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大きなイチョウの樹の下で  作者: おきついたち


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2.イチョウは燃えにくい

使った食器を洗いながら、宵は夕飯の準備をする。

と言っても気分は重くてぐったり。

「母さん、夕飯は軽うてもエエ?オレあんま食欲無いワ」

「何ンよ~広川さんの話聞いたダメージなん?弱っちい胃袋やなあ」

「せやかて、あんまりにも生々しいて…」

ジャガ芋の皮を剥きながら、宵は深いタメ息に埋もれてしまいそう。

でも優美は豆の筋取りをしながらフフ~ンと呑気。


中江家の献立事情は、さすがにナマモノだけ避けているけれど。

それ以外は肉魚乳製品や卵も少し使うゆるーい精進メニュー。

宵がバイトを掛け持ちするには体力を使うし。

小食の優美にはスキな物を食べて欲しいと思っているから。

このジャガ芋も鶏そぼろ煮の予定。

その手元を優美が覗いてフフと笑う。

「ジャガ芋の芽て身体に毒やねんてな。変色した皮もアカンらしいで。

まあなあ養子縁組して、佐藤さんの食事も作っとったら。

相手の身体なんてどおとでも出来そおやんなあ」

「かあさんっ」

「あははは!宵の怖い顔てオモロイわ~」

優美は、宵の渋い表情をピン!と指ではじくと。

ふわりと身をひるがえし軽い足取りで台所を出て行ってしまう。

「わたし夕飯要らんワ。

おやつようけ食べたし、後で勝手にお茶漬けすするし。

先お風呂入ってくんな~」

「ええー?もうすぐ出来るんやでぇ?」

台所に取り残された宵は一応文句を言うけれど。

気分屋の優美にはよくあるコト。

そういう時は、優美のおかずは冷蔵庫に入れておく。

でも今日は宵も食べる気になれないから、鍋ごと冷蔵庫へ直行かも。

とりあえず手だけは動かして調理を済ますけれど。

頭の中は広川さんから聞いた話が渦巻いている。



広川さんの旦那さんは、定年後も嘱託で銀行の相談係をしていて。

長年の経験もあるし、地元繋がりもあるしで。

意図せず佐藤さんの近況が解ってしまったらしい。

個人情報に関わることだし口外するつもりは無かったけれど。

駐車場の件で自分達が関わってしまったので、妻だけに話したコト。


あの駐車場の持ち主は佐藤法子さん。

広川さん夫婦もお付き合いがある老婦人で。

ご近所では誰もが知ってるちょっとした資産家。

若い時に京都でお店を経営していてかなり成功したらしい。

でも独り身だったので引退時にすべてを処分して、ここへ引っ越した。

と言うのも、兄弟で一番仲の良い弟夫婦がいるから。

そして弟夫婦宅に同居しながら、貸駐車場とか手広くやって。

老後は十分な資産も有って弟夫婦とのんびり過ごす予定だったのに。

心を許していた弟が先に亡くなってしまったコトで歯車が狂った。


弟夫婦には2人息子が居る。

その長男がいつの間にか、佐藤法子と養子縁組していて。

任意後見や家族信託とか専門的対応も完了させて。

佐藤法子の財産管理が出来る立場になっていたらしい。

広川さん夫婦も、息子が居るのは知っていたけれど。

成人後はその息子2人とも見掛けることが無くなったから。

てっきり独立して遠方で暮らしてると思っていたのに。

長男の方が、佐藤法子の資産を動かしてるなんて。

じゃあ佐藤法子さんは?

駐車場の件も有るしで、広川さん夫婦が佐藤家を訪ねてみたら。

そこには佐藤法子も、元から住んでた未亡人の佐藤久子も居なくて。

玄関に出て来たのは駐車場の件を持ち出してきた女性。

つまり佐藤法子と養子縁組した長男の妻だった。


お喋りの終わりに渋い表情で広川さん夫婦は言っていた。

「詳しい事情も知らんで決めつけるンもアカンけど。

何んもかも不自然過ぎてなあ、気味悪いんや。

老人騙して金も家も奪ったよおにしか思えん。

合法なんか知らんけど、ヒトの道踏み外しとるとしか言えんワ」



明日か明後日には、その佐藤さん達がIK教改宗の相談でやって来る。

宵はダシ汁を小皿に取って味見をするけれど、味が感じられない。

(あんな話聞いてもて、オレ先入観持たずに対応出来るやろか?)

緊張と不安と少し恐怖まで感じてしまう。

ニュースで報道される一般的な範囲だけど。

さすがに宵もIK教団が絡みのトラブルとか政界つながりとか知っている。

でもまさか自分が直面するとは思ってもみなかった。

宵は天井を見上げて深呼吸すると、もう一度そぼろ煮の味見をする。

優美は甘めの味付けが好みだけど。

生姜を効かせてピリ辛の味付けにすると、定常の好み。

学生時代「これ旨いな、丼いっぱいでも喰えるな」なんて笑ってた。

(七味と生姜の絞り汁でめちゃキリっとさせたろ。

そしたら多分、定常の顔思い出して元気なれそな気ぃするワ)

