第27話 ささやきの森へ
当日の朝、学園の正門前には、馬車が何台も列を成していた。旅装に身を包んだ生徒たちが、それぞれの班ごとに集合し、点呼を受けている。
「これより、ささやきの森への学園外学習を開始する。班行動を徹底し、決して単独行動は取らないように」
引率のギデオン教官の号令に、生徒たちは緊張した面持ちで頷いた。アリアもまた、慣れない旅装に身を包み、鞄の中のクロノの重みを確かめながら、馬車へと乗り込んだ。
「アリアちゃん、初めての遠出だよね! ドキドキしない?」
「うん、正直、少し緊張してる。でも、楽しみでもあるかな」
メアリの弾んだ声に、アリアも自然と表情が緩んだ。馬車の中には、班のメンバーであるリアム、トビアス、リゼットの姿もある。
「森までは、およそ二時間ほどの道のりだ。この機会に、簡単な作戦を確認しておこう」
リアムが、班の全員に向けて、採集計画の資料を広げた。
「まずは、森の入り口付近で、比較的採取しやすい薬草を集める。その後、時間に余裕があれば、少し奥まで足を延ばす予定だ」
「奥、ですか? 危なくないんでしょうか」
アリアの問いに、リアムは頷きながら答えた。
「教官の許可が下りた範囲でのみ、という条件付きだ。無理はしない。だが、せっかくの機会だ。珍しい薬草に出会えるかもしれない」
その言葉に、アリアの胸に、月光花のことがよぎった。もし奥まで行けるのなら、あの希少な花に出会える可能性も、ゼロではないかもしれない。
「私、実は、月光花のこと、少し調べてきたんです」
「月光花? ああ、あの発光する薬草か。……確かに、貴重な素材だな。もし見つけられれば、大きな成果になる」
興味深そうに耳を傾けるリアムに、アリアは書き写してきた図鑑の内容を、簡単に説明した。
「触れ方に、コツがいるみたいなんです。急に引き抜くと、魔力が急激に放出されるとかで」
「なるほど、貴重な情報だ。見つけた際は、君の知識が頼りになりそうだな」
リアムの素直な称賛に、アリアは照れくさくなりながらも頷いた。
馬車が森の入り口に到着すると、想像していたよりもずっと鬱蒼とした緑が、生徒たちを出迎えた。木々の間から差し込む光が、地面にまだら模様を描いている。
「わあ……! すごい、こんなに緑が多いところ、初めて見た」
メアリが、感嘆の声を上げながら周囲を見渡した。トビアスも、緊張した面持ちで木々を見上げている。
「では、班ごとに指定されたエリアで、採集を開始する。笛の合図があるまで、絶対にエリア外へは出ないように」
ギデオン教官の指示のもと、各班が散開していった。アリアたちの班は、比較的安全とされる、森の入り口付近のエリアを任された。
「森の中では、私が先頭を歩こう。危険な動植物には、ある程度覚えがある」
リゼットが、意外にも頼もしい様子で申し出た。
「リゼットさん、本当に野外活動、慣れてるんですね」
「当然よ。オルレアン家の令嬢たるもの、いざという時に無力では困るもの。狩猟の作法も、幼い頃から叩き込まれているわ」
誇らしげなリゼットの様子に、アリアは素直に感心した。教室で見せる高慢な態度とはまた違う、頼れる一面を見た気がした。
「よし、まずは、教本に載っている薬草から探してみよう」
リアムの提案に従い、五人は森の中を歩き始めた。アリアは、久しぶりに感じる土と緑の匂いに、思わず深く息を吸い込んだ。
(懐かしい……。故郷の森と、少し似てる)
「アリアちゃん、これ、薬草かな?」
メアリが、地面に生えている小さな葉を指差した。アリアは屈み込み、その葉を丁寧に観察する。
「これは、鎮痛効果のあるヨモギ草の仲間だね。この形の葉脈が特徴」
「へえ、さすがアリアちゃん! 全然わからなかった」
「私も、教科書で見たことはあるけど、実物は初めてだわ」
リゼットも、興味深そうに葉を覗き込んだ。アリアは、故郷で父から教わった知識を、一つ一つ丁寧に説明していく。班の皆が、真剣な表情でその説明に耳を傾ける様子に、アリアは少しずつ自信を取り戻していった。
「こっちの赤い実は、どうなんだ? 食べられそうな感じがするけど」
トビアスが、木の根元に生っていた赤い実を指差した。アリアは慌てて首を振った。
「それは、絶対に食べちゃ駄目です! 見た目は美味しそうですけど、強い下剤作用がある実なので……」
「うわ、危なかった。触ってみようとしてたところだった」
青ざめるトビアスに、アリアは苦笑しながら注意を続けた。
「触るだけなら平気ですけど、目や口には、絶対に持っていかないでくださいね」
「わ、わかった。気をつける……」
しょんぼりするトビアスの様子に、メアリがくすくすと笑いを漏らした。こうした一つ一つのやり取りを通じて、班の空気は、次第に和やかなものになっていった。
リアムは、アリアの淀みない説明ぶりに、感心したように目を細めていた。
(座学だけでは、ここまで即座に判別できるものだろうか……)
そんな疑問が、リアムの胸の内をよぎる。だが、それを表情に出すことはせず、リアムはただ静かに、アリアの説明に耳を傾け続けていた。
「アリア嬢、この植物は?」
リアムが、少し離れた場所で見つけた、見慣れない蔓草を指差した。
「あ、それは……。ちょっと待ってください」
アリアは慎重に近づき、葉の形や匂いを確認した。故郷の図鑑にも似たようなものが載っていた記憶がある。
「これ、毒性のある植物だと思います。触ると、かぶれることがあるので、気をつけてください」
「なるほど、危ないところだった。助かったよ」
リアムの素直な感謝の言葉に、アリアは誇らしさを感じた。誰かの役に立てているという実感が、これほど心地よいものだとは、故郷にいた頃には気づかなかったことだった。
「トビアス、大丈夫? さっきから、ずっと落ち着かない様子だけど」
メアリが、そわそわとした様子のトビアスに声をかけた。
「い、いや、なんか、虫の羽音がすごい気になって……。あと、この辺、なんか変な気配しないか?」
「変な気配?」
トビアスの言葉に、アリアも思わず周囲を見渡した。だが、特に変わった様子は見受けられない。
「気のせいじゃない? トビアス、森が苦手だから、ちょっと過敏になってるんだと思うわ」
リゼットの指摘に、トビアスは「そ、そうかもな」と、ばつが悪そうに頭をかいた。だが、アリアの鞄の中で、クロノが小さく、何かを窺うように身じろぎしたのを、アリアだけは、かすかに感じ取っていた。
(クロノ、どうしたの?)
