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14 子爵・ジモルバーテ


(よくもここまで食い込む事が出来たものだ…)


 ジモルバーテは、手にしているグラスの中身に酔うようにして自らの手腕に酔っていた。

 貴族と言えど生まれた家格は低く、血統貴族に名前も乗らない一貴族の嫡男として生まれ三十数年。

 よくもまあ、国王と《眷属》たる娘が主役となる宴に呼ばれるまでになったものだ。


 グラスの(ステム)をぶよぶよと肉付いた指と指に挟んで揺らす。

 赤い色が薄くて丸い本体(ボウル)の中で揺られ、豊潤な香りが鼻腔全てを満足させた。


 招待された人々が家格が低い順に入場し、祝福の場たる大広間を煌びやかに埋め続けている。

 全ての人々が歓談しながら、取り分け大きな扉が開くのを今か今かと待ち望む気持ちを抱えて頻繁に視線を向けている。


 王族と親衛隊の中でも限られたほんの数人のみが護衛として潜る事を許された扉は、今はまだ閉じられている。


 宵の口を迎えて少し。

 露台や庭園へと続く扉の向こうからは、少しずつ迫る夜の帳を窺い知る事が出来るが、この場ではその夜の闇は一層祝福の歓喜と煌びやかな世界をはっきりと際立たせて彩る(どうぐ)でしかない。


 緑と水を齎していると言われる奇跡の娘―――《眷属》が公にお披露目される今宵の宴は、どうやら現王妃の廃位と新たな王妃の発表の場でもあると噂されている。


 確実なのは、すでに《眷属》と噂される娘が懐妊している事。

 腹の子の父親は、当然娘を寵愛している国王・グレンダートに他ならない。

 数多の《華々》に見向きもせず、ひたすらに愛でられている唯一の《華》。


 その《華》の懐妊が告げられ祝宴が開かれるとなれば、こぞって誰もがその祝宴に呼ばれたいと願っただろう。


 後宮の奥で、国王自らが厳選した女官や侍女に傅かれ、本来男子禁制の場でありながらやはり国王自らが厳選した親衛隊隊員に守られている娘。


 その娘が後宮に入ってから(のち)、王宮を中心として水や緑が徐々に増え、外側に向けて円を(えが)くようにして広がっている。


 その事実は覆しようもなく、最近では市井の者たちにまで広く知れ渡った事象だった。

 故に、その事象を引き起こしたと噂され、更には《眷属》であるとまで言われている娘の姿を一目見たいと思い願う人々が多い中、噂の当事者たる娘の懐妊祝いの宴に呼ばれた事は何をおいても名誉な事だろう。


 事実、突如祝宴が開かれる事が決まってから今宵までの期間は余りにも短く、宴に招待された人々はすぐにでもこの場に駆けつけられる距離にいた者たちだけだ。


 運悪くも距離のある地にいる者たちの悔しそうで、そして羨ましそうな顔を想像してジモルバーテは知らずにやりと笑った。


 子爵にしか過ぎない己が、この場にいる僥倖にも当然酔い痴れる。

 本来、招待されるような地位にはいなかったが、伝手を使って《眷属》の(もと)に紡士であるエイデンを送り込めたのは幸いだった。

 己の手腕で、王宮に出入りする人間の幾人かと懇意になり、出来た伝手を更に強固にして十数年。

 ある程度は王宮の中枢へと近付いてはいたが、所詮は血統貴族でもなく爵位の低い一貴族。

 武官や文官なりで才覚を現して伸し上がるには、女性たちの平均よりも小柄で更には太りやすく痩せ難い体質と動きの鈍い体が武官になれない事を示し、また文官となるにはジモルバーテの野心にその職は合っていなかった。


