封印の大社
狭間の言っていた通り、帝都の入り口に行けば、四十代ほどの中年の男性文官が待っていた。
「黒曜の隊長、朽木様ですね」
中年の文官は温度のない目で一瞬だけ結衣の顔をなぞってから、すぐに視線を戻した。結衣は特に気にした様子を見せず、社交的な笑みを浮かべる。もちろん、望まれていないため名乗らなかった。彼らにとって、結衣は真人の付属品であり、人ではない。彼の扱いはそれを如実に語っていた。
(狭間さんが言っていたのは、こういうことなのね。ふふ、わかりやすいわ)
内心、あまりにもはっきりした態度に感心してしまったほどだ。狭間とのやり取りで、そうなるだろうと理解していたが、あまりにもそのまますぎて変な笑いがこみ上げてくる。それを苦労して嚙み殺した。
中年の文官は結衣を無視したまま淡々と処理していく。
「本日は封印の大社にて、荒神の封印を行ってもらいます」
荒神と聞いて、結衣は息を呑んだ。思い浮かぶのは、自分を食い殺そうとする七条家にいた異形の神だ。感情を見せないように気を付けながらも、思わず真人の手に縋ってしまう。
「封印ということは新しい荒神か。隊員から報告は受けていない」
「ええ、黒曜部隊とは違う伝手で入ってきたものです。すでに力尽きてしまっていますから、封印にはそれほど時間はかからないかと」
事務的に伝え、書類を真人に差し出した。必要なことを打ち合わせた後、真人は結衣を連れて門を出た。門をくぐった瞬間、何かを通り過ぎた感覚に結衣は目を丸くする。
「これ、結界?」
「ああ、そうだ。帝都は奥にある御所を守るために強い結界が張られているからな」
結衣は興味深く帝都を見つめた。帝都には何度か足を運んだことがあるが、牛車での移動だ。こうして自分で歩いたことはなかった。門に近いところには、商人や帝都に住む人たちで賑わっている。
「ふうん。天神林家の屋敷に入ったことがあるけど……。こうして外から見ると広いのね」
「天神林? ああ、寄り親か。確か、数持ちは寄り親の離れを使うのが決まりだったか」
「ええ。いつも来るときは用事のある時だけだから、長く帝都に滞在したことはないんだけどね」
そんな話をしていると、真人が唐突に尋ねた。
「ところで、馬は乗れるか?」
「いいえ、乗れないわ。いつも牛車で移動していたから。ねえ、馬が必要なの?」
不思議に思い尋ねれば、真人は頷いた。そして、野原の先にある山々の方角に手を伸ばした。結衣もそちらに目を向ける。そこは険しい山と深い森があるだけだ。
「あそこに封印の大社がある」
「……牛車じゃダメなの?」
「遅すぎる。馬で駆けたほうが早い」
そうして、連れて行かれた先が黒曜専用の厩舎だった。その中でひときわ大きく、黒い馬を真人が連れてきた。
「これ、本当に馬なの? 大きすぎるわ」
「俺の愛馬だ。封印の大社まであっという間だ」
そう自慢げに話す。結衣は眉をひそめた。
(これだけ大きくて力強ければ、あっという間に到着すると思うけど……。これ、絶対普通の馬じゃないわよね。神馬じゃないのかしら?)
「さて、さっさと行こう」
真人はそういうと、結衣をひょいっと持ち上げた。
「えっ!? 何!?」
慌てて体をひねるが、真人の手はびくともしない。そのまま馬に乗せられた。
「しっかりと俺に捕まっておけ」
そう言って、後ろにひらりと乗ると、勢いよく馬の腹を蹴った。何が起こったのか理解する前に、真人の愛馬は爆走した。
どのぐらい走っただろう。
真人の愛馬がようやく止まった。彼の着物を握りしめていた手は強張り、すぐに放すことができない。震える体を持て余しながら、真人を見上げた。
「到着したの?」
「ああ。顔色が悪いな。乗り心地が悪かったか」
「違うわよ! あまりにも早すぎて恐ろしかったの!」
明後日の方向の心配をする彼に、結衣はつい声を荒げた。真人は肩をすくめ、結衣を馬上から降ろした。馬を厩舎に預けると、参道へと向かう。結衣は大きな石造りの鳥居を見上げた。その奥に、随神門があり、さらに薄暗い参道が続いている。
胸が変に落ち着かず、結衣は戸惑った。これ以上中に入ってはいけない、そんな警鐘が頭の中に鳴る。
「ねえ、私、ここで待っているわ」
「少し休むか?」
移動によって気分を悪くしていると思っている真人はそう提案する。結衣は首を左右に振った。
「そうじゃないの。ここ、なんだか嫌なのよ」
真人は眉を寄せ、結衣の顔をじっと見降ろした。自分の抱えているこの不安を見せたくなくて、そっと目を伏せる。
「まだ外出は早かったか? 今日は引き返そう」
結衣は顔を上げた。
「ううん。仕事が終わるまで、ここで待つわ」
申し訳ないと思いつつも、今すぐここから離れたい。その気持ちが声に出た。真人は小さく頷くと、彼女の頬に手を当てる。その手から柔らかく真人の力が伝わってくる。それが思いのほか心地よく、ほんの少しだけ摺り寄せた。
「体が冷えている。結衣を寮に帰した後、また来る」
そう決断した真人は結衣の頬から手を放し、再び厩舎へと向かおうとした。その時、玉砂利の音が鳴る。音の鳴った方へ視線を向ければ、いつの間にか白衣に白い文様の入った紫の袴を身に着けた初老の男性が立っていた。
(いつの間に……気配なんて全くなかったわよね?)
