第90話 アゴスティに舞い込む凶事
シルヴィオとジルダは先の戦いで負傷してしまった。
今の状態では、戦場につれていくことなんてできない。
スカルピオ殿にアゴスティの滞在をもとめられなくても、俺はしばらくここから動けないだろう。
「グラートさんは、領主様にあいさつされたのですか」
シルヴィオがコップの水を飲みほしてから言った。
「そうだ。俺たちに、しばらくここに滞在してほしいそうだ」
「そうなんですね。さすが、グラートさんです」
俺もそこの椅子に座ろう。
「だから、シルヴィオは俺に気にせず養生すればいい。お前たちが回復するまで、俺もここで待っている」
「はい……すみません。足を引っぱってしまって」
「やめるのだ。身をけずるような戦いをしている以上、けがをするのは必然だ。お前が気に病むことはない」
「はい。わかりました」
けが人のうめき声しかしないはずの病室から、どたどたと走る音が聞こえてくる。
廊下で、官吏か召使いが走っているのか。
「外がさわがしいようだな」
「はい」
廊下を走っている者は、ひとりだけじゃない。
チェインメイルの鉄のこすれる音も聞こえてくる。
「何か、あったのかもしれぬな」
「敵襲でしょ……うっ」
シルヴィオが起き上がろうとして、悲鳴をあげた。
「むりをするな。胸の骨が折れてしまうぞ」
「はい。すみません」
シルヴィオを病室でしばらく見守っていると、数人の兵が病室に入ってきた。
「ああっ、ドラスレ様」
「こちらにおいででしたか!」
兵たちは一様に切迫したような表情をうかべている。
「しずかにするのだ。けが人の傷にひびく」
「はっ。申しわけ、ありません」
三人の兵たちが姿勢をただした。
「俺に急務か?」
「はいっ。スカルピオ様が、急ぎドラスレ様をおつれせよと」
スカルピオ殿の身に、何か起きたのか?
「わかった。すぐに向かおう。案内してくれ」
兵たちに従い、スカルピオ殿の私室に出向く。
スカルピオ殿は書斎のような私室を、ひとりでうろうろしていた。
「ドラスレ殿っ、来てくれたか!」
スカルピオ殿は俺を見て、愁眉をいくらか開いてくれた。
「スカルピオ様。お呼びでしょうか」
「うむ。実に困ったことが起きてしまったのだ」
スカルピオ殿の指示に従って、丸いテーブルをかこむ。
「困ったこと、とは?」
「先ほど、わたしのところに急使が来てな。北のミランドでも住民反乱が起きたようなのだ」
なんだと!?
「こんなに立て続けに、住民反乱が起きるのですかっ」
「そんなことを言われても、わたしにもわからんっ。住民反乱など、わたしの生涯でも起きたのは初めてなのだっ」
しまった。俺としたことが、冷静さを欠いてしまった。
「そうですね。失礼しました。では、状況を整理しましょう」
「うむ。そうだな」
「ミランドは、アゴスティの北にある都市なのですか」
「そうだ。トリアーニ殿が治めている。ミランドの規模は、こことほぼ同等だ」
住民反乱が立て続けに起きるなんて、おかしい。
この住民反乱の中心は、どこにあるのか。
「スカルピオ様。正直におこたえしていただきたいのですが、こたびの住民反乱がなぜ起きるのか、お心当たりはありませんか」
「住民反乱の心当たりだと?」
「はい。民が武装蜂起するのには、かならず理由があります。それがわからなければ、わたしたちがいくら戦っても、民は抵抗をやめません」
「ドラスレ殿。あなたは、わたしを疑っているのか?」
紳士的なスカルピオ殿の表情が、くもった。
「スカルピオ様を疑っているわけではありません。わたしの言葉で不快に感じてしまわれたのであれば、訂正いたしましょう」
「ドラスレ殿。あなたは陛下に命じられて、抵抗する民たちの鎮圧をしに来られたのだろう。それなのに、民たちに与し、わたしたちに弓を引かれるおつもりなのか」
向きになっている様子から察するに、スカルピオ殿は住民反乱が起きる理由を知っておられるのだろう。
「スカルピオ様。わたしは状況を整理したいだけです。わたしは遠いサルンから来た部外者ですので、ヴァレダ・アレシアの東については、何も存じ上げないのです」
「むむ。そうか……。妙な疑いをかけて、すまなかった」
スカルピオ殿がわずかに頭をさげた。
「わたしは前にカゼンツァで民たちと戦いましたが、民たちは貧困にあえいでいるようでした。ラブリアは……アゴスティもおなじだと思いますが、この地方は作物がとれにくい土地だと、わたしは認識しています。
凶作でも、わたしたち騎士は税を課せば生きながらえますが、民たちはそうはいかない。民たちは重税にくるしんでいるのではないですか?」
スカルピオ殿が口をむすんでしまった。
