第122話 大将軍(前)
「敵の殿軍に手を焼いていると?」
ゾアンとエルフたちを率いて撤退するロマニア国軍へ追撃戦をしかけていたガラムは、その報告にかすかに眉をしかめた。
このときガラムがいたのは、前線よりやや後方の位置である。
本来ならばゾアンの戦士らの先頭に立ち追撃戦に加わりたかったのだが、不測の事態に備え、先陣はバヌカに任せて自らは後方に控えていたのだ。
「はい。ガラム大将軍閣下」
前線から報告にきたエルフ弓騎兵の女性を前に、いまだ大将軍という称号に馴染めないガラムは居心地が悪そうに身を震わせた。
しかし、ゾアンの表情にうといエルフ弓騎兵の女性は、それと気づかぬまま報告を続ける。
「当初は順調に蹴散らせていたのですが、敵の精鋭と思われる殿軍の激しい抵抗を受けております。街道が狭い谷間となったところに陣取られ、簡易ですが防塞を築かれてしまいました。これにはバヌカ殿も攻めあぐねております」
その報告に、ガラムはふむっとうなった。
ゾアンにしろエルフ弓騎兵にしろ、その持ち味は速さを活かした攪乱である。いかに簡易とはいえ防塞を築かれ、そこに立て籠もられてはその持ち味も活かせない。攻めあぐねるのも道理だろう。
ガラムは、そう思った。
しかし、事態はガラムのその推測の範疇を超えていた。
「ですが、それ以上に敵殿軍の中に恐ろしい敵将がおり、こちらは防塞にも近寄れない有様なのです」
「恐ろしい敵将だと?」
思わぬ言葉に、ガラムはおうむ返しに問い返した。
「はい。――あれを何と言ったらよいか……」
エルフ弓騎兵は、しばし言いよどんでから次のように言った。
「あれはもはや、竜将殿のような、としか言いようがございません」
ガラムは、そんな馬鹿なと思った。
竜将といえば、ジャハーンギルのことである。ただでさえ勇猛なディノサウリアンの中でも突出した武勇を誇るジャハーンギルを例えに持ち出される者がいるなど、にわかには信じられない話であった。
「敵軍にディノサウリアンがいるのか?」
ガラムは、もっとも常識的と思われる可能性を確認した。
聖教が勢力を拡大する以前は、勇猛なディノサウリアンが傭兵となって各地の戦場で重用されていたと聞く。そうした変わり者のディノサウリアンの傭兵がまだ残っていたのかとガラムは思ったのだ。
ところが、エルフの弓騎兵は首を横に振る。
「いえ。敵将は人間種に相違ございません。ですが、あれはそうとしか表現できないのです」
ガラムは困惑した。
いったい前線では何が起きているのだ?
これは実際に自分の目で確認にした方が早い。そう決断したガラムは、腰を上げる。
「仕方が無い。これは、俺が行こう」
口では「仕方が無い」と言いつつも、ガラムの足取りは軽かった。今では大将軍と呼ばれてはいるものの、彼は根っからの戦士である。ジャハーンギルと比較されるほどの強敵がいると聞けば、血が沸き立たぬはずがない。
ガラムは副官のシシュルと数名の戦士を率いて、その敵将がいるという前線へ向けて駆け出していった。
◆◇◆◇◆
王都ホルメニアからカレリヤ平野へと向かう街道の途中。左右から険しい山が迫り、狭隘な谷のようになったところがある。平時はそこに関所が設けられ、王都へ向かう、または逆に王都から東部へ向かう旅人や隊商の詮議が行われるところだ。
しかし、今、そこは激しい戦いが繰り広げられている戦場となっていた。
その戦場で戦っているのは、王都ホルメニアより撤退したロマニア国軍と、それを追撃してきたメヌイン・バララク・バヌカが率いるゾアンとエルフの混成部隊である。
ロマニア国軍の殿軍はいち早く街道が狭隘な谷間の入り口となったところに陣取り、そこで糧食や資材などを積んでいた荷車を横倒しにして防塞を造って追撃してきたバヌカたちを迎え撃ったのだ。
「投石と矢を食らわせろっ!」
そう叫んだのは、追撃軍の副将に任じられたバヌカである。
彼の号令とともにゾアンたちは投石紐を使った投石を開始した。それに合わせてエルフ弓箭兵たちも次々と矢を放つ。しかし、ロマニア国軍の兵たちは防壁の陰に隠れていて損害は与えられない。だが、バヌカもまたこれで敵を倒せるとは思っていなかった。これはあくまでも敵に圧をかけるためのものである。
「よし! 今度こそ一気にあの壁を乗り越えよ!」
投石を避けて敵弓兵が防壁の後ろで沈黙したのを見計らい、バヌカは戦士たちに突撃の号令をかけた。
あのような荷車を倒しただけの即席の防壁など、ゾアンの屈強な戦士たちならば簡単に乗り越え、陰に隠れている敵兵を討ち取れることなど造作もない。
そう。造作もないはずなのだ。
しかし、この攻撃もすでに数度にわたり行われ、そのすべてが失敗に終わっていた。
そして、今回もまたそれは繰り返される。
まず、先頭を駆けていたゾアンの戦士の首が飛んだ。
それを行ったのは、防壁の手前にあたかも出城のように積み上げられた小山の陰から飛び出した、ひとりの巨漢である。
