水晶と非晶
空腹とは、ただ腹が減ることではない。
身体を動かす力を奪い、思考鈍らせ、冷静な判断すら狂わせる。
食料を失うことは、生きるための武器を一つずつ失うことだ。
体温を保つ力も、歩き続ける力も、明日を考える力も、少しずつ削られていく。
だからサバイバルにおいて空腹は、最初に向き合うべき敵だ。
目には見えない。
けれど確実に、人間を弱らせていく。
「……つまり、食料確保が最優先ってことだな」
俺が真剣に頷くと、ひよりも頷いた。
「うん。そうだね」
「なら、マグロを一本釣りに行こう」
「……」
数秒の沈黙。
「いやいやいや!!」
ひよりが勢いよく突っ込んできた。
「さっきまでめちゃくちゃ正論言ってたよね!?」
「言った」
「なんでそこからマグロ一本釣りになるの!?」
「食料だから」
「規模がおかしいよ!!」
「魚なら食えるだろ」
「そういう問題じゃないの!」
ひよりは頭を抱えた。
俺は間を置いて、深刻そうに口を開いた。
「実はマグロを釣りに行くのには、大切な事情があるんだ」
「事情?」
「ああ」
ひよりの表情が少し戻る。
「そっか……黒瀬くんが、何も考えずにそんな無謀なこと言うわけないもんね」
「当然だ」
俺は静かに頷いた。
「食料確保は重要だ」
「うん」
「長期的な生存を考えるなら、保存性の高い食料も必要になる」
「うんうん」
「だから――」
俺は真剣な顔で告げた。
「ツナマヨが食べたい」
「……」
「いやそのくらい我慢しようよ!」
「おい声が大きいぞ、見つかったらどうするんだ」
「んむぅ……」
なにか不満そうに頬を膨らまし、明らかに肩を落とした。
「昨日まで頼れる人だと思ってたのに……」
「昨日まで?」
「数時間前まで!」
「評価が下がるのが早いな」
「下がる理由しかないよ!」
そんな話をした後。
俺は渋々、マグロ探しを諦めた。
「……仕方ない」
「やっと諦めてくれた」
ひよりが安心したように息を吐く。
「代わりに、別の食料を探す」
俺はポケットに石をつめながら言う。
「それが普通なんだよ」
「さっきから白い石ばかり集めてるけど何してるの?」
「戦闘にでもなった時に投げれば多少なりダメージになるだろ」
「そんな簡単かなぁ……」
そうして俺たちは、森の中を、肉の匂いに向かって進むことにした。
その匂いは、沢へ向かうにつれて強くなっていった。
魚を焼いている。
俺たちは近くの茂みに身を隠し、様子を見る。
そこには、予想通り一人の少年がいた。
岩陰だが、美しく長い白い髪。
そして、昨日能力測定で見た姿。
「……白峰くんじゃない?」
ひよりが小声で言う。
「ああ」
白峰晶。
Bランク、水晶の晶者。
「クラスで仲良かったんでしょ?」
「一応話はしたな」
「じゃあ話しかけて、分けてもらえばいいじゃん」
俺は少し考える。
「よく考えろ」
「?」
「これは退学をかけた生存試験だ」
「うん」
「一度話しただけの相手に、貴重な食料を渡すと思うか?」
ひよりは黙った。
俺は白峰を見る。
火は小さい。 煙は少ない。 魚は均等に焼かれている。
無駄がない。
「……白峰は、簡単には隙を見せない」
「なんで?」
「頭がいいからだ」
「それだけ?」
「違う」
俺は周囲を見る。
逃げ道。 視界。 火の位置。
全部、考えられている。
「俺たちが近づいたことも、たぶん気づいてる」
「え?」
ひよりが慌ててこちらを見る。
「じゃあもうバレてるの?」
「まだ確定じゃない」
「でも?」
「試す価値はある」
俺は小さく息を吐く。
「作戦変更だ」
「作戦?」
「ああ」
俺は真剣な顔で言った。
「お前が色仕掛けで飯を奪ってこい」
「…………」
