第126話 籠城
「反乱奴隷どもが、もうここまで攻めて来たのか?!」
ガッツェンの街の前に姿を現した軍勢に、ゴルディア王子は悲鳴のような声を上げた。
彼が待ちかねていた大将軍の代わりにやってきたのは、ホルメア国内で反乱を起こしたという奴隷たちである。かつてはホルメア国を弱めるために資金援助すらしたことがある反乱奴隷たちだったが、親書によって決別を明らかにしたばかりか、王都ホルメニア攻略を妨害したことからもすでにロマニア国と敵対しているのは明らかだった。
しかし、それでも相手はホルメア国の地方都市を占拠するだけの小勢力に過ぎない。
そう侮っていた奴らが、実際に数万の軍勢となって押し寄せて来たのを目にすると、やはり「そんな、まさか!」と思わざるを得なかった。
「義父殿は――大将軍殿は、どうされた?! 伝令はきておらぬのかっ?!」
ゴルディアの問いに、将軍もまた困惑を浮かべながら「いまだ何の伝令も届いておりません」と答えるしかなかった。
このような事態となってしまったのには、ピピによって最初の伝令兵が排除されてしまった以外にもいくつかの理由があった。
まずは、ガラムの復活である。彼は意識を取り戻すと、すぐさまダライオスへ激しい追撃を再開したのだ。すでに自分に伍する力に目覚めたガラムが相手の撤退戦には、さしものダライオスも手を焼き、ゴルディア王子を気遣う余裕がなかったのである。
また、追撃を受けたままガッツェンの街へ向かうと、もしゴルディア王子が街からの撤退に手間取っていてもすれば、そこへこの若きゾアンの猛将まで連れて行くことになってしまう。それを危惧したダライオスは全軍にピアータ同様にマサルカ関門砦へと直行すべしと命じたのだ。
その結果、その伝達が間に合わなかった一部の兵を除き、大半のロマニア国軍はガッツェンを迂回し、マサルカ関門砦へと向かってしまったのである。
当然、ダライオスはその旨をゴルディア王子へと伝えるべく伝令を発していた。だが、すでにそのときには鳥将ピピが率いる部隊「網」とそれに先導されたズーグたちゾアンの遊撃部隊がガッツェンの街の周辺にまで手を伸ばしており、そうした伝令はことごとく排除されてしまっていたのである。さらには、ゴルディアが戦況を知るために発した斥候もまた、同様の目に遭っていた。
そうしたいくつもの条件が重なり、結果としてゴルディアに取ってみれば突然敵が目の前に現れたという形となったのである。
しかし、予想外というのはゴルディアだけではない。
蒼馬に取ってみても、この状況は予想外であった。
◆◇◆◇◆
「全軍停止。先走るような人が出ないように、徹底させて」
ガッツェンの街の手前で全軍に停止命令を出した蒼馬は、眉間にしわを寄せた。
ロマニア国軍は壊走状態であり、唯一反攻している殿軍はガラムが対処している今、ロマニア国軍によって陥落させられたガッツェンの街を救出するために自ら本隊を率いてやってきた蒼馬だが、これは想定していなかった事態である。
すでにピピからの報告で街には少数の敵が残っているのは知っていた。
だが、遠目にも街壁はボロボロである。主門にいたっては残骸と成りはてて、その代わりに土嚢が積まれているだけであった。
あれでは籠城などできはしない。自分らの姿を見れば一目散に逃げ出すかと思いきや、何を考えているのか街に立て籠もってしまった。
これを攻め落とすのは簡単だ。しかし、問題なのはその軍勢が街壁に立てているドルデア王の旗にも似た一頭の狼をあしらった旗である。ロマニア国の情報に通じた人に確認を取ってみたところ、それはロマニア国の第一王位継承者であるゴルディア王子を示す旗ということだった。
「これはちょっと困ったなぁ」
この事態に、蒼馬はついぼやいてしまった。それを聞いたシェムルが尋ねる。
「何が困るのだ? 敵の偉い奴がいるなら、ひっ捕まえるなり、首を取るなりすればいいだろう?」
何を悩む必要があるとばかりに言うシェムルへ、何と言って説明しようかと頭をひねった蒼馬は例え話をする。
「もし、シェムルが敵から逃げる途中で、僕が敵地にひとり残されていて敵に包囲されていると聞いたら、どうする?」
これにシェムルは即答した。
「それはありえないぞ」
