第125話 孝行息子
「姫殿下。いかがされましたか?」
二手に分かれた道の行き先は明らかになったのに、動こうとしないピアータにデメトリアは訝しげに声をかける。
しかし、ピアータは答えぬまま二手に分かれる道のそれぞれの行く先を見比べていた。しばらくして、ピアータはその右手とともに凜とした声を上げる。
「右手へと進むぞ!」
そのピアータの号令に、デメトリアが疑問の声を上げた。
「姫殿下。ガッツェンには向かわれないのですか?」
このまま左手の本道を進めば、すでにロマニア国が征服したガッツェンの街である。そこはドルデア王の命を受けた兄王子ゴルディアによってロマニア国軍の糧秣の集積所となっているはずだ。
そのガッツェンの街ならばドルデア王の矢傷の治療の心得のある者もいるだろう。ドルデア王が身体を休められる柔らかな寝台もきっとあるはずだ。
矢は急所をはずれているとはいえ、いまだ意識が混迷としたままのドルデア王の容態を考えればガッツェンの街に向かうのが最善である。
もちろん、それくらいはピアータも承知していた。
しかし、ピアータには、ひとつの懸念があったのだ。
「ゴルディア兄上がいらっしゃるのが問題だ」
ピアータは、しばし言葉を選ぶように口ごもってから言う。
「孝行者の兄上のことだ。このような容態の父上をご覧になられれば、きっと父上はガッツェンに留め置かれてしまうだろう」
兄王子のゴルディアは、ロマニア国内では孝行息子として知られていた。とっくに王位を退いて自分へ譲位してもおかしくない老齢の父王に不満ひとつ洩らさず、何事においても父王と相談し、もし父王がわずかでも体調を損ねればどこにいようと駆けつけてくるほどだ。
しかし、妹のピアータの目には、そんな兄王子ゴルディアの行動は孝行というよりも父親におもねっているようにも見えていたのである。
だが、それは無理もない。
溺愛するピアータが生まれる以前のドルデア王は、王としても父親としても厳格で妥協を許さない人柄であった。そんなドルデア王は長子として生まれたゴルディアに対して、王子として、また次代の王として恥ずかしくない知識と能力と品格を備える事を求めたのである。
ドルデア王はゴルディアの行状ばかりか一挙手一投足にいたるまで目を光らせた。そして、わずかな仕草ひとつであろうと、王の品格を損ねると思えばゴルディアを厳しく叱責したのである。
これではゴルディアならずとも常に父王の顔色をうかがわざるを得なくなるのも無理はないだろう。
そんな兄王子ゴルディアのところへいまだ意識の戻らぬ父王を運び込めば、どれほど取り乱すかわかったものではない。この一刻を争う事態だというのに、父王の快癒のために軍の指揮を放り出しかねなかった。
また、今はダライオス大将軍の特命として本隊から独立して行動しているピアータも、ガッツェンの街に入れば兄王子の指揮下に入らねばならなくなる。それでは、父王ばかりか自分までもガッツェンの街に留め置かれてしまう。
また、それ以外にもピアータがガッツェンの街を避ける理由があった。
「それに、今にも破壊の御子の軍勢が攻め寄せてくるのだ。ガッツェンの街は、籠城するには難がありすぎる」
ガッツェンの街を陥落させたのは、つい先日である。入ったばかりのロマニア国軍では、街を防衛するための要所も把握し切っていないだろう。
また、これから攻める他の街への見せしめとしてガッツェンの街は降伏が許されず、激しい攻城戦の末に陥落させられた。そのため、その街壁はいたるところが崩され、門に至っては完全に破壊されている。そればかりか多くの犠牲を出した街の住民たちの間には、ロマニア国軍への怨嗟はたまりにたまっていることだろう。
そのような街の状態では、とうてい勢いに乗る破壊の御子の軍勢を相手に籠城などできるとは思えなかった。
「それに、急ぎマサルカ関門砦の防備を固めねばならん。もし、破壊の御子が先に手を回し、マサルカ関門砦を落とされでもすればロマニア国軍は本国へ帰る道を失うぞ」
ピアータの言葉に、デメトリアは息を呑む。
もし、そんなことになれば最悪である。
