第130話 王国への道(前)
「やっと終わったなぁ……」
蒼馬は、しみじみとそう呟いた。
ガッツェンの街から退去したロマニア国軍は、その姿がもはやゴマ粒のように小さく見えるほど遠くまで行ってしまった。
そのロマニア国軍にあれほど罵声と怒声を浴びせかけていたホルメア国の人々は、今はガッツェンの街で虐げられていた同胞たちの手を取り、感涙を流している。
そして、自分に従って厳しい戦場を戦い抜いた兵たちは、種族の違いを問わず、そこかしこで勝ち鬨をあげていた。
そうした光景に、ようやく一連の戦いが終わったことを蒼馬は実感したのである。
そのとたん、蒼馬の胸に様々な感情があふれ出す。めまぐるしく入れ替わり立ち替わり蒼馬の胸からあふれていく感情の中で、最後に残ったのは「やってしまった」という後悔と「どうしよう?」という不安だった。
蒼馬は思わずその場にうずくまり、頭を抱えてしまう。
「あ~。もう、面倒なことになったなぁ」
長らくセルデアス大陸の西域の覇権を競い合う両雄と呼ばれたホルメア国とロマニア国。そのうちホルメア国の大半を併呑し、またロマニア国を退けるという偉業をなした人物の口から洩れたとは思えない言葉である。
だが、それが蒼馬の偽らざる気持ちであった。
そもそも、蒼馬はホルメア国を併呑するまでやるつもりはなかった。
当初の予定では、ホルメア国が自分らに手出しができないようにロマニア国と対峙してもらおうとしていたのである。それが失敗しても、自分らに差し向けられる討伐軍に痛手を与えるだけで、再びボルニスの街に引きこもりを決めようとしていたのだ。
ところが、蓋を開けてみれば、この結果である。
他人にとっては驚くべき偉業なのかも知れないが、蒼馬からしてみれば「やってしまった」と言うしかない。
何しろ、国をほぼ丸々ひとつ手に入れてしまったのだ。単純に面積だけを比較すれば、すでに領有しているソルビアント平原の方が広い。だが、そこで暮らす人の数となれば、当然ホルメア国の方が圧倒的に多いに決まっている。
そして、もめ事や騒動のタネは必ず人の数に比例するものだ。
地方都市に過ぎなかったボルニスの街でさえ、あれほど統治に苦労したのである。それが国丸々ひとつともなれば、どれだけ苦労しなければならないのだろうか。
蒼馬は、とうてい考えたくもなかった。
いずれホルメア国と決着をつけなくてはいけなかったにしろ、本来ならば、もっと時間をかけて物資を用意し、官僚を育て、事前に綿密な計画をもって行おうと考えていたのだ。
しかし、そのすべてがご破算である。しかも、それをしたのが自分とあれば、誰を怨むわけにもいかなかった。
だが、いくら大変だからといって、今さら「やっぱりいりません」とホルメア国を突き返すわけにはいかないだろう。
そうとは分かっていながらも、その可能性について蒼馬が真剣に考え始めた頃、隣に控えていたシェムルが声をかける。
「なあ、ソーマ」
座り込んだまま自分を見上げる蒼馬に、シェムルは小さな笑いを含んで言う。
「私には、それほどたいしたことには思えないぞ」
これほど自分が頭を悩ませている問題なのに、それをたいしたことには思えないなどと言われた蒼馬は、さすがにカチンッと来た。
「どこがさ?! 良い? これまでよりも大変なんだよ。たとえば――」
シェムルに食ってかかった蒼馬は、これから対処していかなければならない問題を指折り数えて挙げていく。戦後の復興から身分制度の撤廃に異種族への差別意識の改善、いまだ恭順していない北部諸侯への対応、ホルメア国内の聖教への対処。そうした問題は国内ばかりではない。撃退したとはいえロマニア国も、これで泣き寝入りはしないだろう。まさに内憂外患と言う奴だ。
とにかく、解決していかなければならない問題が山積みなのである。
それら解決しなければならない難題を列挙し終えた蒼馬は、「どうだ、大変だろ!」と言わんばかりにシェムルに胸を張ってみせた。
ところがシェムルは自分のおとがいに指を当てると、小首をかしげる。
