玉座に腰を下ろすなんて、ありえない。
いつもの小心ぶりを発揮し、蒼馬は玉座を前に尻込みしてしまった。
いつまで経っても玉座に腰を下ろさない蒼馬に、しだいに不審のざわめきが洩れ始める。
それを背中に受けた蒼馬は焦った。
しかし、今さらになって分不相応で恥ずかしいから椅子を変えてと言えるわけがない。どうしたものかと困っている蒼馬に、助け船を出してくれる者がいた。
「敬愛する我が主、破壊の御子ソーマ・キサキ様」
蒼馬の宮廷の女官長を自認するエラディアである。
黄金色の髪を高く結い上げ、華美ではないが品のある礼装をまとった彼女は、優雅な仕草で一礼した。それだけで匂い立つような色気がにじみ出し、ホルメア国の旧臣や諸侯の間から感嘆の吐息が洩れる。
「私の勝手ながら、いつものように中庭に準備をさせていただきました。よろしければ、そちらに場を移されてはいかがでしょうか?」
エラディアの申し出に蒼馬は「そうしよう!」と声を弾ませて快諾した。
エラディアは女官のひとりに蒼馬たちを案内させるとともに、自身は思わぬ展開に戸惑うホルメア国の旧臣と諸侯に「場を変えさせていただきます」と伝え、先に立って中庭へと案内する。
エラディアに先導され、困惑しながらも王宮の中庭にやってきたホルメア国の旧臣と諸侯たちは、アッと驚いた。
広い中庭には、ゾアン特有の模様が織り込まれた大きな敷布が広げられていたのだ。敷布の上には椅子や机などがなく、代わりに座布団が円形に置かれている。
これがボルニスの街での協議のやり方であった。
この時代の建物は現代のものと比べれば、採光や通気性に劣っている。特に行政の中心となる建物は、戦争時には砦や城などの要塞として機能するものだ。壁の耐久性を損なわないように、また矢や火壺などが屋内に飛び込まないように、窓は大きく取られていない。
それでは、現代日本の家を知る蒼馬からすると、どうしても室内は薄暗く、そして息が詰まるような気がするのだ。
そこで蒼馬はボルニスの街でみんなと協議するときなどは、天気が良ければこうして領主官邸の中庭で敷布を広げ、その上でやるのを好んでいたのである。
また、椅子を使わず、わざわざ敷布を敷いて座布団を用意するのも、座に高低を設けず、車座になることで席順の優劣を作らないという意味もあった。
それでも蒼馬だけは多少の格式を演出するために、他よりも大きな――まるでそれだけで椅子のような座布団が用意された席に着かされる。
「うん。やっぱり、僕が座るにはこっちがいいや」
ふかふかの座布団に腰を下ろした蒼馬は、ホッとしたような口調でそう言った。
偉ぶって高みから人を見下ろすのは性に合わない。それに今日は快晴で、風も穏やかである。薄暗い屋内より、こうして晴天の下の方が気持ちが良い。
「さあ。みんなも座って」
蒼馬がそう促すと、住居となる天幕の中で毛織物を敷いて座る生活様式のゾアンたちはもとより、こうした協議になれているエルフやドワーフたちも次々と腰を下ろした。
ところが、それに対して元ホルメア国側の人間は躊躇する。
実はホルメア国では、椅子も使わずに腰を下ろすのを野蛮だという風潮があったのだ。
これは、ホルメア国が長らくソルビアント平原の覇権を巡ってゾアンと敵対してきたせいである。
敵対する相手の些細なことまであげつらい、貶めようとするのは当然の成り行きだ。そのひとつとして、ゾアンが椅子を使わずに敷布に直接腰を下ろすのを野蛮な行為だと見下していた。
そのため、蒼馬に座るように促された旧臣や諸侯らはなかなか座ろうとしなかったのである。
たかが敷布に腰を下ろす程度のことで、まさかそのような葛藤があるとは知らなかった蒼馬が困惑していると、旧臣や諸侯の間からひとりの男が前に出てきた。