そう思い直して宵はやっとキモチを切り替えることが出来た。




灰色の雲が厚く広がって肌寒さを感じる日に、佐藤夫婦がやって来た。

夫の方はノーネクタイのスーツ姿。

でもスーツは着古された物で、今の年齢にも体格にも合ってない。

そして何よりどんよりと生気無い目が不気味。

墓をIK教仕様に作り替えるなんて、よっぽど深い信心者かと思っていたのに。

ぺこりと頭を下げてボソボソと話す様子は、生気の無さを感じてしまう。

「ご無沙汰してます。

その節は、父の葬儀でお世話になりました。長男の佐藤洋です。

苗字が同じなのでヤヤコシイんですが。

伯母の佐藤法子と養子縁組しましたんで、今はそっちの佐藤になります」

「こちらこそお世話になっております」

「それで、こっちは妻ですが。

妻と子供は苗字を変えてませんので、私とは別姓です」

「え、えーと?」

「結婚時私は婿養子でしたので竹内を名乗っとりました」

「あ、そおなんですか」

あんまり堅苦しくならないよう、宵は作務衣姿。

少し後ろに座る優美もいつも通り黒ワンピース。

一番目立っているのは、佐藤さんの妻。

服こそ紺色スーツだけど、光沢ある高級生地に大粒の真珠が重く眩しい。

でも妙に化粧は濃くて古めかしくて白黒テレビ時代の女優みたい。

そして何より困ったことに、その作り込みが全然似合ってない。

まるで誰かの顔を真似て無理やり上書きしたよう。

紹介を受け、笑顔を浮かべて頭を下げるけれど。

厚い化粧にヒビ割れが出来そうなくらい不自然で馴染んでいないから。

化粧という仮面の下に何があって何を思っているのか全然判らない。

宵は冷たい汗が背中を流れるのを感じてしまう。

「初めまして。佐藤洋の妻です竹内紀子と言います」

「え」

「そうなんです。字は違うんですけど養母と同じ『のりこ』でして。

苗字を変えると同じ名前になってしまうので竹内のままです」

「あ、そおなんですね…」

きっと色んな場面で自己紹介する時も同じ説明をしていて。

言われた方も、なるほどと納得出来る理由に思えるけれど。

宵の頭の中では違う疑問がジワリと滲み出る。

(竹内って、まさか塾の竹内くんの…)


佐藤夫婦の外見や雰囲気は2人の力関係そのままらしく。

竹内紀子はずっとIK教の信者で、今では幹部候補になるほど。

夫の佐藤洋は結婚するためにIK教に入信しただけの下っ端。

だからIK教の布教パンフレットや墓標の写真をテーブルいっぱいに広げ。

陶酔した表情で熱弁を振るうのは竹内紀子で、佐藤洋は座ってるだけ。

竹内法子の化粧が濃過ぎるせいか、語る言葉が滑らか過ぎるせいか。

セールス番組の客席に座らされてる雰囲気。

でもその勢いは激しくて。

宵は口を挟むことも身動きも出来ず、それこそ呼吸も一時停止しそう。


とにかく竹内紀子は独り舞台の主人公みたいにひたすら喋る。

自分がIK教と出会って如何に救われたか。

それからは充実して幸福で満たされた日々を送っていて。

資産を持ってしまったばかりに気苦労が増えた養母の魂が心配で。

佐藤家の先祖まで遡ってIK教の恩恵を授かり今一度魂を救済するとか。

演技掛かった話し方やその表情はどんどん熱を帯びて来て。

竹内紀子の言葉がリアルになって、ひとつの世界を造り上げてしまいそう。




「それにしてもエゲツないデザインのお墓やねえ。引くワー」

ぬっと宵の肩越しに優美がテーブルの資料を覗き込んで来て、いきなり一言。

それでセールス番組は突如カット。

宵もびっくりしたけれど、無関心そうな佐藤洋さえ少し顔を上げた。

「あらぁーごめんなさいねえ、斬新とか言うべきやったかしらあ」

「なっなんて失礼なっ…」

語り役としてノっていたのに。

優美に口を挟まれ、またその言葉に怒りが抑えられず。

竹内法子の濃い化粧顔がぐにゃりと歪むと、まるで失敗したピエロメイク。

でもそこから吹き上がって来る怒気はホンモノで、部屋の空気ががらりと変わる。

常識的な大人がこんな剥き出しの怒りをそのままぶつけて来るなんて。

予想もしてなかったし、もともと穏やかな性格の宵は固まって声も出ない。

もし空気に色があるとすれば。

竹内紀子の怒りが赤黒い炎になって渦巻き、息が出来ない苦しさ。

それを。

白い手が伸びて来て爪先でギギギと切り裂いていく、ように宵には見えた。


でもそれは。

優美が中腰になって、宵の後ろから伸ばした白い手だった。

テーブルの資料を爪先で突いている。

「死人に口ナシて言うやろお。

お墓入ったら何んも文句言えへんのやから、文句言わんで眠れるように。

そぉっと静かにしたらんとなあ。

ここはそおいう場所やし。私らはそれを護るンが仕事や。

あんたが頭ん中でどんなカミさん拝んどっても、知らんけど。

ココの雰囲気壊すよーな物ンを持って来られンのはお断りや。

考えてみ。

学校の隣にラブホ建てるか?

USJの隣にゴミ焼却場とかなあ?あり得へんやろ。

ただでさえ、あんたらのカミさん用に休耕地買うんも揉めとるのに。

今ここで墓ひとつゴリ押しして、地元民の反感買うたら。

幹部候補のあんたの評価も下がるんちゃう?よお考え」


宵の位置から、優美がどんな表情で話しているのかは見えない。

でも優美の言葉や話し方には十分なチカラがあって。

竹内紀子が巻き散らしていた不穏な空気を切り刻んで散らしてしまった。

斜向かいに座る竹内紀子の勢いが萎む変わり様が、宵に見えてしまう。

そしてそのまま竹内紀子は初めの濃い化粧顔に戻る。

目元や口元に引き攣った皺の跡がうっすら残っているけれど。


宵は、溺れていた泥水から顔を出してやっと息を吸えたキブンになって。

あの…と声を出そうとしたら。

佐藤洋の胸ポケットから着信音が響いた。

「あ、すみません。ちょっと」

「もちろんです。どうぞ」

促された佐藤洋がスマホに耳を当てると、強張った顔ですぐに振り向く。

「紀子、もおええから引けて言うとるで」

「あなたっ余計なコト言わんといて」

「あ、ああすまん」

おどおどと困惑している佐藤洋とは逆に。

竹内紀子はキツイ目で宵と優美を睨みながら資料を搔き集めバッグにしまう。

「もお結構や。

真っ当な信者に対してこんな侮辱的な扱いするなんてヒドイ寺やっ。

どおせこんな古寺すぐ潰れるに決まっとる。

神様の御心を理解せん不敬者には天罰が下るンやからっ」

勢いよく立ち上がったはずみに、テーブルが揺れて湯呑が倒れたけれど。

竹内紀子も佐藤洋も振り返ることなく玄関に向かって。

バン!と派手な音を立てて出て行ってしまった。


何んの言葉も出す余裕ナシの展開に。

立ちあがり掛けた体勢のまま宵は、そおっと優美を見る。

優美はしかめ面でテーブルを拭いて湯呑を片付けながら、呆れ顔。

「ほんまに~どないなカミさんなんやろなあ?

