#47 木下家臣団
前話である46話の本文を大幅に更新しています。(26/08/23)
投稿直後に拝読いただいた方は、この話を読む前に前話を再度お読みいただけますと幸いです。
◼︎永禄五年七月 田原城 本丸・奥座敷
諸国へ出立する前の重臣会議を一刻後に控え、弥右衛門は次男の小一郎を奥座敷へ呼び出していた。
「小一郎、久しいな。息災であったか? ……首尾はどうだ?」
弥右衛門の温かい問いかけに、小一郎は思わず深いため息を漏らし、暗く落ち込んだ顔を伏せた。
「……お恥ずかしながら、身体は病一つせず元気でございますが、父上の代わりを務めようと張り切りすぎ、すっかりくたびれ果てております。そして……己の器の小ささに自信を打ち砕かれました。私はこれまで座株楽座天王で副座主を任され、人を動かすことには慣れていると密かに自負しておりました。ですが……大名としての統治は、全くだめでした。」
溜め込んでいた重圧を吐き出すように、小一郎は言葉を重ねていく。
「新左衛門尉が日々あげてくる報告は、領民同士の水争いや境界の喧嘩の仲裁、酒で暴れた者の処罰といった泥臭い揉め事ばかりでございます。己の一言の差配や判一つで、領民の暮らしや人生を狂わせてしまうかもしれない……そう思うと、判を押す手すら震えて怖くなりました。父上ならば、何事も即座にご決断されるというのに。」
「だから、他の政務まで手につかなくなったのか?」
弥右衛門の静かな問いかけに、小一郎は情けなさそうに肩を落とした。
「はい……。判を押すのをためらううちに他の仕事まで滞り始め、ついに一人で決めることを諦めました。見かねた与四郎や又左衛門に頼り切りになり……最後には智の姉上にまで相談に駆けつけてもらいました。新しい領土が増え、人手が足りぬというのにこの始末。……父上。私は、本当に大名など務まるのでしょうか。」
二ヶ月分の重圧と葛藤を必死に吐露する息子の姿に、弥右衛門はふっと苦笑いを浮かべた。だが次の瞬間、その大きな掌をそっと優しく、小一郎の頭の上に重ねた。
「小一郎、誰もが最初は同じだ。私がかつて今川の透破の頭領だった頃、たった一つの命令で部下の生死が決まる場面が幾度もあった。最初は怖くてな、判断を下せずに一人で躊躇しては、当時、駿府におられた太原雪斎公にえらく叱られたものよ。……だがな、組織の長の仕事とは『最後に決断を下すこと』だ。周りに相談し、頼ったことに対して恥を覚える必要などどこにもない。一人で抱え込まず、悩んだらどんどん周りの知恵を頼れ。そして迷いながらも決断を下す……それを泥臭く繰り返すことでしか、人は上に立つ者として成長せぬのだ。間違えることを恐れず、お主は今のまま胸を張って励めば良い。」
弥右衛門の手の温もりと、その胸に染み入る言葉を聞き、小一郎はすべてを吹っ切れたわけではなかったものの、その表情にふっと明かりが灯り、前を向くための小さな勇気をもらったような顔を見せた。
◼︎永禄五年七月 田原城 本丸・広間
田原城の大広間には、木下家の中枢を担う重臣たちが一堂に顔を揃えていた。
当主・木下弥右衛門吉成を中心に、木下小一郎、木下勘十郎成輔、前田又左衛門利家、河尻与四郎秀隆、茶屋四郎次郎、猿飛新左衛門尉。皆が立場を隔てず車座になり、床いっぱいに広げられた領内の絵図を囲んでいる。
今や木下家では、すっかり当たり前となった評定の光景であった。かつては身分を気にしてためらった者たちも、今では何の遠慮もない。
「これより重臣会議をはじめる。皆、久しいな。息災であったか?」
