穏やかな日常
黒曜の寮の談話室は居心地のいい場所だ。黒曜の隊員は全部で四十人ほど。常に全員がそろっているわけではない。だが、お互いの交流のために談話室が設けられていた。
最近、結衣は真人が留守にしている間、ここで一日の大半を過ごす。寮に置いてある本を読んだり、時には使用人の手伝いとして豆の皮むきをした。それに、ここにいれば、戻ってきた隊員が声をかけてくれる。ひとりでいると、知らない間に七条家のことを、美結のことを考えてしまうため、結衣はできる限り談話室にいるようになった。
そんな、いつもと変わらない日のことだった。任務から帰任した隊員がすっと近づいてきて、声をかけた。
「あ、結衣さん。これどうぞ」
突然差し出されて、思わず結衣は両手で受け取った。手のひらに置かれたのは、小さな木彫りの人形。どこかの名産品だろう。
「これは?」
「お土産。隊長、こういう気配りしないと思って」
まだ名前を知らないが、よく見る人だ。興味本位ではなく、気にしてくれているのだ、と結衣はようやくこの時に気付いた。
(黒曜といえば、神を持つ一族にとって、粛清されかねない恐ろしい集団だというのに……)
こうしてともに生活をしてみれば、そこは実家にいた時よりも暖かな空気しかなかった。
「あれ、もしかして名乗っていませんでしたっけ」
彼は結衣の反応が思わしくなく、首を傾げた。結衣は小さく頷く。
「浅羽です。隊長よりもお兄ちゃんなんで、お兄ちゃんと呼んでくれていいです」
「却下だ。変なものを渡すんじゃない」
不機嫌そうに拒否をしたのは真人だった。まだ外套を纏っており、戻ってきたばかりだとわかる。
「隊長、威嚇しないでくださいよ! ただのお土産ですって。ずっとこんな何にもないところにとどめているのも飽きるだろうと、副隊長が適当に買って来いって言ってました! 可愛い人形は女子には正義なんですって」
「可愛い人形……?」
もう一度、手のひらにある木彫りの人形を見つめた。薄く目を開いた虚ろな表情。正直、結衣の可愛いの定義から外れている。
「浅羽、この無表情な人形が可愛いと言えるのか? 目が悪すぎる」
「あ、なんてことを! すっごく可愛いじゃないですか! 隊長の、熊が悪神に食いついている置物よりはよっぽど可愛いです」
どっちもどっちのような話をしているが、結衣は気にすることなく人形に触れていた。結衣の人生は当主になるための勉強ばかりで、こういう可愛らしいものはもらったことがなかった。ましてや、自分のために買ってきてくれたというのが馴染みがない。
(そうでもないか……確か辰見が)
亡くなった辰見の、柔らかい笑みが脳裏によぎった。
二カ月もすると、結衣も黒曜のことについて分かり始めた。そもそもこの部隊、特殊とつくだけあって、年中国内を飛び回っている。入れ代わり立ち代わり、全員がそろうことがまずない。だけど、ひとつだけ気付いたことがあった。真人はあまり出掛けないのだ。大体、帝都に詰めている。
(どうして、七条家の継承の儀式には足を運んだのかしら?)
ふとした疑問がこみ上げてくる。
「なんだ?」
「……いえ、何でもないわ」
黙り込んだ結衣に真人が聞いた。
「なんでもない顔じゃない――言え。言わないとわからない」
「そうですよー。隊長に情緒を求めたら、一生、何もなかったことになりますよ」
真人の圧を和らげるように、浅羽が茶化す。結衣はびっくりしつつも、思ったことを告げた。
「……どうして真人が七条家の立ち合いに来たのかなと」
「隊員が全員で払っていたからだ」
何の裏もない話だった。ここに住むようになって、どのぐらい忙しくしているのかは見えていた。あまりの合理的な理由に呆気に取られていると、浅羽が気の毒そうな目を向けてくる。
「いろいろ思うことはあるかもしれませんが、隊長に陰謀なんて無理です。この人、物理でしか勝負しない人なんで。狭間さんだって振り回されていますし」
「それは……なんとなくわかるわ」
そういって、結衣は自分の胸に触れた。そこは神剣を刺し、しかも真人がその上からさらに押し込んだ場所。痛みはないが、こうして意識すれば焼き切るほどの熱をすぐに思い出す。恐ろしい思いと共に、誰にも渡すことのない自分だけの思い出だと改めて認識する。
「お前は余計なこと言うな。さっさと報告に行け」
真人は浅羽を追い払った。浅羽はおかしそうに笑いながら、離れていく。
「ああ、そうだ。結衣さん、今度、歓迎会しますんでー! 嫌いなものがあれば教えてください!」
「不要だ」
真人がばっさりと切り捨てたが、あまり聞いていない様子だった。その後ろ姿を見送り、ちらりと真人を見る。
「そもそも、食べられないのだけど。真人の神力がおいしいと言えばいいのかしら?」
真人はじっと結衣を見下ろし、ため息をついた。
「俺が断っておく。お前もそういう……不用意なことを言うな」
真人に窘められて、結衣は眉をひそめた。
(今の私は、真人の力でしか満たされないのに。怒られるなんて理不尽だわ)
だけど、その言葉は飲み込んだ。こういう話は、真人としても平行線に終わるからだ。唇を尖らせて黙っていると、真人がそっと頬に触れた。
「なんだ、具合が悪いのか?」
「違うわ」
明後日な心配をしてくる男に、ため息をついた。