 コールファン子爵という、家名と家格を継ぐ前からジモルバーテは《子爵》という門地のまま王宮中枢へと影響力を持つ人間になってみたいという野望を持っていた。


 地位の低い人間が、地位の高い人間をいい様に扱い影響させる――――なんという甘美な|立場

《いち》だろうか。


 そう簡単にいかない事は解っていた。

 下手に動けば、上の人間に潰される。

 だからこそ、容易に潰されないだけの《もの》を持ちたいとも思い只管(ひたすら)努力して来た。


 エイデンが《眷属》の娘に気に入られた事に、心底ジモルバーテは感謝する。

 ジモルバーテがエイデンのパトロンである間は、幾らでもエイデンを通じて自分の存在を王宮後宮それら両方で浸透させる事が出来るだろう。


 人として際立った美しさを持つ紡士。


 彼らは、彼らの衣食住と身の安全を保証出来るパトロンとの契約を重視する。

 期間を設け契約し、その期間はパトロンが衣食住や身の安全を保証出来なくなった場合を除いてパトロンには従順だ。


 尤も、彼ら《紡士》としての《本質》を邪魔してはならない。

 契約時に、唯一彼らがパトロンに求める条件だ。


 その《本質》が何でありどのようなものか、ジモルバーテは知らない。

 《本質》を邪魔すれば、契約は紡士から一方的に破棄される。

 それに異を唱える事は出来ない。

 何故なら、彼ら《紡士》はそう出来るだけの不思議な《力》を持っているのだから。

 噂には聞いていたが、実際契約してみて初めてジモルバーテは納得した。

 目に見える書面を交わした訳ではない。

 ただの口約束と言ってしまえばそれまでだが、どうしてか契約を交わした瞬間に契約を違えてはいけないと強く自覚した。


 契約を違えればどうなるのか――――ジモルバーテは、だがそれを恐れてはいない。

 自らの勘と蓄積された知識、そして才を磨いてここまで来た自身を信じてもいた。


 彼らは契約期間、どれ程条件の良い申し出が()からあろうと契約しているパトロンの(もと)(とど)まる。

 

 紡士のパトロンとなったのは、好奇心の一言に尽きる。

 衣食住と身の安全の保障さえすれば、類稀な美貌の持ち主は、簡単に閨に侍るのだ。


 それならば、そこらの高級娼婦でもいいではないか―――と。

 そう思えていられたのは、紡士の美貌を目にするまでの話。

 稀なる容貌は、いっそ傾国の美女にもなれそうだと思える程だが生憎と紡士は男だった。

 その性別が、逆にジモルバーテの好奇心を更に煽った。

 己の外見が、女に好まれるものではなく、それどころか容易く嫌悪される程に醜いと知っていた。

 妻とて金で買い上げた女だ。

 とうに滅ぼされて国という形持たぬ土地の出の、かつての王族の縁続きというだけの女は、そこそこに造作が整っていたが、ジモルバーテが妻としたのは多産の家系であったからに過ぎない。

 女本人は、自身の《血》故に妻と望まれ金と引き替えに買われた悲劇の主人公(ヒロイン)だと酔っている節があるのが、ジモルバーテには当然滑稽に映る。

 

