夏は鰻と共に
犬も歩けば棒に当たるように、腹を減らして町を歩けば人は飯屋に入る。
但し、『当たり』の飯屋に入ることは意外と難しい。事前の検索、口コミ、列の長さ、店構え。『当たり』の店を引くということはそれらの要素に運を加味した総合格闘技なのである。
さて、しがない美食ライターであるワタシは七月五日の今日、飯の種を求めて千葉県成田市に降り立った。
成田市といえば、ご存じ成田山新勝寺。成田屋、灰皿テキーラニキでお馴染みの市川團十郎氏もこの地よく訪れる。
成田山新勝寺のお膝元にあるのは、参道と呼ばれる一本道。そこでは土産物屋や飲食店がひしめき合い、情緒あふれる風情を醸し出している。
成田の飲食店でひときわ目立ち種類も多い店――それは鰻屋だ。今日は、鰻屋にターゲットを絞り店を選んでいこうと思う。
成田の鰻屋はインバウンドの影響からかコロナ前よりずいぶん店が増えていた。老舗の店から新しくてお洒落な店、片手で食べられる『カップ鰻丼』を出している店まである。適当に選べば大やけどは避けられない。
消去法で選んでいく。まず、カップ鰻丼は無しだ。あんなものはインバウンド向けの真似物でしかない。それから新しくてお洒落な店、一見良さそうだがどうしても観光客への媚を感じてしまう。新しいものを拒否するようになったのは、ワタシが四十歳を超えたオジサンになってしまったからなのか。昔はゲテモノにも挑戦していたのに。歳をとるということはげに恐ろしき。
残るは老舗だ。この地では『川豊』が有名であるが、この店は何度か入ったことがある。今回は新しい店に挑戦したい。中年オジサンのささやかな抵抗である。ここはまだ入ったことのない、『駿河屋』をチョイスだ。
意を決して『駿河屋』の看板をくぐる。幸い今日は空いていた。古めかしい椅子とテーブルの席に案内されおしぼりで手を拭く。この店はミシュランにも載っている高級店の一つである。だが、店内は意外なほど豪華さがない。ほんのりとノスタルジックな空気さえする。
肝焼きにも惹かれたが、ここは定番で行こう。うな重とビールを注文する。しばらくすると、お盆に赤い塗りの重箱、瓶ビール、コップが運ばれてきた。
まずはビールを一口。さっぱりとした苦みが広がり口の中を浄化してゆく。これは鰻に対する敬意である。
いよいよ鰻だ。赤い塗りの重箱を開けると、甘じょっぱいたれの香りがふわりと立ち上る。
真っ白で粒の立った白米に茶色に輝く照りついた鰻が鎮座し、『私を食べて』と誘う。
そっと箸を入れ、身を崩す。ほろりとした白身はたれと白米に絡み骨っぽさもまるでない。口に入れると、甘辛くしたたれが舌に絡みつき、鰻の身の香りが鼻を抜ける。一粒一粒自己主張する白米たちが口の中で踊りだした。落ち着け、ワタシ。ビールをもう一口含みリセットする。
今度は、山椒をかけて試してみよう。テーブルにある木の容器に入った、茶緑の粉末を身の端に振りかける。
もう一口、口から鼻に、強烈な初夏の風が吹き抜けた。今、確実に初夏の高原が目の前にある。もう一度。甘辛いたれと皮の部分はどうだ。パリッとしつつしっとりし、山椒の香りが鼻を抜ける。これは恋だ。絡みつく初夏の叶わない思慕恋情。
映像を追うようにワタシは鰻重を一口、また一口と食べ進み、気づけば重箱が空になっていた。
ワタシの夏は、成田の鰻と共に始まったばかりである。
―了―




