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「バックルさんの姿が見えないけど戻る?」


「どうせ行き先は一緒です。そこで待ちましょう」


 一斉に逃げ出した部隊の面々だが、現在はサムとカテリーナの二人が並んで走っているのみである。


 一緒に走っていたバックルはついてこれず遥か後方にいて、戻っても会えるかどうかは怪しく行き違いになる可能性もある。


 他のメンバーは二人とは違う方向に走っていった。


 一箇所に固まって逃げるよりも、追っ手を分散させる事によって生存の可能性を上げる判断を、各々がした結果である。


 ここまで後ろに敵の姿は見えない。


 上手く追手を捲くことが出来たのかもしれないとサムが考え始めた頃、カテリーナにいきなり押され、よろけた横を前方から矢が通り過ぎる。


 予想外の方向からの攻撃に反応が遅れたサムだったが、よろけながらも言霊を唱え構築し、体勢を立て直すと同時に放つ。


「風刃!」


 不可視の風の刃を飛ばしショートソードを抜刀して走る。


 風壁で身を守るより、飛んできた矢の数から敵は少人数だと判断し、増援を呼ばれる前に倒す判断をした結果である。


 闇雲に放った風の刃だったが、運良く敵の弓の弦に当たり切断していた。


 ただの棒と化した弓で殴りつけようとする敵に身体ごとぶつかる。


 折り重なり転がった二人だったが、敵は深々と腹部を抉られているにも関わらず激しく抵抗を繰り返している。


 サムは声を出させないように口を押さえ言霊を紡ぐ。


 噛みつかれた手から叫びたい程の激痛を感じるが、構わず完成した魔法を超至近距離で放つと、周囲に鮮血を撒き散らして敵は沈黙した。


 刺さった剣を力任せに引き抜き、周囲に敵の気配が無い事を確認する。


 浅黒い肌はグルー族で間違いない。


 腰に狩った小動物がぶら下がっているのを見ると、斥候や追手ではなく個人で夕飯でも狩りに来たのと運悪く遭遇したのだろう。


「敵は一人だけだ。御蔭で助かりましたよ・・・怪我したのか?」


 カテリーナは左腕に刺さった矢を抜き、口と右手を使い器用に布を捲き止血すると事も無げに言い放つ。


「大した傷じゃない。これぐらいの傷は日常茶飯事だろ?」


 軽口を叩くカテリーナに内心安堵したサムも軽口で応戦する。


「俺の嫁を傷物にするなんて、もっと判別もつかないぐらいぐちゃぐちゃにしておけば良かったかな」


 誰がお前の嫁だと憎まれ口を返されると思ったが反応はなかった。


「カテリーナ?」


 傷口を押さえたまま倒れこむカテリーナを支えると、尋常でない熱を感じ呼吸もしづらいのか浅い呼吸を繰り返している。


 グルー族は毒を使う。


 それを失念していたのだ。


 サムは急いで倒した男の衣服を漁るが、あるのは狩った小動物と捌くためのナイフと弓と矢のみ。


「ちくしょう。解毒剤ぐらい持ち歩いてろよ!」


 カテリーナの容態は見る間に悪化していく。


 あれほど熱かった体温は氷のように冷たく、呼吸は今にも止まりそうなほど細く、焦点は既に彼方を見つめている。


 サムはカテリーナの装備を外すと、両手で心臓をリズムよく押し、唇を重ね息を吹き込む。


 どれほど効果があるのかわからないが、やらずにはいられない。


「死ぬな」


 キスも唇がふやける位したかったさ、胸だって思うまま揉みたかった。


 でもこれは・・・


「違うだろ!」


 森はいまだに喧騒には程遠く静寂に包まれている。


 静穏の中祈りを込めたサムの言霊が紡がれる。


 この賭けだけは勝たせて下さいと、神への祈りの如く完成された魔法が放たれサムは叫んだ。


「フェイクさんカテリーナを助けて下さい!」


 風に乗った祈りは広範囲に広がった。


 この範囲にフェイクがいるかどうかはわからない。


