第121話 網
「皆、心せよ! 今こそ訓練の成果を見せるときだ!」
城壁の上で、そう訓示を垂れたのは鳥将ピピ・トット・ギギであった。彼女の前には、色彩豊かな翼となった両腕を伏せて訓示を傾聴するハーピュアンの同胞たちが居並んでいる。
「これより私たちは、ソーマ様の目となり耳となり声とならん! ――『網』を広げよ!」
そう訓示を締めくくったピピは踵を返すと胸壁を乗り越え、その身を宙へと躍らせた。落下しながら翼となった両腕を広げたピピは、大きく腕を打ち振るう。その翼が空気を叩きつけたとたん、ピピの身体は重力を振り切り、一気に空へと飛翔した。
それに続いて、次々と他のハーピュアンたちも空へと飛び上がる。
そうして空を飛ぶハーピュアンたちの腰には、それぞれ色の違う薄布でできた長い帯が着けられていた。それを曲芸飛行をするジェット機のカラースモークのように後方にたなびかせながら飛ぶ彼女たちを城壁の下で見上げていたのは、〈目の氏族〉の戦士長である。
「各自、自分が追随するハーピュアンを見落とすな! ――出発!」
そう号令をかけると、戦士長は四つ足となって駆け出した。その後に続くのは、同じく四つ足となったゾアンの戦士たちだ。さらにそうしたハーピュアンを追いかけるゾアンの戦士たちの集団の中には、騎馬に乗ったエルフ弓騎兵隊の姿がいくつか見受けられる。
彼らこそが「網」と呼ばれる部隊であった。
◆◇◆◇◆
「破壊の御子ソーマ・キサキの軍略を支えていたのは、鳥将ピピ・トット・ギギである」
そう語るのは、破壊の御子研究の第一人者マーチン・S・アッカーソン教授である。
「鳥将ピピについてわかっていることは少ない。彼女について記述された資料自体が少なく、そのわずかな資料においても、彼女がソーマ・キサキに仕えたハーピュアンの長であり、鳥将に任じられて主に偵察や伝令に従事していた程度の記述しかない。
非力なハーピュアンであることを考えれば、彼女が名のある敵将の首級を挙げたり大きな功績を打ち立てたとは考えにくい。彼女に関する記述が少ないのも当然であろう。
また、その直接の配下であったハーピュアンも最盛期ですらその数はわずか百名足らずである。破壊の御子の陣営における勢力として見ても、どうしても他の種族より見劣ってしまう。
それなのにピピは、猛将として知られる獣将ズーグや妖女と悪名高き弓将エラディアなどと同格とされる将に任じられている。
これについて後世の人々は、ソーマ・キサキが掲げるすべての種族を平等とするという理念を示すための特別待遇に過ぎず、その象徴としてソーマ・キサキの傍らに侍っていただけに過ぎないという。
ソーマ・キサキがその旗を打ち立てた当初よりの古参の将でありながら、俗に『七腕将』と呼ばれるものにピピの名が上げられていないのは、そういう理由からである」
しかし、それは誤りであるとアッカーソン教授は続ける。
「近年になって発見された『シェムルの覚書』によって、ソーマに命じられ鳥将ピピが率いたとされる部隊『網』の実態が明らかになった。
それによれば『網』はハーピュアンを一名ないし二名に、ゾアンの鼓手と警護の戦士、さらにエルフの騎兵を加えたものを基本単位とした複数の小隊からなる部隊だったという。
そして、その構成からこの小隊の意図は明白である。
ハーピュアンに空中より偵察させ、その情報をゾアンに太鼓で伝達させる。さらに聴覚の優れたエルフを――しかも弓兵ではなく貴重な騎兵を、あえて加わえていたところから、おそらくはこの小隊をいくつも戦場全体へ広げ、相互に連絡を取り合わせることにより情報ネットワークのように機能させていたのだろう。
もし、この推測が事実であるとしたならば、それは破壊の御子にとって絶大な力をもたらしたに違いない。