弥右衛門が柔らかな表情で呼びかけると、河尻与四郎が頭をボリボリとかきながら苦笑いを浮かべた。
「殿! たまには西尾本領にお戻りになるかと思えば、田原にどっかと居座り、小一郎殿を筆頭に我らへ一切合切を丸投げされるとは……いやはや、日々肝が冷えましたぞ!」
「ははっ、すまなんだ与四郎。」
弥右衛門は申し訳なさそうに手を合わせた。
又左衛門は武功一辺倒の豪快な武者であり、新左衛門尉は影の働きゆえ表の政には直接関わらない。実質的に、若き小一郎の横で支え続けてくれたのは、この与四郎であっただろう。
「だがな、許せ。この新しく手に入れた渥美半島が、私の想定以上に広く、そして滅法面白き土地でな。……なんとこの渥美半島、西尾、東条、上ノ郷という従来の我が領地をすべて合わせたよりも広いのだぞ。」
「なに……!? それは真か!」
又左衛門が驚きの声を上げ、そのまま豪快に笑い声を響かせた。そして、与四郎が思い出した様に問いかけてきた。
「地図の類いは幾度も目にしてまいりましたが、書いた者によって描かれ方がまちまちで……まさかそれほどまでに広大な土地であったとは、露ほども知りませんでした。」
場が一段と和んだところで、弥右衛門が静かに茶屋四郎次郎へ視線を送った。頷いた四郎次郎はすっと正面へ進み出ると、決定した渥美半島の内政方針七箇条について、その狙いと要点だけを手短に説明していった。
とりわけ、対岸の志摩国との地理的近さと、そこに眠る海洋軍事上の可能性について触れられた際、又左衛門は、抑えきれぬ武者震いに肩を震わせていた。四方を同盟国と海に囲まれ、陸路での拡張の道が塞がれている現状に、武人として人知れず抱いていた不満が一気に吹き飛んだのであろう。
七箇条の説明が終わった。
広間が静まる。勘十郎が口を開いた。
「……殿。して、田原城、そして広大な渥美半島全域の統治は……一体、どなたに任せられるおつもりで?」
勘十郎の言葉に、座にいた全員の視線が一斉に弥右衛門へと集まった。弥右衛門はこの日のため、人事に関する一切の構想を、共に田原にいた勘十郎や四郎次郎にすら明かしていなかったのだ。
静まり返る大広間の中、弥右衛門はゆっくりと一同を見渡し、口元に不敵で温かな笑みを浮かべた。
「さきの戦の論功行賞もまだであったからな。それらを踏まえ、この田原を含めたこれからの配置を言い渡す。」
ごくりと、大広間のあちこちで息をのむ音が静寂の中に響いた。
「まずは木下小一郎。そなたには引き続き、西尾城代を任せる。なにかあった場合の領内全体の差配も任せる。一人で考えなくても良い。皆の意見を聞き、決断はそなたがせよ。」
「はっ……。引き続き、父上のお留守を預かって見せまする。」
小一郎は深々と頭を下げた。隣に座る与四郎が、労うようにその肩をポンと叩き、ぐしゃりと頭を撫でまわしている。
「続いて、木下勘十郎。そなたには東条城の城主を任せる。与四郎の普請のおかげで、見事なまでに強固な城へと生まれ変わった。我が木下本領である西尾の喉元を護る最重要の城だ、頼んだぞ。……そして、東条城の警備を今までの倍に強化し、本丸の奥に我が『遁尾衆』の総拠点を置く。木下の影の要塞として、その情報と諜報の機能を根底から強化していけ。」
「わ……私が、城主でございますか……? いつか、そのような日が来るやもしれぬとは思うておりました。されど、まことに一城をお預けいただく日が来ようとは……。」