王都攻略で大敗しての敗走で士気が著しく落ちていても、何とか軍の体裁を保っていられるのは一致団結して母国へ帰還しようという想いがあるからだ。それなのに退路を断たれて敵国内で孤立するようなことにでもなれば、間違いなく軍は崩壊してしまう。
ロマニア国軍全軍のために、そして父王を本国へ無事に帰すためにも、マサルカ関門砦へと直行せねばならない。
そうと思っていてもピアータの気がかりは父王の容態だ。
ピアータは、いまだ意識が定かではないドルデア王を紐で身体に縛りつけて騎乗する騎士へと声をかける。
「これより本街道よりはずれる。道が荒れると思うが、父上を頼むぞ」
「お任せを姫殿下。この身命にかけ、陛下を無事にお運びいたします!」
言葉のとおり決死の覚悟をみなぎらせて答える騎士に、ピアータはひとつうなずいてみせる。
「任せた。――だが、父上に万が一のことがあれば、それは私の決断の責任だ。おまえに咎はない。それだけは明言しておく」
そう言葉をかけてからピアータは伝令兵を呼び寄せる。
「兄上には、私が父上を連れてマサルカ関門砦へと向かったとお伝えせよ。大将軍閣下にもだ」
◆◇◆◇◆
「姫殿下は、陛下をお連れして直接マサルカ関門砦に向かわれたと?」
ピアータの伝令兵から事情を聞いたダライオスは、まず疑問の声を上げた。
しかし、重傷の父王を連れての強行軍とは何を考えていらっしゃるのかと思ったのは一瞬だけである。義理の息子であるゴルディアの性格は、ダライオスも承知していた。それに加えてガッツェンの街の状況も考えれば、それが最善とは言えないまでも次善の行動であろうとダライオスも思う。
ただ問題なのは、それがピアータの独断専行であるということだ。
強行軍によって万が一にもドルデア王が亡くなれば、ピアータの立場は悪いものとなる。最悪、父王殺しの汚名すらかぶりかねなかった。
しかし、その危険を承知の上で、ドルデア王を安全圏へと逃がし、ロマニア国全軍の退路を確保するのをピアータは選んだのであろう。
ピアータの意を汲んだダライオスは、すぐさま従者に命じて命令書をしたためた。
その内容は、ピアータにマサルカ関門砦へ急行し、守りを固めるべしというものである。それは、万が一ドルデア王が亡くなった場合、軍令があったためと申し開きができるようにというダライオスの配慮であった。
その命令書を携えて百華隊の騎士がピアータのところへ馬で駆け戻るのを見送った後、ダライオスはもうひとつの命令書をしたためさせる。
それはガッツェンの街にいるゴルディアへ向けたものだ。
すぐさま持てるだけの糧食と物資のみを携え、残りはすべて街ごと焼き払い、住民を皆殺しにした後に、ガッツェンの街から撤退してマサルカ関門砦へ向かえという指示である。
ダライオスもまたピアータと同様に半壊した街壁では追撃してくる破壊の御子の軍勢を防ぎ止められるとはとうてい思えなかった。たとえ防げたとしても、敵地のど真ん中にある街では兵糧攻めにしてくださいと言っているようなものである。
下手に街に固執するよりも、ここはきっぱりと切り捨てた方が得策だった。
しかし、後からやってくる破壊の御子に、街をそのままくれてやるわけにはいかない。どうせくれてやるならば、街ごと物資を焼き払い、奴隷として捕まえた住民も皆殺しにし、再建するのが困難になるほど傷物にしてやってからだ。
ダライオスは戦場においても非道は好まぬが、戦略となれば話は違う。そして、やるならば徹底的にやるのがダライオス流だ。
そのこと伝えるようにと堅く命じてからダライオスは伝令兵を送り出したのである。
しかし、ここでダライオスは失敗をひとつ犯してしまっていた。
だが、それを責めるのは酷であろう。
なぜならば、今や追撃を受けているとはいえ、これから向かう先はいったんはロマニア国軍が制圧した地域だ。そのようなところで伝令兵が不測の事態に見舞われる可能性は低かった。また、敗走の最中とあっては複数の伝令兵を送るだけの余裕もなく、たったひとりしか伝令兵を送らなかったのだ。
そうして単騎でガッツェンの街にいるゴルディアの許へと馬を走らせていた伝令兵は、ふと眉をしかめた。
自分が乗る馬が立てる大きな馬蹄の轟きに混じり、何か背後で大きな扇を打ち振るうような音がした気がしたのである。
