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「男の子になりたかったんだ」
アンジェラは声を震わせポツリと漏らした。
「男の子に? どうして?」
彼女は不安げにエリク王子へと視線を変える。
穏やかな笑顔で彼が頷くのを見ると、アンジェラはようやく安心したのか表情を和らげ、こちらを真っ直ぐ見返してきた。
「僕は生まれちゃいけない子だったんだよ。母様のお腹から出てくるのは、王子じゃなきゃいけなかったの」
覚悟を決めたかのような静かな声。迷いのない目がわたしを貫く。
「どういうこと? いけないだなんて」
確かに継承権のある王子の誕生は、王女が生まれることよりも一般的に喜ばれることに違いないだろう。だからハーディアの母だって、姉様の男子出産を心待ちにしていたし、この度の知らせをどんなに喜んだか側で見ていたから分かる。
でもね、第一子であるアンジェラが女の子であろうと、ううん、もっとはっきりと言えば男女のどちらであろうとも、その誕生は誰からも祝福されてしかるべきことだったのよ。
だってそうでしょう?
王家の血を引く新しい命の誕生なんだから、めでたいに決まってるじゃないの。そうよ、全ての国民が祝福し合う慶事だわ。
わたしは驚いてエリク王子へと視線を向けた。彼は飄々とした不真面目な印象を変えて、気難しい顔のまま無言で俯いているだけだった。
「どういうことなんですか、エリク殿下?」
ついつい咎めるような口調になる。
生まれてきてはいけなかっただなんて、こんな小さな子が言うなんて……、どう考えたって普通じゃない。
「ねぇ、落ち着いてよ暴ーー叔母さん。兄様を責めなくても分かるでしょ? 凄く簡単なことなんだから」
アンジェラが呆れたように割り込んでくる。
「僕を産んだ母様は、僕が生まれてきたせいでたくさんのお叱りを受けられたの。簡単なことだよ、子供にだって分かる」
答えないエリク王子の代わりに小さな声が耳に入った。
「誰によ?」
誰が姉様を叱ったと言うの?
分かるわけないじゃない。こんな理不尽なことがまかり通るなんて信じられないんだから。
カッとなったわたしに怒りに燃えた目が応戦してきた。
「分からないの? この国の王妃、ミネア妃だよ」
顔を歪めて横を向くアンジェラ。その姿がいつかの王妃との騒動を思い出させる。
「ミーー」
ミネア妃って言ったわね?!
「あなたのお祖母様じゃないの!」
「そうだよ、僕のおばあ様さ!!」
遂にアンジェラが大声を出した。
「おばあ様は母様をお叱りになったんだよ! 僕という出来損ないが生まれたのは、全部母様が悪かったからだって」
「アンジェラ……?」
「僕だって一生懸命頑張ったよ? もっと小さい頃は、おばあ様にこんなに嫌われてたなんて知らなかったし……、一生懸命王女らしく行儀よくしていたら……そうしたらいつかはおばあ様も褒めて下さるって信じてた」
アンジェラは一気に吐き出したあと、肩を揺らして呼吸を繰り返した。
「……でも、駄目だったんだよ……、おばあ様は僕が何をしても気に入らなかった……僕が僕のままだったから何をしたって駄目だったんだよ」
「アンジー、すまない」
エリク王子が労るように優しく頭を撫で、アンジェラは堰を切ったように泣き出す。
「だから……、だから僕は男の子になろうと決めたの! 僕が立派な王子になれば……おばあ様も母様や僕を嫌ったりしないだろう? 母様に辛く当たらないだろう? 僕が僕さえ王子として生まれ変わったら全てがうまくいってたんだ、だからーー」
「なんてことなの……」
ミネア妃ってばどういう人なのかしら。姉様が王子を産まなかったからって、それでここまで二人を追い詰めてたなんて酷すぎる。
アンジェラは自分の血を引く可愛い孫じゃない。その可愛い孫を抱きしめてやらないばかりか、出来損ない扱いするなんて!