小声で問いかけると、クロノは低く唸るように答えた。
「……いや、なんでもない。少し、森の奥から、妙な気配がした気がしただけだ。気にするでない」
その言葉に、アリアは小さな胸騒ぎを覚えたが、周囲の和やかな雰囲気に、それ以上深く考えることはしなかった。
昼近くになる頃、五人の採集袋は、それなりの成果で膨らんでいた。
「思ったより、順調に集まったな」
リアムの満足げな言葉に、皆、達成感に満ちた表情を浮かべた。
「せっかくだから、少し休憩しましょうか。お弁当も持ってきてるし」
メアリの提案に、五人は近くの開けた場所に腰を下ろし、寮の食堂で用意してもらった弁当を広げた。木漏れ日の下で食べる昼食は、教室で食べるものとは、また違った美味しさがあるように感じられた。
「アリアちゃんのおかげで、今日はすごく順調だったね」
「そんな、みんなが頑張ったからだよ」
謙遜するアリアに、リゼットが扇子で口元を隠しながら微笑んだ。
「素直に、感謝を受け取っておきなさい。あなたの知識のおかげで、随分助けられたのだから」
リゼットの言葉に、アリアは照れくさくなりながらも、小さく頷いた。
「そういえば、皆さんの故郷って、どんなところなんですか?」
アリアが尋ねると、それぞれが少しずつ、自分の故郷について語り始めた。
「私の実家は、王都近郊の小さな領地でね。畑と牧場ばかりの、のどかな場所だよ」
トビアスが、懐かしそうに目を細める。
「私は、王都の商家の生まれなの。だから、こういう自然の中に来るのは、実はすごく新鮮で」
メアリの言葉に、アリアは意外そうな顔をした。
「オルレアン家の領地は、山がちな土地でね。冬は雪深く、夏は涼しい、狩猟に適した土地柄なのよ」
リゼットの説明に、なるほどと皆が頷く。それぞれの故郷の話に花が咲き、昼休憩の時間は、あっという間に過ぎていった。
午後になり、休憩を終えた班は、教官から許可を得て、少しだけ森の奥へと足を延ばすことになった。
「あまり時間はないが、少しだけ、奥の様子を見に行ってみよう。……アリア嬢、月光花について、何か手がかりはあるか?」
「月光花は、木々が特に生い茂った、日陰の多い場所を好むと本に書いてありました。あの辺りが、それらしい感じがします」
アリアが指差した先には、より深い緑に覆われた一角が広がっていた。五人は顔を見合わせ、慎重に足を踏み入れていった。木々の隙間から差し込む光が少しずつ弱まり、森の空気が、心なしか冷たく、静かなものに変わっていく。
「なんだか、さっきより、ずっと静かになった気がする」
メアリが、不安げに呟いた。その言葉通り、鳥のさえずりも、虫の羽音も、いつの間にか消えていた。アリアの鞄の中で、クロノが再び、わずかに身じろぎするのを感じた。
(クロノ……)
声には出さず、アリアは鞄の中の相棒に、そっと視線を落とした。静まり返った森の奥で、何かが、静かに息を潜めているような、そんな予感が、アリアの胸に広がり始めていた。
「皆、少し足を止めよう」
リアムが、周囲を警戒するように、静かに片手を上げた。班の全員が、示し合わせたように動きを止める。
「何か、感じるのか?」
トビアスの問いに、リアムは眉根を寄せながら答えた。
「はっきりとは言えないが……。空気が、明らかに変わった。何か、こちらを窺っているような」
その言葉に、リゼットも扇子を握る手に、わずかに力を込めた。
「気のせい、であってほしいところだけれど」
張り詰めた空気の中、五人は互いに視線を交わし合った。アリアの心臓が、早鐘のように打ち始める。故郷の森でも、時折感じたことのある、あの独特の緊張感――何か大きなものが、すぐ近くに潜んでいる時の、あの感覚だった。