何とも貧相な男である。
色とりどりの刺繍が施された豪奢な衣服とは裏腹に、小柄な身体は強い風を受ければ飛ばされてしまいそうなほどか細く、とうてい食うに困らない貴族には見えなかった。また、頬がこけたような細面に薄い頭髪と、やけに大きく見える耳に出っ歯というその容姿は、どこかネズミを思わせる。
辺りを気にするように、しきりと目をあちらこちらへと動かす、おどおどとした仕草が、さらにその印象を強くしていた。
その男はホルメア国の旧臣や諸侯らに呼びかける。
「私たちは降伏したのです。ここは、このお方の御意に従いましょう」
そう言うなり、その男はそそくさと敷布に腰を下ろすと、ぺこぺこと蒼馬へ頭を下げた。
「偉大なる破壊の御子ソーマ・キサキ様には、なにとぞご寛恕を願います。皆の者も、突然のことで戸惑っておるのです。――ささ、皆の者も腰を下ろしなさい」
男に座るように促されると、旧臣や諸侯らもこのままでは埒が明かないとは理解していたため、いかにも渋々といった態度であったが、ひとりまたひとりと腰を下ろし始めた。
やけに自分にへりくだる男の態度に釈然としないものを感じながらも、蒼馬は全員が腰を下ろしたのを見届けてから口を開く。
「本日をもってホルメア国は終わりを迎え、これからは僕がこの国を統治していきます」
そう前置きしてから、蒼馬は今後の統治における旧臣や諸侯らの待遇を説明した。それらは、身分制度の撤廃に奴隷の解放、これまで国王が認めていた領地の自治権の剥奪など、ルオマの街の領主ミュトスやホルメア国西部の諸侯らと交わした約定のままである。
それらは降伏を申し入れたときに伝えられたものと同じであったが、改めて自分らが地位や既得権益を失う事実を突きつけられた旧臣や諸侯らの落胆は深かった。
ある者は悔しげに、ある者は暗澹とした表情になる旧臣や諸侯らに、説明を終えた蒼馬はひとつ咳払いをしてから、次のように告げる。
「もし、承服できないというのならば、あえて強制はしません」
思いもかけない言葉に、それはどういう意味なのかと旧臣と諸侯らは困惑した。そんな彼らに向けて蒼馬は言葉を続ける。
「僕の下で働きたくないといっても、それを咎める気はありません。また、領主の方々も、どうしても従えないというのならば領地の独立と自治を認め、対等の関係を築いても良いと思っています」
これには旧臣や諸侯らも目を丸くして驚いた。
征服者が服従を求めないなど考えられないことだった。ましてや独立と自治を認めた対等な関係といえば、それはひとつの国として認めるという意味である。しかし、それでは自国の領土内に、他の国を抱え込むことになり、自ら獅子身中の虫を産み、育てるようなものだ。
にわかには信じられなかったのも当然である。
だが、蒼馬には自信があったのだ。
五年前、ボルニスの街を手に入れたときには、中途半端な知識だけを頼りに手探りで始めるしかなかった街の統治だった。すべてが試行錯誤の連続で、何度も失敗し、挫折しかけたこともある。
しかし、その苦労も実り、今やボルニスの街は大陸西域でもっとも発展著しい街となっていた。
そうした実績と経験に加え、そして何よりもそうした苦労の過程で知己を得たミシェナやソロンなどの協力者がいれば、きっとホルメア国もうまく統治できる。そして、これまでのままよりも自分の統治を受け入れた方が、もっと豊かになれる。
すぐには無理だろうが、きっとそう思わせてみせる自信が、蒼馬にはあったのだ。
「決断は急かしません。納得がいくまで考えられ、みんなと相談し、後悔しないよう決断をしてください」
だからこそ、蒼馬は余裕の笑みを持って、旧臣や諸侯らにこう告げたのである。