テーブル汚して謝りもせず出て行くンやで?

布教活動ん前にまずは一般マナーを学んで欲しいやんなあ」

「けっきょく…何んやったんやろ?また話の続きに来るんやろか?」

どっと疲れが圧し掛かって来て、宵は頭を抱えてしまう。

だって佐藤夫妻の話は中途半端で何んの結論も出ていない。

「来おへんやろ。

旦那の方が言うとったやん「もおええ」て。

さっきの下手な芝居、隠しマイクで教団関係者も聞いとったンやろ。

そんでココで圧しても大したメリット無いて判断して撤退指示出したんや。

ご近所さん繋がりで広川さん以外にも教団絡みの噂聞かせて貰うたけど。

あーゆー団体には専門の弁護士や探偵が居るんやて。

土地の売買や名義変更から、金持ちのターゲット絞って。

寄付いう形で金横取りするまでの脚本作って、演技指導もするんやて」

「えんぎ…」

「どおせIK教の墓にするんも。

数億の寄付する熱心な信者いう建前を準備する為やろけど。

私らあが脚本通りに動かんて判ってストーリー変えるコトにしたんやろ。

せやからコレで終わり。もお忘れよ」

「そんなんアカンで…。

そもそも佐藤ご夫婦の話しか聞いてへんねんで?

肝心の佐藤法子さんとか他のご親族のお気持ち聞けてへん」

「あんなあっ」

珍しく優美の声が荒くなる。

いつもお人好し過ぎる宵に、ただ呆れるだけなのに。

「まだ判らへんの?

さっきの佐藤夫婦かて結局は教団の指示で動いとるだけや。

ほんで教団は、いくら金絞り取れるかが基準なんや。

佐藤さん家がどーとか、カミさんがこーとかの話ちゃうねん。

それこそ触らぬ神に祟りナシやで。

私は、ここが。この寺が、変らずイチョウが似合う風景やったら。

それだけでエエねん。

それ以上首ツッコむ気ぃ無いワ」

「そんなん…オレは知らんふり出来ん…」

「何んでよ?墓の件が絡まんのやったら、無関係やんか」

「塾の生徒が巻き込まれとるかも知れん」

「なーーーーっんやソレ!バイトのあんたには益々無関係やんかっ。

あーアレか、こないだ顔にヘンなもん付けて帰って来とったな」

「うん、本人はめっちゃ怖がっとったし…放ぉっとけへん…」

視線は下を向いてモゴモゴと歯切れ悪い宵だけれど。

膝の上で両手をぎゅうと固く握り締めている。

いつもほんわり微笑んでいる宵は「お坊さんよりお地蔵さんみたいや」

なんて檀家さん達から言われてるけど。

実はそんな石みたいに融通が利かない頑固さがあって。

まあ良く言えば芯が強い。それが解ってる優美はタメ息をつく。

「もお1回訊くけどな。

私はこの寺んコト以外に手ぇ出す気無いんや。

そんでもあんたは1人でも関わる言うンやな?」

「う、ん」

今度は顔を上げしっかりと優美の目を見て。宵は応える。

「そおか」

いきなり優美の白い指先が、宵の額をピっと突く。

「ほんなら今すぐ駅前でコーヒー豆買うて来て。

今日は喫茶の日や。限定スイーツも持ち帰りして来てや」

「へ?」

「仕切り直しや。濃ぉいコーヒー淹れて糖分補給せんとやってられん」

「せやけどオレ、コーヒーは」

立場上なるべく嗜好品は避けているから、宵は飲酒はしないし。

コーヒーは好きだけど特別な時だけ。例えば定常と2人の時とか。

「ええから買うてき。

豆余ったら、あんたのカレシが来た時に淹れたったらエエやろ」

「えっ」

「夕方なると仕事帰りの会社員で満席なンやから。さっさと行き」


優美の意図が判らず、ぽかんとした顔で宵は出掛ける用意をする。

自分の部屋に行って着替えてたらスマホのメッセージに気付いた。

定常からだった。

ついさっき優美にネタにされたばかりだし、宵の頬が熱くなってしまう。

(うわーなんてタイミングや。

もおこーなったら、定常が好きなマンデリンも買うてまおかな)

そんなコトをごにょごにょ考えながらメッセージを見て、目が丸くなる。

「急だけど週末そっちに行く。仕事終わったら連絡くれ」

「わぁ…こんなすぐ会えるんや」

メッセージの文字を追うだけで、頭の中で定常の声が響いて来る。

自分の弱い性格も中途半端な行動力も、否定せずに受け止めてくれる存在。

そして気付くと、そっと支えてくれていて。前に進む力を分けてくれる。

(ほんまはさっき佐藤さんが居る間めっちゃ怖かった。

信仰は自由やて言うけど。

それは自由に選べるいうコトやと思うのに。

あんな…支配された形になってもて。お気持ちは救われとぉのやろか?

あの勢いにオレは向き合えるンやろか?)