 確実に、自分の血を引く後継ぎが欲しいからこそ子を産めるだろう女を妻の座に据えたが、婚姻して三年。女に懐妊の兆しはない。

 眷属の娘は、僅かに半年の内に国王との子を懐妊したというのに―――と。

 ごちてもいたが、国王に倣って数人いる愛人の誰かと妻の座を挿げ替えるのも良かろうと、ジモルバーテは考える。


 妻に血筋の良さは求めていない。

 子爵のまま、裏で操る黒幕になれるなら本望。

 噂と事実と、話を聞けば聞く程、先代国王を裏で操っていたとされるセイィータ公爵の手腕に感心し、一方的に敵愾心を持ってもいた。

 一国の頂点たる人物を裏で操れる程になれれば冥利に尽きるだろう。

 まして操るのが公爵などてはなく子爵という地位の人間。

 想像すれば痛快だが、己一代でそこに到達するには国王周辺を固める人材の才覚はずば抜けている。

 だから、ジモルバーテは死ぬ迄に盤石な下地を作り、己の血を引く子にそれを託す。

 そこに高貴な血統などいらない。

 しかし、才能がなくても困る。


 そう考えると、正妻が生む子でなくてもいいと考えはするが、この国において地位の低い貴族程逆に正妻の生んだ子でなければ嫡子と認められない傾向が強かった。

 それは、正妃が正妃の地位にある時に生んだ子が性別に関係なく次期国王とされる為だろう。


 地位の高い貴族になると愛人の子であっても実力さえあれば、各家長の判断で非嫡出子であろうと後継者に据えられる。

 家を断絶させない為であり、血統貴族として血が次代に繋がるならばそれでいいのだ。

 才覚なくば、家は傾くだけだ。

 半分だけといえど、高貴な血は確実に流れている。


 ジモルバーテの脳裏に一人の若者の姿が浮かぶ。

 

 愛人の子でありながら、血統貴族筆頭の後継者に据えられた若者。

 実力的に後継ぎに相応しいかといえば、耳に入る情報ではそうではないという。

 病弱で気弱。

 父親が用意した優秀な側近たちに支えられ助けられ、そうされる事で公爵家の跡取りとして、次期当主としての体裁を整える事が出来る。


 何と甘えさせられた男だ――――と、ジモルバーテは内心で嘲笑った。

  

 先代国王の右腕として活躍していた男も、所詮は子に甘いだけの親かとどれだけ失望した事か。

 失望して、そして憤った。

 そんな男に一時は憧憬さえ抱いていたのだ。

 ジモルバーテは。


 王妃となった娘。

 公爵家の跡取りたる息子。


 しかし、どちらも権勢を揮うに値しない人物たち。


 だから猶の事、血統が良くとも所詮は才覚なくば意味はなく、それでもジモルバーテとて己の血を引く者に後を継がせたい。


 深い(あか)が放つ豊潤な香りに意識を酔わせながら思考する。

 

 愛人の何人かに、ほぼ出産時期が重なるよう子を()してみようか。

 妻にも同じ時期に子を産ませ、それらの中から才覚ある者を選び、妻の子に才なくば入れ替えてしまえばいい。

 性別が違えば面倒だが、幾らでも妻の実子とする抜け道(すべ)はある。

 (ひとえ)に好み故、幸い妻も愛人たちも、髪も瞳も同じ色をしている。 


 その手腕に憧れ、その一方で激しい嫉妬を覚えた男はつい先日死んだ。

 

 それを何処か残念にも思っていて、ジモルバーテは急逝の報を聞いた夜、一人黙祷した。

 だからこそ、男の子供たちに才がないのが酷く残念でもあり、同時に酷く滑稽にも感じたのだ。

 

 一体、どれだけの人間が急逝した公爵の死を悼んだだろうか。

 