驚く蒼馬にシェムルは、ふふんっと得意げな顔をする。
「この私が『臍下の君』を置いて逃げるなどあるわけがない。ソーマが敵地に残されているとしたら、必ずやそこに私がいるはずだ」
シェムルを相手に、この例えは失敗だった。そう思った蒼馬だったが、何とか強引に話を進める。
「例えば、だよ。例えば。――それに、ほら。僕が馬鹿をやって、シェムルと離ればなれになるかもしれないでしょ。そのときシェムルだったら、自分の身を危険に晒そうとも必ず助けに来てくれるでしょ?」
それにシェムルも、うむとうなずいた。
「なるほど。ソーマなら、そんな馬鹿なことをしでかしかねないな」
蒼馬は「いや、そこは簡単に納得しないでよ」と言いたかったが、言えば百倍にして反論されるので黙っておく。そうとは気づかぬシェムルは得意げに続ける。
「いかに情けなく間抜けな『臍下の君』であろうと、私の誓いに偽りはない。当然この私の全身全霊を懸けてソーマを助けに行くぞ」
蒼馬はようやく期待していた言葉が出たのに、ホッと胸を撫で下ろした。
「つまりは、そういうことだよ。今は敗走しているロマニア国の将軍や領主たちがシェムルほどの忠誠心があるとは思えないけど、さすがに自国の王子を見捨てられないでしょ。きっと救出しようとするはずだ」
ロマニア国の将軍や領主たちも、自国の王子を敵地に残して逃げ帰ったとなれば、その面目は丸つぶれだ。
それに傷つくのが面目だけならば、まだマシである。王の命令に従って戦うと言う契約のもとで将軍らは給金を手にし、領主らは領土を保証されているのだ。それを王子を見捨てて逃げたとなれば、最悪は死罪。たとえそれを免れたとしても、将軍職を罷免され、領土は没収だろう。それでは死なないだけで死罪と変わりはしない。
そんなことになると思えば、今は敗走している将軍や領主たちも踏み止まり、王子救出のために踵を返すことだろう。
「そうなると、今度はこっちが困ったことになる」
蒼馬は自分らの状況を楽観視していなかった。
今はロマニア国軍を圧倒しているように見える自分たちだが、その実は勢いと数に任せたものにすぎない。ましてや、その数も大半が本来は非戦闘員である庶民を焚きつけて動員したものである。相手が崩れているときならばそれでもいいが、反攻を受ければあっさりと崩れかねない。
「一番の理想は、救援が来る前にロマニアの王子を捕縛することなんだけどなぁ……」
王子の身柄さえ確保できれば、その解放を条件にホルメア国からの全面撤退や賠償金などの交渉に使えるだろう。
だが、街を攻め落とすこと自体は簡単でも、王子の身柄を確保できるかと言われれば疑問符がつく。乱戦の中で討ち死にされたり、虜囚の辱めを受けないと自害でもされたりすれば厄介だ。そんなことになれば、ロマニア国軍の将軍や諸侯らはなおさらおめおめと帰国できなくなる。今度は王子の仇討ちの旗を掲げて不撤退の決意とともに攻めてくるに違いない。
それを考えれば、王子の身柄を確実に押さえられる確証でもない限り、とても街は攻められなかった。
「それに、そろそろ幕引きにしないといけない」
そう口にした蒼馬は、渋いものでも口に含んだような顔をする。
すでに蒼馬のところには、ホルメア国の人々によるロマニア国の兵士に対する蛮行がいくつもあげられていた。その凄惨な内容は、自分で焚きつけたとはいえ蒼馬も顔をしかめざるを得ないものだったのである。
これまで好き放題やってきたロマニア国軍の自業自得ともいえるが、さすがにそろそろ幕引きを図らねばならない。
蒼馬は近くにいたエルフ弓箭兵に声をかける。
「誰か、人を呼んできてもらえるかな」
そういって蒼馬は、ある者の名を告げた。それに一礼してから立ち去るエルフ弓箭兵を見送りながら、シェムルは盛大に顔をしかめて見せる。
「おい、ソーマ。あのクソジジイを呼びつけるということは、戦わないのだな?」
それに蒼馬はひとつうなずいてみせる。
「もう戦いは終わりにしよう。ゴルディア王子に帰ってもらうんだ」
◆◇◆◇◆
ガッツェンの街の内部では、ゴルディア王子とその側近らを中心として退却してきた将軍や諸侯らが顔を突き合わせて協議していた。
しかし、場の雰囲気は重い。いくらゴルディア王子が発言や提案を求めても、将軍や諸侯らは互いの顔色をうかがうばかりである。たまに発言する者がいても、たいていは現状を再確認するものでしかなかった。
