第119話 ホルメニア攻防戦12-仮面
「良くやったっ!!」
その蒼馬の声は、打ちひしがれたように顔をうつむかせるホルメニアの人々の頭上に降り注いだ。いったい何のことかと緩慢な動きで顔を上げた人々は、楼門の上から身を乗り出すようにして声を張り上げる蒼馬の姿を見つける。
自分の声に釣られて、頭上を振り仰いでこちらを見始める人々の視線を感じながら、蒼馬は大きく息を吸い込むと出せる限りの声を振り絞って同じ言葉を繰り返した。
「本当に、良くやったっ!!」
その言葉にホルメニアの人々の間から安堵の雰囲気が洩れるのを感じ取りながら蒼馬はさらに言葉を続ける。
「あなたたちは、自らの仇を討ったのだ! 自らの手で! 自らの意志によって! もはや、あなたたちは醜い豚ではない。ひとりの誇り高い人間であることを証明した! あなたたちは、誇り高き人間なのだ! 正義をなしたのだ!」
肯定。肯定。ただひたすら肯定する。
自分が犯した罪を前に震える人々に向かって、あなたは間違ってはいないのだと、あなたは正しいことをしたのだと蒼馬は肯定した。
ホルメニアの人々は、ひたすら自分らを肯定する蒼馬を見上げ、その言葉に聞き入ってしまう。その顔は、あたかも日照りに喘いでいたところに降り注いだ慈雨を迎えるかのような喜びと安堵に満たされていた。
そんな人々の自分へ向けられたすべての視線を掴み取るように、蒼馬は胸の前で握り締めた右の拳を突き上げながら、さらに言葉を叩きつける。
「みんな! 本当に良くやった!」
それとともにサクラとしてホルメニアの人々の中に紛れ込んでいたマルクロニスの部下たちがいっせいに腕を突き上げて歓声を上げた。それに触発され、ホルメニアの騎士や兵士だった者たちも同様に声を上げる。
そして、それにホルメニアの人々は、最初は恐る恐る声を上げ、それはしだいに熱を帯び、ついには競い合うかのように声を上げ始めた。
そんな人々に向けて蒼馬は腕を一振りする。
「しかし、忘れてはいけない! この国では、いまだ多くのあなたたちの同胞たちがロマニア国の占領下で苦しんでいる! あなたたちの土地や家屋は、ロマニア国に奪われたままだ。そして、一度は追い払ったとはいえ、ロマニア国軍はこの国に残っている!」
蒼馬はしばし口を閉ざして、自分が言った言葉を人々が理解する間を与える。それから再び言葉を続けた。
「だが、恐れることはない! もはや恐れる必要はないのだ。なぜならば――」
そして、蒼馬は自分の後ろに立つモラードが抱える大旗を指し示した。
「あなたたちとともに、この旗があるからだ!」
その言葉とともに一際強い横殴りの風が吹く。その風に煽られ、大旗自身がその中央に描かれた紋様をホルメニアの人々に見せつけるかのように、真横へとたなびいた。
「あなたたちに勝利を約束し、それを果たした、この僕がいる! この破壊の御子たる僕がついている!」
それに人々は思わず、「おおっ!」と驚嘆の声を洩らす。
さらに蒼馬は大旗を背に、大きく両腕を開いた。
「そして、姿形は異なるとも、ともに戦う仲間たちがいる!」
その蒼馬の言葉に合わせて、ロマニア国軍を包囲していたゾアンが、ともに突撃したディノサウリアンたちが、城壁からはドワーフやエルフたちがいっせいに腕を突き上げて声を上げた。
その声はホルメニアの人々を熱気の中へと巻き込んだ。
「さあ、みんな! 僕らの国から敵を追い払うんだ!」
だから、ホルメニアの人々は気づかなかった。
この国をホルメア国でもなく、あなたたちの国でもなく、僕らの国と言い換えていたことに。
「さあ! 僕らの国を取り戻すぞっ!」
その蒼馬の声とともに、すべての人が歓声を上げる。誰も彼もが気づかぬまま、ただ熱気にうなされ、腕を突き上げて咽喉が嗄れんばかりに声を張り上げた。
さらに、そこへマルクロニスが追い打ちをかける。
「いいか! ロマニア国の侵略者どもに苦しめられている同胞を救うぞ!」
マルクロニスは、従兵に持たせてあった旗を指し示した。
それは、簡易の軍旗である。
そこに描かれているのは乱雑ではあるが、明らかに蒼馬の大旗と同じアウラの刻印であった。
「この旗が、暴虐なるロマニア国の手から皆を救いに来た者の旗であることを知らせよ! この印こそが、皆とともに戦う者の印であることを教えよ! そして、異種族の者たちは、我らとともに戦う仲間であることを伝えるのだ!」
それにマルクロニスの部下たちが続く。
「これが俺たちを救いに来た方の旗だ!」
「異種族の方たちは仲間だぞ! ともにロマニアを追い払え!」
「それを皆に伝えるんだ!」
「さあ! この印と異種族の仲間のことを広めよう!」
