第118話 ホルメニア攻防戦11-楔
再び暴威を振るうディノサウリアンたちに、今度こそ王都ホルメニアの人々が続く。
王都ホルメニアには、もともと三万から五万もの住人がいたのである。そこへさらにロマニア国軍の蛮行から逃れて東部からやってきた数万の難民と敗残兵が加わり、このとき王都にいた人の数は十万近くまでふくれあがっていた。
その中で戦える男の比率を全体の五分の一だとしても、それだけで二万近い数となる。
しかも、よく見ればロマニア国軍に襲いかかる人々の中には、女子供老人の姿まであった。
こうなると、その数は二万や三万ではすまない。このときロマニア国軍に襲いかかったホルメア国の人間の数は、少なく見積もっても五万人以上に達していた。
それに対して、王都ホルメニアの手前に取り残されたロマニア国軍の兵はわずか三千程度。
その人数差は、何と十倍以上であった。
しかし、多勢と言ってもホルメア国の人々の多くは、戦いなどしたこともない平民が大半である。まともにぶつかり合えば、ちゃんとした戦いの訓練を積んだロマニア国軍の兵士とは戦いにすらなりはしなかっただろう。
だが、今やロマニア国軍の兵士たちの疲労は極限に達していた。そんなところへ側面からのゾアンの挟撃に加え、正面からはディノサウリアンの突撃である。
これによってロマニア国軍は統率を失い、大混乱に陥っていた。これでは戦いの訓練など活かせるはずがない。
そこに襲いかかったホルメニアの人々も、普通ではなかった。故郷を蹂躙され、土地や家財を奪われ、家族友人知人たちを殺され、その報復に燃える暴徒と化していたとなれば、その勢いは違う。
瞬く間に、ロマニア国軍はその暴徒の波に呑み込まれてしまった。
目を血走らせたホルメニアの人々によって、次々とロマニア国軍兵士が打ち倒されていく。剣や槍で殺された兵士は運が良い。切れ味の鈍い農具で斬られ、金槌で滅多打ちにされた兵士も、まだマシだ。中には殺到した人々に殴られ、蹴られ、四方八方から伸ばされた手によって生きたまま解体されてしまう兵士すらいた。
また、立派な甲冑を着けた騎士ですら引き倒されて袋叩きにされる。しかも、それに加わる人の中には若い男ばかりか、女子供老人すら混じっていた。
彼らは口々にロマニア国軍への恨みと憎しみを叫びながら、棒や農具、鍋や釜などで殴りつけるのだ。
そして、気づけば取り残されたロマニア国軍は、ひとり残らず殺されていた。
見渡せば、累々たる死屍の山である。しかも、ひとつとしてまともに原型を留めているものはない。いずれの死体もズタズタに引き裂かれ、叩き潰され、泥と混ぜ合わされていた。
その様相は、いかにホルメア国の人々の怒りと憎しみが大きかったかを示している。
しかし、その凄惨な光景に、さすがのホルメニアの人々も我に返った。
そもそも彼らは、もとは戦いなどとは縁などない一般の民たちだ。それが憎むべき敵がすべて倒し、一時の狂熱も冷めれば、我に立ち返る。そして、そのとき目の前に広がるのは、自分らの手で作り上げてしまった虐殺の光景だ。
足許には人間だったものが肉塊となって転がり、くるぶしの下まで足が沈むほど大地は流れ出た血を吸って泥濘と化している。
それにホルメニアの人々は、今さらながら自分らはとんでもないことをしてしまったと顔色を失ってしまった。
もし、ここで誰かひとりでも悔悟の言葉を洩らそうなら、それは一気に広まり、ひとり残らずその場にくずおれてしまう。
そんな雰囲気が辺り一帯に漂い始めていた。
そして、それを楼門の上から見下ろす蒼馬の口許に、暗い笑みが浮かぶ。
◆◇◆◇◆
蒼馬がホルメニアの人々を焚きつけ、煽り、戦うように仕向けたのは、何も戦力が欲しいからだけではない。戦力だけを重視していたのならば、むしろ大半の民衆はいない方がマシである。ちょっとした抵抗や威嚇で簡単に算を乱されるような素人では、かえって足手まといと言うものだ。