続いて押し寄せてきた数人のゾアンの戦士をまとめて一薙ぎにする斧槍を持つのは右腕ひとつのみ。なぜならば、彼には右腕を支えるべき左腕がないからだ。
しかし、その武勇たるは脅威の一言。山刀を手に殺到するゾアンの戦士たちを群がる小蠅を追い払うがごとく蹴散らしていく。
そして、ついには誰ひとりとして防壁に触らせることなく押し寄せてきたゾアンの戦士たちをことごとく打ち倒してしまった。
その猛勇にたじろぎ自分を遠巻きにするゾアンの戦士たちをギロリッとねめつけてから、ダライオスは肩越しに振り返って叫ぶ。
「一大事だっ!」
圧倒的な力を示しておきながら、この言葉である。いったい何事が起きたのかとゾアンの戦士たちも動きを止めて見守った。
それを前にダライオスは続けて言う。
「咽喉が渇いたが、酒がない。今すぐ持ってこい!」
これにはゾアンの戦士たちも、唖然とした。
そんな彼らに対して、ロマニア国軍の兵士たちは心得たものである。ひとりの従兵が防壁を乗り越えてダライオスのもとへ駆け寄ると、抱えていた酒瓶を差し出した。ダライオスは手にしていた斧槍を地面に突き立て酒瓶を受け取る。そして、酒瓶の栓を歯で引き抜くと、咽喉を鳴らしながら一気に酒を呷った。
「ふ、ふざけるなっ!」
敵である自分らを前にしながらも眼中にはないという態度に、ひとりのゾアンの戦士が激高して飛びかかる。
それにダライオスは酒瓶を鈍器代わりに鼻面へと叩きつけた。酒瓶が粉々に砕け、わずかに残っていた酒を顔に浴びてひるんだゾアンの戦士の顎めがけて、ダライオスの横薙ぎの裏拳が炸裂する。
盛大に骨が砕ける音が鳴り、ゾアンの戦士は身体は仰向けでありながら首だけが地面を舐めるという格好で倒れた。
その戦士の後に続けとばかりに駆け出していたゾアンの戦士たちも、これにはたたらを踏む。
そんなゾアンの戦士たちを前に、突き立ててあった斧槍を手にしながら、ダライオスはゾアンの戦士たちに獰猛な笑みを浮かべて見せた。
「……貴様ら。私に酒を無駄にさせるとは、良い度胸だ」
そんな理不尽な。
その場にいたゾアンの戦士たちの誰もがそう思った。
しかし、それでダライオスが止まるわけではない。雄叫びとともに斧槍を振り上げて突進してきたダライオスに、次々と斬り伏せられ、突き殺され、蹴り殺されていく。
「何なのだ、あの化け物はっ?!」
バヌカがそう叫ばざるを得ない光景であった。
いくら数人しかいっせいに襲いかかれない狭隘な谷間の入り口に陣取られているとはいえ、相手はたったひとりの人間の男である。しかし、その人間の男に、屈強なゾアンの戦士たちが苦もなく追い払われているのだ。
このようなことが起きるとは想像すらしていなかった。
バヌカの叫びに答えるように、防壁の向こう側からロマニア国軍兵士たちの唱和が上がる。
「「見よ! 見よっ! これぞ、我らが大英雄! これぞ、ロマニア国の戦神! ダライオス大将軍、その人なるぞ!」」
その唱和にダライオスが斧槍を突き上げると、わっと割れんばかりの歓声が上がった。
まるで自分たちの勝ち戦のような盛り上がり方である。
それにバヌカは、これは自分たちが敗走するロマニア国を追撃していたのではなかったのか、とすら疑念を浮かべてしまった。
「若様! ここは族王に救援を要請し、竜将殿をお呼びなされませ!」
バヌカ付きの〈たてがみの氏族〉の老戦士が進言した。
彼をしても、人間の中にあれほどの剛勇を誇る者がいるとは思いもしなかった。
もはや、あれは真っ当に戦って良い相手ではない。人の命が燃やされる戦場において、ごくまれに人とは思えない存在が現れるが、まさにあれはその人外の領域にいる者だ。仮に、あの怪物を討ち取ろうと思えば、同種の存在――こちらの最強の戦士ジャハーンギルを当てるしかないだろう。そして、彼ならば喜々としてあの怪物を打ち倒してくれるはずだ。
そう進言する老戦士に、バヌカは言い返す。
「たかが人間の戦士ひとりを倒せませんと言うのか?! それではゾアンの誇りはどうなる!」
「しかし、若様。事実、我らがあやつを倒せるとはとうてい思えませぬ!」
その反論にバヌカは一瞬だけ言葉に詰まる。
「……! ――我らゾアンが、たったひとりの人間に勝てないなどありえない! あってたまるものか!」
まるで駄々っ子のように言いつのるバヌカに、老戦士は何と言って説き伏せようかと言葉を探した。しかし、その言葉が見つかるよりも早く、バヌカに同意する声が上がる。
「俺もバヌカに同感だ」
その声にバヌカと老戦士が振り返れば、そこにいたのは黒い毛のゾアンの戦士である。
「《猛き牙》!」
「大族長殿!」
自分の字と称号を口にするバヌカと老戦士を一瞥してからガラムは、戦いの場となっている前方を見やる。
すると、そこではダライオスに恐れをなして下がったところへ敵弓兵の矢が降り注ぎ始め、同胞たちが右往左往していた。
その光景に、ガラムは牙を剥く。
「こちらも矢と投石で敵の射撃を押さえ込め。――俺が出る」