竹内紀子の造り上げられた表情を思い出すと、宵は背中がゾクリとする。

でも。

「定常が居ってくれる…」

スマホの文字が読めなくなる。霞んでぼやけてポロリと涙が落ちる。

(ああそおや、こおいう安心感があるだけで全然ちゃう。

どおせオレには何んかを解決するチカラとか無いけど。

せめて生徒が安心して話出来る場所を残しとかんと)

涙と鼻水が落ち着くのに少し時間が掛かったけれど。

顔を洗って鏡でちょっと気合入れ直した顔を確認して、宵は出掛けた。




いつも優美がコーヒー豆を買う店は決まっていて。

その店の前を通ったことはあるけど、宵は入ったことが無い。

普段は服の仕立てや直しをしている店で何故かコーヒー豆も販売してて。

月数回カフェも開いている。

今日はカフェの日だから、入口横にメニューボードが置いてあって。

ほのかに芳ばしいコーヒーの香りが漏れ漂っている。

宵がそおっと木製のかわいいドアを開けると、意外と店内は空いていた。

「いらっしゃいませ」

生成りのシャツに紺色のカフェエプロンの店員が声を掛けてくれて。

「ランチは終わってもおてドリンクだけですけど。ええですか?」

「はい、豆買うだけやし。あーでもスイーツも頼まれとって」

エプロンよりスーツが似合いそうな知性的な顔立ちの店員が明るく微笑む。

「もしかして優美さんのお遣いやろか?」

「えっあ、はいっ」

「少おし前に優美さんから連絡貰うとって、用意出来てますよ。

ちょお待ってくださいね、小夜さん呼んで来ます」

窓際の席に宵を案内すると店員はキッチンスペースへ行って。

湯気を立てるカップをトレイに乗せてすぐ戻って来た。

「限定ブレンドの試飲しとったんです。

お好みに合うか判りませんが、どおぞお試しください」

「わ、ありがとございます」

やわらかでフルーティな香りが宵の鼻をくすぐる。

(これ絶対スキなやつや♪)

厚みのあるカップの縁は口当たりも優しくて飲み易いし。

豆の甘さと軽くコゲた感じがチョコみたいにじわぁっと喉に沁み込む。

「おいしー!」

つい宵が声を上げてしまうと。

いつの間にか目の前に、ちんまりしたふわふわパーマの女性が座ってる。

「あはははは!ほんま暁さんによお似とお」

「え?」

「優美ちゃんと暁さんが結婚したばっかの頃はよお2人で店来てくれたんよ。

息子さんの話は聞いとるけど、会うんは初めましてやね」

「あ、はい。すみませんご挨拶もせずに。宵です。初めまして」

どんな話を聞いているのか判らないけど、小夜はニコニコと紙袋を差し出す。

「これいつものブラジルな。

そんで今日のスイーツはええと何ンやったけ?孝一くん」

小夜が振り向いて声を掛けると。

さっきの店員がまたトレイを持って出て来て今度はガラス皿を置く。

「優美さんのはアプリコットのチーズケーキです。

これはお口直しにどおぞ。

アイスに余りのアプリコットジャムを添えただけやけど」

「うれしーです。ありがとございます」

宵がひとくち匙を運ぶと爽やかなヨーグルトアイスに甘酸っぱいジャム。

「こっちも旨ぁ~」

「それとこれが資料のコピーです」

「?」

美味しいコーヒーとデザートにすっかり気分が上書きされたトコロ。

何んの資料?と宵は大きな目をぱちくり。

「あはははーぼんやりさんやなあ。

優美ちゃんがアレコレ心配すんのも判るわあ。なあ孝一くん」

小夜から話を振られて、ちょっと困り顔の店員は茶封筒を宵の前に置く。

「優美さんから頼まれとおのは。

IK教団の休耕地買収を反対しとる経緯と、東京で準備中の弁護団資料です。

どちらもオープンになっとる件ですけど。

管理サイトが別なんで、解り易うまとめて欲しい言うことやったんで」

「それ母さんが?」

「はい。息子さん用に準備してくれて頼まれました」

「なんで…」

「あはははは!優美ちゃんらしーなあ。

めんどーなコトは孝一くん任せや。ほら説明したって」

小夜は店員のシャツを引っ張って隣に座らせたタイミングで。

店のドアが開いて3人連れ客が入って来て、小夜は接客に行ってしまう。

仕方無さそうに店員は向き直って資料をテーブルに広げた。


「オレは資料集めただけなんで。詳しいお応えは出来んのですけど。

この議事録にある法律家の高山先生から預かった情報です。

高山先生はボランティアで法律相談に乗っとって。

少し前からIK教団への対応について協議会にも参加されてます。

そんで今度東京で弁護団が設立されて集団調停に持ち込むことなって。

先生が色々橋渡ししとるトコなんです。

優美さんから資料欲しいて言われたから、てっきり、その。

お知り合いに被害者が居るんかなて思うてたんですが…」

踏み込み過ぎないように、丁寧に言葉を選んでくれる孝一の心遣いと。

優美のキモチが今更ながらに伝わって来て宵の胸がじわりと熱くなる。

(何んやねん、母さんもお。

知らんとか勝手にしぃとか言うとって。こんな先回りしてくれとお)

少し声が震えながら宵はぺこりと頭を下げる。

「ほんまにありがとうございます。

オレ気持ちばっかり空回りしとって、具体的な状況解ってへんで。

頂いた資料で頭整理します。ほんまに助かります」

「お役に立てば何よりです。

信仰心に善悪付けるンて難しいですよね。

そんでも、個人の胸の内だけや無くて。

他の人巻き込んだ結果その人が社会的基準で不幸に成るんやったら。

そういう時は法律で判定して。

社会でやっていける程に守るべきやと、オレは考えます」

「…そおですよね。

信じるて、自分ン中でこそ重みがある言葉やし。

外側から背負わされる重みやないはずですよね…」


店内のBGMがヴィンテージジャズからポップスアレンジジャズに変る。

客がコーヒーとお喋りを楽しむ時間帯になるのに合わせたチェンジ。

お陰で少し固くなってしまった宵と孝一の間の空気もふっと軽くなる。

また店のドアが開いて客が入って来て、孝一は笑みを残して席を立つ。

「溶けてまう前にデザート召し上がってくださいね」

「はい頂きます」

「高山先生はもお引退されとるし、膝も悪うて出歩くんは難しいし。

厄介事に巻き込むンは正直申し訳ない程の方なんです。

でもオレの知り合いで話し易い現役弁護士も居りますから。

何んか相談あったら連絡ください。今日はお話出来てよかったです」

「オレの方こそです!ほんまにありがとおございましたっ」

テーブルに額をぶつけそうになりながら、宵は何度も頭を下げた。

気のせいか孝一も照れ臭そうな笑顔。

(ほんまにほんまにありがとおございます)