それぐらいならば、敗残兵や騎士といった者たちだけを選別して自分らの軍に組み込んだ方が良い。
しかし、それを承知していても、蒼馬は出来るだけ多くのホルメニアの人々を戦わせなければいかなかった。
なぜならば、ともに戦ったという事実こそが、後に興す国の礎となるからだ。
かつて日本がイラク戦争の時に莫大な戦費を拠出しても、血を流さなかったと批判を浴びたことがある。また、暴走する北朝鮮を中国が見放さないのは、朝鮮戦争の折にともに戦った「血の友誼」があるからだという。
ともに戦い、ともに血を流し、ともに死ぬ。
それこそが、もっとも単純かつ明快な信義の表し方であり、盟約の形なのだ。
ボルニスの街を統治した五年の間に、蒼馬はいかに種族間の確執が根深く、取り除きがたいものであることを痛感させられていた。
大事には至らなくとも、異種族間の些細な行き違いやそれによる諍いは、今なおも後を絶たない。「やっぱり人間は」や「どうせゾアンは」など、本人たちはそうとは意識していなくとも、口にする言葉の端々に異種族との隔たりを感じさせることなどざらである。
しかし、それも無理もない。
そもそも文化や慣習が違うばかりか、姿形まで異なる種族同士なのである。それをまったく意識するなという方がどだい無理な話だ。
その隔たりの深さは、単にロマニア国軍の暴虐から救った、救われただけでは、とうてい埋まるものではないだろう。
むしろ蒼馬が率いる人間以外の種族は、人間どもを救ってやったという無意識の優越感を覚えかねない。たとえそれが無意識のものであろうとも、それを向けられた側は敏感に感じ取ってしまうものだ。当初は命を救われたと感謝していても、それが続けばいつかは反感を覚えるようになる。
そんなことになれば、せっかく国を興しても、それは砂上の楼閣のように瞬く間に崩れ去ってしまうだろう。
蒼馬の国に求められるのは、救った救われたという上下の関係ではない。
必要なのは、対等な関係だ。
ともに戦い、ともに血を流し、ともに命をかけた。その上で、みんなでともに興した国でなければ意味はない。
だからこそ、「血の友誼」が必要なのだ。
しかし、そのためにホルメニアの人々を戦場に投じた結果が、これである。
自分のせいだ。
蒼馬は、そう思った。
ホルメニアの人間の大半は、軍規も知らず戦いにおける最低限の礼節や暗黙の了解すら知らない一般の人々である。そんな彼らを圧倒的な優勢を確保した上で戦場に投入したからこそ、このような事態になったのだ。
悔恨の痛みを訴える胸に手を当て、自分が引き起こした虐殺の場を目に焼きつけようと、蒼馬は再び視線を向ける。
そして、手を当てた胸の内で、心臓がどくっと鼓動を打った。
血泥の中でうつむく人々の中にあって、たったひとりだけこちらを見上げる者の姿が見えたからだ。
それは一際目を引く純白のワンピースにも似た貫頭衣を身にまとった少女である。
これほどの距離がありながら、蒼馬はその少女の額でギラギラと輝く刻印がはっきりと見て取れた。
それは、今も蒼馬の背後で翻る黒い大旗の中央に描かれている紋様と同じ刻印である。
驚きに目を見張る蒼馬が見つめる中で、その少女の唇が一音一音を区切るようにゆっくりと動く。
「嘘つき」と――。
実際に、蒼馬のところへ少女の声は届いていない。
しかし、届くはずがない少女の声が蒼馬の耳の中で幻聴となって聞こえる。
「あなたは、こうなるとわかっていたのでしょ? こうなると知っていたのでしょ?」
少女はゆっくりと両腕を開いて、自分の周囲の光景を示した。
「これは、あなたが積み上げさせた屍の山。これは、あなたが流させた血の河。すべては、あなたがやらせたこと」