初老の男性が自分の存在を気付かせるために、わざと玉砂利の音を聞かせたのだろう。そのことに、結衣は警戒心を高める。男性は目を細め、恭しく頭を下げた。
「朽木様、お待ちしておりました。屠神様もようこそおいで下しました」
「阿部か。今日は一度戻る。彼女の調子が良くない」
「ほう、そうでしたか。それは大変でございますね。休む場所なら、ご用意いたしましょう」
彼の気の毒そうな顔に、結衣は鳥肌が立った。ここにいてはいけない、そんな気持ちが強くなる。だが、真人に帰ろうということはできず、だた彼の指を握った。
「いや、寮の方が落ち着くから、連れて帰る」
「そうでございますか? 屠神様はどうされますか?」
初老の男性は柔らかな声で真人の言葉を流した。彼の目は結衣へと注がれている。誰かと重ね合わせているような眼差しに、不快感と懐かしさを感じながら、結衣は気になったことを尋ねた。
「あの、屠神様というのは?」
「ああ、失礼いたしました。神剣・屠神の器になられた方を屠神様と呼ぶ習わしでございます。この大社、縁のお方なのです」
結衣はちらりと真人を見上げあた。彼も知らなかったのか、訝しげだ。
「聞いたことがない。事実なのか?」
「ほほ、そもそも、屠神の器になられた方はほとんどおられませんから……過去、私の知る限り、おひとりしかおりません」
それでもひとりはいるのだと、結衣はほっと息を吐いた。警戒を解いたせいだろうか、先ほどまでの嫌な感覚がすっと消えていく。心のどこかにいる神剣なのだろうか、喜びが伝わってくる。気付かぬまま、真人から手が離れた。その手を真人がすぐにつかむ。
「ここは敵地ではございませんよ。朽木様が屠神様を大切に思われる、とても結構なことでございます」
「真人、仕事してから帰ろう。その方がいろいろ言われなくてもいいでしょう?」
結衣は二人の微妙な空気をわざと無視して、明るく声を上げた。
「……わかった」
真人は渋々、頷いた。
「では、本殿へご案内します」
阿部に促され、二人は参道を歩き始めた。結界の大社は、とても奥に入れば入るほど影すらも飲み込むほど日の届かない場所だった。薄く陽の光が届いてはいるものの、曇り空なのだろうかというほど。阿部の後ろを歩きながら、結衣は興味深くあちらこちらに視線を向ける。あまりにもきょろきょろしていたのだろう、真人が結衣の手を引っ張った。
「よそ見をしていると転ぶ」
「あ、ごめんなさい。珍しくて。七……実家の祠とは違うから、つい」
「ここは大社でございますから、祠とは趣が異なるでしょう。さあ、本殿でございます」
本殿は大きな岩を背に建てられていた。その圧迫感に息を呑む。結衣が呆気に取られて本殿を見上げている横で、二人は打ち合わせを始めた。
「黒曜が持ち帰った封じはいつもの場所に祀ってあります」
「何体だ?」
「今回は五体ほどでございます。ただ……」
阿部の声が小さくなる。結衣は異変を感じて振り返った。視界がぐにゃりと曲がる。その瞬間、足元が不安定になった。
(何……引っ張られる)
体を強張らせ、足元を見た。そこにはたくさんの手が結衣を掴もうとしている。枯れ木のような手は結衣の脳裏に祖父の、辰見の死を思い起こさせた。そこにいるのは、まぎれもなく神であった何か。
頭の芯がジンと痺れる。熱が体を駆け抜けると同時に、何かが結衣を支配した。目を見開き、伸ばされている手を睨みつけたまま、一歩踏み出す。
「結衣!」
「えっ……?」
真人の声が聞こえた瞬間、世界が元に戻った。結衣は何度か瞬きを繰り返す。そして、至近距離で見下ろしてくる真人をただ見返した。
「ああ、戻ってきたようですね。ここは封印の大社、荒神が封じられております。まだ屠神様になって日も浅い様子。気持ちが引っ張られぬようお気をつけなされ」
淡々とした口調で注意する阿部に困惑気味な目を向けると、彼は優しい笑みを唇に浮かべた。そして、懐からお守りを取り出した。差し出されてそれを見て、それから再び真人を見上げる。
「どうぞ。気休めになります」
「受け取っておけ」
真人に促され、結衣はそれを受け取った。そこからはそれほどおかしなことは起こらなかった。真人と一緒に本殿に入った。そこに置かれている五つの封印の箱。真人は結衣を本殿の入り口に置いたまま、足早に近づくと、祝詞を唱えた。短い祝詞の言葉はよく聞き取れない。だが、先ほどと同じ、意識がぼんやりとし始める。二度目は少しだけ冷静だった。胸に手を当てると、真人の声に共鳴してる。
(ああ、神剣が震えている。次は……これは私のエモノダワ)
途切れることなく続く祝詞に心地よさを感じながら、別の何かの意識が混ざる。結衣はその違和感に気付くことなく、瞬きもせず封印の儀式を見つめていた。