自然と宵は合掌していた。




週末いつものホテルロビー。

定常と会うだけなのに、宵はIK教団の資料もカバンに入れて来た。

あれ以来佐藤夫婦からは連絡は無いし、特に問題は無いけれど。

遠距離恋愛だからなるべく何でも報告し合うようにしてるし。

(そお言えば。

定常と孝一さんて雰囲気似とるよな。

落ち着いとって頭良さそーで涼やかなお顔立ちやし)

そして頭の中で着替え妄想。

(孝一さんに法衣…うんやっぱめっちゃ似合うワ。

定常がカフェエプロン…あれ?結構ええやん。前髪降ろしてそんで…)

「何ニヤニヤしてんだよ」

目の前に怪訝そうな表情の定常が立っている。

バイト後の宵はシャツとチノパンだけど、定常はちゃんと道中着。

しっとりした黒色が定常の顔を更にキリっと際立たせていて。

(あ。やっぱ定常はこっちのんが似合うわー)

宵はほわんとしたキモチになってしまう。

「おい大丈夫か?仕事疲れ?」

「いやいやいやごめんっ全然そんなんちゃうからっ」

「顔火照らせて怪しーな」

定常の視線に少しホンキの不審さが混じり出すから。

焦りながら宵はカバンからファイルに入れた資料を出して見せる。

「ほらコレ。

たまたま寺の仕事でIK教団のコト調べとって。

資料分けてくれた人がめっちゃ親切で、少おし定常に似とって」

定常の大きくて骨ばった手が、宵の口元を塞ぐ。

「たまには外で飯喰うつもりで店予約したけど。

やっぱり飯買って部屋に行こう。あんまり外でする話題じゃない」

「ごめん…」

「いや。今回の急な呼び出しもソレに関わることだし」

「えっそおなん?」

静岡から定常が呼び出されるのは、大抵宗派が関わる協議会関係。

IK教団対応の弁護団設立とか聞いたばかりだし。

あの近距離で味わった、佐藤夫婦の不穏な迫力も思い出すし。

かなりのオオゴト?と宵の顔が強張ってしまう。

でも定常はきゅっと宵の手を握る。

道中着の袖でその手元を隠しながら、定常の声も優しい。

「宵の話聞かせてくれ。オレも話せることは全部話すよ」

「うん」

ここがホテルロビーじゃなかったら、宵は定常に抱き着きたかった。



この間小夜の店で定常用のマンデリンも買っていて。

豆は挽いた状態にして来たから、ホテルの部屋でもすぐ淹れられる。

食後の1杯を定常の前に置く。

「挽き立てちゃうから香りは弱ぁなっとるけど」

「いや旨いよ。すごくオレ好みだ、ありがと」

「そんならよかったー」

食べ終わった総菜パックを片付けて、狭いテーブルいっぱいに資料を広げ。

コーヒーをすすりながら定常は1枚ずつ資料に目を通している。

ソファに並んで座るけれど、集中してる定常を邪魔しないよう宵も沈黙。

妙な緊張感で少し宵がモゾモゾし出したトコロで、定常は資料を戻す。

「でオレに似てるヤツって何んなんだよ」

「えーそン話ぃ?資料の話ちゃうん?」

「これ全部公開済みでマル秘事項は含んでないし、まあ安心したよ。

ヘンなことに巻き込まれたのかと思ったから。

けど、この資料上手くまとめてあるな、オレも参考にさせて貰うよ」

「せやろーオレもめっちゃ勉強になったワ。

ウチのご近所さんや休耕地の問題だけちゃうし。

色々あるんやなあてびっくりした」

「それが全国で何世代も遡るんだからな、ほんとオオゴトだよ。

ここに名前がある先生は大ベテランの元裁判官で。

この人のお陰で宗教二世の保護や対応も拡大出来ることになったんだ。

正しいことだとは思うけど、絶対大揉め間違い無くて。ちょっと頭痛い」


スゥエットに着替えた定常がムスっと渋い顔をしていると。

宵は学生時代を思い出す。

社会的に重い仕事までこなす定常は、あの頃より遠くになった気がするけど。

すぐ隣で愚痴をこぼしたり拗ねる顔を見せて貰えると、宵はほっとしてしまう。

(同世代の先頭を走っとる定常を応援すべきやねんけど。

あかんなあオレ。あんま遠ぉなってまうと寂しいて…。

いや、オレが頑張って追い掛けるしかナイんやけど)

気合を入れて宵もまた資料を見直して気付く。

「あ、この先生や」

「えっ!高山先生?どこがオレに似てるって?

この先生素晴らしい方だけど、その何んて言うか見た目は」

「あははは、そんな必死なん?