「お話し中失礼しますが……エミリアナ様?」
ふつふつと怒りに震えるわたしに、誰かーー恐らくアーサーが声をかけてきたけれど、それを無視してアンジェラ達へと近づいて行った。
「それであなたはこんな酷い格好をしていたの?」
しゃくり上げるアンジェラが不貞腐れたように呟く。
「ひ、酷いって……これは男の子になるために……してたことで……」
「でも、もうあなたが王子になる必要はないわよね? 立派な本物の王子様がいるんだから」
アンジェラはグッと詰まって唇を噛んだ。
「だからって……僕に何が出来るの? 王女に戻れって言うの?」
噛み締めた唇の間から唸り声が漏れる。
わたしはため息を吐いて続けた。
「それはこっちが聞きたいわよ。ねえアンジェラ、あなたはどうしたい? 今までと同じように汚い格好をして乱暴者のジェイルでいたいの? でも、分かってる? それでは永遠にミネア妃をギャフンとは言わせられないわよ」
「あんた、ジェイルのことが分かったんだ?」
涙でぐしゃぐしゃの顔が目を丸くして見返してくる。うん、これはなかなか至難の業だわ。これを可憐な美少女に変えるのがわたしの使命とは言え……。
わたしはにっこりと微笑んで見せた。
「まあね、何となくだけど、ジェイルってのはあなたのことだろうと思ったの。その見た目はあのラジェットとか言う生意気な少年の受け売りでしょう?」
よくよく見ればあの少年にそっくりだし。ボサボサの髪型なんか、もしかしなくてもラジェットって少年の手によるものかもしれない。ちょっと、あんまりだけど。
アンジェラは照れくさそうに体を縮こませる。
「ラジェは……、そりゃちょっと口は悪いけど……でも面白くて強くて、それにああ見えて優しい師匠なんだよ」
涙と土に汚れた頬を赤らめ、アンジェラは恥ずかしげに下を向いた。
面白くて強くて、優しい?
いったい誰のことかしら? それはまあ、いいけど。
ふうん、そういうことなの……。
「しきりにアンジェラと言う名前を隠したがったのはそんな訳だったのね?」
「何だよ、そんな訳って!」
わたし以上にニヤニヤしているエリク王子の腕の中から、不愉快そうにアンジェは抜け出した。それから怒ったように火を吹いて叫ぶ。
不思議ね、ゴブリンもどきが可愛く見えてきた。わたし、どうかしちゃったのかしら。
「ラジェットはあなたをアンジェラ王女だとは知らないんでしょ? と言うより男の子だと信じ込んでいるんじゃないの?」
有り得る。今のアンジェラは確かに男の子にしか見えない。
アンジェラは真っ赤な顔で変わらず睨みつけてくるままだった。きっと当たってるから何も言い返せないのだろう。
「いかに傍若無人な小姓だとて、仕える王家の王女殿下にあんな態度は取れないもの。あなたは嘘偽りなく、本気で男の子として鍛えて貰いたかったのね」
だから頑として、ラジェット本人の前では自分の名前を言わせなかったのだ。不自然なまでのヘッセン団長の説明台詞を思い出すに、彼は事情を知っていて、仕方なくアンジェラを受け入れていたのだろう。
「……ラジェに言うの?」
目前の相手の瞳が一瞬不安げに揺らいだ。知られるのが怖い乙女心がちらちらと幼い顔に覗いている。
「言わないわよ!」
わたしは片目をつぶって笑いかけた。
「ねえ、わたし達で驚かせてみましょうよ。美しく変身してミネア妃とラジェットをびっくりさせちゃうの」
「な、な、な、なんでラジェ……!?」
途端に慌て出したアンジェラを思い切り抱きしめる。
「決まってるじゃない! 彼に微笑んで貰うためよ。笑った顔見てみたいでしょ?」
好きな男の子なんだから!
