(12)
呼吸を整え、時が来るのを静かに待つ。
ただ一滴の力さえも漏らさぬよう闘志は内に秘め、神経を外に向ける。
ウォルフ以外にも人数は二十、いや三十人はいるか。
難易度は高いが、それぐらいの護衛が付いているぐらいの地位にいる男でなければ人質としての価値もない。
ここに乗り込む事無く、クリフアングルを手に入れるチャンスは最低でも二回はあった。
一度目は合流地点。
ウォルフが十程度を逃げ出したヤールフ追跡の追っ手として向かわせた時。
二度目はつい先ほどだ。
ルークにグルー族があれほど惹かれるとは思っていなかった。
どちらも動きさえわかっていれば、簡単に足を手に入れる事が出来たはずだ。
神が如く予期でも出来ていればと区惜しく思いはするが、今は目前に迫ったミッションに集中しなければならない。
「いつもの飼育員はどうした?」
案の定サムは電光石火の速さで疑われている。
「いや、え~と・・・そう!彼はお腹が減ったじゃなくて、調子が悪いので暫く替わりをしている訳でして」
目を覆いたくなるほど大根役者ぶりに、聞いているこちらの方が恥ずかしくなる。
これで疑わない人間がいたら、そいつは俗世に塗れる事無く純粋培養でもされた聖人だ。
ざわりと疑いの空気が伝播していく。
「誰かこいつを知ってるか?」
いよいよ終わりか?標的の位置すらわからぬまま飛び出すしかないのか?心臓が早鐘のように騒ぎ立てる。
「何だ?もっとはっきり聞こえるように言え」
弁明を一人呟くように見えるサムを叱責する男達にはわからないだろうが、すぐ真後ろにいるカイル達には聞こえている。
呟いているのは言霊。
彼もこれ以上状況の好転はないと覚悟を決めたのだ。
サムが放った吹き荒れる突風の中、意を決してカイルは飛び出す。
目指す標的は思っていたよりも遠いが、突風に巻き上げられた砂埃で相手の反応は鈍い。
既に下馬しているウォルフまでの距離は十五メートル程であり、間には七、八人の敵がいる。
カイルは突風と共に一直線に標的へと向かい、左右に位置したバックルとカテリーナはカイルに向かってくる剣や槍を弾く。
十メートル・・・五メートル・・・二人に守られながら距離をつめたカイルは、渾身の力で鞘がついたままの剣を一閃する。
狙うは首。
胴体では一撃で戦闘不能に出来ないかも知れない。
悪くすれば首の骨が折れてしまう可能性もあるが、どちらにせよ一撃で勝負をつけなければ結末は一緒だ。
一切の手加減のない一撃は、真っ直ぐウォルフの首に吸い込まれていった。
しっかりした手ごたえを感じながら、カイルは剣から手を離し後方に飛びのく。
ほんの刹那までカイルの首があった場所に、ウォルフの抜き放った白刃が煌く。
少しでも剣から手を離すのを躊躇していれば首を狩られていたのはカイルの方だった。
カイルの剣は首に到着する前に、ウォルフの左手に受け止められ届かなかった。
体重と剣自体の重みで加速した一撃は、通常の大人であれば受け止めることなど不可能なはずだが、獣人である彼の人並み外れた膂力がそれを可能にしていた。
避ける事も難しくなかったはずだが、剣に鞘がついたままなのを瞬時に判断して、相手の武器を奪いもっとも速く反撃できる手段を選択した。
それは剣士としての力量も人並み外れている事を意味する。
「放て!」
号令と共にカイルに向かって放たれた矢は、不可視の風の壁によってそれていった。
「ほう。中々優秀な魔法使いがいるな」
ウォルフは既にカイルから距離を取り、間には敵兵が槍を一列に構えた陣形を整えている。
「だが何時まで持つか試してみるとしよう」
カイル達を囲む輪は大きくなっている。
直接交戦する事無く弓によって被害を出さずに、一方的に殲滅する腹積もりだ。
風壁によってカイルの命を救ったサムは、魔力が完全に切れたのかカテリーナの肩を借りてやっと立っている状態になっている。
もう次の攻撃を防ぐ手段はない。
カイルの隣まできたバックルが囁く。
「どうやら最後じゃな。だが死ぬまでわしは諦めんぞ」
「ああ、みっともなかろうが最後まで足掻いてやるさ」
ウォルフが弓兵達に「構えろ」と命令を下し、鋭い鉄の切っ先はカイル達に標準を合わせた。
矢が放たれた瞬間に散開して、それぞれが最後の大立ち回りをすると覚悟を決めた時「は~いそこまで~」と覚悟も緊張感も吹っ飛ぶような呑気な声が辺りに響いた。
声がした方向の敵兵が左右に割れ、大人二人分は横幅のある男がその間を歩んでくる。
「あやつはいつも想像の斜め上をいくのう」
「まったくだ」
現れた太った男はグルー族長メイナス。
その体に隠れて見えないが、後ろにはフェイクがいるのだろう。
この軍の中で精鋭中の精鋭が守っていたであろう族長を、たった一人で人質にしてしまったのだ。
事態を把握したであろうウォルフは、威嚇するかのように鋭い歯をむき出しにしてこちらを睨んでいる。
「こちらからの要求は人数分のクリフアングル。族長も連れて行くから更に二頭と食料を用意してもらおう。こちらを追わないのであれば族長は無傷で返す。一人でも付いてきているのを見つけたらその限りじゃないぜ」
「要求はそれだけか」
血を吐くかの様な表情で、ウォルフは忌々しげに答えバックルがもう一つあると声をあげた。
「子供用の鐙の短い鞍も所望する」
「だ、そうだ。雇われは辛いよな」
やろうと思えばメイナスを見捨ててカイル達を血祭りにあげるのは簡単だろうし、ウォルフもそうしたいと心から願っているはずだ。
だが彼はその決断は絶対に出来ない。
燃える水の確保を厳命されてここに来ている彼が、これだけの目がある中でメイナスを軽んじる様な行動を取ればグルー族は絶対に彼を、ひいては背後にあるアストンを許しはしないだろう。
それぐらい族長とは絶対的なシンボルなのだ。
そしてそれは、最も懸念材料であった脱出の手段も同時にカイル達は手に入れたと言う事であった。