資料作ってくれた人が、この先生のお弟子さんみたいで。

めっちゃ尊敬しとおカンジやったなあ。

カフェの店員さんでなクールでイケメンで。初対面のオレにも優しいて」

「オレより?」

「いやそれはその」

資料を見終わったら、今度は定常の話を聞かせて貰うつもりなのに。

資料1枚挟める隙間も無いくらいの距離に、定常の顔が迫って来たから。

きゅっと目を閉じた宵は、定常の背中に腕を回してしまった。




塾バイトで出勤した宵は忘れ物BOXを覗き込む。

そこにはもう竹内くんのペンケースは無かったけれど引渡日は空欄。

「あの、竹内くんは忘れ物取りに来たンですか?」

庶務担当に聞いてみると意外な返事で、宵の心臓が大きく跳ねてしまう。

「それがねー竹内くんのおばあさんが亡くなられて。

葬儀とかで暫く塾お休みするンやて。

せやからそのペンケースだけ取りに、もおすぐ本人ココ来るんです。

ペンケースはそこ受付横んとこに置いてますよ」

「おばあさんて…」

(どっちの?)思わず宵は考えてしまう。

少し前どうしても確証が欲しくて、塾生徒名簿を見たばかり。

両親の欄は竹内洋と紀子とあったからIK教団が関わってるのは間違いない。

もう一度竹内くんと話をしようと覚悟を決めたトコロだったのに。

亡くなったのは…。

竹内くんの父親が養子縁組した資産家の佐藤法子さん?

それとも竹内くんの実祖母になる佐藤久子さん?

広川夫婦は、本通りの自宅ではどちらの姿も見てないと言ってたけれど。

「もし時間あるンやったら、中江さん受付居ってくれます?

私ちょお教材の検品したいんですよぉ」

庶務担当は宵に任せるつもりで、もう席を立っている。

「あ、はい。ここで竹内くん待ってます」

宵は動揺を必死で隠して落ち着いた声で応えた。


講座開始のチャイムが鳴って廊下が静まると。

それを待っていたように竹内くんが受付に現れた。


「忘れ物取りに来ました…」

「竹内くん聞いたで。大変やな大丈夫?」

また拒否的な態度をされるかと思ったけれど。

目の前の子供は疲れ切って暗く感情を失くした顔。

受付に居るのが宵だと気付くと、ペンケースに伸ばした手を止めた。

「先生、それの中見たん?」

「うんごめん。拾う時に見てもた」

すると竹内くんは何もかも諦めたような空っぽの声になって。

「何ンか知らんけど。IK教のやり方で葬式すんねんて。

そん時に喪服にバッチ付けなアカンらしーて。

ペンケースに入れとったから、しゃあ無くて取りに来たんやけど。

ほんまは…」

「ほんまは?何?」

「そのバッチは共犯者の印や。オレも人殺しになってまう。

もおイヤや…ほんまは家からあいつらから逃げたいンや。

けどアカンねん…カミサマやから全部見とって知とって。

何処までも追いかけて来るねん。絶対逃げられへんねん」

竹内くんの顔は恐怖で青ざめて身体もブルブルと震えている。

宵の頭の中にも資料にあった宗教2世の情報が巡って冷や汗が滲む。

「竹内くんちょお聞いて。

巻き込まれただけの子供を守る方法もあるンやで。

なあ少おしだけ2人で話しよおや、きっと何んかやり様が有るて」

受付はパーティションで区切られているから。

ぐるりと回ってドアを開けて廊下出て、やっと竹内くんの隣に行ける。

それだけの時間を稼ぎたくて、宵は平静を装いつつ1歩2歩。

でも竹内くんは苦しそうにぐしゃりと顔を歪めると。

ペンケースを掴んで走り出す、悲壮な言葉をぽつんと置いて。

「いまさら無理や…。

だってオレ、母さんがあの人階段から落とすン止めんかった。

黙って見とったんやから、オレもお同罪なんや」




いつ塾を出たのか思い出せないけど。

宵は原付ヘルメットを手に後竺寺のイチョウの下に立っていた。

頭が働かなくても、いつも通り原付で帰宅したらしい。

(竹内くんはまだ16歳の子供や。

竹内紀子さんの圧には、オレかて動けんかったくらいやし。

きっと周りの雰囲気で何んか思い違いしとるンや)

そう自分に言い聞かせながら宵は深呼吸する。

でも。

以前優美が言っていたコトもズルリと出て来て混ざり出す。

(教団の目的が佐藤法子さんの資産やとしたら。

養子になった佐藤洋さんが相続したらそれこそスキなよーに。

いや「スキなように」言うか「教団の指示通り」に…。

いやいやっそんなっめっちゃ失礼な想像したらアカンて!)

自分でツッコミつつ眩暈がして足元がフラつきそう。


「ちょーお立ったまま寝とぉの?」

自宅の方から優美の声が呼ぶ。

「お客さんやでー早よぉ家入ってンか」

「お客さん?」

宵はキモチを切替て、小走りで家へ向かう。

「そお」

玄関で宵を迎えた優美は楽しそうにふふふと笑った。

「佐藤洋の母親と弟さんや」

「!!!」

とうとう宵の頭はパンクした。



寂びれた古寺の小さな客間は、最近新しいお客様が続いている。

(あのイチョウもびっくりしてそおや…)

そんなカンジに現実逃避しながら、宵はなんとかご挨拶。

「すみません。お待たせしてもおて」

「いえ、こちらこそ突然すみません」

並んで座る佐藤母息子は俯いて恐縮してる姿は同じだけど。

母親の佐藤久子だけ喪服を着ていた。

「あの、もおお耳に入っとおと思いますけど。

主人の姉が亡くなりまして、今日はお通夜なんです。

一緒に暮らしたンは5年くらいですけど。

結婚当初から義姉には可愛がって貰おて仲良しやったんです。

主人が先亡くなってからは、2人で姉妹みたいに楽しいに暮らしとって。

義姉さんは幾つンなってもシャキシャキで行動力あって。

ずっと2人で助け合ってやって行こうて言うてたのに…」

段々と声が小さくなって佐藤久子はハンカチで嗚咽を堪えるだけになる。

だから隣に座る息子が話を引き取った。


「父さんが死んでから、あの宗教女が家に入り浸るよおなって。

法子伯母さんは足腰弱っとったから、出掛ける時はあの女が車出しとって。

そのままアチコチ連れ回して重要な書類にハンコ押させとったんです。

そのうちに兄貴が母さんに財産分与の一筆書いてくれ言い出して。

よおよお話聞いてみたら。

オレら知らんうちに、法子伯母さんと養子縁組しとった上に。

実子の権利は有るンやから、本通りの家を相続させてくれて。

そしたら同居して法子伯母さんと母さんの面倒見るとか勝手なコト言うんや。

でもみんな、あの宗教女ンこと嫌おとるんで断ったら。

伯母さんも母さんもボケとるから代理人が必要て診断書をどっかで作って来よって。

そのまんま怪しい老人ホームに押し込む勢いやったんです。

母さんだけは何んとかオレん家に連れて来れたんやけど。

それ以来伯母さんとは連絡取れん内に…階段から落ちて死んだて」

だん!とハデな音を立てて弟はテーブルを叩く。

「絶対あいつらが付き落としたんや!