そう口々に言いながら、用意してあったアウラの刻印を布に書き殴っただけの簡易の軍旗をホルメニアの人々に配布していく。
そうして軍旗を渡された人々は、誰もが例外なく顔を輝かせ、それを誇らしげに掲げた。そして、それを周囲の人々は羨望の眼差しで見つめる。
多くの人が旗を欲してマルクロニスたちに群がるが、とうていすべての人に行き渡るだけの軍旗の用意はない。そのため、旗をもらえなかった人の中には、自らの衣服などの適当な布地に見よう見まねでアウラの刻印を描くと、槍の柄や棍棒にくくりつけて自作する者まで現れた。
そんな光景を蒼馬は楼門から身を乗り出して見つめていた。
すでに、眼下の光景の中には、あの白い姿はなくなっていた。
あれは相変わらず人を嘲笑い、もてあそぶためだけにやってくる。
蒼馬は屈辱と恥辱に、ギリリッと歯を噛み締めた。
「おい、ソーマ」
そんな蒼馬の背中に、シェムルが声をかけた。
しかし、その声は普段の彼女らしくない戸惑いがちな声である。
今起きていることは、蒼馬から事前に聞かされていたことだ。
これからホルメア国を平定していく上で、人間とその他の種族の結束を理解させなくてはいけない。そして、ホルメニアの人々に戦うための自信を与えなくてはいけない。
そのため、ホルメニアの人々にはジャハーンギルの加勢を加えた上で、まずゾアンたちが包囲分断した少数の敵に勝利させる。それによって、彼らに戦いへの自信を身につけさせ、また自分たち異種族との結束を理解させるのだ。
確かに、それはシェムルが事前に蒼馬から聞かされていたことだった。
しかし、実際に起きているのは、それだけではない気がしたのである。
そして、それよりも何よりも、今目の前にいる蒼馬の後ろ姿から、自分が知る蒼馬とは思えない暗く澱んだ何かを感じたのだ。
そのため、思わず声をかけてしまったのである。
だが、このときシェムルは、それは自分の杞憂だと思っていた。自分の呼びかけに、すぐに蒼馬は振り返り、いつもの笑顔を返してくれる。そう思っていた。
ところが、である。
シェムルが声をかけたとたん、蒼馬は身体をビクッと震えさせた。そして、振り返るどころかシェムルに返事もせず、自らの手で顔を覆う。
この思わぬ蒼馬の反応に、不安を覚えたシェムルは傍に寄ろうとした。しかし、それより一瞬早く、蒼馬が右手を突き出してシェムルが近づくのを止める。
「どうした、ソーマ?」
予想もしていなかった拒絶にシェムルは驚いた。だが、蒼馬は答えない。ただ左手で自分の顔を覆ったまま、ゆっくりと深呼吸を続けるだけである。
どうして良いのかわからず、おろおろとするシェムルを前に、しばらくして蒼馬はようやく顔を上げた。
「ごめん。ちょっと緊張しすぎたみたい」
そう言って振り返ったのは、どこか頼りない気弱な笑顔を浮かべるいつもの蒼馬だった。
「本当に大丈夫なのか?」
心配そうに尋ねるシェムルに、蒼馬は「大丈夫」と答える。
「それより急ごう。ロマニア国軍の追撃を指示しなくちゃいけない」
そう言うと蒼馬は、まるでその場から逃げ出すかのように歩き出してしまう。
蒼馬の後を追おうとしたシェムルだが、一瞬だけ躊躇した。
何か見過ごしてはいけない、何かが起きた気がしたからだ。
しかし、いくら長年付き添っているとはいえ、シェムルはその表情や仕草から人間の感情の機微までは読み取りにくいゾアンである。蒼馬に何かが起きているとは感じつつも、その確信が得られず、かける言葉を探しあぐねてしまった。
そして、その間にも蒼馬は階段を下りて行ってしまう。
気のせいだ。
シェムルは自分にそう言い聞かせると、蒼馬の後を慌てて追いかけたのである。
しかし、このときシェムルが人間の芸能に詳しければ、顔を伏せていたときの蒼馬に、このような感想を抱いたかも知れない。
まるで演劇中にはずれかけた仮面をなおした仮面劇の役者のようだった、と。
シェムルに続き大旗を抱えたモラードや護衛のゾアンたちも立ち去り、誰もいなくなった楼門の上に、どこからともなくクスクスと笑う少女の声が聞こえてきた。
だが、それを聞いた者は誰もいない。
蒼馬君は人々を煽ってしまったので、ちゃんと心のアフターケアをしてあげた回です。
ちなみに、まったく関係ない話ですが、あやしいセミナーでは自己否定や既存の価値観を崩すのと同じくらい、その人がコンプレックスに思っている部分や不安に感じているものを大丈夫だよ、問題ないよと肯定するのも洗脳の手法らしいですねぇ。ええ、まったく関係ない話です。
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