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オヤジ太閤記  作者: 芭音
永禄四年(1561)

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#33 搦手

◼︎永禄四年十二月 三河国 岡崎城


「石川殿、なんとかしてくだされ! このままでは冬を越せませぬ!」


 石川与七郎数正は、主君・松平蔵人佐元康より託された岡崎城の広間で、深く、深く頭を抱えていた。

 連日、領土を持つ重臣たちが詰めかけ、悲鳴にも似た訴えを数正に叩きつけてくる。


「何とかと言われましても……。年貢の落ち込みは看過できぬ事実なれど、こればかりは岡崎から命を下して止まるものではありませぬ。皆々様が、自らの領地の民と誠実に向き合わねば。」


「おかしいではござらんか! 今年は近隣を見渡せば豊作の年……。なぜ我らのみが苦しまねばならん。」


 確かに与七郎もそこが解せなかった。今川との戦のせいだと思いたいが、同じ境遇にある隣の織田領や木下領からは、むしろ活気溢れる報告が届いている。


「暫しお待ちを。我らも総力を挙げて情報を集めておる最中ゆえ……」


 不満げな重臣たちを背に、与七郎は逃げ込むように執務室へと戻った。そこには、殿が選抜した内政の精鋭たちが控えていた。


「与七郎……如何だった。今日も同様か?」


 声をかけたのは、兄貴分であり、松平の知恵袋でもある酒井左衛門尉忠次だ。


「はい。年貢の未納、そして関銭の激減……。収入が減ったという文句ばかりにございます。……ですが左衛門尉殿、おかしなことが一つ。足助や挙母といった内陸を治める者たちからは、逆に収入が増えたと報告が来ているのです」


 酒井左衛門尉は眉をひそめた。領内全体が疲弊しているわけではない。下がった場所と、上がった場所がある。


「左衛門尉殿、これら年貢と関銭の増減を、すべて地図の上に記載することはできぬでしょうか。領主の資質ではなく、『立地』ごとに何らかの法則が出るやもしれませぬ。」


 酒井左衛門尉が頷くと、執務室の者たちが一斉に動き始めた。

 与七郎が読み上げる各地の報告を、地図に色分けして落とし込んでいく。悪化している土地を示す「赤」が、東西に延びる東海道沿いと、西尾や尾張の国境付近を埋め尽くしていく。

 対して良化を示す「青」は、南北を結ぶ足助街道と飯田街道沿いに点在していた。


 完成した地図を眺めた瞬間、執務室に氷のような静寂が落ちた。


「……これは。『東海道』から、荷が消えているのか。」


「逆に、特に西尾側から岡崎、足助街道は荷が増えている。」


 与七郎は震える指先で、真っ赤に染まった東海道をなぞった。


「東西を往来する荷が消えるはずはない。つまり、どこかが代わりをしている。そしてその土地が富を吸い上げ、人も物もすべてを飲み込んでいるのだ……。」


 二人は顔を見合わせた。もはや言葉は必要なかった。

 『あの男』が西尾に向かって引いた見えざる線が、岡崎の富を、人を、そして三河の未来を音もなく吸い込んでいる。


「我らと木下は内々に同盟を結んでいるはず。双方が表向きに不可侵であれば良いという話では済まぬ。血を流さずとも、我らは知らぬ間に損をさせられておるのだ」


 酒井左衛門尉の重苦しい言葉に、与七郎は唇を噛んだ。


「しかし、あちらが栄えたからといって、同盟を違えたと詰問はできませぬ。ですが実質的には、城を一つ攻め落とされるのと同等の痛みを負っております。如何すればよいのか……」


 与七郎の嘆きに、左衛門尉は鋭い眼光を返した。


「与七郎、西尾へ参ろう。この目で見ねば何も始まらん。そして、あの男に会うのだ。直接会って、その腹の底を確かめねばならぬ」


 与七郎が深く頷いたその時、小姓がドタバタと執務室へ飛び込んできた。その手には、一通の書状が握られている。


「殿からの急ぎの文にございます! 石川殿にと!」


 文をひったくるように受け取り、広げる。そこには、簡潔かつ苛烈な一筆が躍っていた。読み終えるなり、乾いた笑いを漏らした。


「……どうした、与七郎。殿は何と。」


「左衛門尉殿。殿からです。『今より西尾へ向かう。そなたらも現地にて合流せよ』と。」


 左衛門尉は驚愕に目を見開いた。

 家臣たちが膨大な報告を集め、地図を広げてようやく辿り着いた結論。それを、対今川の最前線にいる主君は、天から見ているかの如く突き止めていたのだ。


(昔から、この鋭さには驚かされる……)