脚悪い伯母さんの部屋は1階やから、階段使うコトなんて無いんに!」


激しい怒りで真っ赤になっている息子と、涙が途切れない母親と。

そして塾で聞いてしまった竹内くんの言葉と。

繋げたくないのに全部が繋がってしまって。

宵はまたクラクラ眩暈がしてしまう。


「なんとも言えんお話ですけど。

私らあ警察ちゃうし、何んでココ来られたんです?」

渦巻く空気がピタリと止まるような、優美のヒンヤリした声。

それで目が覚めたように母親の佐藤久子が泣き顔を上げる。

「そおなんです。お願いがあって来たンです。

許せんとか信じられんとかよりも、今はただ寂しいて哀しいて。

せめて法子伯母さんの為に手を合わせたぁて。

でも明日の葬儀はIK教信者しか参列出来んそおなんです。

せやから通夜だけでも行きたいンですが、このコは絶対行かん言うて。

そんでその…」

隣の息子も怒りが少し収まった顔を深々と下げる。

「オレ行ったら、兄貴達をブン殴ってまいそおで。

住職さんが母に付き添ってくれませんでしょうか。

どおかどおかお願いします」

宵の眩暈はもう台風レベル。固まってしまって言葉が出ないのに。

にょきと顔を出した優美がほんのり微笑んで応えてしまう。

「もちろんです。

佐藤さんは大切な檀家さんや。

お気持ちよく判りますもん、そのご依頼受けさせて貰います。

女手あった方が付き添い易い思うんで私も行きますし。

すぐ用意しますんで少々お待ちくださいね。

あ、奥様。お化粧直されたいでしょお?洗面所ご案内します。

そおや宵さすがに別宗派で法衣着るワケ行かんやろ。

あんたは黒スーツに着替えてな」

口を挟む間も無く進める優美を、強張った顔のまま宵が視線で追うと。

にっと小さな笑みが浮かんでる気がする。

それは、オチは判ってても観てしまうドラマを楽しんでるみたいだった。




タクシーで本通りにある佐藤家へ到着すると。

忌中札は貼ってあるものの、弔問客の出入りは無く静か。

優美に支えられながらタクシーを降りた佐藤久子は寂し気に呟く。

「結婚してからずうっと暮らしとった家やのに。

何んや知らん場所みたいや…」

足が止まってしまう久子の皺だらけの小さな手を、宵はそっと取る。

「行きましょお。法子さんが待ってらっしゃいます」

「そおやね、ありがとお」

開け放した玄関を上がると、薄暗い廊下の奥から干乾びた声が転がって来た。

「え…先生?」

「あ…竹内くん?」

暗くて目を凝らさないと判らなかったけれど。

塾で会った時のGパン姿のまま竹内くんが立っていた。

でも頬には大きなガーゼ、こめかみには絆創膏そして目元は腫れている。

「ど、どないしたん?大怪我しとるやんか」

動揺しつつも宵が竹内くんの方へ向かおうとしたら、甲高い声に遮られる。

「まあお義母さん!わざわざ来て下さったんですか。

こちらからお迎えに行きましたのに」

「母さん…」

黒ワンピースに立派な大粒黒真珠のネックレスを付けた竹内紀子が微笑み。

その後ろにげっそりした雰囲気の佐藤洋が居て。

おどおどと実の母親に近寄ろうとすると、竹内紀子が前へ出て塞ぐ。

「母さんなんで来たンや、あかん…頼む…見んといてくれ…」

それ以上動かなくなった佐藤洋は、顔を逸らしてブツブツ呟くけれど。

竹内紀子は例の完璧な笑顔で近寄って来る。

安置している部屋へ案内する為なのは分かるけれど。

何故か宵は危うさを感じてしまって、間に入ろうとしたら。


「触らんとってくれるぅ?付添人に指名されたンは私らなんや」

ヒンヤリした優美の声が低く重く全てを押し戻す。

「頼まれごとが完了するまでに手ぇ出したら、容赦せんで」

それはまるで雷雨が近づいて来る気流の変化。

震えるような冷たさがぞわりと首元に触れる感覚。

宵はぶるっと背筋が寒くなったし。

優美から氷の視線を直接向けられた竹内紀子は笑顔が壊れ。

急に老けたように顔の皺が深く黒く浮き上がっている。

そして。

厚い化粧やその配役にヒビが入り、何かが覗き見えてしまいそうで。

宵は胸がザワつく。

(そおや…お通夜いうンにお線香の匂いもせん。

弔問客は居らんのに、玄関に何人分の黒い靴があったんや…)

呆然としている宵や竹内紀子をそのままに。

優美が久子の手を取って、仏間に入って行くと。

耳を劈く悲鳴が響き渡った。


恐怖と悲壮が交じり合った久子の悲鳴。

慌てて宵も仏間に入って息を飲む。


使い古した普通の布団の上に置かれた佐藤法子の遺体は無残な姿。

たぶん階段事故後そのまま遺体修復をしていない。

自宅安置だとスペースの問題でお棺に納められない例もあるけれど。

でもこれはそんな事情は関係無く、ただ置いてあるだけの状態。

故人を偲ぶ気持ちなんてカケラも無い。

だから号泣する久子の悲鳴には自責も混じってしまう。

「お義姉さんっお義姉さんっ。

なんて酷い姿や、最期までこんな扱いされるやなんて…。

お義姉さんは何んも悪う無いんに何でこんなコトなってもたん?