「やはり、私にはたいしたことに思えないぞ」
シェムルの言葉に、蒼馬は呆気に取られた。
すぐに我に返った蒼馬は、今度こそ彼女に理解させてやろうと、いかにこの問題が重要で解決するのは難しいものであるかを説明しようとした。
ところが、それよりも前に、今度はシェムルが指折り数えて言う。
「どこからかやってきたかわからない貧弱な人間のガキが、この私の忠誠を得た。そればかりか滅亡寸前だった平原のゾアンを救い、奪われた土地を取り返してくれた。さらにゾアンですら恐れた黒い獣を打ち破り、ボルニスの街を手に入れた。そして、ついには国まで手に入れてしまった」
シェムルが挙げたのは、蒼馬がこれまで成し遂げたことであった。それに驚いて目を剥く蒼馬へシェムルは悪戯っぽく笑ってみせる。
「どうだ? さっき挙げられたものより数倍どころか、数十倍――いや、とうてい不可能としか思えないことを成し遂げるのを私は見てきたのだ。それらに比べれば、たいしたことではないと思ってしまっても無理ないだろ?」
それに蒼馬は、うっと言葉に詰まった。
シェムルは、それ見たことかとばかりに言う。
「それにな。最初はたったひとりでこの世界に落とされたおまえだが、今や《猛き牙》がいるではないか。《怒れる爪》もいる。ドヴァーリンにジャハーンギル、エラディア、ピピ、マルクロニス――」
シェムルは次々と人の名前を挙げていった。
「他にも、いっぱいいるぞ。そうした者たちが、きっとおまえを助けてくれる」
それから、シェムルは自慢げに胸を張って見せた。
「そして、何よりも、この私がいるではないか。だから大丈夫だ」
しばし蒼馬は目をしばたたかせた。
シェムルの言い分は、何の根拠もないものである。
しかし、蒼馬は何だか納得してしまった。
「うん。確かに、そうかも」
そう言葉にすると、何だか本当にそんな気がした。
「うん。そうだね。確かにそのとおりだ!」
蒼馬は、すっくと立ち上がる。
先程までの後悔や不安は消し飛んでいた。心なしか身体まで軽くなり、活力に満ちてきた気さえする。
「よし! がんばろう、シェムル!」
そう言ってから蒼馬は、西へと振り返る。そこに広がるのは、新たに自分の領土となったホルメア国の土地だ。
蒼馬は、それを迎え入れるように大きく両腕を開いた。
「だって、僕たちの国を造るんだから!」
今まさに、西域ばかりかセルデアス大陸全土にその名を轟かし、後世においては伝説とまで謳われた国が生まれようとしていた。
しかし、そこに至るまでの道は、決して平坦ではありえなかった。
なぜならば――。
◆◇◆◇◆
百華隊の勇士たちを引き連れたピアータは、ロイロップスの砦の建つ崖の上からマサルカ関門砦を見下ろしていた。
そこに見えるのは、ラビアン河へと向かう長蛇の列である。それは、本国ロマニアへ帰国するための河を渡る船に乗る順番を待つ兵士たちの列であった。
しばらくそれを見下ろしていたピアータだったが、不意に声を上げて笑い始める。
「いかがなされました、姫殿下?」
いきなり笑い始めたのに驚いたデメトリアが声をかけると、ピアータは口の端を吊り上げながら言う。
「これが笑わずにいられようか。――これを見よ」
ピアータが指し示したのは、眼下の長蛇の列である。そこにいる兵士の多くは、無事に帰国できるという安堵の色はなく、暗い表情で無言のままうなだれていた。
「一時は敵国の王都まで攻め上っておきながら、この無様な姿。私たちはラビアン河の権益を獲得した勝利と謳っているが、実際は破壊の御子の慈悲で餌を与えられたにすぎん。私たちは負けたのだ!」
ピアータが指摘するように、ロマニア国軍の兵士を覆っていたのは疲労と、何よりも敗北感であったのだ。
ほんの数日前までは、ロマニア国の怨敵とも呼ばれたダリウス将軍を討ち取り、ホルメア王ワリウスの首級まで上げるという大勝利に浮かれ、王都へ攻め寄せていたのである。それがこのような有様になるとは、いったい誰が予想できたであろうか。
しかし、それにピアータは楽しげに言う。