 聞こえてもここにたどり着けるかも不明だ。


 サムは蘇生を再開する。


 いかに人知を超えた力を持つフェイクでも死んでいる者は生き返らせれない。


 一縷の望みに掛けて息を吹き込む。


 そして背中に走る激痛にサムは賭けに負けたのを悟った。


 痛みから熱へと変わり、それは血液を巡って全身に冷たい死の息吹を吹き込む。


 何とかその方向に向き直るが、既に唇までしびれて言葉すら発する事が出来ない。


 そこには先ほど倒した男の遺骸からナイフを拾いこちらに向かってくるグルー族の男。


 たまたま別れていた時に遭遇しただけで一人ではなかったのだ。


「友の仇討たせてもらうぞ」


 サムは無意識にカテリーナの手を握る。


 体温を感じる事も出来ないが、こんな最後も悪くないと諦めた。


 男はゆっくりとサムに近づいてくる。


 毒で完全に動けなくなるのを待っているのだろう。


 そしてサムの数メートル手前まで近づくと膝をつき倒れこんだ。


 倒れた男の上で森に木霊する獣の咆哮が轟き、数人の足音が近づいてくる。


「よく頑張ったね」


 サムの視界は歪んでまともに見ることも出来ないが、目の前に滑り込むように来た男はきっといつもの笑顔を浮かべているだろう。


「なんじゃ男の癖に泣いとるのか」


 カイルは「よくやった」とルークを撫でようとして噛み付かれかけて慌てて手を引っ込めている。


 遅れていたバックルだったが、足の遅さが幸いして後から出発したカイル達と合流出来たのだろう。


「カテリーナは?」


「浄化と治癒はしたけど、体力が回復する訳じゃないからね。出来れば暫くは動かしたくはないけど」


 呼吸は規則正しくなり胸は上下に揺れていて、血色も良くなっている。


 最悪の危機は脱したのは確かだが、ほんの数秒前までは棺桶にほぼ全身が入っていたのだ。


「ルークの背に乗せて運べないか?」


 置いていくと言う判断をしないカイルに、サムは感謝の念を感じつつも提案する。


「俺が背負って運びます。言葉さえ発せれれば魔法は使えますから、それが一番戦力の維持に繋がるはずです」


 答えを待たずにサムは剣を捨て、もし囲まれたら俺達は見捨ててくださいとカテリーナを背負って走り出す。


 二人の装備はそこに捨てている。


 サムも数日の強行軍で体力は限界に近い。


 とてもカテリーナの大剣を運ぶ余裕は無い。


 それでも背中に確かに生きている温もりを感じながら、我武者羅に隊について行く。


「動けない者は捨てていく。それが鉄則だ。足枷になりたくない、捨てていってくれ」


 背中からか細い声で眼を覚ましたカテリーナが呟く。


「黙って体力を回復させてろ。いいか俺の幸せはお前が生きている事でしか得られない。出来ればもう少し胸を密着させてくれたら、もうちょっと頑張れる気がする」


 しばしの無言にサムの荒い呼吸だけが響いていたが、僅かに背中の密着度が上がった気がする。


「あんたはどうしようもないくらい馬鹿だね」


「惚れたろ?」


「ほんの少しだけ見直しただけだよ」


 甘いささやきをよそに、隊は只管にクリフアングルがいる場所を目指す。


 数度の戦闘はあったが、ゼフィが思ったよりも粘ったのか、他の人間の方に追っ手が行ったのか、それとも本隊の周辺を固めることを優先したのか、いずれかかそれとも全てなのかはわからないが順調に目的地まで到着する事が出来た。


 そしてカイルは思わず笑い始めていた。


 暗殺計画に参加する前にこの戦争は勝てないと、自分達も脱走する事を考えていたのに、他の者がそれを考えないはずはない事に思いを至らせる事が出来なかった甘さにである。


 そこにクリフアングルはいなかった。

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