夕焼け空の太陽より真っ赤に染まったアンジェラが、口をパクパクさせている。
やがて彼女は「うん」と小さく頷いて、わたしに初めての素直な笑顔を見せてくれたのだった。
跳ねるように歩くアンジェラと、それを見守るようあとをついて行くエリク王子の姿が、城壁の陰にすっかり見えなくなってしまうと、わたしは無言を貫いていたルイーズを振り返った。
放心状態のルイーズは、いまだ二人が消えた先を目で追っていた。
もう、何なのよ、この腑抜けぶりは。
「ルイーズ、戻ったら早速キャリーにも今日のこと伝えるわよ。いい? 覚悟していて、明日からは忙しくなるから」
喝を入れる為にも大声を出したわたしの横から、別の声が邪魔をする。
「ルイーズ殿、申し訳ないが先に戻っていてくれないだろうか?」
「な、何ですって?」
そうだ、この男もいたんだった。
わたしの声には反応もしなかったルイーズが、アーサーの命令にはピクリと体を震わせる。
「は、はいっ……!」
ハッとこちらを向いたルイーズは、「では、お、お先に失礼致します」とか言いつつ小走りで駆け出した。
侍女がいなくなるのを呆然と見送ってる場合じゃない。
「ちょっと待ってよ、ルイーズ! わたしはまだ用があるのよ」
ひ、一人にしないでよ!
去って行く彼女に思わず手を伸ばしかけ、背後からの異様な冷気に気がつく。これってかなりまずいんじゃない?
「エミリアナ様ーー」
アーサーが近づいて来る気配がした。自然とわたしの心臓はおかしなくらい踊り出す。
し、仕方ないじゃない、怖いんだもの。何でだかたまらなく怖いんだもの。
「あなたはまた俺の静止を無視しましたね」
だけど、その声は意外なほどに柔らかいものだった。てっきり雷が落ちると思ってたのに、拍子抜けするほどに。
「な、何よ……」
何か文句があるって言うの? 忘れてるみたいだから言わせてもらうけど、わたしはあなたの主なのよ!
振り向いたわたしは目の前を塞ぐように立つアーサーに驚いて、しばらく言葉が繋げなかった。
息を呑むわたしを、アーサーは感情が読めない眼差しで静かに見下ろしている。手を伸ばせば触れ合うような近い距離に、彼の灰褐色の瞳が揺れていた。その陰りのある瞳の中には、怯えたような顔をしたわたしが映っている。
ねえ、こ、これって……どういう状況かしら?
「無関係な他人の為にそこまで必死になれるとは、俺には信じられない性格ですね。あなたはこの国の人間ではない筈だ。するべき事は他にある、違いますか?」
「か、関係ないことないわ……、ユーフェは大好きな姉様だし、アンジェラだってわたしの大事な姪じゃないの! 二人の窮地を見て見ぬふりなんか出来るわけないわよ!」
アーサーはフッと鼻で笑って頬を緩める。
「窮地に陥っているのはそのお二人だけではないでしょう? お忘れですか、あなたの方こそーー」
「えっ? 何のこと?」
わたしが顔を近づけると、彼は我に返ったように慌てて口を閉じた。
それから、目を見開いてわたしを凝視し、イライラしたような早口で「何でもありません」と捲し立て離れて行った。
ちょっと、今の何?
距離を取ったアーサーは、わたしから視線を逸らし城の方へと顔を向ける。
「そろそろ戻りましょうか。ルイーズ殿がどこかで迷っているかもしれません」
言うが早いか彼は背中を向けて歩き出した。
あ、相変わらず一方的な男ね。でも、いつもより……何だか様子が変だ。
「アーサー、あなたわたしに話があったんじゃないの?」
話があったからこそルイーズを先に帰したんでしょ?
何なのよ、言いなさいよ!
気持ち悪いじゃない。言いかけたこと途中でやめるなんて。
「話ですか?」
足を止めたアーサーは酷く冷たい視線を投げてきた。今度は明確にわたしへの敵意をその目に浮かべている。
「特にはありません」
冷淡に言い切ると、彼はくるりと踵を返して歩き始めた。そのままどんどんと城の方へと歩を進めて行く。
む、ムカ〜、この態度は何だろう?
わたしは自分の胸に浮かんだ何とも言えない腹立ちを、どうすることも出来ず持て余していた。