「さすが! さすがは我が師を打ち破った男! さすがは、破壊の御子!」
こうでなければならない。自分の師を打ち破った男ならば、これぐらいはやって当然なのだ。
その想いが笑いとなってピアータの口からあふれ出した。
そうしてピアータがひとしきり笑い終えたのを見計らってから、デメトリアは声をかける。
「姫殿下。これから、いかがされますか?」
デメトリアの問いに、ピアータはスッと笑みを消した。
「此度は我が国の敗北であった。だが、私自身が得たものは大きい」
ピアータは馬上のまま肩越しに後ろを振り返った。
その目が向けられたのは、百華隊の勇士が厳重に守っている荷車である。そこには山のような書類や用途もわからぬ道具類が山積みにされていた。
それこそが、ピアータの師の遺産。
そして、ピアータのこれからの武器である。
「私は知った。百華隊の新たなる可能性を。そして、何よりも破壊の御子をだ。
しかし、それはまだ万全ではない。時をかけ、私が知り得た可能性を検討せねばならぬ。我らに何ができるのか? 我らが何をなせるのか? それを知らねばならない。
そして、より破壊の御子を知らねばならない。奴に何ができるのか? 奴が何をなすか? 何を生むか? そのすべてを私は知らねばならない」
そこでピアータは一拍の間を置いてから、得意げに言った。
「『敵を知り、己を知り、かくしてその先に戦いがある』。ダリウス閣下のお言葉だ」
それは「ダリウスの書」の一節であった。
戦いとは思いつきや勢いでやるものではない。彼我の兵力や装備、士気、状況などを鑑みた上で行うものだという意味の言葉だ。
それに、デメトリアは小さくため息をつく。
「姫殿下。ロマニアの仇敵とも呼ばれた者の名を軽々しく口になさいますな」
デメトリアにたしなめられたピアータは、しかし闊達に笑って返す。
「私もその場をわきまえるぐらいはするぞ」
デメトリアの「是非そうしていただきたいものです」という冷たいの眼差しを黙殺し、ピアータは続ける。
「今ここには、おまえと百華隊の者たちしかいないから言うのだ。おまえも百華隊の者たちの中にも、敵だからといって優れた者に敬意を払えぬというような狭量な者はおるまい?」
敬愛する姫に、こう言われてしまえば誰も反論できない。デメトリアも百華隊の勇士たちは、そろって苦笑いを浮かべた。
そんな者たちへピアータは微笑みを投げかけてから、その顔を西へと向ける。
ここからは、その姿は見えない。
しかし、ピアータの目は、その先にいるであろう師の宿敵、そして自らの強敵の姿を映していた。
「ああ。そうだとも! 破壊の御子。私はおまえに敬意を払おう!」
ピアータは舞踏の相手を誘うように、手のひらを上にして右手を西へと差し伸べた。
「おまえは、すごい奴だ。
どこからともなくこの地に単身で現れ、人間と敵対するゾアンの信頼を勝ち取り、異種族の奴隷たちを従え、あのダリウス閣下を退ける。これをおまえ以外の誰にできるというのだ?!
おまえは、恐ろしい奴だ。
西域の両雄と呼ばれたホルメア国を呑み込み、我らロマニア国すらも退け、ついには西域全土にその影響力を広めようとしている。これは、おまえだからこそできたのだ!
故に、私はおまえに最大の敬意を払おう!」
ピアータの声にあるのは、まぎれもない称賛の響きである。
「そして、その最大の敬意をもって――」
それまで熱く浮かれるようだったピアータの顔に、鋭い刃の輝きが閃いた。
そして、差し伸べていた右の手のひらを閉じ、くるりと腕を返すと、それはあたかも敵へと向けて拳を突きつける姿となる。
「――必ずやおまえを打ち倒して見せる!」
自分の決意の声が余韻として残る中で、ピアータは馬首を翻した。
「行くぞっ!」
そう言って馬を走らせたピアータの後ろに、デメトリアと百華隊の勇士たちがピアータを示す旗を打ち立てて後に続いた。
風に翻るピアータの旗の中では、白百合を背負った狼が獲物に飛びかかろうとするかのように躍動して見えた。