すでに誰もがわかっていたのだ。
もはや街を捨てて全軍で退却するしかない、と。
しかし、それを破壊の御子が指をくわえて見ていてくれるはずがない。必ずや激しい追撃を受けるだろう。それを食い止めるために、誰かが殿軍となって戦う必要がある。
だが、勢いに乗る敵軍が相手となれば、殿軍の全滅は必至。生還は望めない。となれば、誰にその役目を押しつけるかだ。
つまり皆は退却を言い出した奴に殿軍を押しつけてやろうと牽制し合っていたのである。
そうしてロマニア国側が無駄な時間を費やしている間にも、街の外にいた蒼馬たちは動き始めていた。
蒼馬は街を遠巻きに包囲させると、そこに塁壁を築き始めたのである。
その光景に、将軍のひとりがゴルディア王子に言う。
「これは、ドワーフどもが好むやり口です」
ドワーフたちは、城や街を攻めるときに塁壁を築いて文字通り包囲する方法を好んでいた。
通常、攻城戦において包囲といっても、よほどの大軍でもなければ要所要所に部隊を配置して行うものである。それではどうしても隙ができ、少数の敵兵を見逃してしまう場合が多い。
よく漫画や小説などで包囲された城から兵が味方へ救援を求めに行けるのは、そうした理由からである。
しかし、無理に完全包囲しようとすれば、どうしても個々の包囲壁は薄くなってしまう。それでは、敵にたやすく突破され包囲する意味がない。
だが、塁壁があるならば少数でも、打って出てきた敵を食い止められる。また、そうして敵が塁壁に手こずっている間に、他の兵を動かして、敵兵を討つも良し、空となった城を奪い取るも良しというわけだ。
しかし、当然ながらそれが実現できるのは、高い土木技術を誇るドワーフだからこそだった。
いずれにしろ、あの塁壁が完成すれば、もはやガッツェンの街にいるロマニア国軍は籠の中の鳥である。煮ようと焼こうと反乱奴隷たちの思いのままだ。
それにゴルディア王子は悲鳴を上げた。
「義父殿は、いかがしたのだ?! まさか、奴隷どもに討ち取られたと言うのか?!」
唯一の望みは、ロマニア国の大英雄ダライオス大将軍の救援だ。しかし、その救援がいつまで経ってもやってこない。そればかりか大将軍の安否すらわからない状況にゴルディアは恐慌状態になる。
だが、その場に居合わせた将軍や諸侯らもまた、それに答えられる情報を持ち合わせていなかった。
城を包囲されたときに怖いのは、水や糧食の補給を断ち切られることだけではない。ある意味、それらよりも怖いのが情報の断絶である。
自分の置かれた状況がわからない。
これほど怖いものはないだろう。
味方は救援に来てくれているのか? もしかしたら、自分らは見捨てられてしまったのではないか? そればかりか自分ら以外の味方は全滅したのではないか?
どうしたって、そうした疑心暗鬼は生まれてしまう。そうして生まれた疑心暗鬼を払拭するのは、正しい事実を知る以外にはない。しかし、その事実を知りようがないとしたら、どうなるか?
疑心暗鬼という小さな鬼は、とてつもない巨大な鬼へと育つ。
その巨大な鬼によってゴルディア王子たちが押しつぶされそうになったとき、ひとりの兵士が駆け込んできた。
「で、殿下! 反乱奴隷どもの使者が参りました!」
しばし、沈黙が落ちた。死刑を宣告する役人を迎え入れる死刑囚の監獄のような異様な緊張が漂う中で、ゴルディアが震える声で言う。
「ここへ通せ。――無礼なまねはするな」
わずかな間を置いて付け加えた後半の言葉に、「反乱奴隷ごときの使者に何を」と文句をつける者は、もはやいなかった。
しばらくすると、開け放たれた扉の向こうから、カツンカツンッという小さく甲高い音が聞こえてきた。
それは通路の床を石突きに金属を被せた杖で突く音である。まるで時を刻むように規則的に刻まれる杖の音の中で、誰かが呑み込んだ唾が異様に大きく聞こえた。
そして、ついに反乱奴隷の使者が扉に姿を現した。
「なんじゃい。大の大人がそろいもそろって昼間から暗い部屋で乳繰りあっておるんかい」
侮蔑もあらわに吐き捨てたのは、仙人のような白い髭を胸元まで伸ばしたみすぼらしい姿の老人――ソロンであった。