勘十郎は声を震わせ、込み上げる涙を必死に堪えていた。世の影を生きる服部党の一族に生まれ、そこを抜け出し、今川の透破として死と隣り合わせの日々を送っていた男。そんな男が、弥右衛門という奇妙で規格外な上司に出会ったがゆえに、ついに一城の主へと上り詰めたのだ。
「何を言うか。そなたは我が右腕なのだぞ。この程度の差配で感極まってもらっては困る。妻の智と共に、東条城をしっかりと治めてくれ」
「ははっ……! 命に代えても!」
勘十郎は畳に額をすりつけ、深々と頭を下げた。
その横で、甲賀者を束ねる新左衛門尉は、何も言わず弥右衛門を見つめていた。東条城に遁尾衆の拠点を置く真意を、即座に理解したのだろう。猿飛らの隠れ里へ通じる道は、東条城近くの街道へ抜けている。ここに遁尾衆の本拠を置けば、双方の連絡はこれまでとは比べものにならぬほど速く、密になる。
「そして、松平家が軍制改革を最近始めている。その脅威に対応するため、我が木下家もいち早く追従し軍制を改める。今後は領内の兵を大きく三つに分けることとする。西尾城・東条城・上ノ郷城の旧領の兵を取りまとめる『西三河衆』。新たに手に入れた渥美半島の兵を取りまとめる『渥美衆』。そして、私の直轄兵たる『旗本』。旗本は種子島を扱う鉄砲衆を中核に据える。」
この施策は、つい最近、松平蔵人佐元康が行った新しい制度の模倣であった。彼は自領の兵を岡崎を中心とした『北三河衆』、吉田を中心とした『東三河衆』に分け、自らの手元に『旗本』を設置したばかりだ。この再編の狙いは、常備兵や国人衆、普段は農作業に従事する足軽たちを地域ごとにまとめ、指揮系統を統一することにある。
松平が先に始めた改革なら、こちらも取り入れればよい。良い制度を真似ることに、意地を張る必要などない。
「その『西三河衆』の旗頭には、前田又左衛門利家を命じる。要衝たる上ノ郷城を西三河衆の本拠とし、松平に負けぬ三河一の軍勢を鍛えてみせよ。……そして、『渥美衆』の旗頭には河尻与四郎秀隆。この田原城を本拠とし、広大な渥美半島の開拓と新たな兵の組織化を推し進めよ。」
「……三河一の軍勢、でございますか。ふっ、殿もこの又左衛門を乗せるのが随分とお上手になりましたな!」
又左衛門は野性味あふれる豪快な笑みを浮かべ、任せろと言わんばかりに自らの太い胸を叩いた。一方、大役を指名された与四郎は静かに深々と頭を下げ、その顔をより一層引き締めた。
「木下家最大の領土を預かる重荷……しかと背負い、殿の期待以上の成果を上げて見せまする。城の改修に、領民の人心掌握、伊勢志摩の国人たちとの繋ぎ……やることが、随分と増えましたな。」
……諦めろよ、与四郎。何でもそつなくこなせる優秀な男に仕事が集まるのは、世の常なのだからな。弥右衛門は胸の中で苦笑しながら、苦労人の与四郎へ温かい視線を送った。
「しかし、父上。領内の兵を三つに分ければ、各城の兵が減りませぬか?」
「減らすのではない。指揮する者を明確にするのだ。内実としては大きくは変わらぬ。」
小一郎はハッとしたように目を見開き、深く頷いた。
続けて、視線を開発奉行の四郎次郎へ向ける。
「そして四郎次郎。引き続き、領内の開発を任せる。渥美半島の七箇条も、志摩との関係構築以外はすべてそなたの差配だ。人員が足りぬならば、部下を幾人増やしても構わん。確実に推し進めよ。」
「はっ……! すでに私の出身地である京の都より、優秀な商人や手に職を持つ友人に声をかけておりまする。しかとお任せくだされ。西尾でも渥美でも、我らが語り合ったあの大構想を、現実へと変えてみせまする!」