いまだ人が馬や自らの足で駆けて情報や命令を伝え、敵の陣容や動きを知るのに四苦八苦していた時代である。
それなのに破壊の御子ソーマ・キサキだけが、この『網』により戦場のすべてを掌握していたのだ。
後世において『破壊の御子の抱擁』と知られる包囲殲滅戦や神業と称賛された分散進撃からの挟撃も、すべては鳥将ピピと彼女が率いていた『網』という部隊があったからこそと言っても過言ではない」
◆◇◆◇◆
ホルメア国東部の至る所から、ゾアンの太鼓が叩かれ始めた。
王都ホルメニアから飛び立ったハーピュアンたちが空中偵察により敵を発見すると、その情報は追走していたゾアンたちに逐一伝えられ、すぐさま太鼓の拍子に変えて発信されていたのである。これによりハーピュアンだけで偵察するよりも、より早く、そしてより遠くへ情報を伝えることを可能にしていたのだ。
しかし、こうしたハーピュアンとゾアンの太鼓の運用には問題もあった。
平原のゾアンの間では、本来は他の者の太鼓の音が聞こえている間は自分が太鼓を叩くのを遠慮するというのが礼儀である。だが、追撃戦という火急の事態では、そうもしていられない。どうしてもあちらこちらからゾアンの太鼓が重なって叩かれてしまう。
すると、敵や自分たちのいる位置を報せられないのだ。
勝手知ったるソルビアント平原ならば、おおよその場所を伝える太鼓の拍子もある。だが、ほんの数日前までは敵地であったホルメア国の地理を表す太鼓の拍子などありはしない。
また、正確な測量がなされた詳細な地図があれば、地図の座標を太鼓の拍子に入れて場所を伝えられるが、当然そのようなものはなかった。
そのため、あちらこちらで同時に叩かれる太鼓の音から、それが叩かれた距離と方角を推し量るしかない。
しかし、それはゾアンにとっても困難なものだった。
そこで、それを補佐するのがエルフである。
獣並の五感を有するゾアンだったが、こと聴覚に関してはエルフに一歩譲る。特にいくつもの音の中から、どれかひとつの音に絞って聞き分ける能力となると、エルフの足許にも及ばなかった。
これは見通しの悪い密林の中で、様々な鳥獣や虫たちが立てる雑多な音の中から、危険な動物を避け、または狩りの獲物を音だけを頼りに聞き分けていたエルフだからこそ身につけた種族特有の能力と言っても良いだろう。
今も『網』に組み入れられたエルフ騎兵たちは集音器ともなっている耳をピンッと立て、太鼓が叩かれる方角と距離を正確に測っていた。彼女たちが時折、顔を左右へ傾ける仕草を繰り返しているのは、キタキツネが雪の下にいる小動物が立てる音を左右の耳の聞こえ方の違いで正確な位置を推し量るのと同じ理由からである。
そうした太鼓の拍子を解読するゾアンと、それが聞こえる方角と距離を測るエルフによって、ズーグの許にはホルメア国東部に散ったロマニア国敗残兵の情報が次々と集まってきた。
おおざっぱな地形が描かれたホルメア国の地図を手に、ズーグはおおよそ倒すべき敵がすべて把握できたと判断すると、次々と戦士たちへ指示を出す。
「ジャザム。ここの奴は、てめえに任せる。戦士百人を連れて潰してこい。ダダンタは、こことここだ。どちらも十人そこそこだそうだ。おまえなら二十も連れて行けば十分だろう。ここは――」
型破りながらもこれまで実力を示し続けてきたズーグへの〈爪の氏族〉の戦士たちの信望は篤い。誰もがふたつ返事で言われた数の戦士たちを率いて敵を掃討するために向かっていく。
次々と戦士たちが敵の掃討へ向かい、最後に残ったのは〈爪の氏族〉の戦士長と、氏族の中でも特に秀でた戦士たちおよそ百人である。
「族長。俺たち、どうする?」
このまま留守番はごめんだ、という意味を込めて尋ねる戦士長に、ズーグがそれは要らぬ心配だとばかりに牙を剥いて笑う。