 公爵とその子供たちを嘲笑する一方で、憐れみも覚え、また同時に蹴落とすべき人物が一人減った事に歓喜もしている。


 複雑な感情を抱えながらも、所詮は野望の前では手を差し伸べようとは微塵も思わない。

 それどころか、ジモルバーテは没落していくセイィータ公爵家のその財をその伝手を、その家格持つ権力を己がどれだけ取り込めるか方法を模索し、ひたすら算段するのだ。


 野望の為に、どれだけこの手が汚れようとも構わないジモルバーテは、視界の先にある姿を認めて愉悦の笑みを醜いと自覚する顔に刷いた。


「上手くやりましたね」


 ジモルバーテは、背後から声を掛けて来た男をちらりと見た。

 ここ二年程で随分と馴染みになった若い男だ。

 何処か卑屈な色と媚び諂う色の二色を混ぜて滲ませた眼をしている。


 この男が近づいていたのに気付いていた。

 言葉の内容に、「ふん」と軽く鼻で息を吐く事で答えた。


 王宮深く入り込む過程で知り合った男の名前は、マルクスという。

 ジモルバーテより(とお)近く若い男は、現在王宮勤めの文官としてはかなりの上の地位にいる。

 そこに至るまでの後押しと金銭的援助をしたのは、ジモルバーテだ。

 元々持っている伝手で以って王宮文官職へと捻じ込んだのも、更に己が王宮深くに食い込む為の使える駒とする為だった。

 また、それ以上にこのマルクスという男に目をつけたのは、マルクスがセイィータ公爵の次期当主である男・ルフォードの側近でもあったからに他ならない。


 金と伝手をマルクスに与えてみせれば、面白い程ジモルバーテへ尻尾を振ってみせた。

 セイィータ公爵・アルフォンソに見出され、貧窮した下級貴族から一転して確かな職を与えられながら、その裏で公爵家を裏切り、ジモルバーテにセイィータ公爵家に関する情報を流してくれた。

 

 そんな良い仕事をしてくれた見返りにという建前で、一年程前王宮文官職へと投じた。

 数字に強いというこの男は、元々セイィータ公爵家お抱えで高位の役職についていたのだ。その実力はそれなりに知れ渡っていて、王宮勤めですぐさま地位を上げたところは、ジモルバーテも認める手腕の良さだ。


 ついでにいうなら、王宮文官でありながら、未だマルクスはルフォードの側近でもある。

 本人は、勉強と人脈作りの為と称し、上手い具合に公爵家に話を通して何食わぬ顔をしながら王宮勤めと側近を兼任しているのだ。


 マルクスの視線が、令嬢たちに遠巻きにされ貴族の子息たちに囲まれているエイデンに向けられていた。


 掛けられた言葉の意味が、そのエイデンを指していると容易く知れる。

 マルクスにしてみれば、《眷属》と繋がるだろう紡士の存在は無視出来ないのだろう。


 エイデンの美貌を舌舐めずりせんばかりの視線で幾分か眺めやり、ジモルバーテを見た。

 この場に招待される位には、王宮内部での地位を上げているマルクスの目に好色を見付け、ジモルバーテは歪んだ笑みを返す。


「あれは、借し出してはくれないのですか?」

「無理だな。紡士は、基本パトロンにしか侍らんよ」


 期待を含ませた強請りを、ジモルバーテはあっさりと却下する。

 契約したパトロンにのみ体を開くのは、知れた話だ。

 それでもと、好色さを消さずマルクスが却下さた事に顔を歪ませたが、ジモルバーテは気にはしない。

 

 エイデンの貸し出しを申し込まれ、強請られるのは何も初めてではない。

 あの美貌の上に、更に今は《眷属》のお気に入りなのだ。

 エイデンと知り合いになりたいと願う者は多く、あわよくば一度だけでも寝てみたいと考えている輩は男女年齢問わずにいる。


 王宮文官となるのに、ジモルバーテから援助されている以上、強くは出られないとマルクスは自覚しているようで、横流しにした情報の見返りという以上を求めればジモルバーテの機嫌を損ねると思っている様子が、その歪んだ顔から窺い知れて、ジモルバーテはそういうところが若いなと、何とも年寄り臭く考えて内心で己に苦笑した。


