第2話:初恋の再会と、密室のミステリー
1. 頼りない生命線と、最悪のコンパス
「とりあえず、落ち着いて……。インターホン、インターホンで誰か呼ばなきゃ」
ツムラが声を振り絞る。
極限状態の脳が、かろうじて生存本能を呼び起こした。
「わ、わかったから……! 離れて動きましょ。あんたがそっち、私がこっち!」
暗闇の中、二人は互いを警戒する野生動物のように、エレベーターの四隅を陣取った。
ツムラが赤く点滅するインターホンへ一歩近づけば、対角線上のマノも同じ歩幅で、壁を這うように移動する。
狭い庫内で、まるでコンパスの二本の針が円を描くように。
絶妙な距離を保ったまま、二人は位置を入れ替わった。
ツムラが震える指でボタンを押し込む。
──ヴー、ヴー。
重苦しい呼び出し音が、密室に虚しく響き渡る。
やがて、スピーカーの向こうから拍子抜けするほど長閑な声が届いた。
『はい、はい、どうしましたぁ?』
「エレベーターに閉じ込められています! 止まったんです!」
「早く、早くなんとかしてっ!」
『あー、エレベーターねぇ、ちょっと待って……ねえ、お父さん、エレベーター止まったって。誰かが閉じ込められてるみたいよ』
『ああん? なんだって?』
『だから、止まったって言ってんの!』
『なんでわかるんだよ』
『電話だよ電話!』
スピーカー越しに流れる、緊迫感ゼロの老夫婦の痴話喧嘩。
「ちょっと! 早く業者を呼んでください!」
『今、会社の方に連絡してるから、ちょっと待っててね。まあ、そんなにカリカリしないで、ねっ?』
プツン、と無情にも通信が切れる。
絶望が二人を支配しようとしたその時──。
バチッ!
と火花を散らし、非常用の予備照明が点灯した。
2. 暴かれる「業」の姿
唐突に復旧した薄暗い明かりは、残酷なまでに二人の現状を照らし出した。
「…………っ!」
「…………あ」
そこには、互いの想像を絶する「地獄絵図」が完成していた。
マノは、両手でしっかりと握りしめた包丁を顔の高さに構え、今にも飛びかからんばかりの鬼の形相。
白いシャツにべっとりと付着した赤い飛沫が、予備照明の下でより一層禍々しく、鮮烈に「事件性」を物語っている。
対するツムラは、かき集めた大量の成人向け雑誌を、まるで聖遺物でも守るかのように胸にぎゅっと抱きかかえていた。
はみ出した表紙には過激なタイトルが踊り、その必死な形相も相まって、端から見れば「命よりもこの本が大事」という筋金入りの変執狂にしか見えない。
血塗れの殺人鬼(仮)と、業の深いド変態(仮)。
「…………ひ、ひぃぃ……」
二人の口から、情けなくも気の抜けた悲鳴が同時に漏れた。
3. 咄嗟のパス回し
沈黙の重圧に耐えかねて、最初に口火を切ったのはツムラだった。
だが、ストレートに「ずっと好きだった」なんて言えるはずもない。
「……カゼハナ中、だよね。たしか、バスケ部の」
ツムラが絞り出したのは、過去の接点を「偶然」に装う苦肉の策だった。
「えっ」
「バスケ部に、立花ハジメっていたでしょ? ほら、背の高い……」
「ああ、タッチン! タッチン知ってるの?」
マノの表情が、驚きでわずかに緩んだ。
「クラスメートだったんだ。試合を観に行ったときに、君のことも見かけた気がして……」
「同級生ってこと? じゃあ3Bだよね!」
声が明らかに明るくなった。作戦成功だ。
実際は、マノを追いかけて試合を観に行き、そこで「ついでに」立花の存在に気づいただけなのだが。
(同級生……。あの頃の同級生に、こんな弩級の変態がいたなんて……)
一進一退。心の壁は低くなったものの、マノが握る包丁の力は、まだ抜けていなかった。
4. 最悪の読書タイム
実際には十五分程度だったが、体感では二時間にも及ぶような沈黙が流れた。
二人はエレベーターの両隅に座り込み、無音のまま、反応のない階数ボタンをじっと見つめている。
(何か……何かこの気まずさを埋めないと。襲われないように、別のことに意識を向けさせなきゃ!)
マノはポケットから、友人から無理やり借りたばかりの文庫本を取り出した。
牽制と歩み寄りを込めて、「これ、面白いらしいよ」と、ツムラの方へ放り投げた。
「お、おっと……」
不器用に受け取ったツムラが、表紙を確認する。
「あ、この作者……俺、好きなんだ」
「あっ、そうなの?」
「うん。……あ。でも、これって」
ツムラがタイトルを読み上げようとして、言葉を詰まらせた。
「……『完全密室からの脱出』」
「「…………っ」」
二人の口から、同時に乾いた吐息が漏れた。
今、この状況で最も渡してはいけない、最も皮肉なテーマの一冊。
救助を待つ本物の密室の中で、脱出ミステリーを読む。
あまりにも出来過ぎた冗談に、二人は再び、深い沈黙の淵へと沈んでいった。
ケチャップの匂いは、しょっぱい。
後悔の味は、どこまでも苦い。
そして、この上なく気まずい時間が、ただ静かに、残酷に過ぎていく。
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