第3話:魔法は苦手?
屋敷を出て、一時間ほど歩いた。
街道はよく整備されている。天気もいい。
マリアの足取りは軽かった。
「さて、まずは能力確認だな」
周囲に人がいないことを確かめ、街道脇の草地へ入る。
マリアとしての記憶をたどる。
魔法は、詠唱と魔力操作によって発動する。
以前のマリアは、詠唱どおりに魔力を動かすのが苦手だった。いつも込めすぎて、制御を失っていたらしい。
右手を前に出し、記憶にある詠唱を唱える。
「光よ、我が手に集え」
ぼんっ!
「うおっ!?」
目の前に、拳ほどの光球が現れた。
まぶしい。いや、まぶしすぎる。
マリアは目を細めながら、光球を消した。
「……なるほどな」
詠唱が指定しているのは、「光を出せ」という結果だけだ。
どれだけの量を流すかは、どこにも書いていない。
だから、マリアは毎回、蛇口を全開にしていたわけだ。
しかも今は、その蛇口が壊れて閉まらなくなっている。
「欠陥品なんじゃない。出力の調整ができなかっただけだ」
まずは、垂れ流しを止める。
全身を巡っていた温かいものを、胸の奥へゆっくり引き戻した。
ふっと、身体が軽くなる。
「よし」
今度は、指先へほんの少しだけ流す。
詠唱を唱えると、小さな光がともった。
ちょうどいい明るさだった。
「できるじゃないか」
マリアは何度か繰り返した。
指一本分の量。二本分の量。
流す速度を変える。集める場所を変える。
変える条件は、一度に一つだけ。
結果を見て、次の条件を決める。
大学の実験と同じだった。
「……面白いな、これ」
気づけば、しばらく夢中になっていた。
ついでに、もう一つ試しておく。
光を出せるなら、ほかのものにも干渉できるはずだ。
手のひらの先の空気に魔力を絡め、ぎゅっと押し縮めるイメージを作る。
指を開く。
ふっ、と風が起きた。
足元の草が、輪を描くように倒れる。
「……空気も動かせるのか」
押し縮める量を増やせば、もっと強くなる。理屈の上では。
ただし、加減を間違えると、自分の指まで吹き飛びそうだった。
「保留だな」
次は身体能力だ。
脚にだけ魔力を流し、軽く地面を蹴る。
「……お?」
身体が浮いた。
浮いたどころではない。目線が、近くの木の枝より高くなっている。
「ちょっ……!」
慌てて着地する。
どんっ!
足元の土が少しへこんだ。
マリアは膝を曲げた姿勢のまま、しばらく固まった。
「……こっちも加減が要るな」
だが、悪くない。
むしろ、かなりいい。
「これなら、仕事には困らなさそうだ」
そう思ったときだった。
茂みの向こうから、低いうなり声が聞こえた。
灰色の狼が三頭。
額に、短い角が生えている。
角狼。
街道沿いに出る魔物で、群れで旅人を襲う。マリアの記憶にもあった。
マリアは鞄を地面に置いた。
一頭が飛びかかってくる。
横へ一歩。
驚くほど簡単に避けられた。
着地した狼が振り返る前に、脚へ三割ほど魔力を回して、横腹を蹴る。
どんっ!
狼は草地を転がり、木の幹にぶつかって動かなくなった。
「……三割でこれか」
残りの二頭が、同時に飛びかかってきた。
マリアは右手を向けた。
ぶつけるなら、何がいいか。
さっき保留にした、あれだ。
空気を、手のひらの先に、今度は思いきり押し込む。
狭い場所に詰め込まれた空気は、解放された瞬間に一気に膨らもうとする。
爆発の正体なんて、だいたいそれだ。
「――弾けろ」
ぱんっ!
空気が破裂した。
二頭の狼が吹き飛び、地面に転がる。
しばらく様子を見たが、起き上がってこない。
「……終わりか」
戦闘経験など、ほとんどない。
それでも、この身体なら十分に戦えるらしい。
問題は、力加減がまだ大雑把なことだ。今後の課題だった。
マリアは狼の死体の前にしゃがみ込んだ。
角狼の角は、薬の材料になる。冒険者ギルドが買い取ってくれるはずだ。
これもマリアの記憶だった。
屋敷の書庫で、誰にも読まれない魔物図鑑を、彼女だけがめくっていた。
「……勉強はしてたんだな、お前」
小刀で角を三本切り取り、鞄に収める。
さて、仕事を探すか。
◇
夕方。
マリアは隣の領地にある街へ到着した。
石畳の通りには商店が並び、荷馬車が行き交っている。
屋台からは、焼いた肉のいい匂いが漂ってきた。
「……腹減ったな」
銅貨を払って、串焼きを二本買う。
一口かじる。
「うまい」
香辛料が効いていて、なかなかいい味だった。
歩きながら食べていると、大きな建物が目に入った。
入口の上に、剣と盾を組み合わせた看板が掲げられている。
冒険者ギルド。
魔物の討伐や素材の採集、護衛などの仕事を仲介する組織だ。身分に関係なく登録できる。
今の所持金では、宿に何泊もできない。
だが、鞄には角が三本ある。
魔力もある。戦えることもわかった。
「よし」
最後の一切れを口に放り込み、串を屋台の店主に返した。
ギルドの扉の前で、ふと伯爵家での十八年間を思い出す。
何をしても謝り続けた少女。
自分には何もできないと思い込み、家族の顔色ばかりうかがっていた少女。
あのマリアは、もういない。
そして今の彼女には、あの家に戻る理由が一つもなかった。
扉を開ける。
中から、賑やかな声が聞こえてきた。
受付の前に立つと、栗色の髪の受付嬢が顔を上げた。
「冒険者登録ですね。お名前をお願いします」
「アキラ。アキラ・ユウキ」
「家名をお持ちなんですね。……失礼ですが、貴族の方で?」
「いや。昔の名前だ」
受付嬢は少し首をかしげたが、それ以上は訊かずにペンを走らせた。
「かしこまりました。アキラ・ユウキ様で登録いたします」
アキラ・ユウキ。
十八年間使ってきた名前を手放して、もっと前の名前を拾い直した。
結城晶としての、新しい人生が始まった。




