第07話 深夜の脱出劇
「ご主人! ご主人! ご主人!」
安眠を貪っていると、顔をぺしぺしと何度も叩かれた。
コジューローの肉球だから、痛くはない。
「んーー……。なによぉ~? まだ夜じゃない」
寝ぼけ眼をこすりながら上半身を起こす。
部屋の中は暗い。
まだ夜中だ。
私は、再び上半身をベッドに沈めた。
「寝るな! 何か変だぞ! 絶対、逃げたほうがいいぞ!」
だが、コジューローが私のお腹の上で、ぴょんぴょんと跳ねる。
重い。
苦しい。
邪魔だ。
「はいはい、また明日ね」
私が寝返りを打って、コジューローを退けようとした、その瞬間。
「お嬢様! アメリアお嬢様!」
ドアが乱暴に開け放たれ、ランプの明かりを手に持つ爺が現れた。
「キャっ、キャっ、キャーーーっ!?」
「ニャっ、ニャっ、ニャーーーっ!?」
私とコジューローはお互いに抱きしめ合って驚く。
真夜中の訪問もさることながら、暗闇の中で下から照らされた爺の強面は怖かった。
「無礼は承知! 今すぐ、着替えて……。
いや、そのままで構いません! 儂に付いて来てください!」
「えっ!? で、でも……。」
「さあさあ、ぐずぐずしている暇はありませんぞ!」
しかし、爺はお構いなし。
戸惑う私を無視し、掛け布団を引き剥がそうと右手を伸ばしてきた。
今の私は、ネグリジェとパンツだけだ。
爺には何度も見せたことはあるが、見せると見られるは違う。
それが、女だ。
「何、何っ!? 何なのっ!? 待って、待ってっ!?」
「ええい! 時間がありません! さあ、行きますよ!」
私は掛け布団の肩口を両手で力強く掴んで抵抗する。
「キャっ!?」
だが、私は引き籠もりのニート。
六十代になっても軍人であり続けている爺に、力で勝てるはずもなかった。
******
「こんなところに階段が……。」
「驚いている暇はありません! 急ぎますぞ!」
ここでの暮らしが始まって、四年。
トイレがあるため、毎日一度は必ず訪れる尖塔一階のバスルーム。
その一階と二階を繋ぐ階段の石壁に見知らぬ出入口があった。
コジューローを胸に抱きながら、足早に先行する爺に続く。
その階段は、ランプの明かりが届かないほど下へ伸びていた。
「ねえ、いい加減に教えてよ? 何が起こっているの?」
深夜の突然の訪問。
次第に大きくなって近づいてきている尖塔外の喧騒。
着替える暇も与えられず、一階まで下りてくれば、さらに地下へと伸びる秘密の階段。
ここまで条件が揃えば、私でも解る。
今正に緊急事態が迫っており、そこから私を逃そうと爺が切羽詰まっているのを。
「王が乱心なされました」
爺は歩みを止めず、私の問いかけに応えた。
私は思わず立ち止まる。
「えっ!? 王って……。まさか、ルパート様が?」
だが、離れてゆく明かりを慌てて追う。
二年前、先王が病床に倒れた。
その後、アメリアの元婚約者『ルパート』が王位を継いだ。
婚約破棄の場にいたヒロインを王妃に迎え、善政を敷いているらしい。
師匠に聞いた話だ。
爺は私を気遣い、今までルパートに関する話題を口にしたことがない。
正直、信じられなかった。
乙女ゲーム内で描かれていたルパートの姿は、正に理想の王子様だ。
物腰が柔らかで公明正大。
平民のヒロインを正妃に選ぶ度量を持つので解る通り、身分に分け隔てを持たず、誰もから慕われていた。
ちなみに、私は彼に対する未練はおろか、特別な感情すら持っていない。
頬を打たれたのが初対面で以後は会っていないのだから持ちようがない。
強いて言うなら、芸能人を間近で見たような思い出を持っているだけ。
「王となって以来、その兆候は度々有りましたが……。
ここ、一年は酷く。王都では粛清が相次ぎ、パトリック様も二週間前に……。」
「お父様がっ!?」
間一髪を入れず、爺が衝撃の事実を明らかにした。
今生の父とは思い出は、婚約破棄から王都を発つまでの五日間しかない。
だが、今生の父に関しても乙女ゲームの知識でどんな人物かは知っている。
侯爵位と広大な領地を持ち、先王の親友。
アメリアがルパートと婚約するまで、臣としての最高位『宰相』を務めていた国家の重鎮中の重鎮だ。
その大きな影響力を持つ今生の父を粛清したら、国が乱れるのは必然なのは政治に疎い私ですら解る。
「そして、お嬢様がここに居ることが露見しました。
それで慌てて帰ってきたのですが……。
よもやよもや、こうも早く兵を挙げ、詰問も無しに攻めてくるとは……。」
「じゃあ……。やっぱり、外の騒ぎは?」
「今、息子が戦っています。
しかし、斥候の報告によれば、兵力差はこちらの三倍強。
すでに街を守る城門は破られてしまい、この城へ押し寄せてくるのも時間の問題です」
絶句するしかなかった。
階段を三階分くらい下りただろうか。
いつしか、喧騒は聞こえなくなり、水流が聞こえる天井の低い小さな洞窟へと出た。
「さあ、着きました。その船にお乗りください」
「うん、解った」
言われるがまま、小川に縄で係留されている小舟へおっかなびっくりに跳び乗る。
その勢いで、小舟が揺れる。
すぐさまバランスを取るが、爺が片肩に背負った大袋を投下する。
「キャっ!?」
「ニャっ!?」
小舟はより大きく揺れた。
たまらず身を伏せるように屈めて、広げた両手で小舟の縁を掴む。
コジューローは私の首に手を回した。
「その袋には、金と食料が入っています。
まあ、急ぎだったため、多くは用意できませんでしたが……。」
「えっ!? ……ま、待って?」
爺の言葉に嫌な予感を覚えた。
「それと、この明かりは渡せません。我慢してください。
ここの地下水路は、城の西に広がる森の川に繋がっていて、昼間ならまず見つかりませんが、今は夜で目立ちますからな」
「じ、爺はっ!? じ、爺も一緒に行くんだよねっ!?」
慌てて顔だけを上げて振り向くと、爺が小舟を係留する縄を外しているのが見えた。
「お許しを……。
儂は残り、この脱出路を隠す大事な役目があります。お供はできません」
水流に乗って走り出す小舟。
薄暗闇で気付けなかったが、その流れは早い。
ランプの明かりはあっという間に小さくなって消え、暗闇が私を包む。
「や、ヤダ、ヤダ、ヤダぁぁぁぁぁーーーーーーっ!?」
「大丈夫! お嬢様なら、大丈夫です!
そして、幸せにおなりなさい!
いつの日か、いつの日か! お嬢様がお子を連れて、墓参りに来てくれたら儂は満足です!」
木霊して聞こえてきた爺の叫びに、涙が溢れてくる。
だが、この地下水路がいつ外へ出るか分からない。
泣き喚いていたら私を追う者たちに、自分の居場所を知らせるようなものだ。
「……ご主人」
「うっ、ううっ……。」
爺の好意を無駄にできず、私は嗚咽を必死に噛み殺した。