ひよりの顔が固まる。
「待って」
「なんだ」
「それ私の負担大きすぎない?」
「合理的だ」
「どこが!?」
「相手は男。警戒を解きやすい」
「いやいやいや!」
ひよりは小声で叫ぶ。
「そもそも私、そんなことできないから!」
「できないのか」
「できると思ってたの!?」
俺が少し考える素振りをする。
「……確かに」
「今納得した!?」
「それじゃあバレる前に2人がかりの不意打ちでボコボコにするぞ。Bランクだがなんとか飯を奪って逃げ帰るくらいはできるだろう」
「それ悪者のすることじゃん」
「生きるためだし仕方ないとしよう」
その瞬間、ぱち。
薪が小さく弾けた。
白峰の手が止まる。
「……」
こちらを見る。
「やっぱり」
静かな声が森に響いた。
「いると思った」
ひよりが固まる。
俺はポケットに手を入れ、ゆっくり立ち上がった。
「最初から気づいてたか」
「うん」
晶は焼いていた魚を裏返しながら答える。
「振動を感じたから」
「魚、欲しいの?」
「もしかしてくれたりするか?」
「あげるわけないじゃん」
白峰は淡々と言った。
「僕も七日間、生き残らないといけない」
「……まあ、そうだよな」
「でも、欲しいならあげてもいいよ」
怪しい。絶対に何かある。
「まじか! じゃあありがたく……」
「でも、条件がある」
ですよねー。
「条件ってのは?」
「僕と戦って勝ったらいいよ」
「何がしたい? それだとお前にメリットが無さすぎる」
動くと疲れるだけだし、勝っても何もない。こんな勝負を挑む理由が何もない。
「僕は君の石に興味が湧いただけだ。鉱素はある。結晶構造はない。やっぱり考えただけでも面白い。ゾクゾクするよ」
「なんだお前、変態だったのか」
「そうかもしれないね。それじゃあ戦おうか。早く君の石を魅せてくれ」
「何勘違いしてるんだ。戦わないぞ」
「え、なんで」
「こっちが不利なんだよ。二対一で戦ったとして、Eランク2人真正面から戦って勝てるとは思えん」
「待って私戦えないよ!」
茂みから何か聞こえたが無視して続ける。
「それで得られるのが魚数本。どう考えても、2人がかりで食料を探した方がいい」
そう言うと、晶が考える素振りを見せる。
「それなら、条件を追加しよう。まず、僕に勝つことができたらこのサバイバル中に危害を加えない上に協力することを誓おう」
「次に、三分間で僕に一撃を入れることができたら勝利としよう」
「交渉成立だ!」
晶が言い終わるより早く、俺は思いっきり地を蹴った。
ポケットから石を掴み出し、至近距離から白峰の胸元へ本気で投げつける。
――当たった、はずだった。
しかし、石は白峰の身体を透き通るように通り抜け、後ろの樹木へ激しく激突した。
違う。すり抜けたんじゃなく、石が外れた。
いや、違う。外れたんじゃない。
俺が狙った場所に、白峰はいなかった。
水面に映った月が、月そのものではないように。
そう気づいた瞬間、俺は一気に間合いを詰める。
今度は投げない。正面からぶつかる。
拳を振るう。
「……っ」
避けた素振りはない。ただ、晶の顔の位置が少しずれる。
──そして。
次の瞬間、空を殴っていた。
拳は白峰の頬をかすめたはずだった。
なのに、手応えがない。
「な……」
俺の視界の端で、白峰の輪郭がずれる。
そこにいるようで、いない。
見えている位置と、実際の位置が少しだけ違う。
俺は即座に踏み直した。
もう一度、殴る。今度こそ。
肩、肘、拳。全部まとめて叩き込む。
しかし白峰は、また一歩だけ横へ退く。
その動きがあまりにも自然で、まるで俺の次の攻撃を知っているみたいだった。
「速いのに、単調だ」
腹が立つほど静かな声だった。