 そんなジモルバーテを知らず、マルクスは気を立て直した様子で話を変えて来た。


「ボーヴォワール殿は、随分と焦っている様子ですねぇ」


 しみじみと言われ、ジモルバーテは頷く。

 マルクスに声を掛けられる前に、視線の先に見た恰幅の良い老人。

 オリオル=ボーヴォワールと言えば、国内外に名前の知られたこの国髄一の大商人だ。

 多くの税金と寄付金を国に納め、更に愛妾・ミアリリスを孫に持つ。

 国王・グレンダートにどの《華》よりも頭一つ抜き出て愛でられていた《華》。

 次の王妃に最も近いと言われ、その日も遠くないと確実視されていた《華》の権勢は、だが《眷属》の娘の登場により一変した。

 大商人のボーヴォワールが金をばらまいて王宮内の人間を買収しようとも、孫娘への国王からの寵愛が戻る可能性は絶望的だ。


 寵愛される娘が、ただ(・・)の娘であれば、幾らでも金で孫娘を王妃へと押し上げる事が出来ただろうが、《眷属》という存在の前では無意味にしか過ぎない。


 いっそ《眷属》へと繋がる為に金をばらまけば、オリオル=ボーヴォワールが大商人として権勢を揮う事は幾らでも出来るだろうが、いかんせん。孫娘である愛妾・ミアリリスが心底、国王・グレンダートに惚れ込んでいるのは知られた事実だ。

 ジモルバーテが知る、ミアリリスの気性は激しい。

 今宵、この宴の場に呼ばれている愛妾たち。

 その心中(しんちゅう)はどれ程のものか。

 国王は、はっきりと《眷属》の娘への愛情と寵愛を、数多の愛妾たちに見せつけ立場の差を思い知らせるのだろう。


 半年―――《眷属》の娘が後宮入りしてから、ただの一度も他の《華》の(もと)に通っていないという事実は、《華》でとして女としての矜持を(いた)く傷つけているのは明白だ。


 そうした寵愛の差に、しかし比べる事さえ思いつかれもしない王妃の存在の何とも軽い事か。


 何度か見掛けた事のある王妃の姿を思い出し、ジモルバーテは憐憫を覚える。

 しかし、それだけだ。

 助ける義理も義務もない。

 後宮から放り出されても、帰る実家(いえ)が沈むのは時間の問題。

 今までの功績や貴族としての歴史、その血統の高貴さ――――様々な事項を挙げたとて、国王にあからさまに疎まれている間は陽の目など容易には見れない。


 《眷属》という娘を手に入れた国王に阿る人間は圧倒的に多い。

 それらの人間たちにも疎まれるのだから。


「王妃も焦っているんでしょうかねぇ」


 マルクスが、穏やかな顔付きで次々と貴族たちに挨拶し歓談しているボーヴォワールの姿を傍目にして呟いた。

 内心は、どうにか孫娘に寵愛が戻らないか焦ってるのは推測出来る。

 しかし、マルクスが呟くように王妃が焦っているとはジモルバーテには想像もつかない。


 感情のない、仮面のように張り付いた笑みの表情だけが脳裏に焼き付いている。

 

 今宵、廃位されるだろう王妃の事をジモルバーテはそうは知らない。

 国王たちに冷遇されている事、外交に関しては評判は良い事、生家は没落に向かっている事。

 そんなものばかりだ。


 遠目にした姿で推測出来る事など、所詮はこちらに都合が良い事ばかり。

 故に手にした情報だけでは、王妃・アリアを知った事にはならず、だがセイィータ公爵・アルフォンソの娘としては才のない女だとしか思えなかった。


「エイデン殿が駄目ならば、王妃では無理ですか?」


 届いた内容に、ジモルバーテは眉根を寄せた。

 元々造作の悪い顔が更に歪んで悪くなる。

 煌びやかで祝福に満ちた宴の場でするには、なんとも不遜で不穏な会話だ。

 

 どうやら、マルクスは今はまだ王妃である公爵令嬢と寝てみたいと考えているようで、ジモルバーテの持つ人脈やらを使って、どうにかお膳立てを狙っているようだ。


 見遣ったマルクスの双眸が濁っている。

 

 暗い欲望の火をちらつかせ、マルクスがジモルバーテに強請る。


「王妃を抱けるなんて、殆どの人間が体験出来ないでしょう。どうせ夫である王に見向きもされないような女です。《女》としての価値など、所詮抱き人形程度でしょうに。なら、元王妃という肩書きが周囲の認識として根強い内に上手く高級娼婦に仕立てるなど容易いでしょう」