さらに膨大な実務を背負わせることになったが、四郎次郎の目はむしろ先ほど以上に輝いていた。自らの頭の中にしかなかった未来が、己の手で一つずつ現実になっていく。その快感を、弥右衛門も知っていた。
しかし、小一郎が会議の前に吐露したように、領土の拡大に木下家の人材が追いついていない。
与四郎や四郎次郎といった優秀な家臣たちに、あまりにも多くを背負わせている。領土は増えた。仕事も増えた。だが、それを仕切れる人間が足りない。
(……今回の諸国を巡る道中、骨のある優秀な人物がいれば、手段を問わず声をかけることにしよう。)
弥右衛門は秘かに腹をくくると、パンと手持ちの扇を叩いて広間の場を締めくくった。
「よしッ……! では、これにて人事の沙汰は終わりとする。これより私は、駿河の朝比奈、甲斐の武田、摂津の本願寺、そして最後に尾張の信長様のもとへ参る。伴は最小限とし、勘十郎を含めた数名の遁尾衆のみを連れて出立する。」
弥右衛門の宣言を受け、西尾城代に留まる息子の小一郎が、家臣団を代表して真っ直ぐな眼差しで返答した。
「はっ……! 道中のご武運とご無事を、心よりお祈り申し上げます。父上のお留守は、我ら一同、命に代えてもお守りいたします!」
頼もしく頭を下げる重臣たちを見渡し、弥右衛門は最後に、気配を殺して控える猿飛新左衛門尉へ鋭い視線を送った。新左衛門尉は深く、静かに頷いてみせた。昨夜、弥右衛門は新左衛門尉に対し、今川領である遠江への工作・調略の指示を密かに託しておいたのだ。その準備が滞りなく整っていることを、その表情は物語っていた。
今川が弱り、松平も足元を固めることに追われている。両者の狭間にある遠江は、今や三河と駿河の行く末を左右する土地になりつつあった。木下としても、今のうちに裏から介入し、楔を打ち込んでおかねばならない。
表では領国を整え、裏では遠江に楔を打つ。
残るは、己の足で諸国を巡ることだけだ。
駿河。甲斐。摂津。そして尾張。
木下弥右衛門吉成は、いよいよ新たな戦場――外交という戦場へと踏み出した。
ご拝読いただきありがとうございます。
今回決まったことをまとめると以下になります。
■木下家臣団の役割・配置まとめ
木下弥右衛門(当主)
役割・配置: 直轄軍「旗本」(鉄砲衆中核)を指揮。諸国(駿河・甲斐・摂津・尾張)への外交行脚へ出立。
木下小一郎(次男)
役職: 西尾城代 兼 留守居
役割: 本領・西尾城を守り、弥右衛門不在時の領内全体の最終決裁・行政差配を統括。
木下勘十郎成輔
役職: 東条城主、目付奉行。
役割: 城内に「遁尾衆」総拠点を置き、情報・諜報網を統括。
前田又左衛門利家
役職: 「西三河衆」旗頭(本拠:上ノ郷城)
役割: 旧領(西尾・東条・上ノ郷)の兵を統率し、三河一の軍勢を育成。
河尻与四郎秀隆
役職: 「渥美衆」旗頭(本拠:田原城)
役割: 新領地・渥美半島の軍を統率。広大な半島の開墾、田原城の整備、対岸の志摩国との関係構築を担当。
茶屋四郎次郎
役職: 開発奉行
役割: 領内の経済・産業開発全般(渥美半島の内政7箇条の遂行、定期通い船の就航、渥美焼再興など)を指揮。
猿飛新左衛門尉
役割: 猿飛の頭領。裏工作として隣国・遠江への調略を担当。
■領内軍制の再編(三区分)
西三河衆(前田利家): 旧領の兵を取りまとめる(拠点:上ノ郷城)。
渥美衆(河尻秀隆): 新領地・渥美半島の兵を取りまとめる(拠点:田原城)。
旗本(弥右衛門直轄): 鉄砲衆を中核とした当主直属部隊。
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