いったい何が、と馬上で振り向きかけた伝令兵だったが、それはかなわなかった。突然、背中を突き飛ばされるような衝撃と、背中から胸を焼かれるような激痛が走ったのである。
たまらず馬上から転げ落ちる寸前に伝令兵が見たのは、自分の胸から突き出た血で濡れた槍の穂先であった。
疾走する馬に乗った伝令兵を背中から槍で突き殺した者は、そのままの勢いでひらりと宙へと舞い上がる。そして、伝令兵が息絶えたのを確認するように、しばらくその上で円を描くように飛んだ。
「槍を拾いに降りるわけにもいかないか……」
そうこぼしたのは、ハーピュアンを率いる鳥将ピピ・トット・ギギである。
追撃する蒼馬の軍勢より先行して偵察飛行をしていたところ、単騎で駆ける目立つ衣装の伝令兵を見つけたのだ。伝令兵らしい者を見つけた場合、極力それを妨害せよと蒼馬からの命令を受けていたため、背後から槍で突き殺したのである。
しかし、目的は達したが、たった一本しかない槍を失ってしまった。あれは長距離飛行偵察任務のときに、安価だがかさばる投石の代わりにとハーピュアン専用に造られた特別な槍である。捨てて行くには、いささかもったいない。だが、それを取りに地上に降りるわけにもいかなかった。何しろ地上に降りたハーピュアンほど無力な存在はないのだから。
しばらく上空を旋回していたピピだったが、槍を諦めるとそのまま偵察任務を続行するためにガッツェンの街の方角へと飛び去っていったのである。
◆◇◆◇◆
ピアータの伝令から報せを聞いたゴルディアは、まず驚きの声を上げた。
「何だと? 父上が負傷し、ピアータが後方にお連れしたと?」
すでに別の伝令によってロマニア国軍が破壊の御子によって王都ホルメニアの攻略に失敗したとの報せは受けていた。
しかし、その直後に、今度は総大将であるドルデア王の負傷の報せである。しかも、負傷した父王を連れた妹姫が、なぜか自分がいるガッツェンの街をあえて迂回して後方のマサルカ関門砦へ直行するというのだから、わけがわからない。
ゴルディアは混乱した。
「父上――陛下のご容態は? 傷は、お命に関わるものなのか?」
とにかく事態を把握しようとしたゴルディアがピアータからの伝令兵に真っ先に尋ねたのは、父王の容態である。
「幸いにも矢は急所をはずれております。されど、陛下はご高齢でいらっしゃいます。予断は許されない状態かと」
「そ、そうか……」
命を落とさずに良かったと喜ぶべきか、予断が許されない状況を憂うべきか、ゴルディアは中途半端な言葉を洩らした。
そんなゴルディアに居合わせた将軍のひとりが進言する。
「殿下。陛下のご容態も大事ではございますが、まずは我らがどう行動すべきか考えねばなりませんぞ」
「う、うむ。そうであったな」
しかし、言葉が続かない。
ゴルディアは内政に関してはドルデア王も認める手腕の持ち主である。だからこそロマニア国軍の命綱とも言うべき補給線を構築し、その要である集積地ともなるガッツェンの街を任されたのだ。
だが、ゴルディアは、あくまで政務の人であった。戦いの機微を読み取り、戦局を見極めて決断するという武人としての能力も知識も経験も持ち合わせておらず、とっさの判断に窮してしまう。
やむなく再び将軍が口添えする。
「殿下。王都攻略に失敗となれば、おそらくは我が軍はいったん兵を退きましょう。その場合、敵の追撃を受けることになります。最悪、敗走する我が軍とともに敵がここへ押し寄せてくるやもしれません」
普段の冷静なときならば、すぐにでも思いついたであろう。だが、戦況の激変と父王の負傷に浮き足立っていたゴルディアは、将軍に言われて初めてその可能性に気づく。
「それはいかん! いまだ街壁や門の修復が終わっておらん。これでは籠城などできん」
血相を変えるゴルディアだったが、もちろんそんなことは将軍も百も承知であった。
「それならば、おそらくは殿軍を務められておられる大将軍閣下へ増援を送り、敵を食い止めて時間を稼ぎましょう。その間に、我らはここを放棄して撤退する準備をするのです」
ところが、その提言にゴルディアは渋る。
「いや。ここを放棄するというのは……」