 

 木下弥右衛門吉成という未知の異物。そして、それに対応する我が主。


「……殿と木下殿。どちらも似たような『化け物』のようですな」


 二人は苦笑いを交わすと、すぐさま旅装を整えた。

 冬の寒風が三河平野を切り裂く中、一行は岡崎から西尾へと、急ぎ馬を走らせた。




 

 

◼︎永禄四年十二月 三河国 一色湊


 石川与七郎数正は、その場に崩れ落ちんばかりに呆然としていた。

 

 西尾に入り、殿と合流して向かった西尾城に、木下殿の姿はなかった。一色湊を取り仕切る「座株楽座天王」の会合に出向いているという。急発展を遂げていると噂の一色湊を見る好機と思い足を向けたのだが、そこで目にしたのは、数正の想像を遥か彼方へ置き去りにする光景であった。


 まず、その「道」に言葉を失った。

 城下と湊を一直線に結ぶ新道は、東海道を嘲笑うかのような広さと平坦さを備え、行き交う人馬が砂塵も上げずに流れていく。聞けば、これと同様の「大路」が領内の急所を繋ぎ、さらには治水によって水の道さえも再編する計画だという。


 海に近づき、潮風に混じる「熱」に肌が粟立った。

 海岸線には見渡す限りの塩田が幾何学模様を描き、湯気を上げる塩屋からは白煙が龍のごとく立ち上っている。岡崎の蔵で塩値が暴落した理由を、数正はここで残酷なまでに突きつけられた。


 そして一色湊に着いた時、ついに思考が止まった。

 瓦屋根の商家が建ち並ぶ大通りには、三河中から吸い寄せられた富が溢れ、岸壁には荷を積みきれぬほどの商船がひしめき合っている。そして、湊の中央には西尾天王社と座株楽座天王の本拠地・天王屋敷には立派な建物が並んでいた。

 しかも、まだまだ足りぬと言わんばかりに、湊の彼方此方で工事がされていた。


「三河に……これほどまでの地が、現れるとは……。」


 与七郎の呻きに対し、主君・松平蔵人佐元康は、まるで新しい玩具を見つけた子供のように目を輝かせていた。


「すごいね。三河に、これほどの賑わいを創り出す男がいるなんて。さすがは木下殿だ。」


「殿、感心している場合ではございませぬ。西尾が栄えるほど、岡崎は痩せ細っております。……その事実は、おそらく既にご存知でしょう。」


 酒井左衛門尉の冷徹な指摘に、殿はふっと柔和な、しかし底の知れない笑みを浮かべた。


「うん、分かっているよ。でもさ、いずれ三河は遍く(あまねく)松平のものになる。津島の商人が財を投じ、木下殿が丹精込めて磨き上げたこの『極上の町』を、そのまま手に入れられるなんて……こんなに嬉しいことはないじゃないか。」


 その言葉に、数正は背筋が凍るのを感じた。

 自分が現状に呆然とする間に、目の前の主君は、木下が造り出す富を、脅威ではなく「将来の自分の資産」として既に計上している。


「でも、やはり木下殿とは対立すべきじゃないね。この湊が戦火に巻き込まれては勿体ない。」


 屋敷の中から、こちらに気づいて急ぎ足で現れた木下弥右衛門吉成を見据えながら、殿は与七郎にしか聞こえぬ低い声で呟いた。


「…………ならば、搦手(からめて)でいこうか。」


 太陽のような笑顔の裏で、蛇のごとき計算を走らせる我が主。その横顔を見て、数正は無意識に唾を飲み込んだ。

 


 

 

ご拝読いただきありがとうございます。


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黒い、さすがは戦国最終勝者、思考が一般人と違う。
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