私ひとりだけ逃げてもおて、ごめんなさいっ。

どおやってでも連れ出せばよかったっ、ほんまにほんまにごめんなさい…」

直視出来ない状態の遺体なのに。

久子は布団にしがみついて泣き続けている。


それを見下ろしながら竹内紀子が粘つく声を振りまく。

「まあお義母さん、そんな動かさんでください。形が崩れてしまいます。

でも心配要らんですから。

私達の神は、見た目の汚さを気にしたりしません。

信者ならどんな魂でも救済してくれるんです。

もお少ししたら信者の館へ運んで、そこで合同の見送り式を行います。

それによって誰一人取り溢すことなく必ず神の御元に送り届けられます。

個は全に成り、神の一部に成るんです」


悲惨な現実が目の前に在るのに。

そんな勧誘文句みたいな中身の無い言葉を並べられて。

さすがの宵も怒りに近い感情が胸を過るけれど。

泣き崩れる久子のそばに膝をついて、布団を握るその手をゆっくりほどく。

「佐藤さん、心苦しいですけど行きましょお。

ここでは誰の心も救われません。

寺に戻って私達だけで改めて佐藤法子さんを偲びましょう」


そして宵と優美が久子を支えながら部屋を出ようとしたら。

ガタイのいい男が2人荒っぽく入って来た。

「おい、権利書用の実印が見当たらないぞ」

その男達には遺体も宵たち3人も目に入ってないカンジで。

イライラした話っぷりは取り立て屋の仕事中みたいだった。

竹内紀子がその対応に振り向いた隙に。

涙にくれて足元おぼつかない久子を庇いながら何とか外へ出る。



もう辺りは真っ暗。

気分が沈んでいるせいか、夜は濃く空気は冷たく無慈悲に感じてしまう。

佐藤家の垣根は下半分がブロック塀になっていて少し段差があったので。

ハンカチを敷いて久子を座らせる。

「すんません佐藤さん。

すぐタクシー呼びますんで、ちょおっとだけココ座っとってください」

茫然自失の久子の涙は止まらないし。

きっと今はどんな言葉も届かない。

(責任持って佐藤さんを送り届けんと)

それだけを考えながら宵は少し離れてスマホを取り出すと。

ガシャーン!と佐藤家の方から何かが壊れる音がした。


「えっ」

びくっと宵が震えてしまったのは。

その破壊音なのか。

平衡感覚が無くなるような漆黒の闇に自分が浮いていたからか。

その闇の中で、ふわりと優美の輪郭が揺らめいて透きとおって。

まるで幽霊か人魂みたいに見えたからか…。


視線が吸い込まれてしまった宵は優美から目を離せない。

優美が宵にニヤリと笑みを向けると、闇全体も笑うように歪むと。

突然ぶわっと優美が青白く燃え上がった姿になって、佐藤家を指差した。

「コレで線引きはっきりしたなぁ。さっさと整理しよか」

優美の片手には、竹内紀子が付けていた黒真珠のネックレスが浮いている。

「あんたらはなあ物体が在るンで、数合わせせんと空間が安定せん。

間違わんよーによお見とってや、宵」

念押しされなくても、宵は凍ったように動けずただ優美を見つめるだけ。


青白くぼやけた優美の指がスイスイと宙で指揮棒のように行き交う。

「遺産を目減りさせんよーに、もおちょいしたら養子息子は殺されるンや。

本人も佐藤法子が殺されたことで、次は自分やて勘付いとるしな。

あの化粧女はなぁ、結婚相手の遺産や保険金を教団の賽銭箱に入れるん3人目。

エエ気に成り過ぎて詐欺容疑掛けられとる。

せやからそろそろ教団も切り離したいトコやねん。

せやな、あの運び屋に片付けて貰おか。

死体乗っけた車を暴走させて化粧女をぐしゃり。ははは!深紅のワンピースや」


辺りは深い闇底のままなのに。

ドールハウスを見下ろしているように、宵の脳裏に画が映る。

遺産を教団へ寄付する遺書を書かされた後、ザラザラと錠剤を飲まされる佐藤洋。

幹部バッチを付けた竹内紀子は満面の笑みを張り付けたまま暴走車に追突されて。

その暴走車のトランクには何かを包んだ布団の塊が入っている。


「あ1個足りん。

久子さんに渡そお思うて。佐藤法子の黒真珠をコッチ側持って来たからなあ。

その分が足りんなあ。

あの布団ン中に…そお言えば男の子が1人居ったな」

スライドパズルを楽しむように、優美はニンゲン駒を動かしていたけど。

指を止めてニヤっと笑いながら宵を見た。

「あのコももお色々分かっとったみたいやし。

遺産の為にどおせ次殺される立場や。もおエエやんなー」

その言葉で凍っていた宵の口元がぴくりと動いて。

必死で強張りを解きながら、宵はいつの間にか叫んでいた。

「あかんあかんあかん!!

あの子は怖がっとって、逃げたあてオレに話してくれたんや!

あの子は、せめてあの子だけは助けたらな…」

宵の記憶も動き出す。

(神様が見てるて言うてたんは、きっと教団のことや。

さっきの怪我も、教団関係者に暴力振るわれたんかも。

そんなトコ置いとけへん。大人がオレが動かんと…)

「けど、ああ言うとおで?」

面倒臭そうに優美がスイと指を振ると。

どんよりと黒い佐藤家の底から、怪我だらけの竹内くんが顔を上げて。

何んの望みも願いも無くなって腐ったような目で、じっと宵を見て。

ぐずぐずと崩れながら口を動かす。

「せんせぇ…もおエエねん、もおオワリにしてくれ…」


「たけうちくんっ!!」

喉が肺が内臓が切り裂かれるような痛みを感じながら、宵は大声になる。

でもぐにゃりと空間が渦巻いて。

もう何も見えなくなってしまった。

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