「こいつを追う」
ズーグが指し示したのは他のロマニア国軍とは異なり、本隊から離れて進路をやや北へと向けて一目散に逃げる集団であった。
「やけに動きに迷いがない。しかも本隊と合流しようとはせず、単独でどこかへまっしぐらに向かっているようだ。こいつはいかにも臭い。俺が直接叩きに行く。――いくぞ、俺についてこいっ!」
◆◇◆◇◆
ズーグに目をつけられたのは、ホルメア国王を自称するヴリタスと彼の反乱に同調してホルメア国を裏切ったカフナー将軍たちであった。
彼らは王都ホルメニアの前でロマニア国軍が敗走するや否や、これはマズいとばかりにロマニア国軍より離脱し、一目散に自分らの拠点であったラップレーへと向かっていたのである。
「カフナーよ! デリラがおらん! デリラはいずこにおる?!」
とうてい戦場に乗り入れるとは思えぬ華美な装飾が施された戦車の上で声を張り上げるのはヴリタスである。彼は走行時の振動や衝撃を和らげるクッションの中に半ば埋まるようにして、戦車の脇を馬で併走するカフナーにしつこく尋ねていた。
しかし、カフナーは黙殺する。
今は一刻も早くラップレーへと戻り、防備を固めなくてはならない。その後、再度ロマニア国と連携を取らねば、自分らは敵地となった故国で孤立してしまう。
その問題を前にすれば、いくら寵愛していたとはいえ、たかが下賤の旅芸人の踊り子の消息などどうでも良いことである。
「これでは終われぬ。それでは、何のためにこの手を汚したのかわからなくなる……!」
このまま故国を敵国へ売った売国奴のままで終わってしまうわけにはいかないのだ。
そう馬上で歯がみするカフナーに随行していた従兵が声をかける。
「カフナー様! 後方より我らを追ってきている一団がおります!」
その声に、カフナーは馬上で後ろを振り返った。
すると、確かに自分らを追いかける者たちの姿が見える。その速さは、かなりのものだ。しかし、見る限りでは騎馬ではない。
そうなると考えられるのは、ゾアンたちである。
「くそっ! 追いつかれたか!」
カフナーは、そう吐き捨てた。
馬や戦車があるとは言え、自分らに随行している兵の大半は歩兵である。走らせる速度にも限界があり、種族全体が馬のように速く走れるゾアンに本気で追撃されれば逃げようなどない。
しかし、それにしてもあえて街道を避けてラップレーに向かう自分らに、こうも早く追いついてくるとは予想外だ。
「全軍停止! 追撃してきた敵を迎え撃つぞっ!」
逃げ切れぬと判断したカフナーは兵たちに号令をかけた。
しかし、ひたすら走らされてきた兵たちは急には止まれない。それに敗走の最中ということもあって、兵たちはすでに尻込みしてしまっている。それでは部隊長たちが必死に声を張り上げても、なかなか兵たちは動かない。
そんな槍の穂先すらも並べられないところへ赤毛のゾアン――ズーグを先頭とした〈爪の氏族〉の戦士たちが突っ込んでくる。
「蹴散らせっ!」
房のついた兜をかぶった部隊長らしき男の頭を斬り飛ばしたズーグが吠えた。〈爪の氏族〉の戦士たちは獣のような雄叫びを上げて、族長に続けとばかりに敵へと斬り込んでいく。
瞬く間に乱戦となった中で、ズーグは自分が討ち取るべき敵将を探す。すると、必死に混乱する兵たちを馬上から鼓舞するカフナーの姿がすぐに見つかった。
その首級をいただこうかと舌なめずりをして、血に濡れた山刀を引っさげて歩み寄るズーグを止めようと、カフナーの警護の兵たちがその前に立ちはだかる。だが、いずれの兵もズーグの前では何の障害にもならない。ゆっくりと五つ数える間もなく警護の兵士たちはズーグに斬り伏せられてしまった。
このズーグの武勇を目にしたカフナーは、ヴリタスを見捨てて自分だけ馬で逃げるべきかと逡巡する。