「雨のすくないこの土地で、生活していくのは容易ではないでしょう。ラブリアのロンゴ様も、凶作であえぐ年は近隣の都市に支援をもとめていると言っておられました。
まずは反乱を起こした民たちを鎮めるべきですが、わたしたちが真に改善しなければならないのは、民たちの貧困と食料事情なのではないでしょうか」
貧しい土地を治めるのは、むずかしいだろう。
サルンは北に強国と接しているが、気候は温暖で作物が育つ。川も多いから、水に困ることもない。
ラブリアやアゴスティを支援するように、陛下に献策すべきなのかもしれない。
「ドラスレ殿は簡単に言われるが、わたしたちもっ、これでも一生懸命に統治しているのだ。何も知らない者に、そのように非難されるのは心外だ!」
「失礼しました。スカルピオ様やロンゴ様を非難するつもりはありません。ラブリアやアゴスティのくるしい状況を陛下に奏上し、国をあげて支援していきたいと思っています」
「そんなことが、できるのか? あなたに」
「支援までは確約できませんが、陛下に奏上することはできます。騎士団長のベルトランド様にも顔が利きますので、陛下に奏上するのはたやすいかと」
スカルピオ殿が子どものように口を開けていた。
「そんなことまで、できるのか。あなたは……」
「先のヴァレンツァの大乱で、わたしは陛下から大きな信用を得ました。ですから、心配にはおよびませんよ」
「そ、そうか……」
スカルピオ殿の表情は暗くなってしまったか。
「あなたは、おそろしい人だな。鳥のバケモノたちを軽々としりぞける武力をもちながら、ヴァレダ・アレシアの中枢ともつながっている。まるで、陛下に監視されているようだ」
「陛下は、スカルピオ様を虐げたりしませんよ。ご安心ください」
「そ、そうか。わかった」
スカルピオ殿との話し合いは、これで一段落したか。
「話が長くなりました。もとに戻しましょう。北のミランドでも、住民反乱が起きたのですね」
「あ、ああ。そうだ。ミランドでも民と騎士団が交戦中のようだ。街はまだ占拠されていないが、民の数がかなり多いのだという」
遠征をためらっている場合ではないか。
「わかりました。これから兵をまとめて、ミランドへ行きましょう」
「し、しかしっ、ドラスレ殿。いいのかね。ここの守備は」
スカルピオ殿は、アゴスティが手薄になるのを気にしているのか。
「もちろん、よくありません。ですので、必要最低限の兵のみ、わたしがつれていきます」
「そ、そうか。できれば、あなたにもここに留まってほしかったが」
「よそで住民反乱が起きてしまった以上、捨ておくわけにはいきません。すぐにアゴスティに帰れるように、手配いたします」
そんなことができるのか、と内なる自分が言う。
現実的には、むりだろう。
だが、こう言わなければスカルピオ殿は納得してくれないだろう。
「あいわかった。ドラスレ殿の判断がただしい。あなたが帰還なされるまで、わたしがここを死守しよう」
「ありがとうございます。よろしくおねがいします」
スカルピオ殿は、納得してくれたか。
「しかし、あなたはカゼンツァから連戦で、問題ないのか? 身体は疲れているはずだが……」
「そうですね。できれば、暖かい布団にくるまりたい」
「そうだろう。一日や二日なら、のんびりしてもよいと思うが」
「そうはいきますまい。ミランドでは過酷な戦いがくりひろげられています。一刻も早く向かわなければ――」
「スカルピオ様っ。失礼します!」
後ろの扉が、急に押し開けられた。
入ってきたのは、ここの官吏たちか。
「どうしたっ。お前たち。ドラスレ殿と、大事な話し合いをしている最中なのだぞっ」
「それは、重々承知しております。ですが、パライアでも住民反乱が起きたのです!」
なんだと!?
「そ、それは、本当か!?」
「はっ。パライアから、先ほど急使があらわれまして」
よその土地でも、住民反乱が起きたというのか……。
「パライアの正規軍は旗色が悪く、一刻も早い救援を求めているとのことですっ。ど、どうされますかっ」
「どうされますかと、言われても……」
スカルピオ殿が、ちらりと俺を見る。
どのような方法をとっても、俺がふたつの都市を同時に救援することはできない。
「それならば、旗色の悪いパライアを先に、支援した方が――」
「スカルピオ様、ご注進です!」
またしても、別の官吏が額に汗をながしながらあらわれたっ。
「今度はなんだ!?」
「はっ。そ、それが……フォルキアでも、大規模な住民反乱が起きたとの、報せですっ」
三つの都市で、同時に住民反乱だと!?
ヴァレダ・アレシアの東で、いったい何が起きているのだ……。
俺は思わず、スカルピオ殿と顔を見あわせてしまった。