もし、すでにドルデア王が亡くなっていればゴルディアも自らの判断を下さざるを得なくなっただろう。しかし、傷を負ったとはいえ、いまだ父王は存命のはず。そうなると父王のガッツェンの街を任せるという言葉がゴルディアを縛ったのだ。
それでも一縷の望みを求めてゴルディアは沈黙を守っていた百華隊の伝令兵へと顔を向ける。
「父上は、何かご命令を下されていまいか?」
即座に街から退去せよでもダライオスと合流して敵を迎え撃てでも良い。何か父王から命令がないかと尋ねた。
しかし、それに伝令兵は首を横に振る。
「残念ながら、ございません。陛下は傷が重く、いまだ意識が混迷としておられるご様子でした。とても、そのようなご判断が出来ぬ状態です」
それにゴルディアは、親に見捨てられた幼子のように途方に暮れた顔になった。
「殿下。ここは殿下が決断されるほかございませんぞ」
将軍に決断をうながされたゴルディアの顔に、一筋の冷や汗が流れた。
ゴルディアも、速やかに街を退去した方が良いとは思う。しかし、それを口にしようとしたときに思い起こされるのは、少年時代に見た父王の顔である。与えられた課題が達せられなかった自分を鬼のような形相で激しく叱責する父王の顔を思い浮かべ、ゴルディアは小さく身震いした。
「おそらくは大将軍閣下が殿軍として奮戦しておりましょう。ですが、時間の猶予はございませんぞ」
せかすつもりで将軍が言った言葉だったが、これにゴルディアが食いついた。
「いやいや。待て。義父殿のことだ。すでに敵を食い止めておるやも知れんぞ」
「それは……」
あの大将軍の名を出され、それを口にしたのが王子とあれば反論しにくい。将軍が口を閉ざしたのに、ゴルディアは我が意を得たりとばかりに早口に言う。
「そうだ。まずは戦況を知らねばならぬ。すぐに斥候と伝令を出すのだ。それと義父殿ならば、必ずや何らかの指示を下されるはず。義父殿より伝令が送られてきたならば、即座に私の前に通せ。良いか、しかと命じたぞ」
ゴルディアの命令に、将軍は渋い顔になった。
戦とは刻一刻と状況が変化する生き物である。その動きをすべて知る事など不可能だ。どうしても手許にある情報だけを元に、直感で判断しなければならないときもある。
ところが、まれにいるのだ。
なまじ頭が良いだけに、直感に頼れない者が。
政務においては利点であったゴルディアの慎重さが、完全に裏目に出てしまっていた。
これは不興を買ってでも諫めるべきか。
そう考えた将軍だったが、すぐに思い直す。
剛勇のみと思われるダライオス大将軍だが、こと軍事に関しては細やかな心配りもできる人物であった。そのダライオス大将軍ならば、戦いに不慣れなゴルディアを慮り、すでに軍令を発せられていてもおかしくはない。また、大将軍もいずれはこのガッツェンの街へと退却してくるのだ。それからでも遅くはないだろう。
そう将軍は考えたのだ。
こうしてゴルディアとロマニア国の将軍たちは、ダライオス大将軍の伝令か、大将軍本人が到着するのを今か今かと待ち続けることになったのである。
それから間もなく、ガッツェンの街には王都ホルメニアから敗走してきたロマニア諸侯や国軍の兵たちが押し寄せてきた。
だが、その中には肝心のダライオス大将軍やその伝令の姿はなく、そればかりか敗走する兵たちが街に押し寄せてきたのは、ほんのわずかな間だけで、その後はぱったりと途絶えてしまったのである。
このとき、ガッツェンの街へ逃げ延びてきたのは、わずか二千ほどであった。だが、征西軍は総勢二万を超えていたのだ。残りの一万を超える将兵らが、ことごとく敵に討ち取られたとは思えない。ましてや消息不明の将兵の中には、あのダライオス大将軍も含まれているのである。あの大英雄の率いる軍が全滅したとは、ロマニア国人にはとうてい考えられない事態であった。
しかし、事実として敗走してくる兵は途絶えてしまい、伝令ひとつとしてやってこない。
いったい何が起きたのだ、とゴルディアは火で炙られるような焦燥感に苛まれながら、ダライオス大将軍を待ち続けたのである。
しかし、それより数日後にガッツェンの街に姿を現したのは、ダライオス大将軍が率いる蒼騎隊ではなかった。
銀糸で不気味な紋様をあしらった漆黒の大旗を陣頭に押し立てた軍勢――すなわち、蒼馬が率いる本隊がやってきたのである。