そんなカフナーを前に、ズーグは少し首をかしげた。
「ん? どこかで知った姿と臭いだな」
いまだ人間の顔の判別は難しいが、その姿や臭いには何となく覚えがある。鼻を鳴らしながら、しばし自分の記憶を探っていたズーグは、すぐに思い出した。
「ああ。銅山からドワーフたちを逃がした時に追撃してきた連中を率いていた奴だ」
その言葉にカフナーもまた、ズーグがあのとき自分に斬りかかってきたゾアンだと悟る。
そんなカフナーに向けて、ズーグは人間にもわかるように大げさにニヤリと笑う。
「あのとき助けてくれたお仲間は不在のようだな。おまえひとりで俺に敵うと思っているのか?」
ズーグにとって、それは相手を逃がさないようにする軽い挑発に過ぎなかった。
しかし、その助けてくれた仲間であるルドフスを手にかけたばかりのカフナーにとっては、それはあまりに痛烈な皮肉となった。
「この獣風情がっ!」
痛いところを突かれたカフナーは激高し、馬を下りるや否や剣を抜き放ってズーグに斬りかかった。
カフナーとて若くして将にまでなった男である。決して弱いわけではない。しかし、このときばかりは相手が悪すぎた。ガラムが平原最強の勇者ならば、ズーグは平原でもっとも恐れられる戦士――最恐の戦士である。そんな男に対して激高し、我を忘れて斬りかかれば勝負にすらなりはしない。
儀礼とばかりに二、三合打ち合った後、ズーグはその山刀でカフナーの頭を兜ごと叩き割った。頭を割られたカフナーは震える唇をわずかに動かした後、どうっと地面に倒れる。
ズーグは、倒れたカフナーをしばし見下ろした。
死ぬ間際のカフナーが誰かの名と、詫びのような言葉を口にしたように思えたからだ。しかし、すぐにズーグはどうでも良いことだと興味を失ってしまう。
「敵の将を討ち取ったぞ! さあ、残りの連中もとっとと片付けてしまえ!」
カフナーの血がしたたる山刀を突き上げ、ズーグは戦士たちに発破をかけた。自分らの族長が敵将を討ち取ったのに〈爪の氏族〉の戦士たちは嫌が応にも奮起する。
程なくしてカフナーの兵もすべて討ち取られたのだった。
戦いが終わると戦後処理を戦士たちに命じ、次に自分が向かうべき敵を探して地図とにらめっこしていたズーグに、戦士長が声をかける。
「《怒れる爪》よ。捕虜をひとり、捕らえたのだが」
次の獲物を見定めていたのを邪魔されたズーグは不機嫌に答える。
「捕虜は捕らずに殺せと言ったはずだぞ」
これから自分らはロマニア国の敗残兵を掃討するため駆け回らねばならない。捕虜を抱える余力も時間もないため、敵は皆殺しにしろと命じていたはずだ。
ところが、戦士長は苦笑する。
「それは承知している、〈怒れる爪〉よ。だが、面白い奴がいたので戦士に私の独断で生け捕りにさせたのだ」
年若い自分にも敬意をもって接し、良き族長の右腕を務める戦士長がここまで言うのにはズーグも興味を覚えた。すぐにその捕虜を連れてくるように命じる。
すると、程なくして屈強なゾアンの戦士たちに、ひとりの男が両腕を掴まれて引きずられるようにして連れてこられた。その男の捕虜を見るなり、ズーグはニカッと笑って、戦士長を「良くやった」と称賛する。
それからズーグは意地の悪い笑みを浮かべると、こう言った。
「おお! これは太った兎殿ではないか。こんなところで会うとは奇遇だな」
ゾアンたちに両腕を掴まれて半ば吊り下げられたまま、ヴリタスは顎の下の肉をタプタプと揺らしながら身体を震わせた。
◆◇◆◇◆
こうしてホルメア国中に散ったロマニア国軍の敗残兵の多くは、ズーグによって迅速に掃討されていった。
だが、すべてが順調に進んでいたわけではない。
ちょうどその頃、ロマニア国軍の本隊を追撃していたガラムの前に思わぬ強敵が立ちはだかっていたのである。