 同意を求めているようで、その実吐き捨てられるような強さ持つ口調は、周囲に聞き咎められないよう小声であっても思い込みの激しさが窺い知れた。


 そこにマルクスの卑屈さを見た。

 

 ジモルバーテの人脈のひとつに人身売買がある。

 国法で禁じられていようと、いつの時代も需要と供給は絶えない。


 ジモルバーテがその気になれば、王妃・アリアの身柄を手に入れる事は不可能ではない。

 すでにセイィータ公爵令嬢であり、王妃にまでなった女を望む申し出は幾つか来ていた。

 そういう意味では、マルクスなど相手にはならない。


 ジモルバーテは耳にした言葉に答えなかった。

 それが答えと解って、マルクスが不満を表面に見せたがそれ以上を強請りはして来ない。


 引き際が解っていると言えば聞こえがいいが、結局のところジモルバーテの機嫌を損ねたくはないという心情の表れに過ぎない。

 感情を上手く隠せるようになれば、マルクスはもっと上にいけるだろうが、今の地位までが限界だろうとジモルバーテは当たりを付ける。

 今のところは利用し甲斐のある駒だが、下手な扱いをすれば厄介な存在へと簡単に変貌するだろうとも思った。


 見限る機会(タイミング)を誤らないようにしなければ―――――と。


 ジモルバーテは思う。


 ふと、宴の場の空気がざわめいた。

 傍に立つマルクスが大きく両目を見開いている姿に釣られるようにして、ジモルバーテはその視線の先を追い、マルクスのように驚く。


 この場に呼ばれるはずのない若者がいた。


 屋敷に引き篭もっている事の多い、病弱で気弱な青年。

 父親の急逝から数日。

 何故か晴れやかな笑みさえ浮かべている。

 傍らに柔らかな顔立ちの男を供にし、何か会話している様子で時折頷いてみせる。


 何処かで、見た顔だ――――ジモルバーテは思考し、すぐに思い至ってマルクスを見た。


 記憶に間違いがなければ、マルクスの王宮での同僚に当たる人物だ。

 ただ、目立ったところがない上に利用価値をジモルバーテは、その男に見出せず、放置していた存在でもある。

 それが、何故セイィータ公爵子息・ルフォードと共にいるのか。

 またどうして、この場にいるのか。


 正妃交代劇の発表の場となるだろう祝宴に、不穏な空気が流れた。


 一体、何の為に。

 何かを仕出かそうというのか。


 人々が、ひそひそと噂し出すが、それを解っているはずの青年はいたって涼しげな顔をしている。


 開き直りというには、随分と余裕さえ滲ませる雰囲気を纏っている様子は、青年の確固不抜(かっこふばつ)な精神を如実に周囲へと見せている。


 才のない後継者の姿など、そこにはない。


 今まで得て来た情報に誤りがあった事をジモルバーテはこの時、初めて知った。

 そして、それはこの事ばかりではなかったのだ。


 王宮中枢へと食い込む為に、影響力を持つ為に。

 その野望の為にして来た幾つもの努力も行動も、そして持ち得た矜持も。


 ジモルバーテは今宵を境にして全て失うのだ。


 その事を当然知らず、鼻腔を心地良く擽っていた酒精(アルコール)が酷い悪酔いに変わるのにそう時間は掛からなかった。



 







 よくもまあ、ここまで来れたものだ――――――そう自身の才に酔い痴れていられた時こそが、人生最良の時だったのだと。

 

 全てが崩壊していく過程で痛感する。


(何故だっ。何故、漸くここまで来れたというのにっ!! まだまだ、これからだというのにっ!!)


 怒りは絶望と同時にジモルバーテを苛む。

 死にいくその瞬間まで、ジモルバーテは正妃・アリアを憎み続けた。


 憎む事でしか、精神(こころ)の均衡を保てなかったのだ。




 

 

※欧米でのテーブルマナーとしてワイングラスは、本体(ボウル)部分を持つようですが、作中では敢えて(ステム)部分にしました。

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