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第3話:砕け散った告白と、スマートフォンの末路

1. 致命的なスリップ


 あれから何度もインターホンを鳴らしたが、もはや応答すらなくなった。


 予備照明の薄暗い光の下、ツムラはマノから渡された『完全密室からの脱出』に目を落としていた。

 ……いや、正確には「読んでいるふり」を死守していた。


 一文字たりとも、脳は活字を拒絶している。

 だが、読むポーズをやめるわけにはいかない。少しでも不審な動きをすれば、対角線上で包丁を構える彼女の逆鱗に触れる。


 この静寂は、薄氷の上の平和だった。


 その時、ツムラの脳内に電撃が走った。

(そうだ、エレベーター会社に直接電話すればいいんだ!)


 この泥沼のような閉塞感の中で、ようやく見つけた光。彼は少し、舞い上がってしまった。


「あの、マノさん。そこのインターホンの横に、保守会社のシールが貼ってあるよね。そこに直接電話すればいいんじゃないかな」


「…………」


 返事がない。

 マノが、まるで氷の彫刻のような冷徹な瞳で、じっとこちらを見ている。


 一秒、二秒。


「……あ」


 気づいた時には、すべてが遅すぎた。

 「タチバナの友人」として振る舞っていたはずの自分が、まだ名乗ってもいない彼女の名前を、親しげに呼んでしまったのだ。


 


  2. 崩壊と、最悪の愛の告白


「……今、マノさんって、言ったよね?」


 マノの声が、低く、地を這うように震えている。


「うへっ」


 ツムラの口から、情けない裏返った声が漏れた。

 脳内はパニックの飽和状態だ。この状況、このタイミングで名前を知っている。ストーカーか、あるいはこの停電すら自分の仕業だと思われてもおかしくない。


「なんとか言ってよ! 怖いんだから……本当に、怖いんだから!」


 マノが包丁を握り直す。

 その恐怖がツムラに伝染し、彼の理性の糸がプツンと音を立てて切れた。


 もう、どうにでもなれ。

 ツムラは自暴自棄になり、胸に抱えていた「呪いの束」を床に叩きつけた。


「僕のじゃないんだッ!!」


  ベチャッ 、と湿った音を立てて雑誌が散らばる。


「これも! これも! 全部、僕のじゃないんだよおぉぉ!!」


 勢いよく投げられた雑誌は無情にも見開きで固定され、予備照明の下で、あられもない姿のグラビアをこれでもかと晒し出している。


「好きだったんだよ!!」


 ツムラが叫んだ。


「ずっと! 中学の時からずっと、マノさんのことが好きだったんだよぉ!!」


 絶望的なタイミング。

 史上最悪のシチュエーション。

 そして、人生で最も不適切な、愛の告白。


 ツムラは完全に心が折れ、そのまま床に突っ伏して泣き伏せた。


- 


  3. 逆転する心理状態


 人間というのは不思議なもので、目の前の相手が常軌を逸した行動に出ると、逆にスッと冷静さが戻ってくることがある。


 今のマノが、まさにそれだった。

 あまりにも情けなく、エロ本の山に突っ伏して号泣するツムラの姿を見て、自分の中に奇妙な余裕が芽生えるのを感じた。


「……わかったから。まあ、落ち着きなさいって」


「本当……本当に、僕のじゃないんだ、信じて……」


「わかった。というか、今はそっち(本)はいいのよ。肝心なのは──このエレベーターの故障は、あなたの仕業じゃないってことね?」


 もしこれが緻密に計画された監禁事件だとしたら、あまりにも詰めが甘すぎる。

 好きな相手の前でエロ本をぶちまけ、泣き叫びながら告白する計画など、この世のどこを探しても存在しないからだ。


「もういい。わかったから。とりあえず、鬱陶しいから泣くのはやめて。見苦しい」


「……ゔぁい。すみません……」


 ツムラは鼻をすすりながら、ぐずぐずと自分の定位置へと戻りかけた。


 


   4. 砕け散った希望の光


 そこでツムラはハッとした。

 彼は慌てて、壁際に散乱したエロ本をどけ始めた。


 しかし、その雑誌の束の下から現れたのは、無惨な姿になった自分のスマートフォンだった。


「……あ」


 拾い上げたスマホの画面は、壁に叩きつけられた衝撃でバキバキに砕け散っている。

 電源ボタンを連打しても、暗黒の液晶は二度と光を宿すことはなかった。


「ご、ごわれています……」


 自ら提案した「保守会社へ直接電話する」という唯一の希望を。

 自らの手で、しかもエロ本と一緒に叩き潰してしまったのだ。


「……連絡、できなくなったのね」


 マノはこめかみを押さえ、深いため息をついた。

 予備照明の薄赤い光が、バキバキに割れた画面と、床に広がる煩悩のページを残酷に照らし出している。


 閉ざされた密室、消えた通信手段。

 足元には無惨に開かれたエロ本と、血のようなケチャップがついた包丁。

 そして、振られたばかりの泣きべそな男と、限界寸前の女。


「しょっぱくて、苦い」どころか、もはや毒を飲まされているような気分になりながら、二人はまたしても、音のない絶望へと沈んでいった。


     挿絵(By みてみん)


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