「……っ」
分かっている。
こっちは速い。
でも、全部見られている。
拳の軌道。足の置き方。呼吸の乱れ方。
全部、拾われている。
「黒瀬くん!」
後ろからひよりの声が飛ぶ。
「今の、位置がずれてる!」
その声で、俺は一瞬だけ視線を切った。
ひよりは木の陰で目を見開いている。
その瞳が、薄く青白く光っていた。
「光が……曲がってる!」
「……は?」
「白峰くん、そこじゃない!」
「見えてる場所が、本当の場所じゃない!」
白峰の目が、ほんの少しだけ動いた。
ひよりを見る。
「……へえ」
それだけだった。
だが、その一言で分かる。
白峰はひよりの気づきを見逃していない。
そして、俺の拳が当たらない理由も。
全部、理解した。
「なるほど」
白峰が小さく笑う。
「面白い」
次の瞬間、俺はまた踏み込む。
今度は読まれる前に。
白峰の顔面へ、真っ直ぐ。
だが、白峰は避けない。
避ける必要がないからだ。
そのまま、後ろの空を切った。
まただ。
当たったと思っても外れる。
何度やっても、手応えだけがすり抜ける。
まるで、白峰の周りだけ世界の距離が少し違っているみたいだった。
「……くそ」
息が上がる。
「いつまでも避け続けると思った?」
その声が聞こえたと同時に、腹部に真っ直ぐ蹴りが飛んでくる。
くっそ、攻撃してこないと油断してた。
後方に1メートルほど飛ばされ、しゃがみこむ。
「実践ではその油断が命取りだよ」
そういいつつも、追撃をしに来ないのはこいつが俺を舐めてるからか。
だったら、それを利用させてもらおう。
俺は片手に持てるだけ、小石を拾い、投げつける。
「数打ちゃ当たるってものじゃないよ」
投げた石のほとんどは外れ、残りも抑えられた動きで避けられる。
ポケットに手を入れて、石を掴んだ。
「どれだけやっても無駄だよ」
ただ、この石は投げない。
石を握ったまま、地面を蹴る。
距離を詰めながら、手の中の石を砕く。
――崩せ。
――形を捨てろ。
能力を発動する。
その瞬間、手の中の石が崩れた。
砕けた。
いや、違う。
形を捨てた。
白い粒子が黒く染まり、互いに引き寄せられる。
結晶のように、決まった形へ並ぶことはない。
当然だ。こいつらには、規則がない。
だからこそ。
俺の意思だけで、形を変えられる。
細く。
長く。
途切れないように。
まるで、溶けた飴を職人の指先でゆっくり伸ばすように黒い粒子は一本の線へ変わっていく。
石でもない。 刃でもない。
形を持たないからこそ、どんな形にもなれる。
俺はそれを、白峰の膝へ叩き込んだ。
――避けられない距離。
パキィン!!
甲高い音が森に響く。
黒い破片となり砕け散る。
だが、確かに当たった。
白峰の身体が、ほんのわずかに揺れる。
「……今の」
初めて、白峰の声に驚きが混じった。
「何をしたの?」
なろうに出すねん。タイトルどうしよ
【鉱石豆知識:水晶】
水晶とは、二酸化ケイ素(SiO₂)が規則正しく並んだ結晶です。
同じ成分でも、ガラスのように原子の並び方がバラバラなものとは違い、水晶は原子が長い距離にわたって整然と配置されています。
この「結晶構造」こそが、水晶の美しさや性質を生み出す理由です。
また、水晶には「光を屈折させる性質」があります。
光が水晶内部を通る時、進む速度が変化することで光の進む方向が変わります。
透明な水晶が美しく輝くのは、この性質によるものです。
また、長らく日本の国石とされていましたが、2016年に日本鉱物科学会は国石をヒスイに選定したそうです。
ただ綺麗なだけではない。
水晶は、規則正しい構造が生み出した、自然界の精密な結晶なのです。