眼下に広がる虐殺の跡と、その中で打ちひしがれたようにうなだれる人々の姿に、蒼馬は拳を握り締めた。
ああ、そうだとも。
蒼馬は胸の内で、そう吐き捨てる。
こうなることは、はじめからわかっていた。
こうなるであろうことは、予想がついていたのだ。
地球の歴史も証明している。本当に恐ろしい虐殺や迫害を起こすのは強者ではない。かつて弱者であった者たちなのだ。
強者は強者であるが故に、強い力の怖さを知っている。強い力の振るい方を心得ている。
しかし、弱者であった者は、それを知らない。
いきなり持たされた強い力に酔いしれ、それを何の自制もないまま振り回してしまう。再び自分らが弱者に戻らないために、強者であった者を徹底的に叩こうとする。それは時として強者より恐ろしい虐殺や虐待を引き起こしてしまうものなのだ。
そして、そうなるように自分が仕向けた。
包囲分断して混乱させた敵の中に戦いの化身とも言うべきジャハーンギルとディノサウリアンたちを投じれば、どうなるかなど火を見るよりも明らかである。その狂気とも呼ぶべきジャハーンギルの戦意に中てられれば、ただでさえなれない戦いの興奮に浮かされたホルメニアの人々からは、冷静さなど消し飛んでしまうことは目に見えていたのだ。
そのためにマルクロニスに命じ、ジャハーンギルたちを仲間であるとホルメニアの人々を煽った。ジャハーンギルたちの暴威を前にして恐れをなすであろう人々をむしろその暴威に酔わせるように仕向けたのである。
本来は壊走するロマニア国軍本隊を追撃させるべき自分の主力であるゾアンたちをあえて分断したわずかな敵を包囲させ続けたのも、暴走したホルメニアの人々の前に、哀れな生け贄として捧げるためだ。
今なおその包囲を解かず、ホルメニアの人々を自らがなした惨劇の場に留め置いているのは、自らがなした惨劇をその眼前に突きつけるためだ。
そして、自分が望んだとおり、今まさにホルメニアの人々の心は揺れ動いている。
めまぐるしく移り変わる情勢に、押しつけられる新たな価値観。さらになれぬ戦いの興奮と、その後に訪れた自分がなした蛮行への恐怖。
次々と襲いかかる変化に、今や人々の心は大きく動揺している。そして、だからこそそこに隙が生じていた。生じさせたのだ。
すべてはホルメニアの人々の心に楔を打ち込まんがために。
「ならば、何を恐れることがあって? 何を遠慮する必要があって?」
少女の可憐な唇が耳元まで裂けるように吊り上がった。
「あなたは、英雄の仮面をかぶる臆病者。博愛の衣をまとう自己偏愛の塊。無私を気取る利己主義者。罪科を積み上げる贖罪者。慈悲を語る虐殺者。仁愛を掲げる暴君。理念なき変革者。そして、私の愛しい猛毒」
一陣の風が、少女の背後から蒼馬が立つ楼門に向かって吹き上がる。
その風に煽られ、少女の長い髪が大輪の花のように広がった。広がる髪に遮られて陰となった少女の顔の中で、喜悦と嗜虐の色に染まる少女のふたつの目と額の刻印だけがギラギラと輝いて見える。
「さあ! あなたが積み上げさせた屍の山の上で、あなたが流させた血の河の中で、あなたひとりきれいなままで美しい理想を謳い上げなさい」
蒼馬は、気圧される。
こいつは、いつもそうだ。
自分が目をそらしたい真実を目の前に突きつける。耳を塞ぎたい事実をささやきかけてくる。
そんな奴の思惑どおりだったのかという不安を感じる。こんな奴の思い通りになってしまうのかという嫌悪を感じる。
だが、今さら退くわけにはいかない。
もはや賽は投げられた。いや、自らの手で賽を投じたのである。
蒼馬はアウラの威圧を撥ね除けようとするかのように、一歩前に出る。そして、楼門の欄干より身を乗り出すかのようにして、声を張り上げた。
「良くやったっ!!」




