第4話:灯りの消えた屋敷
マリアが屋敷を出て、四日後。
伯爵家では、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「旦那様! 東棟の照明がすべて消えました!」
「何だと!?」
「厨房の冷却装置も止まっています!」
「修理させろ!」
「それが、故障ではなく……蓄魔石が空になっているようで」
伯爵は眉をひそめた。
「空だと?」
執事が、言いにくそうに口を開いた。
「マリア様が、ありったけ溜めておかれたものです。それが、今朝で尽きました」
「ならば、ほかの者に補充させればよかろう!」
「試させました。ですが、三人がかりでも、照明ひと棟分が精一杯でして……」
そこへ、別の使用人が駆け込んできた。
「旦那様! 屋敷の結界が弱まっています!」
伯爵は怒鳴った。
「魔術師を呼べ!」
すぐに、領内の魔術師が呼び集められた。
結界を調べた魔術師は、顔を青くした。
「……これを、マリア様お一人で? 毎日ですか?」
「ああ。あいつに任せていた」
「旦那様。この規模の結界を維持するには、通常なら上級魔術師が三人は必要です。しかも屋敷の魔道具すべてとなると……」
「いくらかかる?」
魔術師が提示した金額を見て、伯爵は言葉を失った。
毎月、金貨数十枚。
それも、結界の維持だけで。
「ば、馬鹿な……! あいつは魔法もまともに使えない出来損ないで……!」
「魔法の制御が苦手なことと、魔力量が多いことは別問題です」
魔術師は困惑したように首を振った。
「これほどの魔力を無償で供給できる方など、そうはいません」
伯爵は椅子に崩れ落ちた。
そこへ、イザベラが駆け込んできた。
「お父様! 今夜のお茶会、どうするの!?」
葬儀での一件を打ち消すため、イザベラが開くと言い張った茶会だった。
近隣の令嬢たちと、レオンも招いてある。
今から取りやめれば、噂を認めたことになる。
「……蝋燭を集めろ。予定どおり開く」
伯爵は、そう言うしかなかった。
◇
夕刻。
サロンには、屋敷じゅうから集めた蝋燭が並べられていた。
招待状は八通出した。
来たのは、五人だった。
「まあ……ずいぶん、趣のある灯りですこと」
令嬢の一人が、扇の陰でくすりと笑った。
冷却装置の止まった厨房では、氷菓が作れなかった。
代わりに出された果実のゼリーは、皿の上で形を崩しかけている。
部屋は、蝋燭の熱で妙に蒸し暑かった。
「レオン様!」
遅れて現れた婚約者に、イザベラは駆け寄った。
レオン。姉の葬儀に、花一つすら寄越さなかった男……。
「お待ちしておりましたわ。今夜は少し、手違いがありまして……」
「手違い?」
レオンは薄暗いサロンを見回した。
そのとき、壁際に控えていた若い侍女が、ぽつりと漏らした。
「マリア様がいらしたころは、こんなこと、一度も……」
慌てて口を押さえたが、遅かった。
令嬢たちが顔を見合わせる。
「マリア様って……あの、棺から起き上がられた?」
「ええ。わたくし、葬儀に参列しておりましたの」
別の令嬢が、扇を閉じた。
「イザベラ様が、ご自分で叫んでいらしたわ。『ちょっと押しただけ』って」
サロンが静まり返った。
「ち、違うの! あれは事故で……!」
「それに」
年かさの夫人が、穏やかに言葉を継いだ。
近隣の子爵家の夫人で、その夫は、領内の魔術師ギルドを束ねる人物だった。
「今朝、主人が呼ばれたそうですの。この屋敷の結界を見に。上級魔術師が三人がかりで、やっと維持できる規模だとか。それを、マリア様はお一人で、毎日。……主人は、しばらく口もきけなかったそうですわ」
レオンの手の中で、茶器がかちりと鳴った。
婚約者を替えたのは、伯爵家の顔として、見栄えのする娘を選んだつもりだった。
違った。
姉こそが、この家の価値そのものだったのだ。
そして、その姉を突き飛ばし、死に追いやったのが、いま隣にいる娘だった。
レオンは茶器を置き、立ち上がった。
「今夜は、これにて失礼する」
「レ、レオン様? でも、今度の夜会は……」
「その件は、父と相談させてもらう」
それきり、レオンは振り返らなかった。
令嬢たちも、一人、また一人と席を立った。
見送りの言葉は、誰の口からも出なかった。
◇
客のいなくなったサロンで、蝋燭が一本ずつ燃え尽きていく。
イザベラは自室に戻った。
明かりのつかない部屋の隅で、仕立て台の上のドレスがぼんやりと白く浮かんでいた。
今度の夜会で、レオンと踊るはずだった薄桃色のドレス。
胸元の銀糸の花は、半分だけ咲いたまま止まっている。
続きを縫える者は、もうこの屋敷にいなかった。
「……お姉様」
呼んでも、返事をする者はいない。
イザベラは、暗い部屋の床に座り込んだ。
◇
「マリアを連れ戻せ」
その夜、伯爵は執事に命じた。
「近隣の冒険者ギルドすべてに、人探しの依頼を出せ。見つけ次第、引きずってでも連れてこい!」
同じころ、帰りの馬車の中で、レオンもまた一つの名前をつぶやいていた。
「……マリア、か」
あの娘との婚約を結び直せば、あの膨大な魔力を、自分の家のために使わせることができる。
その計算に、愛情の入り込む余地はなかった。
だが、彼らはまだ理解していなかった。
自分たちが知っている、何を命じても逆らわず、ただ謝り続けていた娘は、もう存在しない。
あのマリアは、確かに死んだのだ。
◇
その二日後。
隣領の冒険者ギルドの受付で、受付嬢が一枚の紙を差し出した。
「アキラさん。角狼の角、今日も三本ですね。それと……」
受付嬢は、紙と目の前の顔を見比べた。
「リヒトハイム伯爵家から、人探しの依頼が届いてるんです。十八歳、長い髪の伯爵令嬢、名前はマリア。報酬は金貨五枚。……特徴が、アキラさんにそっくりなんですけど」
登録名、アキラ・ユウキ。
Fランク冒険者は、依頼書を一瞥した。
「金貨五枚か。安く見られたもんだな」
「え?」
「いや。……その娘なら、死んだって聞いたぞ」
アキラは報酬の銀貨を受け取り、ギルドを出た。
宿へ戻る途中、人通りのない路地に入る。
金貨五枚。依頼書を手に街を回るのは、父の使いだろう。そのとき真っ先に目印になるのは、この長い亜麻色の髪だ。
「……切るか」
束ねた髪を首の後ろでつかみ、小刀を当てる。
ざくり。
ためらいは、思ったより少なかった。
この髪を毎朝結い上げていたのは、マリアだ。父の機嫌を損ねないように。妹より目立たないように。
耳の下あたりで、ざく、ざく、と切りそろえていく。
次は、色だ。
物の色は、そのものが跳ね返す光で決まる。なら、髪に当たった光を、ほとんど返さなければいい。全部を呑ませると、艶まで消えて、髪というより煤の塊に見える。表面の照りだけを、少し残す。
指先に魔力を集め、髪にすべらせる。光を「出す」のではなく、「呑み込ませる」。
店先の窓硝子に、短い黒髪の娘が映っていた。
見慣れた顔に、少しだけ近づいた気がした。
足元に落ちた亜麻色の髪が、夕暮れの風にさらわれていく。
黒い髪の上で、母の形見の銀の髪留めが、夕日を受けて小さく光った。




